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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その17 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、最終回です。

完成したばかりの姫路駅高架ホームでの運転停車に始まり、下り「富士はやぶさ」とのすれ違い、さらに普段は旅客列車で通ることのできない「北方貨物線」通貨体験と、深夜に目が覚めたおかげでわずか1時間半足らずの間に貴重な体験を3つもすることができて興奮冷めやらぬ中、高槻駅を通過したあたりで再び眠ったものの、定刻に「富士はやぶさ」が名古屋駅に到着したところでまた目が覚めてしまいました。
気がつくと最後の九州発着ブルートレインの旅も、早いもので東京到着まであと4時間半少々を残すだけになってしまいました。
浜松駅を定刻発車したあたりで、昨日中津駅構内のコンビニで購入したパンで朝食。
往路の下り「富士はやぶさ」の徳山駅以西と同様、上り「富士はやぶさ」でも浜松から車内販売が乗務していて弁当やサンドイッチの販売もしていたようですが、寝不足なこともあり私はパスしました。
その後、軽く車内を散策。
個室の状況はわかりませんでしたが、静岡駅到着直前で開放B寝台は8割くらいの乗車率でした。

8:00、「富士はやぶさ」は富士駅に定刻到着。
実は、上り「富士」に乗る機会があったらぜひともやってみたかったことが2つありました。
まずは、「富士」の車内から富士駅の駅名標を撮影すること。
残念ながら、乗車中の3号車は駅名標とはかなり離れた位置に停車してしまったため、発車後に撮影を試みました。
動き出した列車内からの撮影のため、若干ブレてしまったものの、「富士」の文字はきちんと読み取れるレベルで何とか成功。
そしてもう一つは、何といっても「『富士』の車窓から富士山を拝むこと」でした。
富士駅発車後の車内放送でも進行方向左手に富士山が見えるというアナウンスがあり、期待が膨らみます。
やがてその車窓に富士山の姿が見えてきました。
天気は晴れでしたが、残念ながら雲がかかって頂上は見えませんでした…
でも、全く見えずに終わってしまっていたらと考えると、これはこれでよかったのかもしれません。

8:34、熱海駅に到着。
ここを境に「富士はやぶさ」はJR東海エリアからJR東日本エリアに入り、車窓に見える駅名標も見慣れたJR東日本標準スタイルのものに変わります。
終着駅の東京到着まであと1時間半足らずとなり、この駅名標を見ているとだんだんと現実に引き戻されていく気分になってきます。
8:36、熱海駅を発車。
これも見慣れたE231系や211系と頻繁にすれ違いながら、刻一刻と東京駅に近づいていきます。
快調に飛ばしているというべきか、非情にもゴールへ近づいているというべきか、何とも複雑な気分になってきます。
この列車だけ時空が歪んで、もうあと2~3時間ぐらい東京到着が遅くなったら…などとあらぬ妄想さえ浮かんできました。
最後の停車駅である横浜を9:36に定刻発車した直後、個室のカギが回収されたところで、客車先頭の12号車のデッキへ移動し、東京駅到着を待つことにしました。
品川駅を通過中に、本州内での担当者章句であるJR西日本下関乗務員センターの車掌さんによる最後の車内放送が始まりました。
型どおり東京駅からの各線への接続案内をした後、いよいよ締めくくりの言葉。
「昨夜来、ご案内してまいりました車掌、JR西日本下関乗務員センターの、12号車○○、1号車●●が、途中駅下関よりご案内いたしました。
寝台特急はやぶさ富士号のまたのご乗車を心よりお待ち申しあげまして、お別れとさせていただきます。
ご乗車いただきまして、誠にありがとうございました。」
この車掌さんの言葉に、もう「乗車」という形で応えることができないかと思うと、ブルトレファンの一人として本当に切なくて寂しい思いがこみ上げてきて泣いてしまいそうになりました。

9:58、「富士はやぶさ」は東京駅10番線に定刻到着。
この瞬間ほど、「定刻到着」というのが恨めしく思えた時もありませんでした。
せめてあと2時間は余計に乗っていたかった…と、本気でそう思いました。
下関から「富士はやぶさ」を牽引してきたEF66 42号機が機回しのため神田方へ引き上げた後に顔を出した「はやぶさ」編成の12号車は、24系25型時代の「はやぶさ」を思い出させる銀帯のスハネフ15 21。
最後の東京駅発着ブルートレインの旅の終わりに対面するのにふさわしい車両に思えました。

