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結局、おいしければ何でもいいんですけどね [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:理想の昼食って?

そういえば、「お昼ご飯にはどんなメニューが理想か」ということを考えたことって、これまでほとんどなかった気がします。
朝食なら、例えば和食ならご飯に味噌汁、焼き魚など、洋風ならパンにサラダ、はむえっぐかベーコンエッグ、コーヒーか紅茶あたりが理想の朝食とされるものの定番になりそうですが、では理想の昼食って何なんですかね。
個人的には、あまりボリューミー過ぎなくて軽く食べられるものなら何でもいいんですけどね。
パンやサンドイッチでもいいし、チャーハンや丼物などのご飯もの、ラーメンやそば・うどん、パスタなどの麺類など、好きな昼食メニューはいろいろあるけれど、ではどれが理想的なお昼ごはんといえるのか、と言われると少々難しいですね。
まあ、おいしくて食べることによって仕事や勉強の合間のリフレッシュになるようなものなら、それが「理想の昼食」になるんでしょうかね。
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冬に食べた焼きおにぎりはホッとする温かさだったなあ~ [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:こんなものが自販機で売られていると買いたくなるもの

いやあ、今や自販機で買うことのできないものを数えた方が早いのでは、と思うくらい、自販機で何でも買える気がしてしまう時代になりましたよね。
10年ぐらい前、バナナやりんごが買える自販機が登場したと聞いて驚いた記憶がありますが、今では駅弁に地方のお土産、ラーメンまで、とにかく何が自販機で売られていても驚かないくらいの状況です。

そんな中でも今でも見つけるとつい買いたくなるであろう自販機といえば、いわゆるホットスナックの自販機です。
ホットドッグにハンバーガー、フライドポテト、チキンナゲット、ミニたい焼き、焼きそば、たこ焼き、焼きおにぎりなど、揚げ物やちょっとジャンキーな食べ物が好きな者には嬉しかったし、何よりもできたてのような熱々の状態で出てくるのは特に冬はありがたかった思い出があります。(その代わりお金を入れてボタンを押してから出てくるまで少々待たされるのが玉に瑕だったけど)
このタイプの自販機は高速道路のサービスエリアやドライブインでも見かけたし、大きな公園の管理事務所?的な場所にある自販機の中にも見つけたことがあります。
それに鉄道の駅に設置されているものもあり、私が見かけただけでも天王寺駅や大分駅、西鉄の福岡(天神)駅などに設置されていました。
もちろん見かけた時には毎回ではないにせよ何かしら買っておいしく食べたのもよい思い出です。
聞くところによるとこのホットスナックの自販機、最近は食品を納入していた食品メーカーが撤退したらしく、姿を消していっているとかいないとか。
そういえば最近は私も自販機でホットスナックを買って食べるといったこととはご無沙汰です。
まあ、その自販機で売っているたいていのメニューは、コンビニやファストフードでも普通に買えるものでもあるので、あえて自販機で買うメリットというのもそれほどないということなんですかね。
でも、個人的にはこういうジャンキーな食べ物の自販機もそれなりに存在意義はある気がするので、どこかで残っていてほしいなと思いますね。
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どっちだろう? [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:自分は朝型人間? 夜型人間?

結論から言うと、「どちらとも言えない」ですね。
普段起きる時間もそれほど早いわけでもなく、かといって深夜2時や3時まで起きて何かやっているということもないので…
そういう意味では、私は朝方でも夜型でもない、「昼型」(そんな言葉はたぶんないと思うけど)人間ということになるんですかね。
若い頃は、どちらかといえば夜型人間だったのかなと思います。
学生時代に「定期テストや受験勉強は夜よりも朝にやった方がよい」と言われても朝早く起きて勉強をする気にはならず、それらはたいてい夜にまとめてやっていましたし、それがなくても(録画してあったものを含む)テレビを見たりラジオを聴いたりして遅くまで起きていることも多かったです。
まあ、さすがに遅いといっても2時や3時を過ぎても何かやっているということはかなりまれで、朝も遅くまで寝ているということがなかったので、生活時間のリズムが狂うということも特にありませんでした。
社会人になってからは、年齢のせいなのかそれとも通勤時間がやや長めなため自宅を出る時間が早いからか、以前ほど遅くまで起きているということも少なくなっていきました。
そして今は、在宅勤務のため朝も無理に早起きする必要がなくなり、一方で夜は若い頃よりも早く眠くなるようになり、結果以前よりベッドに入っている時間が長くなり、朝方でも夜型でもない生活時間が定着した感があります。
ただこれも年齢のせいなのか、中途半端な早朝に目が覚めてその後眠れなくなってしまうことが時々起こるようになりました。
それならそこで生まれた朝の時間を使って「朝活」でもすれば、という声も聞こえてきそうですが、何だか朝から勉強や作業をしようという気分にもなかなかならないんですよね…
今後はそういう時間の有効利用のしかたも考えていかないといけないかもですね。
タグ:朝型 夜型
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最初で最後になる? 「スカイレール」乗車の思い出 [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
このところ、JR各車を中心に、ローカル線、あるいは鉄道全体の今後のあり方をめぐる議論や動きが活発になっていますが、実は鉄道の仲間のこんな乗り物にも路線の存廃問題が持ち上がっているようで…
詳細は下記のリンク記事をどうぞ。

