113系快速「白い砂」(2010年) 乗車・撮影の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
まだまだ何だかテンションが上がらないというか、夏休みシーズンが近づいてきたというようなわくわく感を感じにくい今日この頃ですが、今回は11年前に走った、「夏」が感じられるような臨時列車の乗車・撮影の思い出です。
この列車は、2010年7月17日から8月8日にかけて、総武線両国駅から外房線経由で館山駅まで運転(最後の2日間は両国ー勝浦間のみ運転)された臨時快速列車「白い砂」号です。
この「白い砂」という名の列車は、もともとは1972年の総武線一部複々線化に伴う総武快速線の運転開始とともに、その総武快速線の始発駅である東京地下駅から外房線沿線への海水浴客の輸送を目的として運転されるようになった列車で、車両はもちろん総武快速線用の113系でした。
「白い砂」は、同時に運転が始まった内房線への「青い海」号とともに、一時は一日にそれぞれ6~7往復運転されることもあったという房総の夏を代表する海水浴臨時列車でした。
しかし、海水浴が夏のレジャーとしてあまりメジャーな存在でなくなるにつれ運転本数も減っていき、1998年頃には運転されなくなったようです。
そんな「白い砂」が2010年になって突然、夏の臨時列車の一つとして運転されると聞いて驚いた思い出があります。
当時は、かつて千葉県内の多くの路線で大活躍した幕張車両センター(旧 幕張電車区)の113系が211系、さらにその後の209系の投入によって置き換えが進んでいる時期であり、この時の「白い砂」の運転も、そんな引退迫る房総の113系の「華」ともいえるこの列車を振り返るリバイバルトレインという位置づけもあったのかもしれません。
この2010年の「白い砂」は、ツアー客用の団体イベント列車ではなく、先ほども書いた通り一般の夏の臨時列車としての運転で、しかも快速なので自由席に関しては運賃だけで乗車することができるので、撮影はもちろん乗車もしたくなり、運転2日目の2010年7月18日に出かけてきました。
この日はまず、「白い砂」始発の両国駅へ向かいました。
「白い砂」は、かつて房総方面への列車が多数発着し、一般乗客の乗れる列車の発着がなくなった後もこの年3月まで房総方面への夕刊輸送を行う通称「新聞電車」が発車していた、両国駅3番線(現在もイベントなどで使用)から発車します。
隣の2番線についた総武線各駅停車を下車し、階段を下りてその3番線へと通じる通路につながる入り口には、「白い砂」運転をPRする大きな看板も掲示され、JR千葉支社のこの列車に対するかなりの意気込みが伝わってきました。
そして、そこからの3番線への通路には、何とレッドカーペットが敷かれていました。
理由は定かではありませんが、まさか113系に乗る前にレッドカーペットを踏むことになろうとは(笑)
実は私、両国駅の列車ホームに足を踏み入れるのは、この時が初めてでした。
ホームに上がって一段高い電車(総武線各駅停車)ホームの方を見ると、当時見慣れた存在だった総武線のE231系や209系500番台も、普段とは少し違う目線の高さで見ることができて新鮮でした。
この両国駅3番ホームも、「白い砂」運転に合わせてかきれいに整備されていて、ホーム上には「白い砂」の記念撮影用?の看板も置かれ、壁面には次駅名表示が錦糸町ではなく「房総」になっている駅名標も掲げられていました。
このほか、同じくホームの壁面には、江戸情緒をイメージしたイラストも描かれ、房総への玄関口であるとともに下町情緒漂う街の駅というこの駅のイメージが表現されていました。
そんな両国駅列車ホームの風景を楽しんでいるうちに7:37、幕張車両センターからの回送で「白い砂」が入線してきました。
この日使用されたのは6両編成のS70編成で、1両組み込まれていた0番台のクハ111を除けば、往年の「白い砂」でもきっと運用されたに違いない1000番台のモハ113・112と1500番台のクハ111で組まれた編成でした。
編成両端のクハには、シンプルなデザインながらしっかりヘッドマークも掲出され、往年の「白い砂」の姿を知る(残念ながら乗車経験はありませんでしたが)者にとっては懐かしさ満点でした。
残念ながら側面幕は「臨時」でしたが…
入線後、発車まで少々時間があるので、ホームから113系をあれこれ撮影しました。
まずはホームの錦糸町寄りへ。
この部分は、都心部の駅では珍しいホームの上屋のない部分で、この日は雲一つない青空だったこともあり、非常に開放的でのどかな雰囲気でした。
このようなホームに立って列車を眺めていると、かつてここから何本も運転されていた房総への海水浴列車もこんな雰囲気だったのかも、という想像が膨らんできました。
