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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その17 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、最終回です。

完成したばかりの姫路駅高架ホームでの運転停車に始まり、下り「富士はやぶさ」とのすれ違い、さらに普段は旅客列車で通ることのできない「北方貨物線」通貨体験と、深夜に目が覚めたおかげでわずか1時間半足らずの間に貴重な体験を3つもすることができて興奮冷めやらぬ中、高槻駅を通過したあたりで再び眠ったものの、定刻に「富士はやぶさ」が名古屋駅に到着したところでまた目が覚めてしまいました。
気がつくと最後の九州発着ブルートレインの旅も、早いもので東京到着まであと4時間半少々を残すだけになってしまいました。
浜松駅を定刻発車したあたりで、昨日中津駅構内のコンビニで購入したパンで朝食。
往路の下り「富士はやぶさ」の徳山駅以西と同様、上り「富士はやぶさ」でも浜松から車内販売が乗務していて弁当やサンドイッチの販売もしていたようですが、寝不足なこともあり私はパスしました。
その後、軽く車内を散策。
個室の状況はわかりませんでしたが、静岡駅到着直前で開放B寝台は8割くらいの乗車率でした。

8:00、「富士はやぶさ」は富士駅に定刻到着。
実は、上り「富士」に乗る機会があったらぜひともやってみたかったことが2つありました。
まずは、「富士」の車内から富士駅の駅名標を撮影すること。
残念ながら、乗車中の3号車は駅名標とはかなり離れた位置に停車してしまったため、発車後に撮影を試みました。
動き出した列車内からの撮影のため、若干ブレてしまったものの、「富士」の文字はきちんと読み取れるレベルで何とか成功。
そしてもう一つは、何といっても「『富士』の車窓から富士山を拝むこと」でした。
富士駅発車後の車内放送でも進行方向左手に富士山が見えるというアナウンスがあり、期待が膨らみます。
やがてその車窓に富士山の姿が見えてきました。
天気は晴れでしたが、残念ながら雲がかかって頂上は見えませんでした…
でも、全く見えずに終わってしまっていたらと考えると、これはこれでよかったのかもしれません。

8:34、熱海駅に到着。
ここを境に「富士はやぶさ」はJR東海エリアからJR東日本エリアに入り、車窓に見える駅名標も見慣れたJR東日本標準スタイルのものに変わります。
終着駅の東京到着まであと1時間半足らずとなり、この駅名標を見ているとだんだんと現実に引き戻されていく気分になってきます。
8:36、熱海駅を発車。
これも見慣れたE231系や211系と頻繁にすれ違いながら、刻一刻と東京駅に近づいていきます。
快調に飛ばしているというべきか、非情にもゴールへ近づいているというべきか、何とも複雑な気分になってきます。
この列車だけ時空が歪んで、もうあと2~3時間ぐらい東京到着が遅くなったら…などとあらぬ妄想さえ浮かんできました。
最後の停車駅である横浜を9:36に定刻発車した直後、個室のカギが回収されたところで、客車先頭の12号車のデッキへ移動し、東京駅到着を待つことにしました。
品川駅を通過中に、本州内での担当者章句であるJR西日本下関乗務員センターの車掌さんによる最後の車内放送が始まりました。
型どおり東京駅からの各線への接続案内をした後、いよいよ締めくくりの言葉。
「昨夜来、ご案内してまいりました車掌、JR西日本下関乗務員センターの、12号車○○、1号車●●が、途中駅下関よりご案内いたしました。
寝台特急はやぶさ富士号のまたのご乗車を心よりお待ち申しあげまして、お別れとさせていただきます。
ご乗車いただきまして、誠にありがとうございました。」
この車掌さんの言葉に、もう「乗車」という形で応えることができないかと思うと、ブルトレファンの一人として本当に切なくて寂しい思いがこみ上げてきて泣いてしまいそうになりました。

9:58、「富士はやぶさ」は東京駅10番線に定刻到着。
この瞬間ほど、「定刻到着」というのが恨めしく思えた時もありませんでした。
せめてあと2時間は余計に乗っていたかった…と、本気でそう思いました。
下関から「富士はやぶさ」を牽引してきたEF66 42号機が機回しのため神田方へ引き上げた後に顔を出した「はやぶさ」編成の12号車は、24系25型時代の「はやぶさ」を思い出させる銀帯のスハネフ15 21。
最後の東京駅発着ブルートレインの旅の終わりに対面するのにふさわしい車両に思えました。

神田方へ引き上げていたEF66 42が9番線を通過して反対側の有楽町方へ移動するところを撮影したところで、「富士はやぶさ」の品川への回送列車を撮影すべく、山手線で隣の有楽町駅へ先回りします。
10:37、「富士はやぶさ」の回送列車が有楽町駅を通過。
同駅3・4番宣ホーム東京方での「富士はやぶさ」の撮影は、これまでにも何度かしたことはありましたが、先ほどまで最後の乗車をしてきたばかりの列車だけあって、いつもとは違う気持ちでシャッターを切り、編成が目の前を通り過ぎていくのを見送りました。

そして、編成最後部のスハネフ15 21がゆっくりと遠ざかっていくのを見送ったところで、「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州への遠征も終了となりました。

あれからもう11年、九州へ向かう系統だけでなく「ブルートレイン」自体が過去のものになってからでも5年の年月が経過しました。
ブルートレインには私にもいろいろな思い出がありますが、数あるブルートレインの中でも東京発着の九州行ブルートレインは私にとっても特に思い入れの強い列車だっただけに、この最後の「富士はやぶさ」乗車はずっと記憶にとどめておきたい大切な思い出になりました。
いつか東京と九州を結ぶ夜行列車が復活するようなことがあったら、かつてのブルートレインを思い出しつつ、ぜひ乗りたいものです。
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