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東急目蒲線「緑の電車」の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
一昨日の記事で、私が小学校3年生の時に、初めて埼玉県某市の自宅から東京都大田区の祖父母の家まで、電車とバスを乗り継いで一人で向かった時のことを書きました。
この初めての「一人旅」が無事に成功したことで、親や祖父母もひとまず安心してくれたようで、その後も時折一人で祖父母の家へ行く機会がありました。
初めのうちは最初に一人で祖父母の家に祖父母の家へ行った時と同じコースで電車やバスを乗り継いでいましたが、少し慣れてくると小さいながらに「乗り鉄心」がむくむくと頭を出し始めたのかどうか、その時によって一部ルートを変えて乗ってみるようになりました(もちろん、親にはどの路線に乗っていくかは伝えておきました)
例えば、最初の「一人旅」では高田馬場で山手線に乗り換えていたのを池袋での乗り換えに変えたり、品川駅から先は京浜東北線+バスの乗り継ぎで行っていたものを京急で雑色駅(これも祖父母の家の最寄駅)まで行きそこから徒歩で向かうようにしてみるといった具合です。

そんな感じで蒲田へ行くことが何回かあった頃、今度は、京浜東北線と同じ蒲田駅に発着する東急目蒲・池上線で当時走っていた緑色塗装の旧型車両に乗ってみたくなりました。
きっかけは、当時父親が毎月買ってきてくれていたある鉄道雑誌に、戦前に50両が製造された東急電鉄の旧型車3450形が、その登場から50周年を迎えたことを記念した特集記事が載っていたのを見たからでした。
当時(40年前)の東急は、すでに東横線や田園都市線といった本線格の路線はすでにステンレスカーの天下になっていたものの、池上線と目黒・多摩川の両線に分割される前の目蒲線を走る車両はほとんどがこの3450形を含む緑色塗装の旧型車で運転されていました。
私自身はそれまで、普段ほとんど乗る機会がないこともあって東急の電車にはそれほど関心がありませんでしたが、その雑誌の記事や他の鉄道の本に載っている東急の旧型車の写真を見て乗ってみたくなり、それからほどなくして祖父母の家へ行く時に乗ってみることにしました。

その日は、西武線と山手線を高田馬場で乗り継ぎ、目黒駅までやってきました。
ここでいよいよお目当ての緑色の旧型車に乗るため目蒲線に乗り換えましたが、目蒲線と池上線のどちらを選んでもそう大差はない中でなぜ目蒲線に乗ることを選んだのかは今となってはわかりません。
現在の東急目黒線目黒駅は地下駅ですが、当時の目蒲線目黒駅は地上駅で、ホームに出ると望み通り緑色の電車が停車していました。
残念ながら今となっては乗った車両の形式が何だったかの記憶は残っていませんが、見慣れた西部や京急の電車とは違う渋い緑色のボディーに新鮮味を感じながら乗り込んだのは覚えています。
目黒駅を発車し、吊り掛けモーターの音を響かせながら蒲田へ向かって走り出しました。駅間距離の短さや窓の外を流れる景色、電車や駅で見かける人々の姿も西武線や京急などとも微妙に違って見え、普段乗ることのない電車に乗りたいという電車好き少年の興味から始まった初めての目蒲線の乗り鉄も、鉄道路線ごとのキャラクター(?)を味わう乗り鉄の楽しみ方を学べたという点で、とてもいい経験になりました。
目黒駅から約25分ほどで終点の蒲田駅に到着。もう一度乗ってきた車両をホームから眺めた後、祖父母の家近くまで乗るバスの乗り場へ向かいました。

その後別の機会に、もう一路線東急の緑の旧型車が活躍していた池上線にも乗りましたが、祖父母の家へ行くルートとしては、親や兄弟と一緒に行く場合も含め京浜東北線や京急を使うことが多く、目蒲線や池上線を利用する機会は少なかったです。
そのうちに、昭和時代の終わりとともにこれら2線に残っていた緑の旧型車も引退しました。
私が初めて目蒲線とそこで走る緑の電車に乗ってから40年、目蒲線は多摩川駅を境に目黒線と多摩川線に分割され、目黒線は地下鉄南北・三田線とも直通するようになり、やがては相鉄線ともつながることになります。
そして池上線ともども、30数年前に緑の電車にとって代わった車両たちもさらに新しい車両に置き換えられるなど、あの頃と比べ様々な点で年月の流れを感じます。
久しぶりに目蒲線の旧型車に乗った時のことを思い出して、とてつもなく懐かしい気分になってしまいました。
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