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通学中にプチ「鉄」活動 [いろんな思い出]

おはようございます。gonanaです。
珍しく朝の更新です。
今日は、高校生時代の高校への通学にまつわる思い出です。

高校生の頃、通学には自転車と電車の両方を使っていました。
それは、自宅最寄駅まで自転車で行ってそこから電車で、という形ではなく、晴れている時には自転車、雨の時などは電車で、というような使い分けをしていたということでした。
自転車では15分ほどで行ける高校までの通学時間が、電車利用だと遠回りのルートになるため、その前後の自転車や徒歩を含めると50分ちょっとかかるのが難点でしたが、それでも電車通学だからこそのお楽しみというものもありました。
それは、電車乗車中に車窓をかすめる車両基地の状況を見ること。
私の通学ルートの途中には、西武の小手指車両基地がありました。(もちろん現存します)
西武池袋線の飯能・西武秩父方面行の電車に乗り、小手指駅を発車後すぐに進行方向右手に見えるのが小手指車両基地です。
車両基地内の車両留置線や車両洗浄線は本線を走る電車内からほぼ全貌を見ることができ、この眺めは私が高校生の頃も今も、ほとんど変わっていないと思います。
現在でこそ、構内に並ぶ西部の車両たちもバラエティー豊かになり、加えて時間帯によっては相互直通運転で西武線内に入線した東京メトロと東急の車両が入庫している姿も見られるなど、毎日でも見飽きることのないであろう小手指車両基地の構内も、私が高校生だった1987~1990年当時は、構内に並ぶ車両の中で目を引く存在といえば当時の特急車両5000系と秩父線用でライオンズカラーの4000系くらいのもので、あとは当時の池袋線で運用された101系・新101系・3000系ばかりが並んでいました。
そんな中で、電車で通学中にいつもチェックしていたのが、構内の片隅(基地内の一番狭山ヶ丘駅寄りの、一番本線から離れた場所)でした。
片隅といっても、電車内はもちろん車両基地の外周の公道、さらにその公道と西武線との踏切からも窓や柵越し、あるいは直接にばっちり見える場所なので、「構内の一番奥」という感じはあまりありませんが…
なぜ私がその場所をいつも気にしていたかといえば、当時そのあたりで、廃車され、地方私鉄への転出もされず解体される車両たちの解体や、解体前提ではなくても新型車投入で余剰になった旧型車の一時的な留置が行われていたからで、すでに池袋線の定期列車では見ることができなくなっていた形式の姿も見られました。
私が高校生だった当時、この場所で解体されていたのは、新宿線への新2000系投入で余剰になった701系や、4000系や9000系に機器を提供するために一部の車両が廃車された101系あたりだった記憶があります。
その他、現在は多くが横瀬駅構内で大切に保管されている大正・昭和初期製造の輸入電気機関車数両も、工事列車等の牽引の任務を1986年ごろに製造された電気機関車E31形に譲ってからしばらくの間、この片隅のスペースに並んで留置されていたのも記憶に残っています。
私は電車で通学となるたびに、その場所に留置された車両たちの動向を見ながら通学していました。時には実際に車両の解体作業を目撃することもあり、これにはさすがに胸を痛めましたし、日を追うごとに形を失っていく車両を目にするのも辛いものがありました。

そうして、電車に乗っているときにしか目にすることができないと思っていた小手指車両基地でしたが、ある時自宅とその周辺の地図を見ていると、自宅から小手指車両基地が自転車でもそう遠くない距離にあり、しかも高校へも近いということが分かり、以来、自転車通学の日でも時折本来のルートを外れて車両基地ウォッチングの寄り道を楽しんだものでした。

現在では廃車となった車両の解体も小手指では行われなくなり、かつて車両解体や余剰車両の留置が行われていたスペースにも普通に現役車両が入っていたりするようですが、出入りする車両はすっかり変わっても構内の線路配置などが30年前とほとんど変わっていない(と思われる)ので、当時のことを思い出すのは割と簡単です。
私も数年前、久しぶりに車両基地外周の公道から昔を思い出して構内ウォッチングをしたことがあります。
この時は自転車ではなく小手指駅からの徒歩でしたが、久しぶりに通学中の「プチ鉄活動」を思い出してなかなか感慨深いものがありました。
ちょうどその時構内で見かけた車両の一つが、東急との相互直通開始前に訓練のため小手指車両基地に入庫していた東急5050系(4000番台)だったのには、時代の流れを感じてしまいましたが…

