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浪人時代の「鉄」活動 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
私は1990年春、現役での大学受験に全敗し、1年間の浪人生活に入りました。
受験期に入った高校3年生になった後も、「気分転換」と称して時々関東近辺の鉄道に乗りに行ったりすることもありましたが、浪人生になってしまってはふらふらと「鉄」活動に出かけるなどということもしにくくなりました。
でも物心ついた時からの鉄道好きである私にとって、1年間とはいえ鉄道趣味を封印することもできず、毎月買っている鉄道雑誌は浪人中も変わらず読んでいましたし、予備校へ通う際に乗る電車でもついつい乗車した車両の番号をチェックしてしまったりと、静かな「鉄」活動を続けていました。
そして、そんな中でもたまには鉄道好きとしての血が騒ぎ(?)、ちょっとだけ乗り鉄らしきものなどをする機会もありました。
そこで、そんな浪人中のプチ「鉄」活動の思い出をいくつか書いていきたいと思います。
まず今回は、1990年6月に引退した、西武多摩湖線の351系電車のお別れ乗車をした時の思い出です。

西武351系電車は、1954年に西武鉄道としては戦後初の本格的な新車として登場した車両で、後に多くの西武鉄道の電車を製造していくことになる「西武所沢工場」で製造された初めての新車でもあります。
製造時は(初代の)501系という形式で、後にこのうち4両編成両端のモハ501形が編成の組み変えや2度にわたる形式・車両番号の変更を経て351系という形式になったものでした。
351系は後に西武電車の主流となった20m車体の車両よりも小型の17m車だったこともあり1970年代半ばごろからは徐々に池袋線や新宿線の本線部からは撤退していき支線での運転が多くなり、やがてはほとんどの車両が廃車されて地方私鉄へと譲渡されていきました。
ただそんな中で、多摩湖線の国分寺ー萩山間には同線の専用車両として3両編成3本が残っていました。その理由は、国分寺駅の多摩湖線ホームが、その立地条件から17m車3両編成分の長さしかなく、20m車だと2両編成しか入線できないので3両編成の組める351系にとっては格好の働き場所となっていたわけです。
そのようなわけで、西武の他の路線から「赤電」と呼ばれる旧世代の吊り掛けモーターの車両がすべて姿を消した後も351系は生き残り、平成時代になっても吊り掛けモーターの音を響かせて活躍していました。
しかし、国分寺駅付近の区画整理に伴って多摩湖線ホームの長さが延長されることになったため、長年活躍してきた351系もついに引退することになりました。

西武線沿線民の私としては、地元ではないものの思い立ったらすぐに行ける場所を走る車両の引退となれば俄然お別れ乗車をしたくなってきます。
幸いというか、私が通っていた中央線沿線の某予備校へは地元駅から東村山駅へ向かい、そこから国分寺線で国分寺駅に出て中央線に乗り換えるというルートで通っていたので、国分寺駅までのルートを少し変えるだけできちんと予備校へは通いつつお別れ乗車もするという一挙両得を狙えるというある意味浪人生ならでは?の乗り鉄を敢行することにしました。

多摩湖線からの西武351系の引退は1990年6月23日ということになり、その一週間前から3編成の351系には各編成で異なるお別れヘッドマークが掲出されて運用についていました。
ヘッドマークが付くようになって初めての平日の6月18日月曜日、私はいつものように予備校へ向かうために自宅を出発し、最寄駅から電車に乗り東村山へ。ここで国分寺戦に乗り換え…ずにそのまま小平駅まで乗車し、さらに拝島線に乗り換えて多摩湖セントの乗換駅萩山駅に到着しました。
到着したホームの反対側には、目的の351系が停まっていました。
1990年の時点でも懐かしさを感じさせるラズベリーレッドとベージュのツートンカラーの「赤電」色のボディーは美しく、とても車齢36年を経過しているとは思えませんでした。
発車時刻が近づいていたのでどんなヘッドマークが掲出されているかチェックするのは国分寺到着後にして車内に入ると、ここも101系以降の形式のものとは異なるピンク色基調の壁面と座席が子供の頃乗った「赤電」を思い出させてくれました。
そして発車時刻がきて、351系が萩山駅を発車すると、これまた懐かしい吊り掛けモーターの音を久しぶりに聞くことができました。
多摩湖線は駅間も短くスピードも遅いので、かつての池袋線や新宿線で走る「赤電」のような急行や準急運転時の高速運転は味わえませんが、それでも目を閉じてモーター音を聞いていると、やはりそれだけで子供の頃にタイムスリップしたような気分になることができました。
萩山駅からわずか6~7分ほどで早くも終点の国分寺駅に到着。中央線ホームへ向かう前に乗車した編成に掲出されたヘッドマークをチェックしました。
残念ながらこのヘッドマークの図柄がどんなものだったのかどうしても思い出せず、写真の撮影も受験期に入って中断したまま復活していなかったので残っていませんが、やはりヘッドマークが付いていると鉄道ファンだけでない乗客の目にも止まるようで、多くの人が351系の前面を眺めて(鉄道ファン以外は「写真や動画を撮って」にならないところが当時らしいですが)いました。