神田方へ引き上げていたEF66 42が9番線を通過して反対側の有楽町方へ移動するところを撮影したところで、「富士はやぶさ」の品川への回送列車を撮影すべく、山手線で隣の有楽町駅へ先回りします。
10:37、「富士はやぶさ」の回送列車が有楽町駅を通過。
同駅3・4番宣ホーム東京方での「富士はやぶさ」の撮影は、これまでにも何度かしたことはありましたが、先ほどまで最後の乗車をしてきたばかりの列車だけあって、いつもとは違う気持ちでシャッターを切り、編成が目の前を通り過ぎていくのを見送りました。

そして、編成最後部のスハネフ15 21がゆっくりと遠ざかっていくのを見送ったところで、「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州への遠征も終了となりました。

あれからもう11年、九州へ向かう系統だけでなく「ブルートレイン」自体が過去のものになってからでも5年の年月が経過しました。
ブルートレインには私にもいろいろな思い出がありますが、数あるブルートレインの中でも東京発着の九州行ブルートレインは私にとっても特に思い入れの強い列車だっただけに、この最後の「富士はやぶさ」乗車はずっと記憶にとどめておきたい大切な思い出になりました。
いつか東京と九州を結ぶ夜行列車が復活するようなことがあったら、かつてのブルートレインを思い出しつつ、ぜひ乗りたいものです。
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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その16 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その16です。

門司駅で無事ドッキングを果たした「富士はやぶさ」は、関門トンネルを抜けて本州に上陸します。
下関駅でのEF81からEF66への牽引機関車のバトンタッチ風景の撮影は、昨日いい位置から見ることができたのと、下関発車前後の(乗車していた)3号車と客車最前部の12号車との往復が煩わしいこともあり、今回は参戦しませんでした。
下関を発車したところで、小倉駅の駅弁「上等かしわめし」で本日の夕食としました。
煮たまごが入っていたりして、ボリュームもそれなりにあっておいしかったですが…
やはり僅差で折尾駅のかしわめしの方が、私としては好みですかね。

夕飯の駅弁を食べてしまえば、あとははっきり言って何もすることがありません。
「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」のように食堂車のパブタイムを楽しむこともできないし、シャワー室がないのでシャワーを浴びることもできません。
また「はやぶさ」「富士」とも、両者の併結運転開始以前にはそれぞれに連結されていたロビーカーも連結されなくなってしまって暇な時間の行き場がなくなり、自分の個室に籠ってしまうと開放B寝台のような他の乗客との出会いや会話のチャンスもほとんどなく、車窓が闇に包まれていることも手伝って、まだ20時頃だというのに何だか気怠さを感じるようになってきました。
いまさらながら、ロビーカーが連結されていた当時に上り「はやぶさ」に初めて乗車した時に、同じ下関を過ぎたあたりの時間のロビーカーでのんびりくつろいだ時の事が懐かしくなってきます。

途中、2号車のドアの不具合とやらで広島駅に5分ほど遅れて到着したのを確認した後、個室のベッドに寝転がっているうちにいつの間にか爆睡していました。
そしてふと目が覚めると、時計は1:40になっていました。
もし定時に戻っていれば姫路手前の網干駅を通過したあたりなので、これならこの後の「富士はやぶさ」の上下列車のすれ違いシーンにも立ち会えます!
1:49、「富士はやぶさ」は、当時高架化が完成したばかりの姫路駅に到着。広島駅時点での5分の遅れは無事解消していました。
絶妙な時間に目が覚めたおかげで、真新しいホームに停車する消えゆく列車に乗車するという、なかなか貴重な体験ができました。
これでホームに降りて撮影できたらもっと貴重な記録と記憶を残せたんですが…
客扱いなしの運転停車ではどうにもなりません。
もっとも客扱い停車だったとしても2分停車では、機関車や最後部1号車付近での撮影は厳しいものがありそうですが…
姫路駅を定刻に発車した後は、約10分後に迫った「富士はやぶさ」下り列車とのすれ違いの瞬間に備えて待機。
時間が近づくと、すれ違いシーンを1号車のデッキから眺め(撮影し)ようという人が数人通路を歩いていきましたが、今から行ってもよいポジションが取れなさそうなのは分かっていたので、私は自分の個室の扉の前の通路で見届けることにしました。
2:02、加古川駅通過の直前にいよいよ「富士はやぶさ」下り列車とのすれ違いが展開されました。どうやら下り列車も定時運転のようでした。
もちろん私もすれ違いシーンを写真に残そうとしましたが、コンパクトデジカメ程度のカメラでは何とかテールライトやテールマークのものらしい光跡は写し込めたものの、やはり期待外れの写真になってしまいました。
それでも、もう東海道・山陽線では(その後「国内では」になっていきますが)見ることができないであろうブルトレ同士のすれ違いシーンをこの目で見届けることができて大満足でした。

