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行動を起こすなら明確なビジョンと周到な計画を [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:過去の自分に注意したいこと

昨日の記事とネタが被りそうなお題なので、昨日とは違う時期の話で。
過去の自分に注意というか忠告したいのは、17年前のちょうど今ぐらいの時期の自分。
そして、ぜひとも言ってやりたいのは「会社を辞めたいのなら、辞めた後何がしたいのか、そのために何を準備しておくべきか、もっとじっくり考えてからにしろ」ということ。
新卒で入社した会社を辞めたのが2002年の8月末。
就活で連戦連敗が続き、もうこれは就職浪人化フリーター生活確定かと思われた年度末ぎりぎりに、なんとか拾ってもらった恩義はあったものの、業種としては自分には今一つ合う会社ではないことと、私なりにいろいろ思うところもあって辞めることを決めたのですが、いざ退職後に再就職活動を始めてみると、今後自分についての明確なビジョンが固まってなかったこともあって、新卒時の就活の時のことを思い出すような苦悩と後悔の日々が・・・
結局8ヶ月かかってやっとこさ某人材派遣会社に再就職が決まりました。(派遣される側ではなく、人事・総務部門の契約社員としてですが)
その会社は、視覚障害者となったことで退職せざるを得なかったものの、結果的には前の会社より長い11年務めることができ、在職中は辞めたいと思ったことは一度もなかったのはよかったですが。

17年前の退職から再就職に至る流れの中で、仕事を辞めるにしても続けるにしても、自分の将来に対して日ごろからきちんとした目標やビジョンを持つことの大切さを知りました。
あの時の自分には、辞めるにしてももう一度自分は何がしたいのか、どんな自分になりたいのか、しっかり考えてから行動せよ、と言ってやりたいです。

そう言いつつ、ひるがえって今の自分が自信をもってそんな助言ができるかと言われると・・・
タグ:再就職
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1時間じゃ足りない! [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:未来の自分、過去の自分、1時間だけ会って話をするならどっちと話す?

私は過去の自分派

未来の自分は今の時点でも全く想像がつかないので、会うチャンスがあるなら断然過去の自分です。
どの時点の自分にあいたいかはかなり悩むところだけど、まずは大学に入ったばかりの自分ですかね。
入学式が終わった後にでもどこかの喫茶店に呼び出して、あれこれ激励というか説教というか、とにかくいろいろ未来の自分からの忠告をしたいですね。
「大学では将来に対するビジョンをきちんと持って、しっかり勉強しろよ!」
「就職活動は早めに対策と戦略を固めて悔いのないように戦え!」
「30年後の俺が後悔しないような大学生活と社会人生活を送れるように、今からしっかりした人生のビジョンを持て!」
そんな事を28年前の自分に言い聞かせてやれば、その後現在に至るまでの人生も少しは違ったものになった・・・んでしょうかね?

あとは中学1年生頃ですかね。
あの頃、学校全体の雰囲気がどうにも良くなく、担任教師も好きではなかったので、正直あまり楽しい学校生活とは言えない時期でした。
そんな時期に、せめてその時の自分に愚痴でもこぼしてもらい、何とか日々の憂鬱を晴らしてもらえたらいいかも、なんて思います。

いずれにしても、過去の自分と語り合うのにたった1時間とは短すぎです。せめて半日、できれば一日じっくり一緒にいられたらいいんですけどね。

タグ:自分 過去 未来
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テープ起こし [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんばんは、gonanaです。
皆さんは「テープ起こし」という仕事をご存じでしょうか。
この「テープ起こし」とは、講演会・会議・座談会・対談・インタビューなどで収録された人の声を聞き取り、その内容を文章に起こして紙に筆記するかタイピングによりコンピュータに入力する(かつてはタイプライターによる入力も広く行われていました)作業です。