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2010年 GW関西鉄道旅の思い出 その15 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2010年GWの関西への鉄道旅の振り返り、最終回です。

高岡市内の行列のできるうどん屋さんの名物のカレーうどんで夕食の後、20時半頃に再び万葉線で高岡駅に戻ってきました。
ここから乗車する夜行急行「能登」の発車は23時ちょうどなので中途半端に時間が空いてしまいましたが、かといって他に行くあてもないので待合室で時間をつぶし、22時少し前にホームへ移動しました。
22:02、この日の朝にも出会ったEF81 107号機の牽引でブルトレ「日本海」が高岡駅に到着。1分停車で発車していきました。
高岡からの乗車は見たところほとんどなかったようでした。
というより、連休中の夜だからなのか、ホームにほとんど人がおらず、到着する普通列車や「サンダーバード」もあまり乗降客がないまま発車していきました。
暇なのでホームをぶらぶらしていると、頭上から下がっているいくつもの乗車位置案内の札が目に留まりました。
特急から不通まで、列車名やそれぞれの編成パターン別のいろいろな色の乗車位置案内板が下がり、これらを見るだけでも北陸本線がいかに「特急街道」であるかを改めて感じました。
このカラフルな標示類も、この界隈の北陸本線が第三セクター化され、優等列車も通らなくなった今では思い出の後継になってしまったのが残念です。

そして22:59、「能登」が高岡駅に到着し、1分停車で定刻発車。
「能登」は、この年3月のダイヤ改正で、同じ上野ー金沢間のブルトレ「北陸」とともに定期列車としての長い歴史に幕を下ろしましたが、「能登」については改正後も多客期の臨時列車として残され、このGWにも運転されていました。
ただし、定期列車時代はJR西日本金沢総合運転所所属の489系が使用されていたものが、臨時列車になってからはJR東日本新潟車両センターの国鉄色485系での運転となり、編成も9両から6両に短縮されていました。

私の方は、魚津を出たあたりから高崎到着直前まで、途中長岡での運転停車中に一度目が覚めたほかは爆睡。
高岡駅では停車時間にほとんど余裕がなかったため撮影ができなかったので、高崎駅の4分停車を利用して少しだけ485系を撮影。
大きく運転形態の変わった「能登」でしたが、車両を見ると、正面の愛称幕には489系時代に使用されていた交換式ヘッドマークに準じたデザインの絵入りマークがきちんと表示され、側面方向幕にも列車種別と愛称・行先がきちんと表示された専用の字幕が用意されていたのは嬉しい限りでした。
さすがに489系についていた「急行」のサボはありませんでしたが…

5:53、「能登」は大宮駅に定刻到着。
私はここで下車し、約40分後のブルトレ「あけぼの」(EF64 1032号機牽引)を撮影してから帰宅しました。

2010年の関西への鉄道旅の振り返り、これにて終了です。
他の振り返り記事でも書いていることの繰り返しではありますが、改めて記憶を思い出しながら記事を書いていると、今では姿を消してしまった車両や列車に多数乗車したり撮影をしたりしていたことが思い出され、懐かしさとともに寂しさも感じました。
視覚障害者になった今では、当時撮影したたくさんの写真で当時を振り返ることは叶わなくなってしまいましたが、せめて記憶の中の鉄道旅の思い出はこれからも大切にしていきたいと思っています。
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2010年 GW関西鉄道旅の思い出 その14 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2010年GWの関西への鉄道旅の振り返り、その14です。

大阪駅での上下「トワイライトエクスプレス」の撮影を終えると、この旅での関西での乗り鉄や撮り鉄も終了し、あとは帰路に就くだけになりました。
青森経由の超大回りルートで関西へ向かった行きほどではないものの、帰りも定番の名古屋経由でなく、当時の北陸本線・信越本線・上越線経由のルートで帰ります。
関西を離れるにあたって選んだのが、大阪14:12発の485系臨時特急「雷鳥91号」。
北陸線を代表する昼行特急だった485系「雷鳥」も、681・683系の「サンダーバード」への置き換えが進み、この旅の頃には翌年春のダイヤ改正での全滅という噂も漏れ聞こえていたので(事実、「雷鳥」は翌年3月のダイヤ改正で廃止)、早いうちにお名残り乗車をしておこうというわけです。

