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【鉄道旅の思い出】2007年秋 長野電鉄乗り歩きの思い出 その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2007年秋の長野電鉄乗り歩きの思い出の振り返り、今回も続きます。

元小田急ロマンスカーHiSE10000系を改造した長野電鉄1000系の特急「ゆけむり」で須坂ー湯田中間を往復した後は、一旦駅の外に出て昼食後、今度は同駅で長野ー湯田中間の「長野線」から分岐していた屋代線に乗車します。
屋代線は、須坂駅と現在ではしなの鉄道の駅になっている旧国鉄信越本線屋代駅とを結んでいた路線でした。私が乗車した2007年当時はすべて須坂ー屋代間の折り返し運転でしたが、昭和の時代には上野駅から直通の急行列車が動線を経由して湯田中方面まで運転され、国鉄のキハ57系ディーゼルカーや169系電車がこの区間に乗り入れていました。

2007年当時の屋代線は、60~90分に1本ぐらいの間隔で運転されていましたが、私が昼食を終えて須坂駅に戻って来た時には、次の屋代行の発車までにはあと20分ほどと割合いいタイミングでした。
屋代線の発着するホームには、同線の折り返し運用につく3500形が停車していました。
3500形は元営団地下鉄(現 東京メトロ)日比谷線3000系で、同じ種車の3600形とともに屋代線だけでなく長野電鉄全線の普通電車の主力形式として活躍した車両です。
車体は赤い帯が前面と側面に入れられている他は営団時代とほとんど変化がなく、車内もワンマン運転関連の機器を除けばほぼ営団時代と変わっていないようでした。
やがて発車時刻が来て3500形は発車。土曜日の昼下がりだからか乗客はかなり少なく、2両合わせて10人に届いていたかどうかぐらいだったと思います。
沿線は長野線と同じような田園風景が広がっていました。私は営団3000系には日比谷線内で数回しか乗ったことがありませんでしたが、地下線内で乗客も多い日比谷線とのギャップがかなり新鮮に感じられました。
須坂から30分弱(?)で終点の屋代駅に到着。同駅はしなの鉄道との乗り換え駅ですが、私が同駅にいた時間にはしなの鉄道の車両は見かけなかったように記憶しています。屋代線ホームの柱には「須坂・湯田中・木島・長野方面」(駅名の順番等が少し違っていたかもしれませんが)と、その5年前の2002年に廃止された木島線(信州中野ー木島間)の終点木島の駅名が入った古びた標示板も残っていて、思わぬところで乗車する機会のなかった木島線の存在を思い出すことになりました。
屋代からは折り返しの須坂行で再び須坂へ戻りました。
屋代線はその後2012年4月1日に廃止となってしまい、結果的にこの日の乗車が屋代線唯一の乗車経験となりました。

次回も続きます。
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