私は数年前まで、「テープ起こし」なる仕事があるということは何となく知ってはいたものの、具体的にそれがどのように行われているのかについてはほとんど知りませんでした。
しかし、約4年前に、そのテープ起こしの作業をわずかですが体験する機会がありました。
何度かこのブログでも書いている通り、私は視覚障害者となった後、国立障害者リハビリテーションセンターでの自立訓練を修了し、引き続きその後の再就職に向けた同じ敷地にある国立職業リハビリテーションセンターでの職業訓練を受けることにしました。
センターへの入所に当たっては「入所試験」というほどでもないのでしょうが、一応簡単な国語や数学のテストや作文、それに実技面での能力をみると思われる作業課題による選考が行われました。そして、私が受講しようとしていた視覚障害者向けのパソコン訓練のコースの作業課題が、テープ起こしだったのです。
私はこの時に初めて「テープ起こし」の方法を知ることになりました。
スクリーンリーダー(画面読み上げソフト)を組み込んだパソコンの前に座り、講演会の内容を録音した音源を、再生・停止・早送り・巻き戻しといった操作をすべて足元に敷いたマットに埋め込まれたスイッチを足で操作することにより行う再生機器で聞きながら、パソコンで入力するというものでした。
私はそもそもこういった機器があることも知らなかったので、この時の一連の選考でいろいろとお世話になったセンターの職員の方から事前に再生機器の操作方法を教えていただいてから課題に臨みましたが、指でラジカセやコンポなどのボタンを操作するのとはわけが違い、どこのスイッチを踏めば目的の操作ができるのか目で確認できない私にとって、すべての操作を足を使って行わなければならないのは相当に難しく、なかなか思うように入力が進みません。
結局、制限時間までに入力し終えたのは、課題の音源の分量の6~7割くらい(課題文の時間や文字数がどれくらいだったかは忘れてしまいましたが)がやっとで、「テープ起こし」という仕事をスピードと正確さを両立しつつ行うことがいかに難しいかを身をもって知ることができました。そして、足元スイッチを巧みに使い、スピードと正確さをいずれも満足させることで記録を残すテープ起こしという仕事に敬意を抱けるようになりました。
結果的には、テープ起こしについては満足のいく成果は残せなかったものの、何とか職業リハビリテーションセンターへの入所はでき、そのおかげもあって今の会社に就職できた私がいます。

私が悪戦苦闘してしまったテープ起こしは、聴覚を生かせるという意味では視覚障害者にとって有利な面のある仕事と言えそうです。実際に、会議録などのテープ起こし業務を企業などから請け負っている福祉事業所があったり、「ブラインドライター」として企業を立ち上げてテープ起こし作業を請け負うビジネスを行っている人もいるようです。

近年では、会議録や講演録などの作成もAIにより行うことが多くなり、「テープ起こし」も遠からず「AIにとって代わられる職業」の一つになりそうな状況です。しかし、貴重な講演やインタビュー、重要な会議などの記録を文字によって後世に残すという意義のある仕事を、ほんのさわりだけとはいえ体験できたことは、私にとっても貴重な経験となりました。


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こんなリバイバルもあるのね [鉄道ニュース]

こんばんは、gonanaです。
2016年4月にグランドオープンした京都鉄道博物館は、ただ過去の車両を多数展示しているだけにとどまらず、時折現役で本線を走る車両を期間限定で展示したり、地元のJR西日本以外の他社車両も展示したりと、ほかの鉄道系博物館にない企画をいろいろ行っていますが、今度はこんな企画を行うそうです。

581系vs489系 投票で「かつての色」が展示車両に復活! 京都鉄道博物館 (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/89065

今や、旧型車両にその車両の登場時の塗装を復元させたり、周年記念などで現役車両に過去の車両の塗装を再現したりするリバイバルカラー者は、一時の流行で終わらずにすっかり定番のイベントとして定着しつつありますが、例えば今回のように国鉄色で保存されている車両にJR時代になってからの塗装を再現するようなパターンのリバイバルというのは珍しいのではないでしょうか。
考えてみれば、クハネ581にラッピングされるかもしれない「シュプール&リゾート色」も1991年頃から1998年頃までのわずか数年しか見られなかったカラーだし、クハ489にラッピングされるかもしれない「白山色」も、489系事態の末期には国鉄職への復元に伴って姿を消しているので、立派な(?)「かつての色」になるんでしょうね。
(記事中にある「シュプール&リゾート色」の表現は誤りで、実際は水色に細い緑と青のラインが入った塗装のことだと思われます)
国鉄型車両に一番似合うのはやはり国鉄時代の塗装であることは言うまでもないことですが、JR移行後の地域色や更新者塗装なども、今や懐かしのカラーとなったものが多いだけに、時にはこういった企画もありなのではないでしょうか。
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今も僕の心は 終わらない夏休み [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:泣ける歌詞は?

