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初めての鉄道の記憶 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
今日は日本の鉄道150周年の記念すべき日。
50年前の鉄道100周年の時にはまだようやく1歳を過ぎたばかりで、当時の盛り上がりぶりをリアルには感じていなかった私としては、今年の鉄道の日にはやはりいつもの年とは違う特別なものを感じます。
そして、何だかんだで鉄道に関するネタが多いこのブログでも鉄道150周年に関して何か記事を書こうといろいろと考えましたが…
そうはいっても単なる鉄道好きにすぎない私にとって、鉄道150周年に関して何かを語れるほどの見識があるわけでもないので、とりあえず今回は私にとっての「鉄道事始め」というか、自分の中での初めての鉄道の記憶を改めて思い出してみることにしました。

このブログで何度も書いていますが、私が鉄道好きになったのには、幼い頃に住んでいた東京都大田区南六郷の家から最も近いところを走る京急電車の存在が大きくありました。
しかし、まだ物心つくかつかないかくらいの年齢の私の記憶に残っている鉄道車両としては、その他にも京浜東北線のスカイブルーの103系や東海道線・横須賀線の113系などもあります。
これらの車両も幼い頃の私の生活県内から近くを走り、身近だったということが影響しているのでしょう。
私の最も古い鉄道の記憶として、京急と当時の国鉄と、どちらが古いかははっきりしませんが、京急に関する最初の記憶のことは何度も記事にしていますので、今回は初めての国鉄車両の思い出について思い出してみることにしました。
私は2~3歳頃、大田区の隣の品川区内のとあるスイミングスクールに通っていました。
具体的に品川区のどのあたりにスクールがあったのかはわかりませんが、大井町駅から東急バスに乗って数分の場所にあったのはうっすら覚えています。
両親がどのような理由でスイミングへ通わせるようにしたのかは聞いたことはありませんが、私自身はスイミングへ通うのは正直嫌でした。
ただ、スイミングの授業の前か後に同じ建物(?)にある食堂でなぜかよくカレーうどんを食べるのと、電車やバスに乗れるのだけは楽しかった思い出があります。
大田区の家からスイミングまでは、家の近くのバス停から京急バスに乗り、国鉄の蒲田駅から京浜東北線で大井町駅へ、そして東急バスでスイミングへ、というルートで通っていました。
当時(1973~75年頃)の京浜東北線はもちろんスカイブルー色の103系(時代的に101系の可能性もあり)の全盛時代で、このスカイブルーの103系が私の最も古い国鉄車両との出会いということになります。
蒲田駅から大井町駅にかけては、京浜東北線と東海道本線が複々線の形態で並走しており、わずかこの間6分ほどの短い区間にもかかわらず東海道線の113系や、当時東京ー大船間で東海道線と線路を強要して走っていた横須賀線の113系などとのすれ違いや競走が楽しかったのも覚えています。
そんな中でも一番印象に残っているのが、いつかのスイミングの帰りに母親と一緒に大井町駅から京浜東北線に乗ったところ、隣の東海道線を同じ方向へ青い車体の列車が並走しているのに気づきました。
私はその時点では、その列車がブルートレインという夜行寝台特急だということは知りませんでしたが、その青い列車がしばらく私と母親の乗る103系と並走したのち、大森駅か蒲田駅到着を前に減速しつつあるこちらをさっそうと追い抜ていく姿を見て、素直にかっこいいと子供心に思ったのをよく覚えています。
その後あの日見た青い列車、つまりブルートレインのことを知り、あの時のさっそうとした姿の記憶も相まってブルートレインが大好きになったのだと、今の私は思っています。

鉄道150年の記念すべき日に各記事としては、何だかまとまりのない文章になってしまいましたが(いつもそうじゃないかという説もありますが)、この機会に50年弱前の古い記憶をちょっとだけよみがえらせてみました。
次回からまた最長片道切符の妄想旅日記に戻ります。
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