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10年前の広島遠征 その15 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
10年前の広島への鉄道旅の振り返り、最終回です。

広島から乗車した「こだま776号」で岡山に到着し、あとは「サンライズ」で東京へ向かうだけになりました。
岡山駅の新幹線⇔在来線連絡改札の頭上にある在来線発車時刻案内の、山陽本線上り列車の表示には、奇しくも列車名(サンライズ瀬戸)の一部としての「瀬戸」と、普通列車の行先駅名としての「瀬戸」が2つ仲良く表示されていました。
岡山駅での「こだま」から「サンライズ」への乗継ぎ時間は29分とやや中途半端なため、当初は駅撮りなどはせずゆっくり「サンライズ」の到着を待つつもりでした。
が、しかし・・・
ふと何気に「ここでいきなり103系でも来ちゃったりして・・・」なんて戯言が頭に浮かんだその矢先、何と私のいた4番線の、ホームのない線路を挟んで向こう側の5番線の広島方向から、ついさっき広島駅でお別れしたはずの瀬戸内色の103系が登場!
あまりに突然の登場で、4番線からの入線シーンの撮影は失敗。
こうなったら入線した5番線に行って撮影するのが一番です。
その103系の正体は、岡山22:30発の宇野線宇野行677M。
編成は当時広島運転所から岡山電車区に貸し出されていたE-01編成(岡山での編成番号はH19編成)でした。
よく見ると、同じ瀬戸内色の103系でも、広島の編成とは前面方向幕の使用の有無や編成番号の表示方法に違いがありました。
側面方向幕も、広島の編成は白地の字幕を使用していましたが、H19編成は関西各線で使用されていた103系と同様の黒地に白文字の字幕を使用していました。
こうして一部「岡山仕様」で運用についているH19編成でしたが、あくまでも借入車のため所属標記は広島運転所所属を示す「広ヒロ」のままでした。
「サンライズ」の到着も迫っているので手早くH19編成を撮影して再び4番線へ戻りました。

そしていよいよ、これから乗車する「サンライズ」が岡山駅に到着する時間となりました。
22:22、4番線にまず高松からの「サンライズ瀬戸」が先着。
8号車付近ではただちに貫通路のドアが開かれるなど、併結準備に入りました。
そして22:29、私が東京まで乗車する「サンライズ出雲」が到着。
両列車の到着時には、「サンライズ」と103系の並びという、大変貴重な並びも一瞬見ることができました。
この夜の285系は、瀬戸編成・出雲編成とも西日本所属車でした。
この夜の宿は、出雲編成3号車の1人用B個室「ソロ」。
荷物が多めだとやや狭苦しいのは事実ですが、今回のようにあとはただ寝るだけという状況であれば十分なスペースとも言えます。
せっかく同じ3号車にシャワールームがあるので、車内改札時に車掌からシャワーカードとシャワーセットを購入。
シャワーセットの中身は、使い捨ての歯ブラシとイラスト入りタオルが、ロゴ入りの黄色いビニール袋に入って200円(当時)。
もっとも、シャワー利用時は持参のタオルを使い、シャワーセットは未使用のまま持ち帰りましたが・・・

シャワーを浴びた後、やはり3号車にあるラウンジで、自販機で購入した缶コーヒーを飲みながらのんびり。
そして、京阪神の複々線区間を抜けたところで部屋に帰って就寝。

翌朝7:08、「サンライズ」は東京駅に定刻到着。
最後は有楽町へ移動し、当時の田町車両センターへ回送される「サンライズ」を見送り、3日間とちょっとの広島遠征を終えました。
あれから10年後の今、振り返ってみると当初予想していたよりも内容の濃い鉄道旅になりました。
特に今は姿を消してしまった広島都市圏の国鉄型電車や「セノハチ」補機のEF67形を思う存分撮影できたのは、よい思い出となりました。
コンプリートを狙っていた広島地区の103系の現役編成と、EF67形の撮影は、あとそれぞれ1編成・1両を残して達成できませんでしたが・・・
広島電鉄も、今では当時より低床電車が増えた一方で他都市からの譲受車両の廃車が進み、旅の途中で乗車した「ハノーバー電車」もイベント・貸し切り用を除く一般営業運転から引退するなど、この10年で大きく変化しています。
そんな大きな変化が起こる前の広島エリアの鉄道を記録することができた10年前のこの遠征は、十分に満足のいくものでした。
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