上下「富士はやぶさ」のすれ違いに立ち会えてすっかり眠気も吹っ飛んでしまい、そのまま二度寝せずにメールのチェックをしたりブログへの投稿やコメントへのレスなどをしているうちに、大阪駅運転停車の時刻が近づいてきました。
駅閉鎖時間中の大阪駅を目が覚めた状態のうちに通るというのも貴重な経験なので、ここまで来たらそれも見届けようと待っていると、にわかに「富士はやぶさ」はスピードを落とし始め、個室の車窓には今まで何度も関西遠征の時などに通った大阪駅周辺とは違う風景が見えています。
「ん?もしかして北方貨物線を走っているとか?」
そんな状況が続くうち、3:04頃、駅ではないどこかで「富士はやぶさ」は運転停車。
場所の手掛かりを探ろうにも、何しろ外は夜の闇に覆われ、ここがどこなのかさっぱり分かりません。
そして3分ほどの停車の後、「富士はやぶさ」は発車。
やがて、進行方向右手に停車していたEF81 450番台牽引のコンテナ貨物列車を見て謎が解けました。
やはり、「富士はやぶさ」は大阪駅経由ではなく、通常は貨物列車や回送列車のみが通過する、大阪駅の北方を通る「北方貨物線」という貨物線を通っていて、先ほどの停車はおそらく吹田信号場構内での運転士交代のための運転停車だったのであろうということでした。
この当時、上り「富士はやぶさ」は大阪駅改良工事に伴い、尼崎ー吹田間で北方貨物線を迂回運転していました。
しかし、事前に入手していた情報では、熊本・大分の両駅を毎週日曜日に発車する列車に限り、その夜は工事が休みとなるため通常の大阪駅経由(運転士交代も大阪駅で実施)での運転になるということでした。
私が乗ったのはその日曜日(正確にはもうとっくに月曜日未明になっていましたが)発車の列車なので、今夜は大阪駅経由だと思っていましたが、この夜は3連休の中日ということで、工事の休止と大阪駅経由がともに翌日月曜日(祝日)の夜に変更されていたのが真相でした。
もし事前にそれが分かっていたら、北方貨物線沿い(新大阪駅付近)にあり、通常は一般の在来線旅客列車から見ることのできない(山陽新幹線からは見下ろすことができる)車両基地である宮原総合運転所(現 吹田・網干の両総合車両所の宮原支所)の構内をしっかり観察できたのにと後悔…
それでも、旅客列車で通過することが不可能な北方貨物線をひょんなことから踏破することができ、これまた貴重な経験ができました。

深夜の貴重な体験3連発ですっかり眠気も飛んで行ってしまいましたが、もうさすがにこの後しばらくは特にこれというネタもなさそうなので、東海道線本線に戻って高槻駅を過ぎたあたりで再びベッドに寝転びました。

次回、上り「富士」にのれたらやってみたかった事。
そして、最後の九州ブルトレの旅も終わりが近づいてきます。
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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その15 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その15です。