結局、6月23日の多摩湖線での最終運転までの間に何回か乗車し、確か3編成すべてにお別れ乗車をすることができたと記憶しています。
定期運用を終えた351系はさよなら運転翌日の24日、玉川上水駅近くの留置線(現在の玉川上水車両基地)で3編成揃っての撮影会イベントが行われたそうで、今だったらもちろん私も参戦するところですが、予備校のない日曜日とはいえさすがに出かけるのもためらわれ、ひとまず最後に残った3編成すべてに乗れたということでお別れは果たしたと思うことにしました。

これで西武351系とは本当にお別れだと思っていましたが、後にこの3編成のうちの先頭車1両(クモハ355)が外観を製造当初の「モハ505」当時の姿に戻した状態で保存されているのを何度か見ることになりました。
そのうち2回は車内に入ることもでき、引退した1990年6月時点の仲つり広告がそのまま残った車内で懐かしい気分に浸ったものでした。

浪人時代の「鉄」活動の思い出、次回も続きます。
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1時間じゃ足りない? [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:未来の自分、過去の自分、1時間だけ会って話をするならどっちと話す?

未来の自分は今の時点でも全く想像がつかないし、仮にあって話したところで果たして楽しい気分やポジティブな気分になれるかどうかわからないので、会うチャンスがあるなら断然過去の自分です。
どの時点の自分にあいたいかはかなり悩むところですが、まずは大学に入ったばかりの自分ですかね。
入学式が終わった後にでもどこかの喫茶店に呼び出して、あれこれ激励というか説教というか、とにかくいろいろ未来の自分からの忠告をしたいですね。
「大学では将来に対するビジョンをきちんと持って、しっかり勉強しろよ!」
「就職活動は早めに対策と戦略を固めて悔いのないように戦え!」
「30年後の俺が後悔しないような大学生活と社会人生活を送れるように、今からしっかりした人生のビジョンを持て!」
そんな事を30年ちょっと前の自分にアドバイスしてやれば、その後現在に至るまでの人生も少しは違ったものになった…んでしょうかね?

あとは中学1年生頃ですかね。
あの頃、いろいろ訳あって学校全体の雰囲気がどうにも良くなく、担任教師も好きになれなかったので、正直あまり楽しい学校生活とはいえない時期でした。
そんな時期に、せめてその時の自分に愚痴でもこぼしてもらい、何とか日々の憂鬱を晴らしてもらえたらいいかも、なんて思います。
そして、中1の自分にこれからの青春時代を思い切りエンジョイしてくれよとアドバイスしたいですね。

いずれにしても、過去の自分と語り合うのにたった1時間とは短すぎです。せめて半日、できれば一日じっくり一緒にいられたらいいんですけどね。
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沿線民としては… [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
このブログで何度も書いている通り、45年以上にわたって沿線に住む私にとって一番身近な鉄道会社である西武鉄道。
その西武鉄道の電車のイメージとしても定着している「黄色い電車」にいよいよ終焉の時が視野に入って来たようです。
そしてその黄色い電車を置き換えるために導入される車両の内容がかなり衝撃というか驚きです。
詳しくは下記のリンク記事を参照してください。

西武「黄色い電車」に終了宣告 他社からの譲受で“無塗装車”増備へ 大手私鉄で異例 (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/118570