使用開始されてからまだ日の浅い、新しい大阪駅11番ホームに、14:02、「雷鳥91号」となる485系が宮原操車場から回送で入線。
7号車のモハ485-211に座席を確保して、再びホームに出て485系をいろいろ撮影しました。
絵入りマークに方向幕に「特急」サボ…
いずれも近い将来みられなくなるであろう、これぞ国鉄の特急電車というべきアイテムの揃った外観を味わいながら撮影しているうちに、早くも発車時刻が近づいてきました。

「雷鳥91号」は定刻に大阪駅を発車。
車内改札も済んだところで、大阪駅で購入した駅弁「神戸名物すきやき御飯」で遅い昼食とします。
箱の外から出ているヒモを引っ張って加熱するタイプの容器で、5分ほど待つと、わりといい感じに温まったすきやき御飯の出来上がり。
牛肉(もちろん神戸牛)も柔らかくてそこそこボリュームもあり、とてもおいしい弁当でした。
弁当を食べた後は485系の走りを堪能しつつ、少しウトウト…
「雷鳥91号」は、先行列車の遅延のため終着の金沢駅には4分ほど延着。
485系特急の走りを十分堪能でき、これが結果的にお名残り乗車となってしまったのが惜しいくらい、充実した3時間でした。

金沢到着後、富山方面への乗継ぎ列車を待っていると、475系の青一色塗装編成が別のホームに到着。
青一色塗装は、七尾線用415系を除く北陸エリアの国鉄型電車にこの旅の頃から施された塗装でしたが、実際にこの塗装の車両を見てみると、何だか塗装途中の状態の模型車両のような印象が残ってしまいました。
やはり、通勤型以外の国鉄型電車には、ストライプもロゴもない一色塗装は似合いませんね。
金沢からは、白地に青帯の塗装(「北陸色」)の413系の糸魚川行455Mで高岡駅へ。
高岡で途中下車したのは、以前も何度かご紹介した、カレーうどんが名物のうどん屋さんに今回も立ち寄るため。
高岡駅前から「万葉線」でお店最寄りの市民病院前停留所へ向かい、さっそくお店へ。
もちろんいただくのは、名物のカレーうどん。いつものことながら、この日も美味でした。
当時ブログ仲間だったお店のご主人とも少しお話ができましたが、やはりこの日を含めGW中はいつもの休日にも増してお客さんが多く、超多忙な日々だったとか。
ちなみにこの日、カレーうどんは一日で600食ほど注文があったとか…

ボリュームも満点のカレーうどんをいただいて高岡駅に戻った後は、夜行急行「能登」で関東に向かいます。
次回、2010年GWの関西への鉄道旅の振り返り、最終回です。
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2010年 GW関西鉄道旅の思い出 その13 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2010年GWの関西への鉄道旅の振り返り、その13です。

2時間ほど、いろいろな列車の撮影を楽しんだ京都駅から特急「サンダーバード10号」で大阪駅へ移動してきました。
大阪駅からは、午後に「雷鳥」で自宅への帰路につきますが、その前に昼前後に相次いで大阪駅に発着する上下の「トワイライトエクスプレス」(以下、「トワイライト」と略します)をホームで撮影します。
まず、11:50(だったかな?)に発車する下り「トワイライト」を撮影しますが、「サンダーバード10号」で大阪駅に着いてから「トワイライト」の入線までには1時間ほどの中途半端な空き時間ができてしまったため、「サンダーバード」の到着した3番宣ホームから、隣のホームの大阪環状線の電車を撮影しながら時間をつぶすことにしました。
しかし、ちょうどその頃、JR神戸線(東海道線)の甲子園口駅構内で発生した人身事故の影響で、JR神戸・京都線のダイヤに乱れが発生し、その影響は宮原操車場から回送されてくる北陸方面への特急にも波及していました。
このため、同様に宮原操車場から回送されてくる下り「トワイライト」も、EF81 43号機の牽引で10番線に入線してきたのは、定刻の発車時刻のわずか5分前。
かつては下り「トワイライト」は、12時ちょうどの大阪駅発車の30分ほど前には入線していたものですが、ダイヤ乱れという事情はあるにせよ、長距離列車の出発前としては何ともあわただしい状況になってしまいました。
それでも、大阪駅改良工事の進展に伴って、一時廃止されていた北陸方面への特急が主に使用する11番ホームが復活したおかげで、それまでできなかった10番線に停車中の列車の編成撮りができるようになっていました。
停車時間は少なくなってしまいましたが、あわただしく10・11番線の両方で撮影を楽しみました。
ただ、近年改良・改装された多くの駅の例に漏れず、大阪駅でもホームが商業施設などの下に入る形となり、自然光が入りにくくなって暗い印象になって撮影がしずらくなってしまったのは残念でした。
下り「トワイライトエクスプレス」は、定刻より2分遅れて札幌へ向けて出発。
やっぱり「トワイライト」のような列車が入線からわずか7分で始発駅を後にするというのは、何ともあわただしいものです。