18:04、「富士」は定刻に中津駅を発車。
これから東京駅まで、16時間弱の最後の九州発着ブルートレインの旅が始まります。
この夜の宿となるのは、3号車オハネ15 2005のB寝台1人用個室「ソロ」の10番個室でした。
「富士はやぶさ」の「ソロ」と1人用A個室寝台「シングルDX」の一部個室で使用されていたルームキーには、当該車両の車番をテプラで印字したシールを貼った木札がキーホルダー代わりに付いていました。
しかし私が乗車した直後の車内改札の時に、車掌から渡されたルームキーに付いた木札には、なぜか「富士」編成にも相方の「はやぶさ」編成にも組み込まれていないオロネ15 3005の文字が印字されたシールが張られていました。
もっとも、鍵自体はちゃんとこの部屋用のものだったので問題はなかったんですが…
「富士」は快調に日豊本線を上り、やがて「はやぶさ」との併結作業を行う門司駅が近づいてきました。
最初のうちは、門司での併結作業の撮影には参戦しないで個室でのんびり発車を待っていようと思っていましたが…
結局は門司到着を前に6号車デッキへ移動し、到着するとさっそくホームへ降り立ちました。

18:58、「富士」は門司駅に定刻到着。
まだ先頭のEF81 411が切り離される直前の段階で、すでにこの後の「はやぶさ」併結作業を撮影しようとする人の群れがホームにできていました。私ももちろんその中に加わります。
やがて、下関方に引き上げていた「はやぶさ」編成が推進運転で進入し、「富士」編成とドッキング、多くの人が見守る中併結作業が無事完了しました。

19:15、1本の列車になった「富士はやぶさ」は門司駅を定刻発車。
自分の「ソロ」の個室の窓から流れ去る門司駅ホームを眺めながら、もうこれでブルートレインで九州にやってくることができなくなるのだと思うと、何とも言えない寂しさがこみ上げてきました。
そしてやはりブルートレインで通過するのは今回が最後となる関門トンネルを抜けて九州に別れを告げ、本州に戻ってきました。

次回、夜の山陽本線を東へ向かいます。
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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その14 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その14です。

17:56、いよいよ中津駅にこれから乗車する「富士」が到着しました。
牽引機はまたしても代走のEF81 411号機。
この組み合わせはもう昨日から3回目で、贅沢なものでやや食傷気味な感も…
こうなると、ED76牽引の「富士」の姿も最後に目に焼き付けておきたかったところでした。
「富士」はここ中津で、後を追ってきた「ソニック48号」に追い抜かれるため8分停車します。
私以外に中津から乗車する人はほとんどいなかったようですが、8分停車ということでホームはプチ撮影会状態に。
最後部1号車の貫通扉の窓からは、ビデオカメラで撮影中の人の姿も見かけました。
もちろん私も乗車前に少し「撮影会」に加わりました。
ホームを歩きながら各車両の側面方向幕の「特急 富士 東京」の行先表示を見ていると、これから一晩かけてブルートレインで旅をするのだという気分が盛り上がってきます。
こんな風に、九州の在来線の列車で「東京行」の行先表示を見ることができる日は、もう永遠に帰ってこないのでしょうか…

「富士」は18:04、中津駅を定刻に発車。
これから東京駅まで、15時間54分にわたる最後の九州ブルトレの旅が始まります。
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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その13 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その13です。

西小倉駅などでの貨物撮影を一区切りにし、九州鉄道記念館を見学した後、小倉駅から日豊線の特急「ソニック37号」に乗り、今回の遠征の最後を飾る「富士」を迎えに中津駅へ向かいます。
この旅で利用した周遊きっぷ「福岡ゾーン」は、日豊線では大分県境を超えた中津駅までが周遊ゾーンに含まれていました。
そのため、「はやぶさ」同様「富士」にも1分でも長く乗車するために一旦中津まで行ってから乗車することにしたわけです。
もっとも、やはり本音を言えば、始発の大分から乗車したかったのですが…

中津駅到着後、一旦改札外へ出て改札脇のコンビニで食糧や飲み物を補給し、再びホームへ上がりました。
「富士」到着まで少し間があったので、ホームをぶらぶら歩いていると、いろいろと興味深いものが目に入ってきました。
ホームでまず目を奪われたのが、ホームに設置された超ロングサイズの木製ベンチ。
どのくらいの長さがあったのか覚えていませんが、確か駅のホームに設けられたベンチとしては日本最長というようなフレーズも、ベンチの上に掲げられた看板に記されていた記憶があります。
また当時の中津駅には、旧国鉄スタイルのままの駅名標も健在でした。