24時間TVが終わると、そろそろ夏休みも終わりだなという気分になってきますね。(もっとも私は24時間TVは毎年ほとんど見てませんが)
もう学生時代も遠い昔の話になり、8月末=夏休みの終わりとは限らない生活になって久しいけれど、そんな中でも毎年この時期になると聴きたくなる曲があります。
それは、おニャン子クラブの「夏休みは終わらない」という曲です。
1986年にリリースされたおニャン子クラブの2枚組アルバム「PANIC THE WORLD」DISK1の7曲目に収録されている曲です。

細かな歌詞は歌詞検索などで見ていただくとして、この曲がどのような曲であるかを端的に言うと、リゾート地化されていない鄙びた海辺の集落に住んでいる(のであろう)「僕」と、都会から夏休みで遊びに来た「君」とのひと夏の切ない思い出を「僕」の一人称で歌った曲ということになるでしょうか。
私がこの「PANIC THE WORLD」がリリースされた当時、リアルタイムでこの曲を聴いたときは歌詞に対して特別な思い入れを抱くことはありませんでしたし、また私には歌詞に歌われているようなひと夏の恋の思い出も残念ながらありません。
そんな私も、ここ数年この曲を聴くたび、歌詞に何か感じるものがあり涙がじわりとにじんでくるようになりました。
これも昔より歌詞を噛みしめながらいろいろな曲を聴くようになった影響なのでしょうか。

この曲を聴きながら私の頭の中に広がる世界は、昭和の鄙びた海辺の夏休み風景。
そしてそんな中での、ちょっと切ない短い夏の恋の物語です。
自分には経験のないそんな思い出も、もし私が「僕」だったらと妄想することで、素直に感情移入できるようになったから、この曲の歌詞が心に染み入るようになったのかもしれません。

個人的には、秋元康作詞のつながりで、AKBや乃木坂あたりにいつかカバーしてくれたらと妄想してるんですが・・・
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え?!どうして俺が? [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:新聞や雑誌に載ったことある?

私は ある 派

新聞や雑誌、テレビに自分が出る(あるいは自分のことが記事になる)なんていう事は自分には無縁だと思ってましたが、今から10数年前、思いがけないきっかけでその機会が訪れました。

私がかつて千葉市のおもちゃ図書館「千葉市トイライブラリー」でボランティアをしていた時の話は、何度かこのブログでも書いてきましたが、今回もその当時の話です。
それは、私が千葉市トイライブラリーのボランティアをするようになって10数年たった頃のことです。
あるおもちゃ図書館の開館日、いつものように開館場所に行くと、当時そのおもちゃ図書館で全体のまとめ役的な存在だったボランティアさんから突然声を掛けられました。
その内容は、近日中にトイライブラリーに千葉県の地元新聞「千葉日報」の記者の方が取材に来られ、その際に私にインタビューをするというのです。
いきなり私にインタビューと言われて驚きましたが、さらに話を聞くともう一つのサプライズがありました。
それは、当時千葉日報では、読者からの推薦と社内選考によって千葉県内で様々な活動に取り組んでいる個人や団体を表彰する賞が設けられており(現在もその賞があるかどうかはわかりませんが)、それにあるボランティアさんが推薦文を出し、見事私がその賞に選ばれたというのです。
それを聞いて私は正直これはドッキリではないかと思ってしまいました。
推薦文を出してくださったボランティアさんによれば、私が大学時代から長い間、埼玉から千葉に通ってほぼ毎回ボランティアとして活動してくれているので推薦させてもらいました、とのことでした。でも、私としては特にこれといった強い思い入れでというより、単に子供が好きだからという理由で続けていただけなので、何かの賞をもらえるとは全く思ってもいないことで、にわかには信じられませんでした。
しかしそれがもし本当なら、照れ臭い気分ではあるものの非常に光栄なことですし、こうした事で新聞記者の方にインタビューしていただく機会もそうそうあることではないので、取材を受けることになりました。

その翌週か翌々集の開館日、私へのインタビューとおもちゃ図書館の取材が行われ、千葉日報の記者の方とカメラマンさんの2人が来られました。
まずは開館時間前に私へのインタビューが行われました。私自身のことやボランティアを始めたきっかけ、ボランティアとして活動する中で感じたことなど、確か30分ほどの間にいろいろな質問を受けました。
インタビューを受けるという経験はほぼ初めてで、その緊張の度合いも受験や就活の時の面接ともまた違いましたが、記者の方はさすがインタビューの達人というべきか、非常に柔らかい物腰で話しやすい雰囲気づくりをしてくださり、とても良い雰囲気の中でインタビューを受けることができました。
その後はおもちゃ図書館の取材に移り、私達ボランティアの活動の様子を撮影したり、私以外のボランティアにも話を聞いたりと、記者さんとカメラマンさんは精力的に取材をされていました。開館後1時間ほどで取材は終わりましたが、短時間ながら思いがけず新聞記者の方のお仕事の現場に触れるという体験もでき、とても勉強になった一日でもありました。

