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やっぱりふるさとはいいもんだ [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:育った街はどんなところ?

私が生まれてから3歳まで住んでいたのが東京都大田区南六郷というところ。
3~4歳で同じ都内の清瀬市に引っ越し、さらに6歳で今も住んでいる埼玉県某市に引っ越した後も、父方の祖父母は引き続き大田区に住んでいたので、大学時代まで結構頻繁に里帰り(というほどのものでもないけれど)していたので、今も「故郷」という意識のある街です。
もっとも「故郷」といってももう祖父母とも亡くなって久しく、里帰りして何かをするあてもないけれど、目が見えていたころは時々フラッといってみたりしたこともあります。

この東京都大田区南六郷という場所は一的には羽田空港の近くで、今は運転系統がどうなっているのか不明ですが、少なくとも羽田空港の旅客ターミナルが現在の位置に移るまでは生家最寄りのバス停には鎌田駅と羽田空港の旅客ターミナルを結ぶバスが止まっていました。
生家の最寄り駅は、このブログでも何回か触れている通り京急の雑色(ぞうしき)駅。
昔も今も、普通電車しか停車しない駅で、今でこそ高架駅となりバリアフリー設備も完備した「今どき」の駅になっていますが、高架か前は典型的なターミナル駅近くの各停しか止まらない小駅といった雰囲気の駅で、確か私が小学校低学年くらいまでは上下線間の移動を地下道ではなく改札内の構内踏切で行っていました。
この雑色駅、昨年秋に京急が一部の駅の駅名改称案を公募した際にはその駅名が消えてしまうのではないかという懸念がありましたが、結局改称とはならず、明治時代の駅開設以来の駅名が令和時代にも引き継がれることに鳴りました。どうやら雑色という駅名を変えることに対しては反対という意見が多かったようで、これもこの駅名に馴染んできた者としてはうれしい限りです。

雑色駅周辺には、京急の線路や国道15号(第一京浜)を挟んで結構広範囲に2つの商店街が広がっています。
私が幼い頃、母や祖母の買い物についてきて何度も行った(と思われる)商店が残る一方、今はコンビニやスーパー、ファストフードなどもあり、たいていのものはここで調達できそうな、非常に便利な商店街です。
最近の状況はよくわからず、もしかすると現状はどちらの商店街もご多分に漏れず・・・という状況なのかもしれませんが、できればいつまでも賑わいが失われないでいてほしいものです。

商店街を抜けて生家のあったところへ向かう途中の街並みは、子供の頃は住宅や小規模なアパートに混じって「ものづくりの街」でもある大田区を象徴するような小さな町工場がところどころにあり、道を歩いていると開け放った正面の扉から何かを溶接か切削していると思われる青白い光が見えたり大きな音が聞こえてきたりするのも日常の風景でした。
今ではそういった町工場もほとんどなくなり、一部の家が新しく建て替えられたりマンションに変わったりしているようですが、私が目が見えなくなる少し前に最後に訪れた時にはそれほど大きな変化はなく見え、生家も持ち主は変わっていますが昔住んでいた当時とあまり変わらない外観でした。

生家のあったところから数分歩くと、多摩川(地元では六郷川とも呼びますが)の土手に出ます。この土手や河川敷から対岸を見ると、そこはもう川崎の工業地帯です。
多摩川の河川敷は近くに住む人に撮っては野球やサッカー、ゴルフの練習をしたり子供を思いっきり遊ばせたりするには最適な場所で、私もここでよく遊んだ思い出があります。
河口側に背を向けて遠くを見れば、京急と国鉄・JRの多摩川に架かる鉄橋が見えます。幼い頃から電車好きの私としては、多くの電車を短時間に見るには絶好のスポットだったはずですが、子供の頃はなぜか鉄橋のそばに行ったことは一度もありませんでした。
今となってはその理由を知るすべもありませんが、今思うとかなり悔やまれる思い出です。

この大田区南六郷、私が住んだのはまだあまり物心もつかないわずか3~4年のことでしたが、ある意味今住んでいる某市以上に思い入れのある街です。
単に懐かしい思い出のある街というだけでなく、現在でもあちこちへ出かける際の交通の便も非常によく、仮にもし引っ越すなら引越先としてぜひ候補に入れたい街です。
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