ホーム上に建てられた発射時刻表は中央の「○時」の縦軸を境に、左半分が特急列車、右半分に普通列車の発車時刻が掲載されている、関東ではまず見られないスタイルのものでした。
「特急欄」の赤文字の大群の中で異彩を放っていたのが「富士」の青い発車時刻の数字と、「博多」「小倉」がほとんどを占める中でひときわ輝く「東京」の文字でした。
さらに、「富士」中津到着直前の上り3・4番線の発車案内にも「寝台特急富士 東京」の文字が表示され、編成は短くなったとはいえまだまだ日豊線内での「富士」の存在感のほどを感じました。
今や、中津だけといわず、九州内の駅の在来線ホームの発車案内から、下関以外の本州の駅名や寝台特急を表す表示が消えてしまったわけで、時代の流れを感じます。

また、「富士」の発車する4番線の屋根からは、中津駅オリジナルの「富士」乗車口案内が下がっていました。
号車番号を変えただけで同じデザインのものが1~6号車の各車分あり、絵柄は裏表同じでした。
ホームから見上げると非常によく目立ち、何より見ていて楽しくなるデザインでした。

最初は「富士」到着までの暇つぶしのつもりの駅ウォッチングでしたが、今思い出してみるとあの頃ならではの標示類やアイテムが駅のあちこちにあったわけで、これも懐かしい思い出になっています。
次回、いよいよ「富士」に乗車します。

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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その12 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その12です。

門司駅で「はやぶさ」「富士」の両列車の出発を見送った後は、再び西小倉駅へ移動し、ED76・EF81牽引の貨物列車を狙いました。
西小倉での撮影を始めて間もなくの9:41に通過した5056列車を牽引してやって来たのは、この旅の貨物撮影で一番撮影したかった、門司機関区のEF81の中で、今も現役の303号機とともに2両しかいないステンレス無塗装の「銀ガマ」のうちの1両だった304号機!
(廃車になったかどうかは不明ですが、少なくともここ数年は同機の動静がつかめない状況になっています)
曇り空の下でも鈍い光沢を放つステンレスボディーのEF81には、赤いED76やローズピンクのEF81ともまた違う魅力を感じますし、個人的にはブルートレインを牽引していた時代の姿を思い出して懐かしい気持ちになりました。
さあ、こうなると後は303号機の登場を待つばかりとなり、期待が高まります。
その後も昼前まで上下合わせて4本の貨物列車を撮影。
まだEF81 303の登場はないものの、JR九州からJR貨物へ移籍した2両のED76のうちの1両である81号機を撮影することもでき、それなりの収穫はありました。
それにしても、前日に引き続きこの日の北九州地方も寒い日でした。
貨物列車通過の合間にはホームから階段を上った橋上駅舎内に避難したり、自販機でホットのお茶やコーヒー、コーンスープを何本も買って飲んだりして寒さをしのぎつつの撮影でした。

11:30頃に通過したEF81 401号機牽引の5053列車の後はしばらく貨物列車の空白タイムに入るので、その間を利用して小倉駅へ。
小倉駅では、構内の立ち食いそば屋で、当時のブロガー仲間の方(ちなみにこの方は、カレーうどんが人気のうどん屋さんのご主人です)おすすめのかしわうどんで昼食としました。
寒い中での撮影の途中だったこともあり、かしわうどん自体のおいしさもさることながら、温かいうどんはそれだけでもほっとするものを感じました。

かしわうどんで身も心も温まったところで、12:36発の811系の鳥栖行快速4127Mで昨日も訪れた黒崎駅へ移動し、前日同様寒さに震えながらこれも前日同様
貨物列車を待ちます。
13:09頃通過した7050列車はEF81 405号機の単機での運転でした。
その後、14時を過ぎて到着する4092列車もここで撮影するつもりでしたが、この後のスケジュールも考え再び西小倉駅へ。
黒崎で4092列車から切り離され、重連単機回送として北九州貨物ターミナルへ向かうEF81重連は14:23頃に西小倉を通過。
やって来たのはEF81 451+EF81 402という前日と同じコンビでした。
その直後に通過したED76 1011号機牽引の2075列車を撮影したところで、北九州エリアのED76・EF81牽引の貨物列車の撮影は一区切り。
結局撮影したかったもう1両の「銀ガマ」EF81 303号機の撮影は叶いませんでした。
しかしあれから11年経過した現在も303号機は現役を続けており、ぜひいつかは同機との出会いの日が来てほしいと今も願っています。