下り「トワイライト」の発車を見送った後、朝からコインロッカーに預けてあった荷物を回収しに新大阪駅へ往復し、今度は12:52に3番線に到着する上り「トワイライト」を待ちます。
そして、12:57、5分ほど遅れてEF81 113号機の牽引で上り「トワイライト」が終着大阪駅に到着。
こちらは乗客を降ろして宮原操車場へ引き上げるまでに少し時間があるので、ゆっくり撮影を楽しんで回送の発車を見送りました。

次回、485系「雷鳥」のちょっと早めのお名残り乗車を楽しみます。
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2010年 GW関西鉄道旅の思い出 その12 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2010年GWの関西への鉄道旅の振り返り、その12です。

今回からは、この鉄道旅の実質的な最終日となる2010年5月4日の撮影・乗車記です。
この日は午前中撮り鉄を楽しんだ後、北陸回りで帰路につきます。
まずは新大阪駅から「サンダーバード」で京都駅へ移動。
もちろん周遊きっぷの受有周遊区間内なので、「サンダーバード」も京都までの自由席利用なら特急券なしで利用でき、朝の混雑する新快速や快速に乗らずとも移動できるのはありがたい限りでした。
京都駅にやって来た目的は、同駅に発着するバラエティー豊かな列車たちを撮影するためでした。そのラインナップは、・智頭(ちず)急行HOT7000系の回送
・JR東海キハ85系の特急「ひだ25号」
・JR東海383系の特急「しなの9号」
・485系の特急「雷鳥8号」
この他にも、湖西線の113系や117系、奈良線の103系、もちろん681・683系の「サンダーバード」、221系や223系なども撮影できました。
個人的には、いずれも国鉄色の117系を2時間弱の間に4編成も撮影できたのは大収穫でした。
そして、ローズピンク塗装のEF81 107号機牽引で到着した「日本海」を撮影したところで京都駅での撮影は終了。
「サンダーバード10号」で大阪駅へ向かいました。

次回、大阪駅での撮影記です。
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2010年 GW関西鉄道旅の思い出 その11 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2010年GWの関西への鉄道旅の振り返り、その11です。

青森へ向けて出発する「日本海」を新大阪駅で撮影した後、一旦ホテルへ引き上げて小休止。
その後この日何度目かの天王寺駅へ「はるか」で移動。
天王寺駅に到着し阪和線ホームへ上がり、発着する103系や205系、223系を何本か撮影していると、やがて前日も乗車した日根野駅からの113系快速204H列車が到着。
8両編成のうち、天王寺寄り4両はベージュと茶色の延命工事済み車でしたが、和歌山・御坊寄り4両は期待していたグレーにスカイブルーの帯の「阪和線色」!
阪和線色の113系もこの旅の頃には引退が近いという話がささやかれていたので、乗車こそできなかったものので和えてラッキーでした。

