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【乗り鉄&イベントの思い出】いすみ鉄道と町おこしイベントと「ポッポの丘」と その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
7年前のちょうど今日に、いすみ鉄道乗車と「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」、そして「ポッポの丘」への訪問を楽しんだ時の振り返り、その3です。

「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」会場の商店街から数分歩いたところにある郷土資料館の駐車場に、まつりのもう一つの目玉でもあるボンネットバスが止まっていました。
このボンネットバスも、まつりのコンセプトである「昭和レトロ」を演出するアイテムとして、宮城県栗原市で行われている本家「みんなでしあわせになるまつり」でも運転されているもので、こちらいすみでのまつりでもそれに倣った形になっています。
このバスたちは、まつり会場周辺をめぐる体験乗車と、いすみ市内にある「ファームリゾート 鶏卵牧場 夷隅農場 ポッポの丘」(以下、「ポッポの丘」)への送迎バスとして全部で3台ほどが活躍していました。
できれば両方のコースで乗りたい気持ちもありましたが、バスの乗り場にやってきた時にはすでに13時を回っていたので「ポッポの丘」へ行く方を優先しました。
しかしボンネットバス自体も人気が高い上、「ポッポの丘」へ向かおうとする人も多く、それに対してボンネットバスの定員は少なく、その結果直近の便に乗ることはできず、ポッポの丘へ行ったバスが戻ってくるまで40分ほど待つことになりました。
でも、40分近く待って初めて乗ったボンネットバスは、今のバスにはない何となくのんびりゆったりした乗り心地が味わえ、暑くもなく寒くもないちょうどよい気候の中、窓を開けて走ると風邪も心地よく(ちなみにバスに冷房はなし)、短い時間ながらなかなか楽しいバス旅でした。

ということで、ボンネットバスに揺られること約15分。ポッポの丘に到着。
この「ポッポの丘」は、もともとは鶏卵をはじめとした農産物の生産・販売をする農場でしたが、なぜか単なる農産物等の生産・販売のための施設だけでなく、全所有者も車種もバラエティー豊富な各種の鉄道車両が次々に敷地に搬入され、ちょっとした鉄道公園の様相を呈しています。
あさかぜ1号 博多行
あさかぜ1号 博多行
入口を入ってすぐのところ(というか、バスを降りたすぐ目の前)には元「万葉線」の7052号が鎮座しています。
塗装は加越能鉄道時代のオレンジとクリームのツートンカラーの姿で、加越能改め万葉線の同タイプの車両が塗装変更された今となっては貴重な存在です。
前面の方向幕には、加越能鉄道・万葉線の途中停留所で車両基地のある「米島口」の表示がされていました。
車内は農場で生産された鶏卵の販売スペースに活用されています。
このように、ここにいる車両たちの多くは、車内が農産物や鉄道グッズ等の販売スペースになっています。

