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40年以上前の京急の思い出 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
4か月ほど前、今も沿線に住んで利用している西武線の40年以上前の思い出をつづりましたが、今回からはさらにその前の生まれた直後は沿線に住み、その後も現在までずっとファンであり続けている京急(京浜急行)の、40年以上前の車両や列車の思い出を思いつくままに書いていきたいと思います。
なお記事中に出てくる車両の形式はすべてその当時(1970年代中頃から1980年代初頭ぐらいの時期)に京急線を走っていた車両のものであり、1000形や600形については現在活躍している車両とは異なりますのでその点ご了承ください。

このブログでもくどいくらいにたびたび書いてきたことですが、私が生まれてから3~4歳頃まで住み、その後も祖父母に会うために時折訪れていた家は京急本線の雑色駅から歩いて10分少々のところにありました。
当時雑色駅や駅近くの踏切で見ることのできる主な車両としては、当時の主力形式だった1000形、2扉セミクロスシート車の600形、4扉ロングシート車の700形、その700形の後継となる1978年末東上の新形式800形、それに都営地下鉄浅草線から乗り入れてくる都営地下鉄5000形でした。
正確に言えばこの他にも、戦前製の230形や戦後製の400・500形といった旧型車が支線運用などに使われていたほか、臨時列車で京成電鉄の車両が乗り入れてくることもあったようですが、私がこれらの車両を見かけることはほとんどありませんでした。
1000形は最速列車の快速特急(現在の快特)から都営地下鉄乗り入れの特急、さらには普通列車まで、支線の空港線や大師線を除くほぼ全線で見たり乗ったりすることができ、車両数も最多の356両が活躍していました。
ただそれだけに、特に幼い頃祖父にどこかへ連れて行ってもらうために京急に乗るときはたいていどこかで1000形に当たることになります。
1000形もマニアックな目で観察すれば、製造時期などによって細かな仕様の違いがいくつか見つかったようですが、まだ子供の私にはそのようなこともわからず、正直私にとってはやや見飽きた(乗り飽きた)車両という存在でした。
そんな1000形も、それから30年経過して引退が近づいてくると、一転して何度も狙って乗車や撮影をしに行ったりするようになったのですから勝手なものですが(笑)

そんな、ほんのちょっとホームで待っていればすぐにやってくる1000形の一方で、子供の私にとってちょっとした憧れの車両がセミクロスシート車の600形でした。
600形は当時、品川ー景品久里浜(現 京急久里浜)間を走る快速特急を中心に運用されていて、祖父に連れられて出かける時にはその600形の快速特急に乗れるかどうかがちょっとした楽しみでした。
しかし実際には、快速特急に乗れたとしても1000形に当たることが多く、600形に乗れたのは確か1~2回だけだったような記憶があります。
後になって知ったところによると、当時の600形は2扉セミクロスシート車という特性や性能上の問題からやや持て余され気味なところがあったようで、快速特急の全列車に運用するにも両数的に不足してしまうため、結果的に当時は1000形が快特に運用されるケースが多かったようです。
600形は京急での引退後6両が高松琴平電鉄に譲渡され、一部は予備的な存在ながら今も健在のようですが、前面形状の大改造と車内のオールロングシート化で京急時代の面影がかなり薄くなってしまったのは残念です。

次回も続きます。
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