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案外住みやすい街だったかも? [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:思い出深い場所

私が生まれてから3歳まで住んでいた東京都大田区蒲田の話はこのブログでも何回か書いたことがありますが、実はその後3歳から6歳まで住んだ同じ都内の清瀬市でのことはあまり書いたことがなかったと思います。
そこで、このお題の答えということで、清瀬市に住んでいた時のことを少々書きたいと思います。

私と家族が大田区から引っ越したのは、住所でいえば清瀬市の野塩という場所で、最寄りの駅は西武池袋線の秋津駅です。
当時の私の家は秋津駅の北側の徒歩10分弱ぐらいのところで、川(新河岸川?)に近い場所でした。
私たち家族の住んでいた家の周辺は閑静な住宅地といった感じで、秋津駅のあたりも含めて車の交通量の多い幹線道路が近くになく道も広くないためか、騒音とはほぼ無縁の環境でした。
家から秋津駅へ向かう間には、雑木林の間を狭くてやや急な坂道で上り下りする箇所があったり、古びた醤油工場のそばを通ったりと、住宅地と駅までの間のよくある風景とはまた違った景色も広がっていました。
秋津駅は今でこそ西武線とJR武蔵野線の乗換駅としてそこそこ乗降客も多いですが、私たち家族が住んでいた頃は今ほど利用客も多くなかった記憶があります。
私たちの住んでいた頃は、当時から駅舎のあった南側(現在の南口)には小さな商店街もありましたが、当時は武蔵野線も今とは段違いに本数が少なくて乗り換え客も少なかったようで、今ほど店も多くなかった記憶があります。
対する北側もスーパーや病院はあるものの、一方でかなり広い未開発の空き地も広がっているなどあまり人通りは多くなく、現在の北口の駅舎や改札もありませんでした。

そんな清瀬市の野塩という場所に私と家族は約3年間住み、その後も幼稚園卒園までの約半年間、幼稚園のある日には毎日通っていました。
まだまだ幼かったことや、住んでいたあたりがよく言えば静かな、悪く言えばあまり子供心に刺激のある場所ではなかったためか、幼稚園やその友達の家以外の場所でどんな遊びをしていたかの記憶というのがあまりありません。
でも、今大人になって振り返ってみると、当時住んでいた家の周囲は畑と住宅が程よいバランスで同居し、車もあまり走っていないなど、住環境としては比較的よい方だったと言えるかもしれません。
そして何より、私の通っていた幼稚園と家がまさに目と鼻の先という近さだったのは、母親にとってはありがたかったのではないでしょうか。

幼稚園を卒業してからは秋津駅やかつて住んでいたあたりを訪れることもなくなっていましたが、やがて秋津駅を西武線と武蔵野線への乗り換えで再びよく利用するようになり、昔の家や通っていた幼稚園のあったあたりにも何度か足を運ぶようになり、幼い頃の思い出に浸ることもありました。
今のところ最後に底を訪れてから10年近く経ち、約45年前とはいろいろと風景も変わっているかもしれませんが、時期を見てまた懐かしいかつての家のあたりを再訪してみたいと思っています。

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