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震災直後の通勤記録を振り返る その3 [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。
前回に引き続き、10年前の東日本大震災の翌週の、計画停電下での会社への通勤の記録を振り返ります。
今回は、週の後半の3月17日(木)・18日(金)編です。

【3月17日】
朝の会社への通勤は、おおむね前日と同じ時間・経路でした。西武線の混雑は相変わらずでしたが、前日より運転はスムーズだったようで、有楽町駅には前日より10分少々早く到着しました。
この日、電力需要の逼迫が懸念されるとかで政府から各企業に終業時刻の前倒しや帰宅時間の分散が呼びかけられたらしく、会社から急ぎの業務のない社員の早帰りの指示が出たため、定時より1時間早い17時に退社。
混雑が予想される有楽町線を避け、この日も有楽町駅から17:15頃発の山手線内回りで出発。
車内はやはり同じように早帰りする人が多いのか結構混雑していましたが、それでも震災の日の夜の大江戸線や数日前の西武線の混雑を思えばまだ楽といったところでした。
17:50頃池袋に到着し、この日も西武線改札の入場待ち行列へ。
改札待ちの列は前日よりは短く、1940頃には池袋駅を出発。
所沢で新宿線に乗り換えるも、この時点での新宿線は新所沢ー本川越間が運転見合わせになっていました。
19:40頃に新所沢駅に着いた時には、ちょうど駅付近は計画停電の真っ最中。駅の改札内は間引きされていたとはいえ照明も転倒し、確か自動改札機も動いていた記憶がありますが、一歩改札を出るとそこには本当の暗闇が広がっていました。
なんとか駅前まで出てとりあえずタクシーで自宅へ向かおうとしましたが、駅前のタクシー待ちの列は長く、しかもあたりは真っ暗で列の最後尾がどこなのかも判然とせず、タクシー利用は断念。
そこで自宅まで徒歩で向かうことにしましたが、何度か歩いた勝手知ったる道とはいえ、信号も街灯も建物から漏れる明かりもない中を歩くのはもちろん未経験で、その恐怖感たるや、ある意味視覚障碍者となった今より大きかったかもしれません。
新所沢駅周辺の計画停電は19:50過ぎには終了し、信号機や街灯などの明かりも戻りましたが、交通量の多い県道の広いとはいえない歩道を明かりの少ない中で歩くにはかなりの慎重さを要し、普段のほぼ倍の1時間20分をかけて21時頃に自宅にたどり着きました。

【3月18日】
この日の朝も、西武新宿線新所沢ー本川越間は運転見合わせとなっていたため、自宅を6時ちょうどに出発し、前夜歩いた道を今度は自宅から新所沢駅に向けて歩きました。
暗かった前夜とは打って変わってすっかり明るくなっていたので、過去何度か歩いた時とほぼ同じ45分ほどの所要時間で新所沢駅に到着。
ホームへ出ると、ちょうど西武新宿行各停が停車中で、幸い座席にもありつけたので、所沢で池袋線に乗り換える予定を変更して高田馬場まで乗車、そこから山手線外回りで有楽町へ向かいました。
帰りは、定時に退社して有楽町線で池袋へ、池袋からは池袋線と新宿線を乗り継いで自宅最寄り駅へと向かいました。
有楽町線から西部への直通ン点がまだ再開されていなかったのと、やはり臨時ダイヤのためもあり所要時間いつもよりわずかに多くかかったものの、それ以外は通常とそれほど変わりのない帰宅となりました。
また、西武池袋・新宿両船とも、間引き臨時ダイヤでは各停のみの運転でしたが、池袋線ではこの日から準急も運転されるようになるなど、平常ダイヤへの回復に向けた動きも出てきました。

こうして、いろいろと変則的だった震災直後の一週間が終わりました。
先日も書きましたが、この記事を書くにあたって当時のブログを読み返してみると、震災から数日間のいろいろなことが思い出されました。
あくまでも個人的なことながら、これも10年前の貴重な記録になるかもしれません。
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