浪人時代の「鉄」活動 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
私が浪人生生活を送っていた1990年春から1991年春にかけての「鉄」活動の思い出、ひとまず今回で一区切りです。
その1でも書いた通り、私が浪人中に通っていた予備校は中央線沿線にありました。
当時の中央線(特快・快速)は国鉄型の201系の天下で、私も平日はほぼ毎日201系に乗って予備校へ向かっていました。
また、同じ線路を走る中央線特急「あずさ」「かいじ」もやはり国鉄型である183系で、「あずさ」用のグレードアップ編成が白ベースの新塗装に変わっている他は国鉄色の車両が普通に定期列車に使用されているという状況でした。
そんな中でも、時にはこれらとは一味違う車両を見かけることもあり、単調な予備校への往復の中の数少ない楽しみになっていました。
一つは、中央本線大槻・甲府方面への普通列車に使用されていたスカ色の115系。
現在でこそ立川以東へ乗り入れなくなった中央東線甲府方面への普通列車ですが、1990年当時は一日にわずか数本とはいえまだ新宿駅発着の列車が残っていて、日中にも上下合わせて2~3本程度スカ色の115系が新宿まで顔を出していました。
予備校では曜日ごとの時間割の関係で曜日ごとに通学時間が異なり、曜日によってはその115系普通列車を駅や乗車中の電車内から見ることができました。
オレンジ色の201系が目立つ中央線国電区間ではスカ色の115系は目立つ存在でしたし、同時にたまに予備校をさぼって予備校とは逆方向のやまなし方面へ乗り鉄したくなる誘惑が頭をもたげてきたりもしていました。
また、中央線には山梨・長野方面への団体臨時列車が設定されることも多く、それに使用される三鷹電車区や松本運転所、田町電車区や幕張電車区などの165・167・169系といった急行形電車や、三鷹電車区の「パノラマエクスプレスアルプス」、幕張電車区のお座敷電車「なのはな」などのジョイフルトレインと遭遇することもありました。
特にジョイフルトレインを見かけると浪人生とはいえ心は少しばかり浮き立ちますが、一方で列車の中で盛り上がっている団体客の姿をホームから見てしまうと、何とも言えないうらやましさや少々の嫉妬がこみ上げてきて複雑な心境にもなったものでした。
こうして振り返ってみると、浪人中でも遠出はできないにしても、まあそれなりには鉄道好きとしての楽しみはあったということになるんでしょうか。
いずれにしても、自分の好きなことを我慢せずにいたおかげで、浪人中でもあまりストレスに押しつぶされることなくどうにか1年間やってこれたのは事実で、その意味では鉄道趣味が私の人生にいい影響を与えたといってもいいのかもしれません。
私が浪人生生活を送っていた1990年春から1991年春にかけての「鉄」活動の思い出、ひとまず今回で一区切りです。
その1でも書いた通り、私が浪人中に通っていた予備校は中央線沿線にありました。
当時の中央線(特快・快速)は国鉄型の201系の天下で、私も平日はほぼ毎日201系に乗って予備校へ向かっていました。
また、同じ線路を走る中央線特急「あずさ」「かいじ」もやはり国鉄型である183系で、「あずさ」用のグレードアップ編成が白ベースの新塗装に変わっている他は国鉄色の車両が普通に定期列車に使用されているという状況でした。
そんな中でも、時にはこれらとは一味違う車両を見かけることもあり、単調な予備校への往復の中の数少ない楽しみになっていました。
一つは、中央本線大槻・甲府方面への普通列車に使用されていたスカ色の115系。
現在でこそ立川以東へ乗り入れなくなった中央東線甲府方面への普通列車ですが、1990年当時は一日にわずか数本とはいえまだ新宿駅発着の列車が残っていて、日中にも上下合わせて2~3本程度スカ色の115系が新宿まで顔を出していました。
予備校では曜日ごとの時間割の関係で曜日ごとに通学時間が異なり、曜日によってはその115系普通列車を駅や乗車中の電車内から見ることができました。
オレンジ色の201系が目立つ中央線国電区間ではスカ色の115系は目立つ存在でしたし、同時にたまに予備校をさぼって予備校とは逆方向のやまなし方面へ乗り鉄したくなる誘惑が頭をもたげてきたりもしていました。
また、中央線には山梨・長野方面への団体臨時列車が設定されることも多く、それに使用される三鷹電車区や松本運転所、田町電車区や幕張電車区などの165・167・169系といった急行形電車や、三鷹電車区の「パノラマエクスプレスアルプス」、幕張電車区のお座敷電車「なのはな」などのジョイフルトレインと遭遇することもありました。
特にジョイフルトレインを見かけると浪人生とはいえ心は少しばかり浮き立ちますが、一方で列車の中で盛り上がっている団体客の姿をホームから見てしまうと、何とも言えないうらやましさや少々の嫉妬がこみ上げてきて複雑な心境にもなったものでした。
こうして振り返ってみると、浪人中でも遠出はできないにしても、まあそれなりには鉄道好きとしての楽しみはあったということになるんでしょうか。
いずれにしても、自分の好きなことを我慢せずにいたおかげで、浪人中でもあまりストレスに押しつぶされることなくどうにか1年間やってこれたのは事実で、その意味では鉄道趣味が私の人生にいい影響を与えたといってもいいのかもしれません。