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【乗り物中心】高校修学旅行の思い出④ 熊本→長崎→福岡 そして帰路へ [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。
九州への修学旅行の思い出、最終回です。

修学旅行4日目の朝、熊本市内の宿を出た私たちは、まずはバスで熊本城へ向かいました。
バスでの移動距離はわずかでしたが、その大半で熊本市電の走る道路を走りました。朝のラッシュ時とあって数両の電車と並走したり擦れ違ったりする中、路面電車ファン的にラッキーだったのが、当時熊本市電唯一の連接車であった5000形(元 西鉄福岡市内線1000形)と少しの間並走したこと。5000形は現在も西鉄時代の塗装に復元された1編成が現役のようですが、当時も基本的に朝ラッシュ時の限定運用となっていたので、見ることができただけでも何だか得をした気分になりました。
熊本城を見学した後は、今夜の宿泊地長崎への移動です。
熊本城から天草の鬼池港へ向かう途中では、JR九州三角線のキハ31と2~3分間並走する場面もありました。結局この修学旅行中にJR九州の列車の姿を眺めることができたのはここだけでした。現在のように特徴ある列車が多数走る時代にはなっていなかったものの、鉄道ファン的には少々物足りなくもありましたが、九州でしか見ることのできなかったキハ31に遭遇できたのは幸いでした。
鬼池校から島原半島の口之津港まではこの旅3度目のフェリーの旅となります。鬼池校から30~40分ほど乗ると口之津港に到着し、フェリーに積載していたバスに再び乗って長崎市内へ向かいます。
島原半島の中で具体的にどのあたりを通過したのかは記憶がはっきりしませんが、おそらく終始車窓には雲仙普賢岳の姿も見えていたことでしょう。普賢岳の噴火や火砕流災害があったのは私が修学旅行中に島原半島を通った翌年から翌々年にかけてのことで、通過した場所の中にはそれらの災害によって大きく姿を変えた場所もあるかもしれません。いずれにしてもこの時期に島原へやってきたのは今から思うとかなり貴重な経験だったようです。
長崎市内に入り、あとは市内のホテルへ向かうだけでしたが、夕方も近くなっていたので道路の混雑も激しいようでバスはなかなか先へ進みません。
そんな中、進行方向右側の車窓にひっきりなしに現れる長崎電軌の路面電車たちの姿は渋滞を忘れさせてくれました。残念ながら鹿児島・熊本も含め路面電車に乗る機会はありませんでしたが、いずれの都市でもバスガイドさんから簡単にではあるものの路面電車の紹介があり、路面電車が観光の面でも地域に根付いていることが感じられてファンとしては嬉しい限りでした。
ホテルでの夕食後は、長崎に落とされた原爆で被爆された方から体験を聞く会が開かれました。体験を話してくださった被爆者の方の語りからは、私たちが想像もつかないような悲惨な被爆の実態が感じられ、改めて原爆や戦争のない世界を築いていかなければならないという思いを新たにしました。
翌日は修学旅行最終日。
ホテルをバスで出発してカステラの工場(メーカー名は忘れてしまいましたが)を見学して、いろいろ変った味のカステラを試食したり工場直売品のお土産を購入したりしました。
その後は佐賀県を素通りして一気に福岡空港近くへ向かい、お土産屋さんで最後の九州土産の買い出しをし、空港へ向かいました。
福岡空港から羽田空港まで乗ったのは、確かJALのボーイング747だったと思います。羽田までの約1時間40分ほど、修学旅行のあれこれを思い出しながらイヤホンで落語など聞いて過ごしていましたが、途中で気流の関係かかなり揺れた場面もありました。
しかし飛行機は無事に羽田空港に到着。荷物を受け取った後空港の到着ロビーで解散となり、修学旅行は無事終わりました。

この修学旅行では、訪問した九州のいろいろな観光地はもちろん、道中で乗ったり目撃したりした乗り物も大きな思い出になりました。鉄道以外の交通機関の状況はあまりよくわかりませんが、鉄道車両に限って言えばその時乗車したり見た車両の中には今はもう思い出の車両となったものも多いことからも、30年の時の流れを感じます。
今後もし機会があれば、この修学旅行のルートをもう一度旅してみるのもよいかな、などとも思っています。

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