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浪人時代の「鉄」活動 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
私は1990年春、現役での大学受験に全敗し、1年間の浪人生活に入りました。
受験期に入った高校3年生になった後も、「気分転換」と称して時々関東近辺の鉄道に乗りに行ったりすることもありましたが、浪人生になってしまってはふらふらと「鉄」活動に出かけるなどということもしにくくなりました。
でも物心ついた時からの鉄道好きである私にとって、1年間とはいえ鉄道趣味を封印することもできず、毎月買っている鉄道雑誌は浪人中も変わらず読んでいましたし、予備校へ通う際に乗る電車でもついつい乗車した車両の番号をチェックしてしまったりと、静かな「鉄」活動を続けていました。
そして、そんな中でもたまには鉄道好きとしての血が騒ぎ(?)、ちょっとだけ乗り鉄らしきものなどをする機会もありました。
そこで、そんな浪人中のプチ「鉄」活動の思い出をいくつか書いていきたいと思います。
まず今回は、1990年6月に引退した、西武多摩湖線の351系電車のお別れ乗車をした時の思い出です。

西武351系電車は、1954年に西武鉄道としては戦後初の本格的な新車として登場した車両で、後に多くの西武鉄道の電車を製造していくことになる「西武所沢工場」で製造された初めての新車でもあります。
製造時は(初代の)501系という形式で、後にこのうち4両編成両端のモハ501形が編成の組み変えや2度にわたる形式・車両番号の変更を経て351系という形式になったものでした。
351系は後に西武電車の主流となった20m車体の車両よりも小型の17m車だったこともあり1970年代半ばごろからは徐々に池袋線や新宿線の本線部からは撤退していき支線での運転が多くなり、やがてはほとんどの車両が廃車されて地方私鉄へと譲渡されていきました。
ただそんな中で、多摩湖線の国分寺ー萩山間には同線の専用車両として3両編成3本が残っていました。その理由は、国分寺駅の多摩湖線ホームが、その立地条件から17m車3両編成分の長さしかなく、20m車だと2両編成しか入線できないので3両編成の組める351系にとっては格好の働き場所となっていたわけです。
そのようなわけで、西武の他の路線から「赤電」と呼ばれる旧世代の吊り掛けモーターの車両がすべて姿を消した後も351系は生き残り、平成時代になっても吊り掛けモーターの音を響かせて活躍していました。
しかし、国分寺駅付近の区画整理に伴って多摩湖線ホームの長さが延長されることになったため、長年活躍してきた351系もついに引退することになりました。

西武線沿線民の私としては、地元ではないものの思い立ったらすぐに行ける場所を走る車両の引退となれば俄然お別れ乗車をしたくなってきます。
幸いというか、私が通っていた中央線沿線の某予備校へは地元駅から東村山駅へ向かい、そこから国分寺線で国分寺駅に出て中央線に乗り換えるというルートで通っていたので、国分寺駅までのルートを少し変えるだけできちんと予備校へは通いつつお別れ乗車もするという一挙両得を狙えるというある意味浪人生ならでは?の乗り鉄を敢行することにしました。

多摩湖線からの西武351系の引退は1990年6月23日ということになり、その一週間前から3編成の351系には各編成で異なるお別れヘッドマークが掲出されて運用についていました。
ヘッドマークが付くようになって初めての平日の6月18日月曜日、私はいつものように予備校へ向かうために自宅を出発し、最寄駅から電車に乗り東村山へ。ここで国分寺戦に乗り換え…ずにそのまま小平駅まで乗車し、さらに拝島線に乗り換えて多摩湖セントの乗換駅萩山駅に到着しました。
到着したホームの反対側には、目的の351系が停まっていました。
1990年の時点でも懐かしさを感じさせるラズベリーレッドとベージュのツートンカラーの「赤電」色のボディーは美しく、とても車齢36年を経過しているとは思えませんでした。
発車時刻が近づいていたのでどんなヘッドマークが掲出されているかチェックするのは国分寺到着後にして車内に入ると、ここも101系以降の形式のものとは異なるピンク色基調の壁面と座席が子供の頃乗った「赤電」を思い出させてくれました。
そして発車時刻がきて、351系が萩山駅を発車すると、これまた懐かしい吊り掛けモーターの音を久しぶりに聞くことができました。
多摩湖線は駅間も短くスピードも遅いので、かつての池袋線や新宿線で走る「赤電」のような急行や準急運転時の高速運転は味わえませんが、それでも目を閉じてモーター音を聞いていると、やはりそれだけで子供の頃にタイムスリップしたような気分になることができました。
萩山駅からわずか6~7分ほどで早くも終点の国分寺駅に到着。中央線ホームへ向かう前に乗車した編成に掲出されたヘッドマークをチェックしました。
残念ながらこのヘッドマークの図柄がどんなものだったのかどうしても思い出せず、写真の撮影も受験期に入って中断したまま復活していなかったので残っていませんが、やはりヘッドマークが付いていると鉄道ファンだけでない乗客の目にも止まるようで、多くの人が351系の前面を眺めて(鉄道ファン以外は「写真や動画を撮って」にならないところが当時らしいですが)いました。

結局、6月23日の多摩湖線での最終運転までの間に何回か乗車し、確か3編成すべてにお別れ乗車をすることができたと記憶しています。
定期運用を終えた351系はさよなら運転翌日の24日、玉川上水駅近くの留置線(現在の玉川上水車両基地)で3編成揃っての撮影会イベントが行われたそうで、今だったらもちろん私も参戦するところですが、予備校のない日曜日とはいえさすがに出かけるのもためらわれ、ひとまず最後に残った3編成すべてに乗れたということでお別れは果たしたと思うことにしました。

これで西武351系とは本当にお別れだと思っていましたが、後にこの3編成のうちの先頭車1両(クモハ355)が外観を製造当初の「モハ505」当時の姿に戻した状態で保存されているのを何度か見ることになりました。
そのうち2回は車内に入ることもでき、引退した1990年6月時点の仲つり広告がそのまま残った車内で懐かしい気分に浸ったものでした。

浪人時代の「鉄」活動の思い出、次回も続きます。
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