世界唯一の乗り物「スカイレール」廃止検討 広島のニュータウンの“鉄道” 薄れる優位性 | 乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/122709

広島市で運行「スカイレール」に廃止報道、残すなら住民管理方式か | マイナビニュース
https://news.mynavi.jp/article/20221113-skyrail/

「スカイレール」、おそらく全国的な知名度はかなり低いと思われる交通機関で、私自身その存在を忘れかけていましたが、まだ開業して24年にもかかわらずこのような形でニュースになろうとは…
過疎地のローカル線とはまた拝啓が異なりますが、大都市近郊のニュータウンの輸送を担う交通機関にも存廃問題が持ち上がるところに、人口減少などの今の社会のさまざまな問題が映し出されているような気がします。

ところで、私はこの「スカイレール」に、一度だけですが乗車経験があります。今回は、そのようなわけでもしかすると最初で最後になるかもしれない「スカイレール」乗車の思い出を振り返りたいと思います。

あれは2010年1月に広島方面へ鉄道旅に出かけた時のことです。
この鉄道旅の主な目的は、当時まだまだ広島都市圏で大活躍を見せていた103系や115系などの国鉄型電車の撮影・乗車と、やはり当時全機が健在で山陽本線上り貨物列車の広島貨物ターミナルー西条間の後部補器として活躍していたEF67形電気機関車の撮影でしたが、それらの合間に広島電鉄など他の路線の乗車や撮影もしました。
その一環で、当時まだ未乗車だった「スカイレール」にこの機会に乗っておこうと乗り鉄(?)に出かけることにしました。
鉄道旅の2日目、朝のうちに山陽本線西條駅でEF67などを撮影し、その後は呉線で103系に乗ったりしながら午前中を過ごし、昼過ぎに広島駅から115系の山陽線上り普通電車で「スカイレール」乗り換え駅の瀬野駅へ向かいました。
瀬野駅のJR改札を出て短い連絡通路を少し歩くと、スカイレールの始発駅「みどり口」駅があります。JR瀬野駅との距離はほんのわずかなのに駅名が異なるのには、スカイレールが完全にニュータウンの一部になっているという意味が込められているのでしょうか。
駅に到着したところで、さっそく終点のみどり中央駅までの乗車券を購入しました。2010年当時、スカイレールには運賃支払いに利用できるプリペイドカードやICカードのシステムがなかったので、券売機で紙の乗車券を購入。ちなみに2010年当時の運賃(全区間均一)は大人150円(2022年現在は170円)でした。
その紙の乗車券は、乗車口の自動改札機に投入するとそのまま回収され、降車駅では改札を通ることなく駅の外へ出られるようになっていました。
ホームへ上がると、間もなく次に出発するゴンドラがやってきました。
ホームにはガラス張りのフルスクリーンタイプのホームドアが設置されていて、安全度は高い反面、ホームからゴンドラを撮影したり眺めたりするのはかなり苦労します。
ゴンドラの塗装はブルー地に白のラインの入ったものや、ブルー地に黄色と緑のラインが入ったものがありました。
ゴンドラの内外には私が見た範囲ではナンバー標記らしきものは見当たらず、ゴンドラの形式や台数は不明です。
ゴンドラ内部には、前後の窓に背を向けた形でそれぞれ4人ずつが座れるシートがあり、外からの見た目だけでなく内部もロープウェイそっくりです。
また、スカイレールは1999年度の鉄道友の会「ローレル賞」を受賞していて、一部のゴンドラには受賞記念プレートが内部に掲出されているものもあります。(私がみどり口から乗ったゴンドラにも掲出されていました)
やがて、12~3人が乗ったところでゴンドラはみどり口駅を出発。
その後は、やはりロープウェイに乗っているような気分でゴンドラ内からの展望に釘付け。前後左右全方向の窓が大きいのと、当日の晴天のおかげもあり、下界の緑豊かな住宅地や造成中の宅地などを眺めながら高度を上げていきます。
少なくとも「よそ者」目線では、こうした風景を季節の移ろいも感じながら眺めつつ日々利用できるのはうらやましい気分にもなりました。

