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これができたのも、あれがあったからこそ [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:終電を逃した!! あなたならどうする?

やはりまんが喫茶でネットでも見ながら時間をつぶすか、始発が出るまで滞留可能なファミレスがあればそこでドリンクバーを何杯もお替りして時間をつぶすか、になるんでしょうね。
余計な出費はあるとはいえ、高い料金を払ってタクシーで帰ることを思えば格段に安上がりにはなりますから。
どちらもできなければ、最後の手段としてタクシーで帰るしかないのでしょうが・・・

もともと私は集電近くまで飲んでいたりすることもほぼなく、他の理由でそのような時間まで出歩いたりすることも少ないので、終電を逃して途方に暮れるような経験はしたことがありません。
ましてや、在宅勤務の今では会社や部署の飲み会というのもないので、終電を逃すという経験からより遠ざかっている状況です。
そんなわけで、今までに、終電を逃して夜を明かす場所に困った経験はありません。

それに「鉄道好き」を自認する者としては、鉄道にまつわる事で失敗をするというのは恥ずかしいという気持ちがどこかにあることも理由かもしれません。
そのためか、帰りが終電近い時間帯になると分かっている時は、自宅最寄駅へ電車のみで帰れるタイムリミットを事前に調べておき、その時間に合わせて行動する習慣が自然に身についていました。
大学時代は埼玉県某市の自宅から千葉市内まで通学していたので、飲み会等で帰宅が遅くなる時は、千葉駅や大学最寄駅の蘇我駅などから地元駅へ帰るための最終接続電車の確認は怠れませんでした。
今のように乗り換え検索アプリなんてありませんでしたから(そもそも当時はスマホどころかガラケーすらありませんでしたが)、終電への最終接続時刻を調べるのはもちろん、昼間でもどこかへ出かけようとする際に電車の時刻を調べるときは、当時発売されていた「MATT」という首都圏のJR・私鉄・地下鉄各線の時刻をまとめて掲載した時刻表は欠かせませんでした。

先ほども書いた通り私には終電を逃した経験はありませんが、父親はそのような経験はよくあったようです。
その中でも、今ではなかなかできない経験をした話をかなり前に聞いたことがあります。
それは、東北新幹線が大宮ー盛岡間で開業して間もない頃のこと。
父親は当時勤めていた会社の宇都宮営業所に出張し、仕事が終わった後営業所にいる同僚と飲みに行き、何件かはしごしているうちに気がついたら自宅へ帰るために乗る大宮方面への新幹線と東北線(当時は「宇都宮線」という路線愛称はありませんでした)はともに終電が出た後。
そこで、駅員に聞いてみると、午前3時頃に「あづま」という急行列車が止まるので、これに乗れば始発の東北線より早く大宮駅に着くと案内されたとか。
特に鉄道好きでもない父親からすればこんな時間に宇都宮から乗れる列車があるとは驚きだったようですが、ともかく時間までさらに酒を飲んで時間をつぶし、案内通り「あづま」に乗って帰ったそうです。
「あづま」は当時上野ー福島間(さらに普通列車として仙台まで)運転されていた455系電車による夜行の電車急行で、上野着の夜行列車の中でもかなり早く上野に到着する列車だったと思います。
この時に父親が「朝帰り」できたのも、宇都宮駅に未明に停車し、乗客の乗降ができる夜行列車があったからこそであり、乗車券だけ、あるいはこれに急行券さえ加えれば飛び乗れる夜行列車自体が消えてしまった今となっては、この時の父親のような経験もほぼ不可能になりました。
「朝帰り」の是非はともかく、こういうエピソードも昭和の時代ならではと言えるでしょうね。



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