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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その3です。

18時が近づき、「富士はやぶさ」の東京駅発車も間近になりました。
しかし、実はこの日17:20頃に川崎駅で人身事故が発生し、その影響で東海道・京浜東北線が運転見合わせとなっていました。
当然その影響は「富士はやぶさ」にも及ぶわけで、せっかくのお別れ乗車の旅が出だしからつまづくかと思われましたが、結局は正式な運転再開(18:20頃)を待たずほぼ定刻の18:03頃に東京駅を発車し、とりあえず一安心。
品川までは3分ほど前に東京駅を発車した普通電車がつかえていてトロトロとした走行ぶりでしたが、品川を過ぎてからは徐々にスピードも上がり、その後は平塚付近で少々もたついたものの、遅れを5分前後にとどめつつ快調に飛ばしていきます。
横浜駅を5分ほどの遅れで発車したところで、本日の夕食。
大丸東京店や東京駅の駅弁売店であれこれ迷った末、私が東京駅でよく購入する「チキン弁当」をチョイス。
夜行列車に乗るのならといつもは飲まない缶ビールを飲みながら唐揚げをつまむのは、なかなか贅沢な気分でした。
先ほど挨拶を交わした向かいの寝台の住人の方とも弁当のおかずを交換したり、少しですが会話を交わしたりと、開放B寝台ならではの旅を満喫しながら西へ向かいます。

夕食の後、腹ごなしも兼ねて少し車内を散歩。
もともとが終焉近い列車である上に3連休前日の発車であることもあり、個室の状況はわかりませんでしたが開放B寝台は熱海到着前の時点でも「富士」編成も「はやぶさ」編成もほぼ8~9割り方寝台が埋まっている状況でした。(東京発車後の案内放送でも「本日は満席」という案内あり)
各車の洗面所には、この頃にはすでに貴重な存在となっていた冷水器も健在で、確かほぼ全車できちんと機能していました。
冷水器は国鉄時代や昭和を象徴するアイテムの一つになっていたこともあり、給水ついでに写真を撮る人もよく見かけました。もちろん私もその一人でしたが(笑)
この日の乗客の多くが私と同じ鉄道ファンだったようで、その他にも車内のあちこちで標示類などを撮影する人をよく見かけました。

運転士交代のため運転停車した米原駅を6分ほどの遅れで発車したのを確認したところで、この日は就寝としました。
次回、山陽路を西へ下ります。
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