その数日後、私へのインタビューと取材の模様が千葉日報に掲載され、埼玉の私の家にも掲載紙を送っていただきました。改めて自分のインタビュー記事を読むとやはりどこか照れ臭い気分になりましたが、私がそれまでボランティアとして活動してきた実績(と言えるほどのものはありませんが)を誰かが見ていてくれて、それが賞の受賞やこの記事につながったのだと思うとやはり素直にうれしかったのを思い出します。

記事が掲載された直後に千葉日報の本社で行われた表彰式でいただいた賞状は今も自室に飾られており、掲載紙とその時にいただいた記念品も自宅のどこかに保存されていると思います。
千葉市トイライブラリーのボランティアから遠ざかってもう10年ほど経ちますが、あの時の受賞とインタビューは、今もおもちゃ図書館のボランティアとして活動した時代の大切な思い出となっています。

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帰ってきた「まほろば」 [鉄道ニュース]

こんばんは、gonanaです。
今年3月16日に全線開業したJRおおさか東線。
この開業により、新幹線の発着する新大阪と奈良の直通ルートができ、同区間を走る直通快速の運転も始まりましたが、昨日、そのおおさか東線経由の新大阪ー奈良間に臨時特急「まほろば」が走ることが発表されました。
詳細は下記のリンクからどうぞ。

臨時特急「まほろば」新大阪~奈良間で運行 おおさか東線をノンストップで走る (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/88913

単純に大阪と奈良、あるいは東海道新幹線を利用して東京方面から奈良へというルートなら、大阪難波や京都からの近鉄特急のほうが速くて安いですが、JR西日本としてはやはり自社にもお金の落ちる山陽・九州新幹線利用の乗客にターゲットを絞っているということなのでしょう。

ところで、新大阪ー奈良間の臨時特急、そして「まほろば」という名の列車は、実は今回が初登場ではなく、9年前の2010年4月から6月末にかけても運転されていました。
この列車は、その2010年に奈良県で展開されていた「平城遷都1300年記念事業」に協賛した「奈良デスティネーションキャンペーン」に合わせて運転された臨時列車でした。
新大阪―奈良間運転といっても、当然おおさか東線経由のルートではなく、新大阪からは「はるか」や「くろしお」と同じ梅田貨物船・大阪環状線経由で天王寺まで走り、そこから関西本線(大和路線)に入って奈良まで走るというルートをとっていました。
車両は日根の電車区(当時)の381系国鉄特急色車6両編成が使用されていました。
私はちょうどこの年のGWにもう何度目かの関西乗り鉄旅に出かけたので、特急列車が発着しなくなって久しいJR奈良駅に臨時とはいえ久しぶりに復活する特急という希少性もあり、この「まほろば」に乗ってみることにしました。
5月3日(だったと思う)の午前10時20分頃新大阪駅の11番ホーム(現 1番宣)に行くと、愛称幕に「まほろば」の特製マークを掲げた381系がすでに入線していました。数枚写真を撮影して自由席者の1号車に乗車します。
定刻10時32分に新大阪駅を発車し、まずは先ほども書いたとおり「はるか」などと同じルートをたどって天王寺までノンストップで走ります。新大阪からの乗客はそれほど多くなかったと記憶していますが、天王寺で結構多くの乗車があったようで、私の乗車した1号車に限っては7~8割くらいの座席が埋まりました。
大和路線内に入っても、特急とはいえ臨時列車ゆえかそれほど高速で走るわけではありませんが、やはりそこは特急形車両というべきか、221系の「大和路快速」に乗っているときとは何か気分が違うように感じられました。
この日は、平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターだった「せんとくん」も乗車していて、天王寺の次の停車駅である王寺駅を出るあたりから最後部(6号車)から順に車内を巡回していました。私の乗る1号車にも終着奈良まであと数分のところでやってきて、子供たちから握手攻め、撮影攻めにあっていました。
この時、せんとくんと一緒に車内を巡回していたキャンペーンガール(?)の女性からは「まほろば」の乗車証明書をもらい、よい記念になりました。
そうこうしているうちに早くも新大阪から1時間ほどで終着の奈良駅に到着しました。降車の際は、巡回を終えた後1号車のデッキで待機していたせんとくんの見送りを受けて列車を後にするという思わぬ経験もすることになり、なかなか楽しい臨時特急の旅でした。

