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1997年夏 急行「はまなす」乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
前回まで、2012年夏に北海道へ鉄道旅に出かけた際の思い出をつづりました。
この鉄道旅では、行程の後半は体調不良で予定変更を余儀なくされる場面が多かったことは、前回までの記事でも書いた通りです。
中でも札沼線の廃止区間と夜行急行「はまなす」への乗車をあきらめざるを得なかったことは、今もなお悔やまれてなりません。
ただ、札沼線に関しては本当に一度も乗車できずに終わってしまいましたが、実は「はまなす」に関しては2012年の乗車が初だったというわけではなく、その15年前の1997年夏に札幌から青森まで一度乗車経験があります。
それでも、「はまなす」が過去の列車となった今となっては、「あの時乗れていれば…」という思いがまだあるのも事実です。
そこで、今回はその1997年夏の「はまなす」乗車の時のことを振り返ってみたいと思います。何せ24年も前の話なので、記憶違いの部分はあるとは思いますが、ご了承願います。

「はまなす」は、1988年3月の青函トンネル開通に伴うダイヤ改正で運転を開始し、北海道新幹線開業のため2016年3月のダイヤ改正で廃止されるまで、青森ー札幌間を結んで運転されていた夜行急行でした。
当初は14系客車の座席車だけの5両編成でしたが、のちに指定席車両が座席をグリーン車用のものに交換した「ドリームカー」に変更されたり、開放型B寝台車が2両増結されたりと編成内容が充実していき、私が乗車した年の3月ダイヤ改正では、カーペット敷きの「のびのびカーペット」車が新たに連結されることになりました。
そしてこの年の夏、私が北海道への鉄道旅からの帰途に「はまなす」を利用したのも、このカーペット車に乗りたいがためでした。

1997年8月のある日、私はこの日夕方までの「北海道ワイド周遊券」を利用した鉄道旅から自宅へ帰るべく、21時前頃に札幌駅の「ハマナス」発射ホームへ上がりました。
ホームでは、早くも「はまなす」についてのアナウンスが流れていて、寝台車・ドリームカー・のびのびカーペット車・自由席車それぞれの乗車位置の案内などとともに、「本日は10両編成で運転します」という案内もありました。
これは「はまなす」が、通常は7両編成のところ、多客期や団体輸送のある時などには1両単位で最長12両編成までの増結が行われるためでしたが、この編成量数の案内はすぐに「11両で運転」に変わり、最終的には最大連結の12両編成での運転ということになりました。
ブルートレインなどで多客期に通常より長い編成で運転されることはよくありましたが、始発駅発車前1時間足らずのうちに2回も急遽増結量数が増えるというケースに遭遇するのは初めてでした。
なるほど、自由席車の乗車位置に並んでいる人の列はかなり長く、おそらくホームの混雑状況をタイムリーに反映した増結だったのでしょう。
もっとも、私がこれから乗車する「のびのびカーペット車」は指定席扱い(寝る場所が指定されている)のため、自由席の座席確保のための列に並ぶことなく、ホームをぶらぶら歩いたりベンチで一休みしたりしていましたが。

青森行「ハマナス」の札幌駅発車は運転開始から廃止までずっと22時ちょうどでしたが、この日は上記のように2度にわたり編成量数の変更があったため、(札幌運転所での)増結作業のため札幌駅の入線も発車もそれぞれ20分少々の遅延となりました。
さて、遅れて入線してきた「ハマナス」に乗車し、号車4号車の「のびのびカーペット車」の車内に入ります。
同車の車内は、既存の座席がすべて撤去され、長距離フェリーの桟敷席(カーペット席)のようなフラットなスペースにカーペットが敷かれ、フルフラット座席として寝転ぶことができるようになっていました。
カーペットは1人用のスペースが分かりやすいような柄になっていて、利用客それぞれの寝る場所も指定されていました。(階段部分を除き、各人の利用エリアを仕切るパーテーションなどはなし)
このカーペット車の定員は25名ということでしたが、女性専用エリアも含めて当日はほぼ満席(?)だったようです。

遅れて22時25分頃(?)に札幌駅を発車した「ハマナス」は主要駅に停車しながら千歳線から室蘭本線、函館本線と南下していきます。
この列車は途中の苫小牧や東室蘭あたりまでは札幌からの帰宅列車や最終列車としての利用も多かったようで、もし自由席車に乗っていればそうした乗客の動きも実感することができたのでしょうが、私の乗るカーペット車にはそのような乗客はいないらしく、車内改札が終わり車内の照明が減光されると車内も静かになりました。
眠りにつく人も増えだし、私も苫小牧駅を出たか出ないか当たりで就寝しました。
その後函館駅停車中と思われるあたりで一度目が覚めましたが、その他は旅の疲れもあって爆睡し、青函トンネルを出て本州に上陸したあたりで起床しました。
札幌出発時の遅れは一度解消したようですが、その後どこかの単線区間で交換相手の列車が遅れたらしく、青森駅到着は10数分の遅れとなりました。
ちなみに私はその後、当時の東北本線の特急「はつかり2号」で盛岡駅へ向かい、そこから東北新幹線「やまびこ」(豪数は覚えていませんが)に東京駅まで乗車して自宅への帰路につきました。
さて、肝心の「ハマナス」のカーペット車の乗り心地(というか寝心地)ですが、カーペットやその下の台座(?)のクッション性もよく、その後乗車した「サンライズエクスプレス」の同種の座席「ノビノビ座席」よりもよく眠れた記憶があります。

ここまで書いてきた1997年夏の乗車以来「ハマナス」には乗る機会がなく、2012年夏の北海道遠征の際久しぶりに乗車することにしました。
せっかく乗るのならとまだ乗車したことのない「ドリームカー」の指定席券も確保してあったのですが、体調不良の影響で日程を変更したため、直前でキャンセルせざるを得ませんでした。そして、その後廃止まで「ハマナス」に乗車するチャンスが訪れることはありませんでした。
しかし乗車の機会を逃してしまった「ドリームカー」だった14系座席者のオハ14 505はのちに東武鉄道に譲渡され、今では同社の「SL大樹」編成に時々組み込まれて運用されているようです。
「はまなす」時代とは運転区間、運転時間帯などあらゆる事柄が異なりますが、機会があれば近いうちに同車に乗車して「プチリベンジ」を果たしたいと思います。
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