みどり口駅から約5分で終点のみどり中央駅に到着。
スカイレールは元が住宅地へのアクセス手段なだけに、終点まで来ても私のような「よそ者」が楽しめるような施設やお店があるわけでもないので、到着後すぐに逆方向のゴンドラに乗ってみどり口駅へとんぼ返りしました。
帰りのゴンドラは、恐らく私と同じようにスカイレールに乗りに来たと思われる男性との二人旅(?)になりました。
先ほどと同じように全方向のパノラマを楽しみながら乗っているうちに、急勾配を下る地点では同乗の男性と「下手な遊園地のアトラクションより面白いですよね」などと会話を交わす場面もありました。

そんなこんなで、あっという間に元のみどり口駅に到着し、スカイレールの乗車は終わりました。
個人的にはゴンドラからの眺望も素晴らしく、ニュータウンへのアクセスだけに使うのはもったいないような気もする魅力的な交通手段ですが、やはり様々な「想定外」がスカイレールを存亡の危機に向かわせてしまったのでしょうか。
もちろん今の段階では「廃止か?」という報道が出たというだけで何かしら具体的な動きがあるわけではないのでしょうが、今後のスカイレールの動向が気になります。
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こんなところで遭遇するとは [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:意外なところで家族や知り合いに会った話

この話は以前にも記事にしたことがありますが…
あれは今から15年近く前の話です。
ある日、都内やその周辺に買い物やら撮り鉄やらで出かけた後の帰り道のこと。
普段は自宅最寄駅から自宅まで徒歩で向かうところですが、その日は荷物が多かったのでタクシーを利用することにしました。
自宅最寄り駅にもタクシー乗り場はありますが、運が悪いと車に乗れるまでかなり待たされることもあるので、駅前に集まる台数も多くて捕まえやすい隣の駅から乗ることにしました。
駅前のタクシー乗り場に出て、何も考えずに一番手前に停まっている客待ち中の車に乗り込んだら…
「あれ?○○(私の苗字)君じゃない?」とドライバーにいきなり声をかけられてびっくり!
声をかけてきたドライバーの顔を見ると、運転席に座っているのは何と小学校5・6年の時の同級生のK!
Kとは小学生時代、決して仲のいい間柄ではなく、Kからはからかわれたりバカにされたりするなど、正直いい思い出のない人間でした。
でも、何の前触れもなくこんなところで突然出会ったからなのかどうか、そんな昔のことは全く気にせずに久しぶりの再会を喜びあいました。
それから自宅に着くまでの約10分ほど、お互いの近況や小学生の頃のことなど、いろいろな話で盛り上がりました。
自宅に着き、料金を払う時には、Kはお釣りと一緒に持っていたアメまでくれて、お互いまたどこかでゆっくり飲もうと約束しあって別れました。
その数か月後にもまたKの車に乗ることができ、この時も短い時間ながら楽しい時間を過ごせました。

あれから約15年、Kの車に再び乗る機会にはまだ恵まれていません。
彼は今でもタクシードライバーとして頑張っているんでしょうか?
それともまた別の人生を歩んでいるんでしょうか?
一緒に飲みに行く約束もまだ果たせていないので、いつかまた再開してあれこれ語り合ってみたいものです。
タグ:タクシー
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「水色の電車」の思い出 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
スカイブルー(水色)の塗装の国鉄型通勤型電車の思い出、その3です。
今回は関西地区の「水色の電車」の思い出です。