当時の「まほろば」と今回の「まほろば」を比べると、ダイヤは当時とそれほど大きくは変わらない(奈良行は9年前より約30分繰り上がっている)ものの、車両は287系3両編成と、時代の流れを感じます。3両という短編成は、新大阪と奈良を直通する特急の需要がどの程度あるのかをまだ読み切れていないからという面もあるのかもしれません。
いずれにしても、今年11~12月の運転実績を見て、このルートの特急が果たして定着するのかどうかが決まるようで、今後の動向が注目されます。私もぜひ新しい「まほろば」にも乗りに行きたいところです。
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鉄道好きとしては・・・ [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:今行きたいのは北海道?沖縄?

私は北海道派

こういう質問って、私にとってはかなりの難問です。
そもそも北海道も沖縄も非常に魅力的な場所ですし、沖縄はまだ一度も行ったことがないので、未知の土地への憧れというやつもあります。
どちらを選ぶべきかかなり迷いますが、鉄道好き目線で言えば、どちらかといえば北海道ですかね・・・
やはりあの広大な大地を列車に乗って駆け抜けることができるのは大きな魅力ですからね。
北海道には過去何度か行き、いろいろな路線に乗りましたが、まだまだ道内全線完乗には至っておらず、まだ乗っていない路線を乗りつぶす楽しみもあります。
そして「今」ということを重視するなら、来年春(だったかな?)に廃止が迫り、私自身も未乗車のJR札沼線北海道医療大学ー新十津川間にはぜひ乗っておきたいし、それよりもさらに早く9月末で引退するリゾート列車「クリスタルエクスプレス」にも乗りたいというのもありますが。

私の母親が北海道函館出身ということもあり、幼い頃は数回函館へ行ったことがあるようですが、私が覚えているのは小学校3年の時のことだけです。
初めて鉄道旅行目的で北海道へ行ったのは、1996年頃だったと思います。
これまで函館にしか言ったことのない私は、約1週間あちこちへ列車で旅しましたが、この時利用したのが「北海道ワイド周遊券」でした。
広い北海道を縦横無尽に回れるのはもちろん、札幌都市圏を除けば普通列車の本数が少ない北海道内で特急の自由席に乗り放題のワイド周遊券は、乗り鉄には非常にありがたい切符でした。
その後も北海道へは数回訪れ、そのたびに「北海道ワイド周遊券」やそれを引き継いだ周遊きっぷの「北海道ゾーン」を駆使してあちこち乗りまくりました。

そういえば、先日「ワイド周遊券」についての記事がネットニュースに出ていました。

「ワイド周遊券」の魅力を振り返る 1980年代の鉄道旅行節約テク、現在はほぼ無理? (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/88739

私は、私より年上の方ほどワイド周遊券を利用した鉄道旅行を多くしたというわけではないけれど、それでも北海道の他に四国や九州へもワイド周遊券や周遊きっぷを利用して旅しました。何しろエリア内を自由に乗りまくれるのが魅力でした。
今では周遊券も周遊きっぷも姿を消し、一部の地域に「周遊券」的な使い方のできる乗り放題切符があるだけですが、乗り鉄派からすれば青春18きっぷも含めた、広いエリアが乗り放題の切符がもっと多くのエリアで発売されてほしいものです。

あれ?お題とかなり話題の方向がズレてしまってますね(汗)


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トリプルのアイスクリーム [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:しばらく会ってないけど、今どうしてるか知りたい人、いる?