いやあ、長年の西武線沿線民であり鉄道ファンである私としても、この方針には相当な衝撃を受けました。
通常、鉄道会社間の車両の譲渡といえば、JRや大手私鉄・地下鉄から地方の中小私鉄や第三セクター鉄道、はたまた海外へ、というパターンがほとんどで、今回西武が打ち出したような大手私鉄が車両譲受を受けるというのはかなり珍しいケースです。
もちろん過去にそのような前例がなかったわけではなく、鉄道ファンの間で有名なところでは1975年と1980年に東急の目蒲線等で活躍していた旧型車3700系が同じ大手私鉄の名鉄へ譲渡されたケースがあるほか、西武自身も終戦直後には戦災や事故で破損・焼失した電車を大量に国鉄から払い下げを受け、整備して自社線内で再び走らせるということをしていた過去もあります。
他にも会社間のリースなども含めれば、大手私鉄が他社から車両の譲渡を受ける例は少ないとはいえ存在します。
ただ、西武はかつて、自社の「西武所沢工場」で多くの電車を製造し、西武線内だけでなく一部の中小私鉄向け車両の製造も行っていた時代を知っている者としては、その西武がまさか他社から車両を譲り受ける立場になる日が雇用とは想像すらしておらず、個人的にかなり複雑な心境です。

もちろん、乗客の立場からすれば新造車両だろうが他社からの譲渡された中古車両だろうが、車内外がきれいで安全に快適に乗れる電車であればどちらでもよいということになるのでしょう。
また西武鉄道も大手私鉄としてのプライドという意味からも、譲受車両に対しても中古車両というマイナスイメージを払拭するような大胆なリニューアルを施して自社線の営業運転に投入することも考えられます。
いずれにしても、今後どこの鉄道会社のどんな車両が、西武のどこの路線を走ることになるのか、これからかなり注目されます。
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肉&揚げ物の誘惑には勝てなくて [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:たまに無性に食べたくなるものは?

無性に食べたくなる食べ物を挙げて行ったらそれこそきりがないですが、その中であえて一番のと言われれば、フライドチキンやコロッケ、フランクフルトやアメリカンドッグなどのいわゆるホットスナックというやつですね。
子供の頃から、こういった食べ物にはついつい食欲を刺激されていました。
お祭りの屋台や文化祭・学園祭の模擬店ではフランクフルトやらイカ焼きやらを焼いている匂いには思い切り誘惑されてしまいましたし、高速道路のサービスエリアなどでアメリカンドックが売られていればこちらにも手が伸びてしまいます。
そして、一番食欲をそそられるのが、お肉屋さんやスーパーの精肉売り場で売られている揚げたてのコロッケやフライ、唐揚げなどなど。
とにかく揚げたてなので、あつあつで衣もサクサクなのが肉&揚げ物好きとしてたまらない魅力です。

こうした焼き立てや揚げたてのホットスナックには一歩及ばないかもしれないけれど、コンビニでならこうした食べ物も1個から気軽に買えるし、何より保温ケースに並んでいるところを見てしまうと、ついつい肉と揚げ物の誘惑に負けてしまうわけで…
ホント、コンビニでホットスナックを販売しようと考えた人は商才がありましたね。
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なぜ怖がっていたのか? [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:子供の頃怖かったもの
子供の頃怖かったもの…
今思い出してみても、実はそういうものがあまり思い浮かばないんですよね。
普通にお化けは怖かったとは思いますし、注射の時も怖くて泣いて母親を困らせたこともあったでしょう(記憶はないけど)
でもその他に、これは苦手だったという記憶のあるものがあまりないんですよね。
ただその中で、一つ記憶に残っているのが、テレビやラジオから流れてくる「時報」。
私がまだ幼稚園に入るか入らないかぐらいの頃、テレビを見ていてCMが何本も続くような時に、なぜかテレビから時報が流れるのを怖がっていいたのを今でも覚えています。
その後しばらくして、時計が読めるようになって時報が鳴るタイミングも予測できるようになると、自然に時報を怖がるようなこともなくなっていきました。
私自身では時報が苦手だった理由は本当に見当がつきませんが、もしかすると「ピ、ピ、ピ、ポーン!」という時報の音が、潜在意識のどこかで時限爆弾が爆発する瞬間を連想させて恐怖感を感じさせていたのかもしれません。


それと、これは母親に聞いたことがあるだけで自分では記憶のないことですが、私は牛の鳴き声を怖がっていた時期があったらしいです。
正確に言うと、私がまだ物心つくかどうかという頃に、「牛乳石鹸」のテレビCMの中に途中で牛の鳴き声が入るものがあったらしく、いきなりテレビから流れてくる大きな鳴き声に驚いた私が大声で泣き始めたというのです。
大きな犬に吠えられたり、ライオンやトラの鳴き声を怖がったりするならともかく、牛の鳴き声、それもすぐそばで聞いているのではなくテレビから流れてくるものを怖がっていた理由はわかりませんが、これも突然予想できない大きな音や声を聴いたことからくる恐怖感のせいなんでしょうか?
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今行くならやっぱり [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:今行きたいのは北海道?沖縄?