私が関西の「水色の電車」に初めて生で接したのは、1989年春の高校の修学旅行の時でした。
それまでにも東海道・山陽線普通電車の103・201系や阪和線の103系の存在はもちろん知っており、特に当時関東では見ることのできないスカイブルーの201系には何となく妙な憧れのようなものも感じる部分がありました。
そのため、修学旅行先の九州へ向かう途中の新幹線の車内から、京都駅構内に停車中のスカイブルーの201系を見た時には、「関西に来たんだ」という感慨がわいてきたものです。
そんな関西の「水色の電車」に初めて乗車したのは、大学生になって初めての関西への鉄道旅に出かけた1991年のGW。
最初に乗車したのは、京都駅から大阪駅までの東海道線普通電車。初めて本格的に関西にやって来たその日の夕方、京都駅から大阪駅へ向かおうと東海道線下りホームに行ったところ、ちょうど大阪方面への普通電車が発車を待っていました。
最初はこれには乗らず新快速で大阪へ向かうつもりでいましたが、止まっていたのが当時普通電車の主力だった201系ではなく当時すでに朝夕中心の運用になっていた103系だったので、たまには各駅停車で京阪間を移動するのもいいかな、と103系に乗ることにしました。
乗車した普通電車は、駅間距離の長さもあって、同じ103系でも関東の常磐快速線や武蔵野線でもなかなか味わえないような高速運転を味わうことができたのが印象的でした。
もちろんこの鉄道旅では憧れ(?)だったスカイブルーの201系にも乗る機会があり、これまた関東の同形式とはまた違う魅力を感じることができました。

関西の「水色の電車」といえば、阪和線の103系も忘れられません。

関西へ鉄道旅に行くたび、天王寺駅などで発着風景を眺めたり短い区間だけ乗車したことはありましたが、そのうちに長年大阪環状線で活躍していたクハ103形のトップナンバークハ103-1が阪和線に転属してからは、同車ともともと阪和線に配属されていたクハ103-2とが両端に連結された編成を朝から夕方まで追いかけて撮影や乗車をしたのも懐かしい思い出です。

そしてもう一つ、今もスカイブルーの103系が残る和田岬線(山陽本線支線)にも関西へ行く旅乗車しました。
同線は朝夕のみの運転で、乗客も通勤客か鉄道ファンがほとんどという路線で、運転距離も短くスピードも低いので、他の路線の103系とも違う独特の乗車経験のできる路線です。
今となってはスカイブルーの全面塗装を施す最後の通勤電車であるとともに、延命工事や先頭車化改造を施していない最後の現役103系という点でも貴重な存在になっています。
このたった1編成だけ残った和田岬線の103系も、いつまで活躍を続けられるか予断を許さない状況ではありますが、103系はその製造量数の割にきちんと保存されている車両が少ないので、できることなら何らかの形で1両でも保存されることになれば嬉しいですが。

スカイブルー色の国鉄型通勤形電車は、この他に仙台地区の仙石線、名古屋地区の中央西線でも活躍していましたが、私はこれらに生で出会ったり撮影した経験は残念ながらありません。
そして、今ではかつて「水色の電車」が活躍していた各路線でも、京浜東北線を除けば路線のイメージカラーとしてもスカイブルーは姿を消し、和田岬線の103系が姿を消すと水色の国鉄型通勤形電車も過去の存在になってしまうのは、個人的にはとても寂しいことです。
でも、私の記憶の中ではいつまでもスカイブルーの103系や201系は走り続けるでしょうし、私自身も「水色の電車」の思い出を大切にしていきたいと思います。
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「水色の電車」の思い出 その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
京浜東北線など、関東・関西の各線で活躍したスカイブルー(水色)の国鉄型通勤型電車の思い出、その2です。
今回は前回の京浜東北線に続き、京葉線で活躍した103・201系の思い出です。