その後、反対側(新宿方)からの撮影もしてから、先頭の6号車(自由席)に乗り込みました。
先ほども書いた通りこの年の「白い砂」は自由席も連結した一般の臨時快速としての運転だったため、1999年の総武快速線からの撤退以来11年ぶりに千葉から都心側でスカ色の113系に乗車できる貴重な(そして結果的に最後の)チャンスになっていました。
乗車してみると混雑はそれほどでもなく、久しぶりの113系乗車にはなかなかいい環境でした。
「白い砂」は7:53、両国駅を発車し、私にとっては初体験の両国駅列車ホームから総武快速線への渡り線通過を経て錦糸町駅の快速線ホームへ入線。
ここから久しぶりに113系の総武快速線での快走が始まります。
走り出してみるとやっぱり懐かしいの一言。
大学時代4年間、通学でほぼ毎日のように113系の総武快速に乗っていた日々が走馬灯のように思い出されました。
せっかく訪れた「白い砂」乗車の機会なので、このままずっと終着の立山まで乗り通したい所ではありましたが、当日はこの後どうしても行かねばならない予定があり、残念ながらこの日は船橋駅で下車しました。
113系「白い砂」は翌年の2011年にも房総の113系のお別れイベントという形で再度運転され、この時には内房線経由の「青い海」号も運転されたようですが、この時私は乗車や撮影のチャンスを逃してしまったのが今でも悔やまれます。
しかし、短い区間とはいえ113系の総武快速線での走りを思い出させてくれた2010年の「白い砂」乗車は、房総というよりJR東日本から113系が姿を消して久しい今となっては、良い思い出の一つとなっています。
さて、113系での運転は2010年が見納めになった「白い砂」でしたが、その3年後になる2013年には、房総の113系と同じスカ色に塗られた115系を使用したツアー列車として、姉妹列車の「青い海」号とともにそれぞれ一日だけの復活を果たしました。
次回からはその2013年の運転の時の思い出を振り返ります。
まだまだ何だかテンションが上がらないというか、夏休みシーズンが近づいてきたというようなわくわく感を感じにくい今日この頃ですが、今回は11年前に走った、「夏」が感じられるような臨時列車の乗車・撮影の思い出です。
この列車は、2010年7月17日から8月8日にかけて、総武線両国駅から外房線経由で館山駅まで運転(最後の2日間は両国ー勝浦間のみ運転)された臨時快速列車「白い砂」号です。
この「白い砂」という名の列車は、もともとは1972年の総武線一部複々線化に伴う総武快速線の運転開始とともに、その総武快速線の始発駅である東京地下駅から外房線沿線への海水浴客の輸送を目的として運転されるようになった列車で、車両はもちろん総武快速線用の113系でした。
「白い砂」は、同時に運転が始まった内房線への「青い海」号とともに、一時は一日にそれぞれ6~7往復運転されることもあったという房総の夏を代表する海水浴臨時列車でした。
しかし、海水浴が夏のレジャーとしてあまりメジャーな存在でなくなるにつれ運転本数も減っていき、1998年頃には運転されなくなったようです。
そんな「白い砂」が2010年になって突然、夏の臨時列車の一つとして運転されると聞いて驚いた思い出があります。
当時は、かつて千葉県内の多くの路線で大活躍した幕張車両センター(旧 幕張電車区)の113系が211系、さらにその後の209系の投入によって置き換えが進んでいる時期であり、この時の「白い砂」の運転も、そんな引退迫る房総の113系の「華」ともいえるこの列車を振り返るリバイバルトレインという位置づけもあったのかもしれません。
この2010年の「白い砂」は、ツアー客用の団体イベント列車ではなく、先ほども書いた通り一般の夏の臨時列車としての運転で、しかも快速なので自由席に関しては運賃だけで乗車することができるので、撮影はもちろん乗車もしたくなり、運転2日目の2010年7月18日に出かけてきました。
この日はまず、「白い砂」始発の両国駅へ向かいました。
「白い砂」は、かつて房総方面への列車が多数発着し、一般乗客の乗れる列車の発着がなくなった後もこの年3月まで房総方面への夕刊輸送を行う通称「新聞電車」が発車していた、両国駅3番線(現在もイベントなどで使用)から発車します。
隣の2番線についた総武線各駅停車を下車し、階段を下りてその3番線へと通じる通路につながる入り口には、「白い砂」運転をPRする大きな看板も掲示され、JR千葉支社のこの列車に対するかなりの意気込みが伝わってきました。
そして、そこからの3番線への通路には、何とレッドカーペットが敷かれていました。
理由は定かではありませんが、まさか113系に乗る前にレッドカーペットを踏むことになろうとは(笑)
実は私、両国駅の列車ホームに足を踏み入れるのは、この時が初めてでした。