以下、2013年春時点で「ポッポの丘」に保存されていた車両たちを簡単にご紹介します。

・いすみ鉄道いすみ204号車
 木原線の第三セクター転換(→いすみ鉄道)に伴って登場したレールバスで、いわば「地元代表」の車両といったところです。
・北陸鉄道3752号
 前後を他の保存車に挟まれて展示されているので、片側の側面しか見たり撮影したりできないのが残念ですが、こちらも何の因果化?遠く千葉にやってきました。
外観は北陸鉄道時代のクリームと朱色のツートンカラーのままでした。
それにしても、いすみ鉄道のキハ28やキハ52もそうですが、なぜかこの近辺の鉄道シーンは北陸・日本海側地方の車両たちと縁が深いようで・・・
・銚子電鉄700形
 元銚子電鉄700形は、在籍していた2両がいずれも「ポッポの丘」にやってきました。
701号は先の2両と編成を組んだような状態で配置され、窓まわりが白っぽいグレー、その上下が水色のツートンカラーの塗装になっていました。
一方の702号は単独で置かれ、塗装は銚子電鉄時代末期の上半分黒、下半分赤の塗装になっていました。
・千葉都市モノレール1003+1004
懸垂式モノレールの車両の保存例はあまり聞いたことがありませんが、それよりもこの車両のここでの保存状態がかなり興味深いものがあります。
なにせ頭上の案内軌条にぶら下がっている状態ではなく、車体床面を地上に着地させた状態で置かれているのですから。
そしてこの2両の隣には、次に紹介する元JRキハ38が置かれているので、通常は同一の平面上に並ぶことのありえない一般の鉄道車両と懸垂式モノレールが並ぶという、ここでしか見られない光景が見られます。
懸垂式に限らず、モノレールの車両をこのような場所で見られるというのもなかなかない事でしょう。
2両の車内は休憩室として使われていると思われます。また千葉都市モノレールでは非常時以外は通行できない車両間の貫通路もここでは開放されていましたので、せっかくだから通ってみました。
ちなみに現在は配置が一部変更され、2両は並んで展示されているとか。
・JRキハ38 1
 千葉つながりということで、久留里線で活躍していたこの車両も展示車両の仲間入りをしていました。
塗装は白ベースに青と青緑のラインの久留里線塗装のままでした。
・小型DL(形式や番号の表記は見つかりませんでした)と元国鉄の車掌車4両の編成
 青や緑にきれいに塗装されて編成を組んだ状態で展示されていました。
2013年に訪れた時には走行していませんでしたが、翌年再訪した時には数十mながら車掌者に乗客を乗せて走行し、私も乗車することができました。
自然の中にあるこういった場所には最も似合う車両と言えるでしょう。
・営団地下鉄丸ノ内線454号
2013年に訪れた当時は、「ポッポの丘」入りしてまだ日の浅かった車両の一つです。
この車両も単独で、比較的撮影しやすい配置になっていました。
この車両は6両編成の中間に連結されていた時期が長かったためか、前面の方向幕には昭和30~50年代に使用されていたと思われる字幕が残っており、2013年に訪問した時には「後楽園」、翌年再訪した時には部分開業時に短期間使用されただけの「新中野」のレアな表示が出されていました。
丸ノ内線の赤い旧型車はまだ幼い頃からよくお世話になっていた車両なので、こうしていつでも見に行ける保存車が増えたのは嬉しい限りです。
・JR DE1030+オロネ24 2+オハネフ24 2
この3両も、2013年に訪れた時にはまだ展示が始まって間もない頃でした。
編成を組んだ状態で、他の保存車両たちがいるエリアを見下ろす丘の上に置かれています。
DE10 30は、お台場の船の科学館に保存されていた、青函連絡船羊蹄丸の車両甲板で展示されていたものが移設されてきました。
オロネ24 2とオハネフ24 2はどちらも側面の方向幕は「日本海 青森」を表示し、オハネフ24のテールマークも「日本海」を表示していました。

1時間ほどポッポの丘で過ごし、再びボンネットバスで国吉に戻ります。
途中の踏切では偶然にも国鉄型キハコンビの「急行4号」の通過待ちとなりました。
私も含め車内の乗客の多くが踏切にカメラを向けていましたが、できるものならバスから降りて撮りたい光景でした。

「ポッポの丘」から15分ほどで、先ほどバスに乗った郷土資料館に戻ってきました。
時刻も16時近くなり、ボンネットバスの今日の活躍もそろそろ終了です。
バスを降りて国吉駅まで歩き、16:10発の大原行に乗車。
「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」や「ポッポの丘」帰りの人達で単行のいすみ301号は立ち客多数でした。
いすみ301号は16:27に大原駅に到着。
反対側のホームには本日最後の大多喜行「急行5号」としての発車を待つ国鉄型キハコンビが停車中。
先ほど撮影しそびれた「急行」表示のキハ28も撮影できたところで、この日の撮影は終了。
大原16:55発の特急「新宿わかしお」で帰路につきました。

さて、2013年の「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」と「ポッポの丘」への一日旅は終わりましたが、実は翌年の同じ時期にも同様な一日旅をしています。
次回からはその、2014年の時の模様を振り返ってみたいと思います。
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