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遠距離通学 鉄ちゃん目線の思い出 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
鉄道好き目線での私の大学時代の思い出、ひとまず今回で最終回です。

前回、前々回と、私が大学へ通学していた1991年春から1995年春にかけての総武快速線・内房線・外房線・総武緩行線の思い出を書いてきましたが、最後は京葉線の思い出です。
当時の京葉線は、私が通学で利用するようになる前年(1990年)の京葉線東京開業時から戦列に加わった205系と、それ以前から活躍していた103系が活躍していました。
当時の同線では、朝夕などの一部を除き、おおむね快速は205系、普通電車は103系というような使い分けがなされており車両運用も分かれていました。
私が通学時に京葉線を利用する時は快速を利用することが多かったため、当時は103系よりも205系に乗る機会の方が多かった記憶があります。
京葉線の205系は、車内は他線の同形式と変わり映えのしないものでしたが、鉄道ファンから「メルヘン顔」などと呼ばれる独特の前面形状や、光線の具合などによって赤にもピンクにも見えるラインカラーがささやかながら京葉線の個性を主張しているようにも感じられました。
個人的には、おそらく山手線の同形式の次によくお世話になったと思われる京葉線の205系も、京葉線からの撤退後は一部が宇都宮線宇都宮ー黒磯間と日光線で余生を送っていましたが、それも来る3月12日のダイヤ改正までの命ということで、このようなことからも30年あまりの時の流れを感じます。
一方の103系は、総武緩行線の車両と比べるとそれほど際立った特徴のある車両は少なかったようにも感じましたが、蘇我方(だったかな?)の先頭に連結されていることが多かったクモハ103形が、ATS-P(保安機器)取り付けに伴う運行番号表示機の移設により、独特の「顔」に変化しているのがユニークでした。先ほども書いた通り103系は普通電車に運用されることが多かったですが、ダイヤ乱れなどの影響からかたまに通常は205系を使用する快速に103系が入ることがあり、そういった時には103系の高速走行を楽しむことができました。
特に快速の停車駅間の長い新浦安ー海浜幕張間(当時、南船橋駅は快速通過駅でした)ではおそらく100km/h近くと思われるスピードで飛ばす103系の豪快な走りを堪能することができました。

そして、この時期の京葉線を走った列車でもう一つ印象に残っているのが、土休日を中心に東京ー西船橋間(時期により蘇我方面へ運転されたこともあり)で運転されていた臨時快速「シャトル・マイハマ」でした。
「シャトル・マイハマ」は、165系急行形電車を改造した3両編成の専用車両を使った列車で、ディズニーランドへの観光客輸送を目的にした列車でした。
車両の外観は白をベースに青や赤のストライプが入り、窓まわりが黒く塗装されたり2号車には大きな太陽のイラストが入ったりとカラフルなものに変わり、車内も車両により色の違うパステルカラーのシートが窓に向いたりボックス形に並んだりして配置されていて、見ても乗っても楽しい車両でした。
「シャトル・マイハマ」は主な運転区間だった東京ー西船橋間では確か舞浜駅のみの停車だったため、私がよく利用したのは東京ーマイハマ間でした。
同列車は全社普通車自由席の快速としての運転で、乗車に際しては指定券や乗車整理券なども必要なく、定期券でも堂々と乗車することができました。
ただ、車両の外観や社内が一般の京葉線電車や乗り入れの武蔵野線電車とは大きく違うこともあってか、目の前に「シャトル・マイハマ」が停車していても敬遠する人もいたようで、私がよく利用した土曜日の昼下がりの列車はそれほど混雑していなかった印象があります。
まあ、もしかするとその時間はディズニーランドで遊ぼうとすると少し中途半端な時間なのかもしれませんが…

以上ここまで、主に東京駅から千葉方面への路線を中心に、鉄道好き目線で大学生時代に通学等でお世話になった車両たちを振り返りました。
通学でお世話になった車両たちとしてはこの他に西武線の各形式や山手線の205系などにも思い出がありますが、それらについてはまた機会があればまとめてみたいと思います。
改めてあの頃の電車通学を振り返ると、鉄道好き、そして国鉄型車両好きとしてはかなり楽しい経験だったことに気づかされます。
それだけに、なぜあの頃鉄道写真の撮影をしていなかったのかという悔いはあります。
もしあの頃にタイムスリップして大学生に戻れるなら、大学での勉強の学び直しはもちろん、通学中に出会ういろいろな列車や車両を片っ端から撮影しまくりたいです。
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