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【過去の乗り鉄】新潟の115系乗りまくりの旅 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
新潟の115系乗り歩き旅の振り返り、第3回です。

115系乗り歩き旅の2日目となる2013年8月18日。
宿泊した新潟駅前のビジネスホテルを朝7時過ぎに出発し新潟駅へ向かいます。
この日のスタートは、新潟7:35発の白新線1925M。
越後線越後赤塚駅始発で、白新線を新発田まで走り、さらに羽越本線に乗り入れて村上へ向かいます。
1925Mの車内は、日曜日の朝らしいというか、乗客もさほどおらず、非常にのどかな雰囲気でした。
そんな雰囲気のままで淡々と羽越線を北上し、8:58、1925Mは終着の村上駅に到着しました。

村上は新潟エリアの115系の運用範囲の北限であると同時に、JRの直流近郊形電車の活躍範囲の北限でもあります。
駅北方には直流電化区間と交流電化区間とのデッドセクションがあるということですが、今回は交流電化区間の村上以北へは足を踏み入れず、9:54発の吉田行1932Mで新潟方面へ折り返します。
その間1時間弱ほどあるので、駅周辺をぶらついたり、ホームで撮影をしたりして時間をつぶしました。
実はこの村上、後に我が家にとっても縁のある街になるのですが、当時はそうなるとも知らずに何となく散策するだけでした。
駅周辺を散策して駅に戻ると、ちょうど羽越線酒田からの村上止まりのキハ40・47系4両編成による822Dが到着したところでした。
822Dは、私もこれから乗車する1932Mとの接続が図られていましたが、両者は同一線路上にそれぞれ酒田寄りと新潟寄りに10mほどの間隔をあけて停車しているので、822Dから1932Mへの乗り換えは階段を使うことなくスムーズに行えるようになっていました。

村上から乗車する1932Mは先ほどここまで乗車してきた1925Mの折り返し運用なのでもちろん車両も同じ115系です。
ここまでたどって来た道を戻り、10:28新発田(しばた)駅に到着。
1932Mはここから白新線に入って新潟、さらに越後線に入って吉田へ向かいますが、私は引き続き羽越線を新津まで向かうため、ここで下車しました。
その羽越線新津行の発車までは1時間弱あるので、ここでも駅前やホームをぶらついて時間をつぶしました。
下りホームへ行くと、ちょうど象潟行の快速「きらきらうえつ」が到着するところでした。
「きらきらうえつ」の停車時間はそう長くはなかったものの、到着に合わせてホームには小さな神輿や、新発田に古くから伝わる金魚をモチーフにした「金魚台輪」が登場ししていました。これらは毎年8月末に行われる「城下町新発田まつり」のPRも兼ねているようでした。
いずれにしても、短い停車時間の中で観光列車の乗客に楽しんでもらおうという新発田の人々の意気込みを感じさせる光景でした。

新津まで乗車する11:29発の新津行126Dは、側面にかわいいキャラクターが描かれたエンブレムの入ったキハE120形。
ここでも電化区間、しかも交直デッドセクションのない区間にもかかわらず気動車が使用されていました。
126Dの車内では、新潟駅で購入しておいた「まさかいくらなんでも寿司」で昼食。
この変わった駅弁の名前は、酢飯の上に鱒(ま)、鮭フレーク(さ)、カニのほぐし身(か)、いくらの醤油漬が載っていることからついています。
こういったタイプの弁当は持ち歩いているうちに盛り付けが崩れてそれぞれの具の味がグチャグチャに混じり合い悲惨なことになりがちですが、この弁当はそんなこともなく、4つの具の味にも変化があって食べ飽きず、昼に食べるにはちょうどいい弁当かもしれません。

126Dは、12:00ちょうどに新津駅に到着。
新津で乗り継ぐのは、12:25発の信越線長岡行438M。
新潟県の二大都市間を結ぶ列車らしく6両と比較的長めの編成ですが、車内は日曜の昼下がりらしいまったりした雰囲気でした。
そして438Mは13:23に長岡に到着しました。

この後は、未乗車の弥彦線踏破へ向かいます。
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