SSブログ

【自立訓練の日々 その1】見えなくなってから [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんばんは、gonanaです。
今回から、私が視覚障害者となり、その後歩行訓練や音声パソコンの仕様などの訓練を受けて再就職するまでのことを連載形式で書いていこうと思います。
何回の連載になるのか、現時点では全くわからず、他の記事も投稿するので飛び飛びの投稿になりますが、よかったらお読みいただけるとありがたいです。

私は生まれつき視力は低かったのですが、40歳過ぎまで特に日常生活や通常の勉強や仕事には大きな支障はなく過ごしてきました。
しかし、2014年7月に入って間もなく、だんだん目が見えずらくなってきていることに気づき、ほどなくほぼ全盲状態となりました。
見えずらくなってから見えなくなるまでの経過があまりに急だったため、そのための備えもほぼしておらず、こうなっては私としてもどうしたらよいかわかりませんでした。見えなくなると同時に単独では家の外に一歩も出られない状態となってしまい、転職後10年と少々勤めた会社も退職せざるを得なくなってしまいました。
見えなくなった後は何もすることができずほぼ一日中ラジオを聴いてばかりいる毎日になりましたが、まだ40歳台前半という年齢を考えるとこのまま家に引きこもっているわけにもいかず、わずかでも自分でできることは自分でこなせるようにし、可能ならばどこかで再就職もしたいという気持ちになりました。
といっても、それまでの私は白杖(はくじょう)を操作しての歩行や点字の学習などの経験もしたことはなく、これから何をするにしてもそういった知識や技能が必要になってきます。
そこで、家族とともに私の住んでいる市の福祉課に相談に行き、埼玉県所沢市にある国立障害者リハビリテーションセンターで白杖を使った単独歩行や点字の習得、その他自立生活に必要な様々な技能を身につける訓練を受けることを提案されました。
所沢は私の家からもほど近く、そのような場所で今後に向けた訓練ができるのはありがたいことで、ほどなく訓練を受けることを決めました。
訓練の定員にも限りがあるのでセンターへの入所にどのくらい待たされるのかわかりませんでしたが、幸い欠員が出たとかで、見えなくなってから約3か月半になる2014年10月下旬にセンターに入所し、自立に向けた訓練の日々がスタートすることになりました。

国立障害者リハビリテーションセンターは、障害のある人々の自立生活と社会参加を支援するため、医療・福祉サービスの提供、障害のある人々を支援する新しい機器や技術の開発・研究、専門職の人材育成などを行っていて、センターの敷地内には病院や研究所、人材育成のための学校、そして私がこれから入所する障害者の自立生活訓練などを行う自立支援局などがあり、かなり広大な施設になっています。
センターに入所して自立訓練を受ける人の中には、障害の程度などそれぞれの人の事情に合わせて毎日(月~金曜日)自宅や近くのアパートなどから訓練のため通所してくる人もいますが、多くの人は訓練を実施する建物(以下、この建物を「訓練棟」といいます)に併設された寮に入ります。私の場合は、センターと自宅は距離的には近いものの、何しろ歩行訓練なども受けておらずまだ自力で電車に乗ったり道を歩いたりすることができないため、寮に入ることになりました。

入所の日、家族にも手伝ってもらいながら、今後数か月にわたって生活することになる寮の部屋に荷物を運び込みました。
寮の部屋は4人部屋で、ベッドとデスク、衣類や日用品などを収納するためのロッカーがそれぞれ人数分備わっていて、この他に同室のメンバーで共用する洗面台がありました。もっとも実際には、入寮していた期間の大半は1人で4人部屋を使うことになり、自宅の自分の部屋よりも広い空間に開放感を覚えるやら何かもったいない部屋の使い方をしている気になるやら、ちょっと複雑な気持ちで数か月を過ごすことになりましたが・・・
さて、入所の日はさすがにまだ訓練は始まらず、センターの職員の方からセンターのことやこれからの訓練のことなどについていろいろな話を聞き、部屋に運び込んだ荷物の整理などをして過ごしました。夕方には最初の1か月ほどの間同室となった同じ自立訓練の訓練生の人と初顔合わせ(といっても互いに相手の顔を見ることはできませんが)をして、入所初日は終わりました。
そして翌日から本格的に自立訓練の日々がスタートすることになります。この辺りは次回以降少しずつ触れていきたいと思います。

「その2」へ続きます。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。