紀勢線御坊駅へ向けて折り返し発車していった113系を見送り、そろそろ新大阪駅へ戻ろうかと阪和線ホームをぶらついていると、この日3度目の遭遇になるウグイス色とオレンジ色の103系混色編成が6・7番線に入線してくるのを発見!
何だかこの日は、阪和線と大阪環状線の2本の103系混色編成を追っかけて過ごしたような一日になりました。
朝と午後は一瞬の出会いだけでゆっくり撮影や観察ができていなかった阪和線の編成でしたが、今回は和歌山行普通電車となって発車するまで10分ほど時間があるので、ゆっくり撮影を楽しみました。
ウグイス色やオレンジ色の103系は、天王寺駅の地上ホーム(大和路線・大阪環状線ホーム)では当時日常的に見ることができましたが、通常はスカイブルーの103系が出入りする、高架の阪和線ホームで見る「和歌山」の行先表示を掲げたこれらの色の103系には、やはりちょっぴり違和感を感じつつ、それはそれでなかなか新鮮な風景でした。
また、この混色編成と、隣のホームに停車中のスカイブルーの編成との、関東人には懐かしい並びも見ることができ、103系好きには楽しいひと時になりました。

和歌山へ向けて発車した混色編成を見送り、283系の特急「オーシャンアロー32号」で新大阪へ戻り、この日は終了としました。
次回からは5月4日の撮影・乗車記です。
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2010年 GW関西鉄道旅の思い出 その10 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2010年GWの関西への鉄道旅の振り返り、その10です。

大阪環状線の103系混色編成の撮影を終えて、混色編成の後続の外回り電車で天王寺駅へ移動しました。
駅ナカで遅めの昼食をとると、もう時刻は14時を回ったところ。
結局、当初予定していた阪堺電車の撮影&乗車は残念ながら見送ることにしてしまいました。
といって、他にどこへ行くあてもないので、とりあえず阪和線ホームへ向かってみると…
なんと、当時阪和線で活躍していた、103系のクハ103形の最若番ツートップであるクハ103-1とクハ103-2を両端に連結した6両編成が14:11発の和泉砂川行普通電車621H列車として停車中!
もちろん、103系好きとしてはこの編成、それもクハに乗車して阪和線を下るしかない(笑)
ということで、621H列車に乗車、クハ103-1の真ん中あたりのシートに着席しました。

阪和線の普通電車は、途中数駅で特急・快速の待避をしながら走り、なんとなく京急の普通電車に乗っているような気分になってきます。
阪和線にはそれまでに何度も乗車したことはありますが、たいていは快速(関空快速・紀州路快速も含む)、たまに特急で通過することが多く、普通電車に乗るのはあまりない経験でしたが、昼間の空いている時間帯だったこともあり、のんびりまったりとした空気が車内に流れていました。

周遊きっぷの自由周遊区間の都合で、日根野駅で621H列車からは下車し、和泉砂川から天王寺行普通電車650H列車として戻ってくる先ほどの編成を待ち受けて再び乗車。
650Hは、途中の東岸和田駅で「関空・紀州路快速」4168列車の待避のため7分停車します。
この後JR神戸線(東海道線)塚本駅で、宮原操車場から始発の大阪駅へ改装されるブルートレイン「日本海」を撮影するつもりでした。
103系好きとしてはこのまま終点天王寺まで650Hに乗り続けたいところでしたが、それでは塚本駅はおろか大阪駅での撮影にも間に合わなくなる恐れがあるため、東岸和田で4168H列車に乗り継いで大阪駅まで向かうつもりでした。
…と思ったら、この少し前頃から同じ阪和線の和泉府中―久米田間で発生した踏切支障(確か遮断棒折損だったと思います)の影響で、阪和線のダイヤが乱れ始めていて、3~4分遅れて東岸和田に着いた4168H列車も東岸和田で少々抑止されることに。
そんなさなか、下りホームに、朝遭遇した103系の混色(ウグイス色・おれんじ)編成の日根野行が到着。
日根野行はすぐに発車。私は駅を出ていくところを、4168H列車の最後部とホーム和歌山寄りの跨線橋の間から撮影。
撮影ポジションとしてはあまり適さない場所かもしれませんが、ともかくこちらの混色編成も編成写真を撮影することができました。

結局4168H列車は東岸和田を10分ほど遅れて発車。その後も先行列車が詰まっていた影響で遅れが増し、天王寺駅には20分ほどの遅れとなり、快速乗り換えた意味がなくなってしまいました。
そこで、「日本海」は新大阪駅で撮影することにし、天王寺で奈良発の上り臨時特急「まほろば」(こちらはほぼ定刻通り)へ乗り換えて新大阪へ向かいました。
思わぬ形で、同日の上下「まほろば」にいずれも乗車することになりましたが、こういう臨機応変な対応ができたのも、周遊きっぷのおかげでした。
ちなみに、この日の下り「日本海」はローズピンク塗装のEF81 101牽引でした。

