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鉄道イベントの思い出03 品川運転所一般公開編 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
鉄道イベントの思い出、その第3回は、前回からの「品川」つながりで1987年10月(正確な日付は忘れてしまいましたが)に行われた、東海道線品川駅に隣接した車両基地品川運転所で開催された一般公開イベントの思い出です。

高輪ゲートウェイ駅の解説も含め周辺の再開発が進む品川駅界隈ですが、その再開発エリアには、東海道線の上下線に挟まれた狭い土地に国鉄時代には3つもの車両基地が固まって設けられていました。
それは、電気機関車が配置されていた東京機関区、ブルトレ客車などが配置されていた品川客車区、伊豆特急「踊り子」「スーパービュー踊り子」の185・251系などが配置されていた田町電車区でした。
このうち、国鉄末期に東京機関区と品川客車区が統合して生まれたのが品川運転所でした。
機関区と客車区を統合したといっても、1985年3月で東京機関区の機関車配置はなくなっていたため(構内への機関車の常駐や運用間合いの留置は行われていました)、書類上配置されていたのは客車だけでした。
その客車も、JR移行を前にブルトレ客車のかなりの両数がJR九州・西日本エリアに転出したため、両数や使用列車数という点ではかなり規模を縮小してしまいました。
それでも、日中に東京発着のブルートレインが多数折り返し整備を受けるのは変わらなかったので、民営化から間もない頃は子供の頃に本で見た東京機関区や品川客車区の華やかな雰囲気の面影が十分に残っていて、東海道線などで田町ー品川間を通過するときは田町電車区を含めた車両基地群の車窓にいつも釘付けになっていました。
そんな、ブルトレ好きの私にとっては憧れの存在だった品川運転所が一般公開されることを鉄道雑誌のイベント情報で知り、これはまたとないチャンスとばかり、行くことにしました。

1987年10月のとある週末に品川運転所の一般公開は行われました。
品川駅から運転所までどのようにアクセスしたのか、今となっては記憶が曖昧ですが、普段品川駅を利用する際に乗り換えなどで使う経路とは違う通路を経由して向かった記憶はあります。いずれにしても、線路に囲まれて一般道路からのアクセスが難しい立地なので、かなり特殊なルートを通って運転所に向かったのは間違いありません。
この日一般公開されていたのは主にかつての東京機関区のエリアだったようで、展示車両も電気機関車が中心でした。
屋外で展示されていたのは
・EF65PF特急色(一方のエンドに「出雲」、反対側に「瀬戸」のマーク付き)
・EF65PF特急色(一方のエンドに「サロンエクスプレスそよかぜ」、反対側に「踊り子」のマーク付き)
・EF65 1019号機(ジョイフルトレイン「スーパーエクスプレスレインボー」専用機、一方のエンドに「あけぼの」のマーク付き、反対側のマークの有無や種類は不明)
・EF66(一方のエンドに「あさかぜ」のマーク付き、反対側のマークの有無や種類は不明)
・EF58 61号機(一方のエンドはお召列車用装備、反対側に「つばめ」のマーク付き)
の5両だったと思います。このほか、検修庫内にも別のEF65PF特急色機(ヘッドーマークなし)1両が止まっていて、こちらも撮影可能でした。
これに比べ客車の展示車両はわずかでしたが、それでも当時品川運転所に所属していた「あさかぜ1・4号」用の24系3両(4人用B個室「カルテット」オハネ24 700番台、「オリエント急行風」食堂車オシ24 700番台、電源車カニ24)が展示され、車内にも入ることができました。
何しろ車内もかなりの人で、せっかくのオリエント風食堂車の内装もゆっくり眺めているゆとりはありませんでしたが、「あさかぜ1・4号」にはついに乗車する機会に恵まれなかったので、車内に入れただけでも貴重な経験になりました。
貴重な経験といえば、カニ24の車内に入ることもできました。機関室には入れませんでしたが、いつもはホームから中を覗くだけの荷物室に入ることはでき、さらに荷物積み下ろし用の扉から地上に降りるという経験ができたのもいい思い出です。
このほか、運転所事務所内の一部も公開され、品川運転所の機関車乗務員が運転を担当する「あさかぜ1号」の東京ー熱海間の運転時刻表や、機関車乗務員の乗務中の携帯品などを見ることができました。もちろん定番のグッズ販売もあり、見学できるエリアはそう広くはないもののかなり内容の濃いイベントでした。
私が運転所内にいた時間はさほどの混雑ではなかった記憶がありますが、あとで鉄道雑誌にこのイベントのニュースが掲載された時の記事には、一部入場規制が行われる時間もあったようで、昨今ほど鉄道イベントに家族連れなど幅広い層が訪れるという状況でなかったことを考えると、かつての名門車両基地である東京機関区・品川客車区の伝統を受け継ぐ品川運転所の存在の大きさが思い出されます。

子供の頃憧れた場所に入ることができ、テンション最高潮で展示車両の撮影に夢中だった、もう30年も前のあの頃の私は、将来ブルートレインが消えるなどとは想像だにしていなかったし、さらにまさかこの品川運転所が名実ともに消滅することになろうとも思いませんでした。
あの一般公開イベントから7年後の1994年12月には品川運転所から車両の配置がなくなり、1999年には組織上からも品川運転所の名が消えました。
そして今、旧田町電車区エリアのわずかな留置線を残して、日本を代表するともいえた華やかな車両基地群も跡形もなく姿を消すことになろうとは・・・
あと数年もすれば、鉄道ファンであっても若い人にはあの再開発エリアに車両基地が3つもあったことなど、想像もつかなくなるんでしょうね。
そう考えると、本当に時代の急速な変遷を感じずにはいられません。
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