今回は昨日に続いてのアイスクリームネタ・・・ではなく、私の友人の話です。
このブログの私の記事で何度か、千葉市のオモチャ図書館「千葉市トイライブラリー」のボランティアをしていた時のことを書きました。ボランティアをしている中で、利用者である子供たちやその保護者の方々はもちろん、ともにボランティアとして活動する様々な世代の人たちとも出会うことができました。以前の記事でご紹介した大学の先輩のOさんもその一人ですが、今回はやはりともにボランティア仲間として活動したT君について書きたいと思います。
T君は私より3歳(だったと思う)年下で、車椅子を利用しています。
初めて同じボランティアとして出会ったのはお互いが20歳代中盤頃だったと思います。2人ともこのオモチャ図書館では数少ない男性ボランティアだったこともあるのか、初めて会った時から私と彼は意気投合し、ボランティアの前後などにあれこれたわいもない話をしたり、一緒に食事に出かけたりするようになりました。
そんな中で、T君が本職の福祉関係の仕事の傍ら音楽活動をしていることを知り、ちょうど間近に控えていた彼のワンマンライブを観に行くことにしました。
ライブが行われたのは、千葉県庁にほど近いところにあるレストランバー兼ライブハウスといった感じのお店でした。開演時刻が近付くとテーブル席もカウンター席もほぼ満席になり、そんな中でいよいよT君のワンマンライブが始まりました。
ピアノの弾き語りをメインにオリジナル曲やカバー曲を6~7曲ほど披露してくれ、曲の合間には軽妙なトークも聴かせてくれました。
私はそれまで、こういったライブを観たことがほとんどなく、どの程度楽しめるものかといった不安もありましたが、ライブが始まるとそれも杞憂に終わり、1時間弱のライブを20人ほどの他のお客さんとともに楽しみました。音楽にはあまり詳しくない私ですが、そんな私でも音楽っていいな、と改めて感じる時間でした。
その後もT君とはともにオモチャ図書館のボランティアを続ける一方、彼が千葉や東京都内でライブに出演する時には何度も聴きに行きました。彼のワンマンライブもあれば、他のミュージシャンとのセッションなど、いろいろなスタイルのライブを観ることができました。それまで音楽を聴くのは好きでもそれほど深く楽しむというほどではなかった私には新鮮な経験をたくさんさせてもらいました。
気付けば彼とはもう5年ほどご無沙汰してしまっています。名前をネット検索してみると同名の人のFACEBOOKが見つかりましたが、私がFACEBOOKをやっていないためそのFACEBOOKがT君のものかどうかを確認することができないでいます。彼の近況を把握できないのは残念ですが、機会があればまたぜひ彼の歌声や演奏を聴き、ボランティアをしていたころの思い出話や、会っていなかった間のいろいろな話をしたいと思っています。会っていない間にお互いの環境も大きく変わっているはずで、同じ曲でもかつてとは受ける印象も変わっているかもしれませんし、そのあたりも興味があります。
ちなみに、今回のタイトルである「トリプルのアイスクリーム」は、彼のオリジナル曲の中で私が最も好きな曲のタイトルです。
夫婦で出かけてアイスクリームを注文する時にいつも「トリプル」を注文する妻に理由を尋ねるも、何度もはぐらかされてきた夫に、やがて妻が新しい命を授かったことを告白する、というような内容の曲です。
今でもT君にもらったCDで時々この曲を聴くと、いつかこの曲の続編、つまり二人とその間に生まれた子供のことを歌った曲なんかも聴いてみたいと思ったりします。

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思い出の車内販売アイスクリーム [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:アイスクリーム、かき氷、冷やし中華など、冷たい食べ物・飲み物の思い出

今年の春、JR各社の新幹線・特急列車の車内販売が大幅に廃止・縮小されましたが、そのニュースに関連して話題になったのが、一部で「新幹線のすごく固いアイス」として有名なすじゃーたのアイスクリームの車内販売も東日本地区では消えてしまったということでした。
私自身はそのアイスを食べた記憶はありませんが、近年よく話題に上っていたらしいことは知っていたので、いつか車内販売でこれを購入してどれくらい固いのか確かめてみたい(もちろん食べたいというのもありますが)と思っていたのですが、それも少なくとも東日本地区ではもう叶わなくなってしまいました。
まあ、列車内で味わうチャンスはかなり限られたものになってしまったとはいえ、このすじゃーたのアイス自体が消えたわけではないのが救いといえば救いですが・・・
ところで、この話題を知って思い出したのが、小学5年生の時の夏休みの家族旅行の時に列車内で食べたバニラアイスの思い出です。