この後は門司港駅まで移動し、ちょうどこの時期にブルートレインの企画展が開催されていた九州鉄道記念館を訪れた後、「富士」で帰路につくべく日豊線中津駅へ向かいます。
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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その11 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その11です。

北九州での2日目となる2009年1月11日も、昼頃まで「富士はやぶさ」とED76&EF81を追いかけ、夕方には「富士」のお別れ乗車をしながら東京への帰路につきます。

7時頃に宿泊先の小倉駅前のビジネスホテルをチェックアウト。
この日最初の撮影は門司駅での「富士はやぶさ」…となるところですが、その前にED76牽引の上り貨物列車2072列車があるので、前日も撮影に訪れた西小倉駅へ。しかし肝心の撮影は失敗、少々もやもやの残るスタートになりました。
それでも気を取り直して、西小倉7:45発の下関行622H列車で門司駅へ移動しました。

門司駅に着いた時には、「富士はやぶさ」到着までまだ1時間ほどあるためか「富士はやぶさ」を撮影しようとする人の姿もほとんど見えず、また日曜日の朝なので通勤通学客も少なく、列車の発着・通過時以外は駅構内も非常に静かでした。
4番線と5番線の間にある中線の1本には、これから下関へ「富士はやぶさ」を迎えに向かうEF81 410号機が停車中でした。
幸い架線柱などに遮られない場所に止まっていたため、4・5番線それぞれのホームからに加え、跨線橋の上からも同機をゆっくり撮影することができました。
そして8:02、EF81 410は下関へ向けて出発していきました。
その直後の8:03には、5番線に鹿児島線久留米からの普通列車132Mが到着。
この日の132Mは、全車が415系鋼製車の8両編成で到着。
4番宣ホーム側から眺めると、白いボディーに青い帯の九州色の長編成の姿には、関東に住む者にとってはその数年前までの常磐線中距離電車を思い出させるものがありました。
132Mは、ここ門司で4両ずつに分割され、前4両は列車番号もそのままで8:07に門司港へ、後4両はここで列車番号を232Mに変えて8:09に下関へ、それぞれ出発していきました。
その415系が発車していくと、「富士はやぶさ」到着まで特にこれといって撮影対象になる列車もないので一休み。
しかし門司駅の周囲には海からの寒風を遮るような高い建物もほとんどないので、ホームにずっといては寒くて仕方がありませんでした。
そんな時に頼りになったのが、跨線橋の真下にある待合室。スペースはそれほど広くはないけれど、この日のような気候の時にはありがたい設備です。

8:30を回り、4番線の発車案内にも「はやぶさ」「富士」両列車の表示が揃い、「富士はやぶさ」の門司到着が近づいてきました。
2日続けての門司駅での撮影となりますが、前日と同じ場所で撮影してもつまらないので、ここは乗客でない「出迎える」立場の特権(?)で5番線側から到着シーンを撮影することに。
確か3回ぐらい接近放送が流れたのになかなか「富士はやぶさ」は姿を現さず、結局定刻より3分ほどの遅れで到着となりました。
肝心の到着シーンの撮影は、架線柱やケーブル、樹木に遮られて失敗。
停車中の機関車の前面も樹木に隠されてしまい、撮影場所の選択のまずさを痛感しました。
やがて下関からの牽引機EF81 410が解放されると、対岸の4番線で撮影中の人たちの姿がばっちり見えました。この日も大入り満員です。
それに対して5番線側の撮影者は少なくてその分撮影は楽でしたが、何しろほとんど風を遮るものがなく、風が強くて冷たくて寒すぎるのが辛かったです。
そして小倉方からED76 66が「はやぶさ」のマークを付けて登場。
先ほどまでのEF81 410も含め、この組み合わせは、私が見ただけでも前日の朝夕に引き続き3度目でした。これも、牽引すべき列車やそれを牽引する機関車がそれだけ減少してしまった証拠でしょうか。
「はやぶさ」へのED76連結も終わり、赤井電気機関車と青い14系の編成美を撮影できると思ったのに、やはり樹木に邪魔されて…