1991年春、私は千葉市内の大学に入学し、埼玉県内某市から池袋・東京の両駅を経由しての通学が始まりました。
途中の東京駅から蘇我駅までは、通学定期で乗車できるルートが総武快速線+内・外房線経由と京葉線経由のどちらも可能になっていたため(現在の状況はわかりませんが)、その時の都合や気分によって利用するルートを使い分けていました。
当時の京葉線の快速・普通電車には、現在のE233系5000番台と同じ赤っぽいピンクの帯の205系とスカイブルーの103系が運用されていました。(他に武蔵野線から乗り入れてくる103・205系もあり)
103系と205系は運用が分かれていて、快速には205系、普通には103系が使用される列車が多かったようです。(早朝・深夜やラッシュ時は例外あり)
東京ー蘇我間を通しで乗車する時は快速に乗ることが多いので205系に乗る機会も多かったですが、一部区間だけ乗車するなどといった時には103系の普通に乗ることもそれなりにありました。
京葉線で運用されていた103系は、スカイブルーの車体色もあって個人的にかなり親しみを感じる存在でした。一方で、時期的に製造年の古い車両には延命のための更新工事を受けた車両が多く、車内の床や壁面、座席などが一新されてカラフルな色彩になっていたり、車体が再塗装されてきれいになっていたりといった変化も楽しめ、それまでそれほど強い興味を持って眺めていたというほどでもない103系などの国鉄型電車に対する見方が変わるきっかけにもなったような気がします。
先ほども書いたように103系は普通電車に使用されることが多かったですが、時にはダイヤ乱れなどによる運用変更で日中の快速に103系が入ることもあり、そんな時には京浜東北線ではあまり味わえない高速運転を楽しむことができました。特にノンストップ区間の長い新浦安ー海浜幕張間(私が通学で利用していた当時、南船橋駅は快速通過でした)では205系とは違う「必死に飛ばしている」かのような走りを味わうことができて楽しかったのを思い出します。

その京葉線の103系を置き換えるために中央・総武緩行線などから転入してきた201系でした。
これらの201系も塗装は103系のスカイブルーを引き継いだため、それまで関東では見ることのできなかったスカイブルー色の201系を日常的に見ることができるようになりました。
京葉線に201系が入り始めた頃にはすでに大学を卒業して数年が経っていましたが、大学時代から引き続きしていたおもちゃ図書館のボランティア活動に向かう時などに相変わらず京葉線を利用する機会は多かったので、201系に乗る機会もそこそこ多くありました。
その当時は以前のように快速と普通で使用形式を分けるといったこともなく、201系は快速にも普通にも運用されていました。
201系自体はもうすっかり乗りなれた車両でしたが、中央線や総武線では見られない臨海部の車窓風景を眺めながら乗るのはやはり新鮮でした。また何より個人的に201系のカラーバリエーションの中でも好きなスカイブルーの201系がいつでも見たり撮ったり乗ったりできる路線を走っているというのは、何となく嬉しかった思い出があります。

そんな京葉線の201系もE233系5000番台への置き換えが進み、2010年6月には最後の1編成が引退することとなりました。
引退が近づくと意識して201系に乗車したり撮影したりする機会も増え、お別れヘッドマークをつけての運転となってからは京葉線内のいろいろな駅で追っかけ撮影をしたこともありました。
中央快速線の201系のように営業運転最終列車に乗車するといったことはできなかったものの、関東では最後の「スカイブルー色の国鉄型通勤型電車」とのお別れをほぼ満足のいく形で迎えられたのはよい思い出です。

次回、関西の「水色の電車」の思い出です。
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「水色の電車」の思い出 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
このブログでも何度も書いている通り、私の最も古い記憶の中には、私がまだ3歳頃に住んでいた東京都大田区の家から最も近いところを走る国鉄線の一つである京浜東北線のスカイブルー色の電車の姿も残っています。
当時、京浜東北線に乗るのは通っていた大井町駅近くのスイミングスクールへ行く時など、国鉄より家に近い京急ではいきずらい場所へ出かける時が多かったようでした。
京浜東北線に乗っていると、複々線を並走したりすれ違ったりする東海道線や横須賀線などの列車を窓から見ることができ、それが今に続く鉄道好きの原点になっているのは間違いないですが、その当時の京浜東北線の電車自体に何か特別な思いでがあるかといえばそうでもありません。
ただ、ただ、まだ物心つくかどうかという時期に乗った電車ということで印象に強く残ったのか、その後成長する中でも京浜東北線をはじめとするスカイブルー(水色)の国鉄型通勤型電車には特に強い思い入れがあり、それがきっかけで水色という色自体も好きな色の一つになりました。
今回からはそんなスカイブルー色の電車にまつわる思い出を、103・201系といった国鉄型通勤型電車を中心に書いていきたいと思います。