次回も続きます。
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2010年 GW関西鉄道旅の思い出 その9

こんばんは、gonanaです。
2010年GWの関西への鉄道旅の振り返り、その9です。

新大阪から乗車してきた381系の臨時特急「まほろば」で到着した奈良駅では、381系の他には特に撮影などもせず、11:57発の「大和路快速」3381K列車でもと来た道を戻ります。
当初の予定では、天王寺駅で下車したのち、午後は大阪に残る唯一の路面電車である阪堺電車の乗車・撮影に充てるつもりでいました。
しかし…、3381K列車がまさにその天王寺駅大和路線ホームに停車する寸前に、すぐ隣の大阪環状線の外回りホームを、朝に阪和線鶴ヶ丘駅で遭遇したのとは別の、オレンジ色とウグイス色の103系混色編成が発車していくのが見えました。
これはもしかして次の新今宮駅で追いつけるかもしれないと思い、予定を変更してそのまま乗車。
新今宮に着くと、期待通り103系混色編成は停車中。
駅のアナウンスによれば、この環状線外回り電車は、新今宮で4分ほど停車し、私がここまで乗車してきた大和路快速を接続・待避するということで、これはチャンスとばかり、手早く数枚駅撮りをしました。
この環状線の103系混色編成は、本来の環状線用103系のカラーであるおれんじ色の編成にウグイス色のモハユニットが1組挟まっていて、外回り電車の場合で8両編成の後ろから2・3両目がウグイス色になっていました。
この編成に組み込まれたウグイス色のモハユニットも、所属標記はオレンジ色の車両と同じ「大モリ」(=当時の森ノ宮電車区)になっていて、塗り替えが済まないうちに正式に森ノ宮電車区に転属してきたようでした。

大和路快速を先行させた103系混色編成は、221系を追って新今宮を発車。
結局新今宮では簡単な駅撮りはできたものの、関東では民営化以降ほとんど見られなくなっていた103系の混色編成を、2010年にもなって見ることができた以上、混色編成であることがよくわかるような写真も撮りたくなってきました。
そこで、環状線内回り電車で鶴橋駅まで移動し、先ほどの混色編成を迎え撃つことにしました。
鶴橋駅に到着した後、201系や221系の外回り電車で練習し、ターゲットの103系を待ちました。
13:09、いよいよ先ほどの103系混色編成の外回り電車が到着。
幸い内回り電車に被られることなく、狙い通りに撮影できました。

次回に続きます。
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2010年 GW関西鉄道旅の思い出 その8 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2010年GWの関西への鉄道旅の振り返り、その8です。

鶴ヶ丘駅での阪和線撮影を1時間弱ほどで切り上げ、103系の普通電車と381系特急「スーパーくろしお6号」を天王寺で乗り継いで新大阪へ戻りました。
そしてその新大阪駅から、奈良行の臨時特急「まほろば」に乗車します。
「まほろば」は昨年(2019年)の秋にも運転されて話題を呼んだ列車でしたが、実はその9年前にも、奈良県を対象にした「奈良デスティネーションキャンペーン」に合わせて、キャンペーン期間の2010年4月1日~6月30日にも運転実績があり、私が乗車したのも2010年運転の列車でした。
2019年の「まほろば」が経由した「おおさか東線」は、当時まだ新大阪ー放出間が未開業だったため、2010年の「まほろば」は新大阪ー天王寺間は「はるか」などと同じ大阪環状線経由のルート、天王寺ー奈良間は大和路線(関西線)経由というルートで運転され、車両も日根野電車区(当時)の381系国鉄色編成が使用されていました。