9:01、2分ほど遅れて「はやぶさ」が発車。
しかし、ちょうど発車という時になって中仙をEH500牽引の貨物列車が通過して視界を遮られるという不運に見舞われました。
まあ、貨物の最後尾が空車のコキ車だったので、何とか「はやぶさ」最後尾6号車のテールマークを掲げた後ろ姿を捉えることができたのは救いでしたが…
一方、4番線に残った「富士」編成の方には相変わらず撮影者がたくさん。
やがて、小倉方から「富士」の大分までの牽引機が登場。
やってきたのは、前日の上りに続きまたもや代走のEF81 411!
前日も今日も代走に入っているということは、今夜乗車の上り「富士」も期待できそうです。
最後は410・411の2両のみの陣容だったJR九州のEF81同士のバトンタッチも完了し、「富士」も発車準備完了。
9:10、定刻に「富士」も門司駅を発車。今度は被る列車もなく、落ち着いて撮影できました。
これでひとまず朝のイベント(?)も終わり、何となく達成感のようなものを感じながら、門司駅を後にしました。

次回、再び西小倉でED76&EF81を狙います。
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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その10 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その10です。

門司駅5番ホームの「富士はやぶさ」併結シーン撮影の雑踏から脱出し、隣の6番線から19:11に発車する415系の下関行5576Mで関門海峡を渡り、下関へ向かいます。
この列車に乗ったのは、下関駅へ「富士はやぶさ」より先回りし、下関に到着する「富士はやぶさ」と、下関から同列車を牽引するEF66を撮影するためでした。
門司駅から下関方面へ向かう交直流電車は、門司駅発車直後の架線電流の交直転換に備え、門司駅停車中に交直切り替えの試験を行います。
これから乗車する5576Mもそれは例外ではなく、門司に到着するとしばらくして車内灯が消え非常灯がまばらにともるだけの暗い車内になりました。
そんな中、近くにいたカップルは、隣のホームに停車中の「富士はやぶさ」を見て、ブルトレの話題でちょっとだけ盛り上がっていました。
終焉が迫っていたとはいえ、ホームで多くの人に囲まれているブルトレに漂う独特のオーラはまだ消えていなかったということでしょうね。

交直転換も無事終わり、関門トンネルを抜けた5576Mは19:17、下関駅に到着。
すぐに「富士はやぶさ」が発車する9番線に移動しました。
その9番線には当時、すでにLED方式の発車案内表示機が主流となっていた中で貴重な存在になっていた幕方式の発車案内表示機が健在で、列車名部分が経年からか列車名の部分がやや読み取りずらい物のしっかりと「はやぶさ・富士」の列車名と行先・発車時刻が表示されていました。
この表示を見ていると、日本初の特急列車が発着したこの駅からも「富士はやぶさ」廃止により「特急列車」も「東京行列車」も間もなく消えていこうとしていることに、改めて寂しさを感じてしまいました。

19:23、定刻に「富士はやぶさ」は下関に到着。
すぐに関門間のワンポイントリリーフを務めたEF81 410は切り離され、代わって東京までの牽引機EF66 51号機が登場。
到着後すぐに、ホーム東京寄りの立ち入り可能なエリアの限度いっぱいの先頭12号車と機関車の連結部付近(上りの機関車先頭部付近は立ち入り禁止)の狭いスペースは大混雑状態になりましたが、先回りしたおかげで他の撮影者にさえぎられることなく撮影することができました。

定刻より2分ほど遅れて発車した「富士はやぶさ」を見送り、一旦改札を出入りして再びホームへ戻りました。(下関―門司間は周遊きっぷの自由周遊区間から外れるため、小倉ー下関間の乗車券は往復とも別買い)
そして415系1500番台の19:42発の日豊線中津行5579Mで宿泊地の小倉へ戻り、前日の午後から始まった乗り鉄・撮り鉄はひとまず休憩となりました。

次回より、2009年1月11日撮影編です。
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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その9 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その9です。

宿泊先の小倉駅前のホテルで小休止して体勢を立て直し、小倉18:20発の下関行5574Mで門司駅へ移動。
門司にやって来たのは、この後の「はやぶさ」と「富士」それぞれの上り列車の到着シーンと、両列車の併結作業を撮影するためでした。

