SSブログ

40年以上前の京急の思い出 その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
前回に引き続き、私が幼少期から小学生だった頃の京急の車両や列車の思い出を振り返ります。

私の生まれ故郷でもあり、その後も祖父母の住んでいた家の最寄り駅でもあった雑色駅は、これまたこのブログで何度も書いた通り、今も昔も普通電車鹿停車しない駅です。
そのため、雑色駅から京急に乗ってどこかへ行くとなれば、まずは普通電車に乗り、途中で快速特急や特急に乗り換えるのが定番でした。
その普通電車でよく乗車したのは1000形と4扉車の700形でした。
これらの車両には当時これといって子供心に興味を惹かれる要素はあまりありませんでしたが、後年高松琴平電鉄に譲渡されたこの2形式に現地で乗車すると、車窓の風景などは異なるものの、子供の頃に両親や祖父母などと乗った時の思い出がよみがえってきて懐かしい気分になります。そんな普通電車用の新形式社として1978年末に800形が登場した時には、その斬新なスタイルを一目見てすぐに乗りたくなりました。
この頃にはすでに西武沿線に引っ越してはいましたが、祖父母の家に行くためにわりと頻繁に京急に乗る機会があったので、いつ乗れるかと楽しみにしていましたが、実際に800形が普通電車の運用に入るのは朝夕のラッシュ時が多かったようで、私が800形に初めて乗れたのは東上してから1年あまり経ってからでした。
それでもそれまで子供心にかっこよいと思えるようなデザインの車両が特にいなかった京急に登場した新車の印象は強く、1979年に800形が鉄道友の会のローレル賞を受賞した際に発売された記念のネクタイピンを祖父に買ってもらった時にはとても嬉しかったのを思い出します。

雑色の家のすぐ近くには、空港線と大師線という2本の支線があります。
まさにご近所といえるほどの距離の近さなので、幼少時にはもう乗った経験があってもよさそうなものですが、実際に私がこの2路線に初めて乗車したのは中学生になったあたりでした。
両線とも私の子供の頃は車両が戦前製の230形から戦後製の400形や500形(大師線はその後さらに700形へ)に変わっていた頃だったようです。
今でこそ相互直通各社の8両編成の列車が頻繁に行きかう幹線にのし上がった空港線も、あの頃は3両編成の旧型車が線内を終日折り返し運転しているだけの「都会のローカル線」の風情が漂う路線でした。
一応当時の終点だった羽田空港駅からは空港ターミナルまで連絡バスが出ていましたが、私が初めて空港線に乗った時にははっきりと旅行客と分かる人は車内で見かけず、羽田空港駅も日本を代表するような空港の近くにあるとは思えない、静かなローカル線の終点という雰囲気の駅でした。

40年以上前の京急の思い出、次回も続きます。
nice!(11)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。