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長野電鉄3500系乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
最近では、JRが発足してからある程度時間が経ってから製造された車両や、平成に入ってから製造された鉄道車両の中にも、引退し廃車される車両が珍しくなくなりつつありますが、そんな中でそれらの車両たちよりも一、二世代古い昭和30年代に登場した元営団地下鉄日比谷線3000系である長野電鉄3500系の最後の1編成が、このほど引退することになったようです。
詳細は下記のリンクからどうぞ。

“営団のマッコウクジラ”ついに見納め 長野電鉄3500系引退 | 乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/123480

この長野電鉄3500系(及びその3両編成版の3600系)の種車となった営団地下鉄(現 東京メトロ)3000系は、営団時代には数回程度しか乗る機会がなかったものの、子供向けの電車の絵本や図鑑にはよく写真やイラストが出ていたのと、幼い頃3000系を模したブリキ製の電車のおもちゃを持っていたこともあり、「マッコウクジラ」のあだ名も持つ独特な前面スタイルと合わせ、私には親しみのある車両です。
後継の03系に置き換えられて約30年前に日比谷線から引退したその3000系が現役車両として唯一譲渡された長野電鉄には、なかなか乗りに行く機会がありませんでしたが、15年前の2007年秋に乗車&撮影に出かける機会ができ、その際に3500系となった元営団3000系に乗ることもできました。

2007年10月13日、前日夜発の「ムーンライト信州」と篠ノ井線普通列車を乗り継いで到着した長野駅から、一日乗車券を使った長野電鉄の乗り鉄に出かけました。
午前中は当時まだ健在だったクロスシート車2000系や、元小田急ロマンスカーHiSEの特急用車両1000系「ゆけむり」に乗車したりして過ごし、途中駅の須坂駅前で昼食の後、当時同駅から分岐してしなの鉄道の屋代駅との間を結んでいた屋代線に乗ることにしました。
2007年当時の屋代線は、須坂ー屋代間折り返しの普通電車が60~90分間隔ぐらいの頻度で運転され、一度駅を出た私が昼食を終えて須坂駅に戻ってきた時には、次の屋代行の発車までにはあと20分ほどとわりにいいタイミングでした。
屋代線の発着するホームには、同線の折り返し運用につく3500系が停車していました。
この当時、3500・3600系にはすでに廃車となった車両もあったようですが、両形式はまだまだ両数もそれなりにあり、ここまでの乗車中にも何度かすれ違ったり車庫で留置中の姿を見てきましたが、いよいよこれから初めての乗車ということになりました。
3500系の車体は、赤い帯が前面と側面に入れられている他は営団時代とほとんど変化がなく、「マッコウクジラ」のあだ名のもとになった広いオデコもそのままでした。
車内もワンマン運転関連の機器が設置されているのを除けばほぼ営団時代と変わっていないようで、日比谷線時代の3000系になじみのある人なら懐かしく感じたことでしょう。
やがて発車時刻が来て3500形は須坂駅を発車。
当日は土曜日で、昼下がりだからか乗客はかなり少なく、2両合わせて10人に届いていたかどうかという感じだったと思います。
屋代線は田園風景が広がる中を走り、かつて東京のど真ん中の地下や住宅地を多くの乗客を乗せて最大8両編成で走っていたことを思うと、ちょっと不思議な感じもありました。
須坂を出て30分弱(だったかな?)で3500系は屋代線の終点屋代駅に到着。
屋代からは折り返しの須坂行で再び須坂へ戻り、結果的に最初で最後の屋代線乗車は終わりました。
そして3500系も、須坂駅に戻った後に小布施駅構内の「ながでん電車の広場」を見学した帰りに長野行電車で乗車したのがどうやら最後となりそうです。

長野電鉄3500系は年明け間もなく引退を迎えますが、幸いその長野電鉄から営団地下鉄改め東京メトロへ里帰りした2両が綾瀬の車両基地で保管されていて、なかなか公開される機会がないのが残念ながら、どうやらきれいな姿を保っているらしいです。
私はおそらく今回引退する3500系にお別れ乗車しに長野を訪れることは難しいでしょうが、ぜひ無事に長野での活躍を全うしてほしいものです。
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