正直、いけるものならどちらへも行きたいですが、どちらかといえば北海道ですかね。
もちろん、朝ドラで注目度が上がっている上に、ちょうど明日で本土復帰50年というタイミングでまだ一歩も足を踏み入れたことのない沖縄を訪れることも大いに意義のあることだと思いますが、いろいろな意味で「今」行きたいのは北海道です。
ようやく極寒の冬を脱したので、気候も良くなってくるでしょうし、食べ物もうまいのでそれ目当てで行くのも楽しいでしょう。
大自然の風景を眺めるのも楽しいですし、札幌や函館、小樽や釧路などの街歩きや食べ歩きもしたいです。
でもそれ以上に鉄道ファンとしては、今乗れる北海道の列車にとにかくどんどん乗りたいというのが一番の理由です。
前回北海道を訪れたのがちょうど10年前の2012年であるということもさることながら、相変わらず苦境の続く一方新幹線札幌開業での大きな変化も予想されるJR北海道に関してはぜひ今のうちに多くの路線に乗っておきたいという気持ちがあります。
JR北海道ではここ数年路線の廃止が相次いでおり、日高本線の鵡川ー様似間や札沼線北海道医療大学ー新十津川間などに続き、根室本線富良野ー新得間が災害での運休から立ち直れずに廃止されることになり、さらには函館本線の長万部ー小樽間も新幹線開業に当たって廃止・バス転換されるという方針が固まってしまいました。
かつて、国鉄時代に北海道の赤字路線が相次いで廃止されたころ、「北海道の鉄道地図もすっかり寂しくなった」という声がよく聴かれたそうですが、今の状況ではそれよりももっと北海道の鉄道網は寂しい姿になってしまいます。
そういう状況だからこそ、今のうちに北海道の鉄道をできれば全線踏破しておきたいと思っています。
特に廃止の方針となってしまった函館本線の「山線」区間に関しては比較的静かなうちにぜひじっくり乗りたいところです(一応、過去に当該区間は乗車済みですが)

もし今、1か月くらいの休みがもらえるなら、ゆっくり時間をかけて北海道を旅したいですね。
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物心ついた時からそうだったので [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:朝食はご飯派?パン派?

結論から言えば、私はパン派です。
我が家の朝食は、少なくとも私が物心ついた時からずっと基本的にパン食でしたし、時々泊まりに行っていた父方の祖父母の家でも私がいる時にはほぼいつも朝はパンでした。
そのため、幼い頃はどこの家でも朝はパンが当たり前だと思っていて、小学生の時朝もご飯だという子に出会った時には驚いたものです。

そのようなわけで、今でも朝といえばパンのイメージは強いです。ホテルや列車の食堂車での朝定食で和食と洋食を選べる時には迷わず要職を選びますし、普段家でも基本的にはパン食です。
さすがに旅館で食べる朝ごはんといえば和食の方が似合うと思いますし、年齢を重ねてご飯に味噌汁、焼き魚といったメニューの朝食もたまにはいいかな、と思うこともありますが、やっぱり子供の頃からの習慣はそうそう変わらないもので、今朝もしっかりトーストとコーヒー、ヨーグルトの朝食をとって在宅仕事にとりかかったのでした。
タグ:朝食 ご飯 パン
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中身も好きだけど、皮も好きなんだよなあ~ [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:好きなカレー○○

そもそもカレーやカレー味の食品はほぼすべてといっていいほど好きなので、そういう中から一番好きなものを選ぶのはかなり難しいものがあります。
超基本のカレーライスは当然として、カレーうどん、カレー南蛮、カレーコロッケ、(中華まんの)カレーまん、カレーせんべい、などなど…