ホームに上がって一段高い電車(総武線各駅停車)ホームの方を見ると、当時見慣れた存在だった総武線のE231系や209系500番台も、普段とは少し違う目線の高さで見ることができて新鮮でした。
この両国駅3番ホームも、「白い砂」運転に合わせてかきれいに整備されていて、ホーム上には「白い砂」の記念撮影用?の看板も置かれ、壁面には次駅名表示が錦糸町ではなく「房総」になっている駅名標も掲げられていました。
このほか、同じくホームの壁面には、江戸情緒をイメージしたイラストも描かれ、房総への玄関口であるとともに下町情緒漂う街の駅というこの駅のイメージが表現されていました。
そんな両国駅列車ホームの風景を楽しんでいるうちに7:37、幕張車両センターからの回送で「白い砂」が入線してきました。
この日使用されたのは6両編成のS70編成で、1両組み込まれていた0番台のクハ111を除けば、往年の「白い砂」でもきっと運用されたに違いない1000番台のモハ113・112と1500番台のクハ111で組まれた編成でした。
編成両端のクハには、シンプルなデザインながらしっかりヘッドマークも掲出され、往年の「白い砂」の姿を知る(残念ながら乗車経験はありませんでしたが)者にとっては懐かしさ満点でした。
残念ながら側面幕は「臨時」でしたが…
入線後、発車まで少々時間があるので、ホームから113系をあれこれ撮影しました。
まずはホームの錦糸町寄りへ。
この部分は、都心部の駅では珍しいホームの上屋のない部分で、この日は雲一つない青空だったこともあり、非常に開放的でのどかな雰囲気でした。
このようなホームに立って列車を眺めていると、かつてここから何本も運転されていた房総への海水浴列車もこんな雰囲気だったのかも、という想像が膨らんできました。
その後、反対側(新宿方)からの撮影もしてから、先頭の6号車(自由席)に乗り込みました。
先ほども書いた通りこの年の「白い砂」は自由席も連結した一般の臨時快速としての運転だったため、1999年の総武快速線からの撤退以来11年ぶりに千葉から都心側でスカ色の113系に乗車できる貴重な(そして結果的に最後の)チャンスになっていました。
乗車してみると混雑はそれほどでもなく、久しぶりの113系乗車にはなかなかいい環境でした。
「白い砂」は7:53、両国駅を発車し、私にとっては初体験の両国駅列車ホームから総武快速線への渡り線通過を経て錦糸町駅の快速線ホームへ入線。
ここから久しぶりに113系の総武快速線での快走が始まります。
走り出してみるとやっぱり懐かしいの一言。
大学時代4年間、通学でほぼ毎日のように113系の総武快速に乗っていた日々が走馬灯のように思い出されました。
せっかく訪れた「白い砂」乗車の機会なので、このままずっと終着の立山まで乗り通したい所ではありましたが、当日はこの後どうしても行かねばならない予定があり、残念ながらこの日は船橋駅で下車しました。
113系「白い砂」は翌年の2011年にも房総の113系のお別れイベントという形で再度運転され、この時には内房線経由の「青い海」号も運転されたようですが、この時私は乗車や撮影のチャンスを逃してしまったのが今でも悔やまれます。
しかし、短い区間とはいえ113系の総武快速線での走りを思い出させてくれた2010年の「白い砂」乗車は、房総というよりJR東日本から113系が姿を消して久しい今となっては、良い思い出の一つとなっています。
さて、113系での運転は2010年が見納めになった「白い砂」でしたが、その3年後になる2013年には、房総の113系と同じスカ色に塗られた115系を使用したツアー列車として、姉妹列車の「青い海」号とともにそれぞれ一日だけの復活を果たしました。
次回からはその2013年の運転の時の思い出を振り返ります。
国鉄時代からの「房総夏ダイヤ」に、
臨時快速の「青い海」と「白い砂」は
欠かせない存在でしたよね(^^)
昔は私も海水浴へ行く際に165系の「青い海」に
乗ったことがあります。
そして2010年に運行された113系の「白い砂」は
外房線へ撮影に行きました。
あれから11年・・・拙ブログの初期のころに、
撮影記を書いたのが懐かしく感じます(笑)
by あおたけ (2021-07-14 06:38)
あおたけさん、こんばんは。
房総夏ダイヤで走る海水浴列車、昔はもっといろいろな愛称があったようですが、私が物心ついたころには「白い砂」「青い海」がメインになっていたようですね。
これらの快速は113系が使われていたイメージがありますが、165系で走ったものもあるんですね。
そして2010年の「白い砂」、あおたけさんも撮られてたんですね。
撮影機、読ませていただきます。
by gonana (2021-07-14 23:19)