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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その13 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その13です。

西小倉駅などでの貨物撮影を一区切りにし、九州鉄道記念館を見学した後、小倉駅から日豊線の特急「ソニック37号」に乗り、今回の遠征の最後を飾る「富士」を迎えに中津駅へ向かいます。
この旅で利用した周遊きっぷ「福岡ゾーン」は、日豊線では大分県境を超えた中津駅までが周遊ゾーンに含まれていました。
そのため、「はやぶさ」同様「富士」にも1分でも長く乗車するために一旦中津まで行ってから乗車することにしたわけです。
もっとも、やはり本音を言えば、始発の大分から乗車したかったのですが…

中津駅到着後、一旦改札外へ出て改札脇のコンビニで食糧や飲み物を補給し、再びホームへ上がりました。
「富士」到着まで少し間があったので、ホームをぶらぶら歩いていると、いろいろと興味深いものが目に入ってきました。
ホームでまず目を奪われたのが、ホームに設置された超ロングサイズの木製ベンチ。
どのくらいの長さがあったのか覚えていませんが、確か駅のホームに設けられたベンチとしては日本最長というようなフレーズも、ベンチの上に掲げられた看板に記されていた記憶があります。
また当時の中津駅には、旧国鉄スタイルのままの駅名標も健在でした。

ホーム上に建てられた発射時刻表は中央の「○時」の縦軸を境に、左半分が特急列車、右半分に普通列車の発車時刻が掲載されている、関東ではまず見られないスタイルのものでした。
「特急欄」の赤文字の大群の中で異彩を放っていたのが「富士」の青い発車時刻の数字と、「博多」「小倉」がほとんどを占める中でひときわ輝く「東京」の文字でした。
さらに、「富士」中津到着直前の上り3・4番線の発車案内にも「寝台特急富士 東京」の文字が表示され、編成は短くなったとはいえまだまだ日豊線内での「富士」の存在感のほどを感じました。
今や、中津だけといわず、九州内の駅の在来線ホームの発車案内から、下関以外の本州の駅名や寝台特急を表す表示が消えてしまったわけで、時代の流れを感じます。

また、「富士」の発車する4番線の屋根からは、中津駅オリジナルの「富士」乗車口案内が下がっていました。
号車番号を変えただけで同じデザインのものが1~6号車の各車分あり、絵柄は裏表同じでした。
ホームから見上げると非常によく目立ち、何より見ていて楽しくなるデザインでした。

最初は「富士」到着までの暇つぶしのつもりの駅ウォッチングでしたが、今思い出してみるとあの頃ならではの標示類やアイテムが駅のあちこちにあったわけで、これも懐かしい思い出になっています。
次回、いよいよ「富士」に乗車します。

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