そういった中であえて一番好きなカレー○○を選ぶとすればカレーパンですかね。
カレーパン、本当に子供の頃から大好きでした。
母親とスーパーに行って好きな菓子パンを買っていいよと言われれば、ほぼいつも買ってもらっていましたし、今もコンビニやパン屋でパンを買う時にはついついカレーパンを手に取ってしまいます。
中に入っているカレーはもちろんのこと、からっと揚がった皮、というかパンもカレーパンの魅力の一つだと思います。
焼きカレーパンなどによくある、揚げてなくてもちもち間のあるパンのカレーパンもいいですが、個人的にはからっと揚がったパンの方が好きですね。

食べ物に関する記事を書いているといつもそうなんですが、今回も書いてるうちにまたカレーパンが食べたくなってしまいました。

とりあえず、近くのコンビニまで行ってきます。
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いつの間にか、何となく [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:鉄道が好きになったきっかけ

私が鉄道ファンになったきっかけ…
正直、ずばりこれ!と断定できるものは特にありません。
ただ何となく、いつの間にやら「鉄」の沼にハマっていった、というのが実情だと思います。

父親は飛行機大好き人間で、母親も特に鉄道や列車に思い入れがあるわけでもので、「親の影響」というのではありません。
また鉄道好きになった理由でよくある、家の近くに線路や踏切、駅があったというのも、まだ生まれて日の浅い私が両親とともに住んでいた大田区の祖父母の家は一番近い京急本線の雑色駅へも徒歩10分ぐらいの距離があり、電車の走る姿や音、踏切の音などが家のすぐ近くで見えたり聞こえたりする環境でもありませんでした。(むしろ羽田空港が近いので、飛行機の音が時折聞こえてくることはありましたが)
そんな私が鉄道好きになったきっかけとして有力ではないかと思うのが、たまに祖父が連れて行ってくれる家から近い観光地や公園。
祖父母の家の近くにあまり同じくらいの年齢の子供がいなかったらしく、退屈にならないように時々京急や京浜東北線に乗って横浜や油壷マリンパークなど近場で幼い子供でも楽しめそうな場所へ連れて行ってくれました。そういった時の行きかえりに乗る電車のことがともすれば、かけた場所自体よりも印象に残ったようでかなりテンションが上がっていたらしいです。
また、雑色駅そばの商店街へ買い物に出る母親や祖母に連れられて雑色駅の方まで出かけた際、頻繁に鳴る踏切の音とそこを通過していく電車の姿にいたく惹かれたようで、ずっと踏切のそばから離れなかったのを覚えています。
さらにおもちゃや絵本も電車や鉄道にちなんだものを買ってもらう機会が多かったことも鉄道好きになった原因かもしれません。
いずれにしても、こうしてゆるりとした感じでハマっていった鉄道が、50歳になった今も好きであるというのも、今から思うと不思議な気もします。

ところで、子供と鉄道といえば、最近知ったちょっと「へぇ~」と思うような話がありますのでご紹介します。
私は、視覚障害を持つ鉄道ファンが集まるメーリングリストに登録しているのですが(といっても、しばらく投稿することもなく読むだけの幽霊会員になってしまっていますが)、数日前にそのメーリングリストに投稿された中にこんな話題がありました。
投稿者の方によると、その方が購読しているある視覚障害者向け施設発行のボランティア向け冊子に掲載されている記事の中に、小学校や盲学校・視覚支援学校に通う子供向け点字雑誌の読者の視覚障害のある子供たちと、雑誌の編集を行うスタッフとのズームによるトークイベントが行われたということです。
そして、その中で出席者の皆さんが一番大盛り上がりした話題というのが、鉄道の話題だったのだそうです。
参加した男子生徒の中には、大人のスタッフでも知らないような鉄道の知識をたくさん持っている子も複数いたようで、イベントを進行されていたスタッフの方も驚きっぱなしで、なぜ視覚障害のある子供たちがこんなに鉄道が好きなのかよくわからないとも話されていたそうです。
もちろんこのエピソードだけで「視覚障害のある子供には鉄道好きが多い」などと断定することはできませんし、そのような仮説を科学的に検証した研究論文などもおそらく存在しないのではないかと思われます。
その上で、投稿者の方がこのイベントに参加した子供たちの中に鉄道好きが多かった理由を考えてみたところ
①盲学校や視覚支援学校などへの通学のため、頻繁に鉄道を利用することが子供時代から多い。
②鉄道は、車での移動に比べて、脳を刺激するいろいろな音がそれなりの大きさで入
ってくるので、脳を良い意味で心地よく刺激しているのかもしれない。
③車での移動では、鉄道に比べると、聞こえる音のバラエティーはかなり少ない。
④鉄道での移動は、車に比べて今どのあたりをどれくらいのスピードで走っているか、ある程度想像でき、それが結構楽しいのかもしれない。どのあたりを走っているかについては、車内アナウンスで理解することができる。また慣れてくれば、モーターの音やレールと車輪が擦れ合う音などで、坂を上り下りしているとかカー
ブを通過していることなどもわかるようになる。
⑤子供も高学年になってくると、もしかすると自分は車を運転したり自転車やバイクに一人で乗ることはできないということ、そして一人で遠くへ行くには鉄道が一番の交通機関であることに気付き、それが鉄道への愛着につながるのかもしれない。
というような理由があるのではとの考えを述べられていました。
当然ながら視覚に障害のある子供がみんな鉄道に興味があるなどということはなく、車や飛行機など他の交通手段の方が好きという子供もそれなりの数いることでしょう。
でも私は、それを踏まえても上記の鉄道好きになる理由には「なるほど」と思わせる部分が多い気がします。
私自身は生まれつき視力は低かったものの40歳台初めまでは日常生活に支障のないレベルの見え方だったので上記①~⑤のようなきっかけで鉄道好きになったわけではありませんでしたが、メーリングリストには同じようなきっかけで鉄道好きになった経験を持つ人からの投稿もいくつかあり、「視覚障害のある子供には鉄道好きも多い」というのも、あながちこじつけと言い切れないかもしれませんね。
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久々の関東脱出乗り鉄 その4 [鉄活動レポート]

