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長崎本線の「食パン電車」乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
あと2か月余り後の9月23日の西九州新幹線(武雄温泉ー長崎間)の開業に伴って、博多ー長崎間の特急「かもめ」廃止と博多ー肥前鹿島間の特急「かささぎ」新設、さらに肥前浜ー長崎間が電化区間から非電化区間へと変わるなど、運転体型が大きく変わる長崎本線の肥前山口(9/23からは江北駅に改称)-長崎間。
長崎本線といえば特急「かもめ」やかつての「さくら」「あかつき」などのブルートレインの印象が強いですが、当然この区間にも普通列車は走っているわけで、その長崎本線と途中の肥前山口駅から分岐する佐世保線の普通列車で活躍していたのが、寝台電車から改造された近郊型電車715系0番台でした。

715系0番台は、昭和50年代に入って寝台特急の削減や昼行特急の485系化などによって余剰になってきていた寝台・座席両用電車の581・583系をローカル輸送に適した近郊形仕様に改造して1983年に九州地区に登場した電車で、同様な経緯と改造内容で仙台地区に同じ715系1000番台、北陸地区に419系がほぼ同じ時期に登場しました。
主な改造内容としては、車内では3段寝台の上段・中段を使用できないように折りたたんで格納した状態で封鎖し、下段を座席状態に変更、各車1カ所ずつだった乗降ドアを2カ所に増やし、洗面所を使用停止にしたり一部車両のトイレを閉鎖したりといったものでした。
そしてこの電車の印象を強いものにしていたのが、独特の前面形状を持つ先頭車でした。
もともと12~13両という長編成で運転することを前提に製造された581・583系を4両編成のローカル電車として運用するにあたっては運転室付きの車両が不足することになり、もともと運転室付き車だった車両に加えて中間車に運転室取り付け改造を施した車両が登場することになりました。
この運転室取り付けを行った車両は、塗装以外はほぼ特急形時代と同じ前面形状だったもともとの先頭車と異なり、流線形だったり傾斜がついたりしていない、通勤型電車のようなシンプルな前面形状のものとなりました。
改造種車の581・583系は3段寝台を車内に収めるために限度いっぱいまで車体の高さを高くしてあり、その車体形状は近郊形に改造した後もそのままだったため、改造で生まれた先頭車はその大きな車体断面が前面形状にも表れ、まるで食パンを包丁で切った時の断面のように見えることからこの715・419系は「食パン電車」などというあだ名で呼ばれることもありました。
さて、これらの寝台電車改造「食パン電車」は、いずれも私の住む関東からは離れた地域を走っているため、存在は知っていても乗る機会はなかなかありませんでしたが、このうちJR九州に引き継がれた715系0番台の引退が近づいているという話が鉄道雑誌に出ていたのをきっかけに、1997年の夏休みに鉄道旅で九州を訪れた折のある日、乗ってみることにしました。

その日は、前の晩宿泊していた博多駅近くのホテルを朝出発し、「かもめ」で9時過ぎに長崎駅に到着。
午前中は長崎電軌の路面電車を乗り歩きし、先日の記事でも話題にした眼鏡橋近くの喫茶店「きっちんせいじ」でトルコライスを食べて昼食としました。
この日は長崎駅近くのホテルに宿泊する予定でいましたが、実は前日まで午後はどのように行動するか決めていませんでした。
持参してきていた時刻表などをあれこれめくりながら考えた末、長崎駅を13時台(正確な時刻は忘れてしまいましたが)にに出る長崎本線肥前山口行き普通列車に715系が使われていることを知り、ちょうどいい時間帯と運転区間ということで乗りに行くことにしました。
まだ地上駅だった長崎駅に戻ってさっそく肥前山口行きの発車するホームへ行くとすでに715系が停車していました。
最も駅舎寄りに停車していた一方の先頭車クハ715形はもともと先頭車だった車両で、前面形状は塗装が変わり三角形の「特急シンボルマーク」がなくなっている他は特急型時代とあまり変化なさげに見えましたが、だからこそ白ベースに青帯の塗装に変わった姿は鉄道雑誌で見慣れていたとはいえ、やはりちょっと違和感がありました。

発車まで少し間があったのでついでに肥前山口寄り先頭車のクハ714形のところまでホームを歩いて向かいました。
このクハ714形は、中間車に運転室を取り付けて先頭車化した形式で、こちらもその前面形状は見慣れていたものの、いざ間近で見ると結構インパクトのあるものでした。
特急形時代のままの幅の狭い折り戸式の扉から乗り込んだ車内には、この車両が元寝台電車であったことを物語る痕跡がいろいろ色々見られました。
座席は扉付近がロングシート化されたほかは特急型時代の昼間の状態と同じボックスシートでした。
座席に座るとさすがは元寝台電車だけあって座り心地は最高で、幅も一般の車両のボックスシートより広いのでゆったりと座ることができました。
ただ、頭上に上・中段寝台を格納したカバーがそのまま残されているので何だか頭上がうっとうしく、また窓はサイズが小さく、開閉可能なように改造された窓は桟が視界の邪魔になるなどしているせいで、晴れている昼間なのに車内は暗く感じました。
さらに4両編成の車内を前から後ろまで歩いてみると、仕切り壁やその痕跡がいくつか残っていて客室が分割されている場所があったり、使用停止になった洗面台を撤去せずに板で覆っただけの場所や、複数あるうち1カ所を残してあとはそのまま使用停止にしただけのトイレなど、他ではなかなか見られない独特の車内の様子を見ることができました。
715系や419系がこのようにいろいろな意味で変わった電車になったのは、ひとえに国鉄末期の苦しい財政状況の中でできるだけ改造コストを抑えることが目的で、両形式はある意味末期の国鉄を象徴する車両とも言えます。

715系の肥前山口行は、(確か)定刻に長崎駅を発車。
途中の諫早駅あたりまでは各ボックスシートに1~2人くらい座っている感じの乗車率でしたが、そこから先は乗客も少なく、途中駅での乗降もほとんどなく車内はとても静か。
スピードの方は近郊形への改造にあたって足回りも近郊形仕様に改造されたためか比較的ゆったりとしていて、いかにも「鈍行列車」に乗っているという感じの舞ったりした空気が車内に流れていました。
有明海沿いを走る区間で車窓にくぎ付けになりながら、「かもめ」が通過する小駅にも止まりながらのんびりと走る715系には、何となく客車の鈍行で感じるようなゆったりした気分を感じることができました。

長崎駅を出てから2時間ほどで終点の肥前山口駅に到着。
改めてゆっくりホームから715系を眺めた後、「かもめ」で長崎駅へ戻りました。
九州へ鉄道旅に行った時に長崎本線に乗るときはほとんどの場合「かもめ」で移動することが多かったですが、のんびりと普通列車に揺られた後だと、普段よりも「かもめ」の速さを感じるという経験もすることになりました。

結局、JR九州の715系は私が乗車した翌年の1998年3月に引退しました。
改造後6~7年ほど使用して新車に置き換えることを想定して改造されたといわれる715・419系としては、その役倍の間稼働したのは想定外だったでしょう。(もっとも北陸地区で使われた419系はそれよりもさらに10年ほど長く使われましたが)
日々の運用では異例づくめの内容の改造車ゆえのいろいろな問題があり、あまり評判のいい車両ではなかったともいわれますが、個人的には座り心地のいい座席のせいもあって嫌いな車両ではなく、それなりに思い出深い車両です。
そして、これから大きく変化しようとしている長崎本線。
現状の姿のうちに乗りに行けるかどうかわかりませんが、久しぶりにいつかぜひ乗りに行きたいと思っています。
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