それは昭和57年の夏休みのことです。
私は家族と父親の同僚一家とともに、福島県の磐梯地方に旅行に出かけました。
この時点で東北新幹線はすでに大宮ー盛岡間開業から1か月ほど経過していましたが、開業直後の夏休み中とあって指定券が取れなかったからか、旅の往路、大宮駅から乗車したのは、上野発喜多方行の455系急行「ばんだい」(号数は残念ながら忘れてしまいました)でした。
東北新幹線先行開業時のダイヤ改正で在来線特急にはすでに「やまびこ」全廃や「ひばり」削減などの影響が出ていましたが、新幹線がまだ大宮暫定開業ということもあり、まだまだ東北線の電車急行も最後の活躍を見せていた頃で、今にして思えば乗車できたことは貴重な経験だったと思います。
乗車したのはなぜかグリーン車のサロ455でした。ごく普通のサラリーマン家庭ゆえグリーン車など縁のない存在と思っていたので驚きましたが、父親としては途中駅から子供連れかつ大人数で乗車するので、座席確保のしやすさから選んだのでしょう。
何はともあれ、私にとっては初めてのグリーン車体験とあって、緊張するやらわくわくするやら複雑な心境でした。
ただ、大宮―喜多方間は「ばんだい」で約5時間弱の行程で、特に子供は2時間ほどもするとだんだん飽きてきます。そんな時、ちょうど車内にやってきたのがアイスクリーム専門の車内販売員のおじさんでした。(弁当や土産物、飲み物などを扱う一般的な車内販売ももちろん乗務していました)
そして、そのアイスクリーム車販のおじさんから母親が私も含め子供たち全員に買ってくれたバニラアイスクリームが、なぜか今でも鮮明に記憶に残っています。
この時食べたバニラアイスは、あの「固いアイス」のようなものではなく、普通にスーパーや食料品店(当時まだコンビニは少なかった)などで買えるカップアイスとそう大きな味の違いのないものだったと記憶しています。(もちろんスーパーなどで買えるものとは全く違う商品でしたが)
この時は単なるアイスクリーム好きの子供として、特にこれといった感慨もなく食べたごくありふれた味のバニラアイスでしたが、まさかそれから37念も思い出の味の一つとして私の記憶に残るものになるとは思いませんでした。

ちなみに、この時の旅行では磐梯地方の観光地にもいくつか行きましたが、まだ小学生の私にとっては正直それらについてあまり思い出に残るものがなく、むしろ行き帰りに乗車した列車の思い出の方が鮮明です。
行きに乗車した「ばんだい」の車内では、黒磯を過ぎて交流電化区間に入ると、関東にいては見ることのできないED75牽引の旧型客車の普通列車を見て東北に初めてやってきたという感慨がわきました。
旅行の帰路は、喜多方から郡山まではキハ58系急行「あがの」に乗車しました。「あがの」で乗車したのもグリーン車キロ28で、結果的にサロ455もキロ28も最初で最後の乗車となったので、今思うと貴重な経験になりました。
郡山駅では、駅のホームや跨線橋から、駅構内に広がる客貨車区などの側線群をしばらく眺めることができました。茶色い旧型客車やたくさんの貨車が構内にひしめく光景は、線路も減り車両の姿もあまりない現在の同じ場所を思うと懐かしいです。
郡山から大宮までは待望の新幹線200系「やまびこ」に乗車しました。噂に聞いていた揺れの少なさは評判通りで、開業直後ということもあって快適な乗り心地でした。これも当時目玉だったデジタル式のスピードメーターを見にビュッフェへも行きましたが、乗車時間帯がちょうど食事時間としては中途半端だったせいか、ここで食事をとることができず残念でした。結局東北新幹線というより新幹線のびゅっふぇでの食事経験は一度もできずに終わったのは悔やまれます。
そして大宮から川越までは当時まだ電化前の川越線のキハ30系に乗車し、川越駅では「セイジクリーム」一色塗装だった東武東上線の8000系を見かけるなど、今にして思えばかなり贅沢な乗り鉄旅という感じの旅行になりました。

私にこうした体験があるからというわけでもありませんが、やはり新幹線などでのアイスクリームの車内販売の廃止は、特に子供連れの乗客にとっては残念な出来事ではないでしょうか。また、せっかく「新幹線のすごく固いアイス」などと話題になっている中での車販廃止というのも、タイミングとしてはどうだったのかとも思います。
「駅ナカ」や市中のコンビニなどでも確保できるほかの飲食物とは異なり、列車外からの冷たいままでの持ち込みが難しいアイスクリームに関しては、せめて夏季や子供連れの乗客の多い時期・列車限定でよいから復活してほしいものですが・・・

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