こんにちは、gonanaです。
5月5日の久々の関東脱出乗り鉄のレポート、今回も続きます。

静岡駅から乗車した身延線特急「ふじかわ5号」で到着した甲府駅は、静岡駅ほどではないかもしれませんがUターンラッシュなのか多くの人が構内を行き交っていました。
甲府駅では改札を出ずに次に乗る列車の発射ホームへ移動します。
ここから乗車するのは、甲府14:30発の特急「かいじ32号」。実は、中央線特急に八王子以西の区間で乗るのは、2年前の正月に大月→横浜間で乗車した185系の「はまかいじ」を別にすると今回が初めてだったりします。

5分ほど遅れて交付を発車していった「あずさ30号」に続いて「かいじ32号」E353系が入線。
この日の中央線特急はほとんどの列車の指定券が満席だったようで、「かいじ32号」も御多分に漏れず満席。乗車した4号車にも始発の甲府から多くの乗客が乗り込んでいました。
ところで、私とガイドヘルパーさんが載る4号車は実は列車の先頭で、その前に連結されているべき1~3号車はもともと連結されていません。
E353系の編成は基本編成の4~12号車と付属編成の1~3号車とで構成され、多客時や多客区間では基本+付属の12両編成で運転することが可能になっています。
しかしこの日の「かいじ32号」に付属編成の増結はありませんでした。車両数等の都合というのもあるでしょうが、特急利用客の多い時期であることを考えると増結なしは少々問題があるのかもしれません。

「あずさ30号」や先行の塩山行不通列車は少々遅れて甲府駅を発車していきましたが、「かいじ32号」はほぼ定刻に発車。
やはり車内放送でも本日は満席である旨が繰り返し案内されていました。
E353系に乗車するのは初めてでしたが、特に大月ー八王子間ではE351系ほどではないのでしょうがかなりの高速で飛ばし、乗っていても結構爽快な気分になってきます。
大月駅からも多くの乗客が乗り込んだようで、車内も少しだけ会話が聞こえたり人の動きが感じられたりしていました。

「かいじ32号」は15:42に立川駅に到着。ここで私とヘルパーさんは下車して中央線快速に乗り継いで国分寺駅へ。
あとは西武線に乗り換えて自宅への帰路につきました。

こうして久々の関東脱出乗り鉄旅は無事終了となりました。
日帰りとはいえこうして乗り鉄旅に出かけると、やはり日々のいろいろなストレスが少しずつでも軽減されていくのを感じました。
また、中央西線から東海道線静岡地区への転属のニュースを知って以来乗りたかった313系8000番台に乗れたり、これも久しぶりに食べた駅弁が満足のいく味だったことで、なかなか目新しい経験のできなかった最近にあってとても楽しい一日になりました。
今後の諸々の状況にもよりますが、これを機会に今後はいろいろな場所へ積極的に足を向けていきたいところです。
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