10:32の発車5分ほど前に、「まほろば」が新大阪駅11番線(現 1番線)に入線してきました。
当時、日根野電車区の381系国鉄色編成が使用される定期列車は、平日の「はんわライナー」(阪和線)と「やまとじライナー」(大和路線)という朝と夜に運転されるライナー列車しかありませんでした。
そのため、貴重な国鉄色の381系を日中に撮影できるとあって、11番ホームでは多くの撮影者が詰めかけていました。もちろん私もその中に入って、乗車前にあわただしくあれこれ撮影を楽しみました。
やって来た381系は、臨時特急ながら先頭車には専用の絵入りヘッドマークも掲出され、各車の側面方向幕にも愛称名と行先がきちんと入ったものが表示されていました。
「まほろば」は10:32、新大阪を定刻発車。
天王寺までは「はるか」や紀勢線特急と同じルートをたどり、そこからは大和路線を走るという、ルート自体はこれまでに何度も乗車したものでしたが、期間限定とはいえ、(この旅の時点で)40数年ぶりに特急運転線区に返り咲いた大和路線(関西本線)を走る特急列車に乗れるというのは、やはり興奮するものです。
大和路線内に足を踏み入れてもそれほどスピードが上がるわけではありませんでしたが、103系や221系で乗り慣れている路線でも、特急用車両で通過すると何だか車窓の風景も違って見えました。
大和路線内唯一の途中停車駅である王寺に近づいた頃、車内では乗務員による記念乗車証の配布が行われました。
図柄は、かつて盛んに発売されていた記念乗車券を思い出すようなもので、こんなところも国鉄色車両を使用した昭和の香りのする列車にはピッタリでした。

この日の「まほろば」には、奈良のゆるキャラ「せんとくん」も「乗務」していて、やはり王寺駅を出たあたりから、最後部の6号車から順に車内を巡回していました。
私が乗車した1号車(自由席)にも、終着の奈良駅到着まであと10分を切った頃、せんとくんがやってきました。
小学生以下の子供たちには記念撮影のサービスをしたり、握手をしたりとサービス満点でした。

11:27、「まほろば」は高架化工事が完成した奈良駅に定刻到着。
1号車で子供たちと交流したせんとくんは、そのまま1号車のデッキに残り、私も降車時にせんとくんのお見送りを受けて列車を後にするという、ちょっと変わった経験ができました。
いやあ、GW中の運転だからなのかもしれませんが、全区間たった55分間の列車にしてはサービス満点の列車でした。
乗客を降ろした381系は、やがて回送で奈良電車区(当時)へ引き上げていきました。
そして、乗客を見送ってからやはり「まほろば」を下車したせんとくんは、しばらくして改札内コンコースの特設ステージでのイベントに出演してました。

次回に続きます。
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2010年 GW関西鉄道旅の思い出 その7 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2010年GWの関西への鉄道旅の振り返り、その7です。
今回からは、関西での2日目となる5月3日の乗り鉄&撮り鉄記です。

この日の午前中は、この年4~6月に運転された新大阪―奈良間の臨時特急「まほろば」の乗車&撮影を予定していましたが、「まほろば」の新大阪発は10:32で、それまでの中途半端な時間をどう潰すか迷った挙句、短時間で手っ取り早く103系などを多く撮りまくれる阪和線へ向かうことにしました。
まずは新大阪7:17発の「はるか5号」で天王寺駅へ。
新大阪ー天王寺間での「はるか」乗車は、昨日の夕方以来3度目になりますが、周遊きっぷのおかげで自由席利用なら特急料金は不要、しかもJR京都線と大阪環状線の乗り継ぎや地下鉄御堂筋線利用よりも速くて快適なので、非常に重宝します。
「はるか」は天王寺では大和路線ホームに発着するので、阪和線ホームへ移動する前に行きがけの駄賃とばかり、大和路線や大阪環状線の103・201系を少しだけ撮影。
その後、高架にある阪和線ホームから205系の熊取行普通電車に乗車し、天王寺から3駅目の鶴が丘駅で下車。ここでしばらく103系をはじめ阪和線電車を撮影しました。
40分ほどの間に、103・205系の普通電車をはじめ、223系の関空・紀州路快速、381系の特急「くろしお1号」、281系の「はるか4号」など、いろいろな列車を撮影できましたが、その中でもサプライズだったのが、103系は103系でも阪和線本来のスカイブルー塗装の車両ではなく、ウグイス色とオレンジ色の車両の混色6両編成による回送電車。
私はこの編成についての情報を全く持っていなかったので、なぜこの編成が阪和線を走っているのか、この時点は理解できないまま見送りました。
ちなみに当日、この編成とはあと2回遭遇することになるほか、別の混色編成とも別の路線で遭遇することになります。

次回、「まほろば」で奈良へ向かいます。

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