18:46、まず「はやぶさ」が朝の下りと同じED76 66に牽引されて6番線に定刻到着。
機関車の停車位置のあたりは「はやぶさ」到着前は数人しか人はいませんでしたが、到着後は「はやぶさ」の乗客も加わって大撮影大会となりました。
ここまで牽引してきたED76が切り離されて下関方へ去ると、今まで機関車との連結麺に隠れていたスハネフ14にもシャッターの嵐が浴びせられました。
やがて関門間の牽引機となる、これも朝と同じEF81 410が「はやぶさ」編成に連結され、その後「はやぶさ」編成は一旦ドアを閉めて下関方へ引き上げました。

19時ちょうど、2分ほど遅れて5番線に「富士」が到着。
大分から牽引してきたのは、何と通常のED76ではなくEF81 411!
実は某掲示板に、数日前から「富士」の門司―大分間で同機がED76の代走牽引を務めているという書き込みがあったのは確認していたものの、まさか実際にそれが見られるとは思いませんでした。
「富士」の停止位置はこの後の「はやぶさ」との併結作業に備えて小倉方に寄った位置になり、到着の少し前からEF81が停車したあたりは併結作業を撮影しようとする人でぎっしり埋めつくされていました。
EF81 411も切り離されて下関方へ引き上げ、ここでしか顔を見せない7号車のスハネフ14が顔を出しました。もちろんこちらにも多数のカメラが向けられました。

やがて「はやぶさ」編成が推進運転で「富士」編成に接近し、併結作業が始まりました。
もちろん私もこの併結シーンの撮影に臨みましたが、あまりにホームが激混みだったこともあり、なかなか思い通りのショットを得ることができませんでした。

次回、下関へ先回りして再び「富士はやぶさ」を撮影します。
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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その8 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その8です。
小倉12:16発の鳥栖行普通161Mで次の撮影地である黒崎駅へ向かいました。
ここでは、EF81牽引の上り貨物列車2本を狙います。
貨物用側線に面した3・4番ホームは、日中は1時間に1本程度筑豊本線方面から門司港方面へ向かう列車が発着する他は停車列車がないので、目的の貨物列車が他の列車に邪魔されずに撮影できる可能性がかなり高いのがありがたいところです。
それはともかく、この日の北九州市内はとにかく寒かった!
この日の北九州地方の13~14時頃の気温は3℃程度だったそうで、まさか九州で関東以上の寒さを経験するとは…
隣の1・2番ホームならガラス張りの待合室があるので待ち時間は待合室で過ごせば寒さをしのげますが、停車列車の少ない3・4番ホームにはありません。
そういう状況の中、ただ目的の列車が来るのを待っていても間が持たないので、883系の「ソニック」や787系の「有明」、813系や817系の快速・普通列車なども少々撮影しながら目的の列車を待ちます。
そして、13:09頃にEF81 452号機の牽引する7050列車が通過。
さらに14:07頃にはEF81 451+EF81 402の重連が牽引する4092列車が貨物用側線に到着し、目的のEF81牽引貨物2本は無事撮影できました。
実は、わざわざ黒崎までやってきたのは、この4092列車を撮影したかったからでした。
この列車は、当時すでに1日数本に減っていた門司機関区所属のEF81重連牽引の貨物列車の中でも、日中に撮影できる唯一の列車でした。
EF81重連は到着後すぐに貨車から切り離され、重連単機回送で北九州貨物ターミナルへ向かいました。

黒崎駅での撮影を終えた後、スペースワールド駅へ移動してED76牽引の2075列車を狙うも、811系の普通電車に遮られて撃沈…
その後再び西小倉駅へ戻ってさらに撮影を続けましたが、この日は午後の時間帯に通過する貨物列車には運休の列車も多かったようで、特急や快速・普通列車は頻繁にやってくるものの、ED76やEF81はなかなかやって来ず、寒い中成果は思うように上がりませんでした。
そんな中、16:27頃になってようやくED76 1016号機牽引の7090列車が通過し、寒い中待っていた身にはほっとするものがありました。

当初の予定では17時過ぎ頃まで西小倉で撮影する予定でしたが、寒さと成果の少なさに疲れを感じてしまい、7090列車の通過を撮影したところで少々早く撤収し、宿泊先の小倉駅近くのビジネスホテルにチェックインしてしばし休憩することにしました。

この後は、門司駅で上り「富士はやぶさ」の機関車交換と併結作業を撮影します。
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