私が子供の頃の京浜東北線は、まさにスカイブルー色の103系の全盛期。
ただ正確に言うと、私がまだ小学校に上がる前の時期には、同線に旧型電車の置き換えの過程で数編成だけ配置のあった103系より古い101系も運用されていて、もしかすると私もこのレアなスカイブルーの101系に乗ったことがあるかもしれません。もっとも、その頃の私に103系と101系の車体の微妙な違いなど見分けられるはずもなく、単に「電車」とかせいぜい「京浜東北線」という程度の認識しかしていなかったのでしょう。
1970年代後半の京浜東北線の103系は、ちょうど両先頭車が低運転台の初期型クハ103形やクモハ103から、ATC導入に備えた高運転台のクハ103形へと変わっっていったり、冷房車が少しずつ増えていったりという時期でしたが、それはあくまでも成長してから知ったことで、まだ電車にちょっとだけ興味を持った程度の幼い私にそのあたりのことは知る由もなく、せいぜい冷房車に乗れた時に母親が喜んでいたのをぼんやり記憶している程度です。
やがて私と家族が清瀬市、そして今の埼玉県某市へ引っ越してからは、京浜東北線に乗る機会は祖父母の家に行く際にたまに品川ー蒲田間に乗る程度に減りました。ただ大学生になってから、通学で山手線池袋ー東京間を上野駅経由で利用するようになると京浜東北線の電車を目にしたり、東京駅などで乗り逃した山手線を日中快速運転をしている京浜東北線で追いかけたりして、スカイブルーの103系にも再び時々乗るようになりました。
一時は800両を超える大所帯だった京浜東北線の103系も、209系に置き換えられて姿を消して20年以上が経ちます。今になって惜しいと思うのは、まだ京浜東北線の103系が減益だった当時は、103系はあまりにありふれた存在で、後年のように改造などでいろいろと車体内外に変化が生じているということも少なく、どの車両も同じに見えてあまり興味がわかなかったことで、写真を撮ったりしたこともほぼありませんでした。
スカイブルー色の103系には愛着がある、とか言いながら何だか矛盾する話ですが、もし過去に戻れるならもう一度京浜東北線の103系全盛の頃に戻ってみたい気分です。

次回は京葉線の103系・201系の思い出です。
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何か楽器ができたら、もしかして… [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:特異な楽器

結論から言えば、私に満足に演奏できる楽器はほぼありません。
もともと音楽的なセンスや能力がかなり足りないという何となくの自覚もあり、歌もそうですが、楽器はもっと苦手というか「できなくてもいいや」というようなあきらめの境地になっています。

幼稚園や小学校に入りたての頃に習ったカスタネットなら、まわりに合わせて何となく叩いていれば何とかなっていましたが、その後のピアニカやリコーダーなどになるともうそういうわけにもいかず、なかなかうまく弾けない・吹けない自分の現実を思い知る中でだんだんと音楽の授業そのものも苦手になっていきました。
音楽のテストでリコーダーを演奏する実技テストなどがあると、必ずといっていいほど居残りや別日に再テストを受けさせられる羽目になりましたし、案の定音楽の成績も芳しいものとは言えませんでした。
高校時代には音楽の授業でギターも習いましたが…、これもまるでお手上げでした。

私の高校生から大学生時代にかけてはちょうどバンドブームど真ん中の時期で、テレビでもラジオでも実にいろいろなバンドの音楽が聴けました。
それらの音楽を聴くたびに、楽器の弾ける人が本当にうらやましく感じたものです。
一つでもいいから何かしら得意な楽器があれば、自分でも誇りや自信になっただろうし、その後の人生も変わったかもしれないと考えると、自分にもっと音楽的な才能があれば…と悔やまれてなりません。
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あとはやる気と「先立つもの」なんだろうけど… [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:復活してほしいもの

齢50歳を過ぎた今となっては、私にとってなじみ深かったものの中にも今は失われてしまったり忘れ去られてしまったものもたくさんあり、それゆえ復活してほしいものとか再び脚光を浴びて欲しいものも数多くあります。
先日も記事にしたロッテのコーヒーガムは私が以前から復活を熱望していたものの一つだし、いろんな事情でもう昔のような形での復活は叶わなくてもどこか昔を思い出せるようなリバイバル商品や番組などは個人的にかなり嬉しいものです。
なので、似たようなテーマで記事を書くのももう何度目かというところですが、その中でも鉄道好きとして最も復活してほしいのは「夜行列車」、それも各社の超豪華列車のようなものでなく、普通に寝台券や指定券を購入すればいつでも誰でも乗車できる列車です。
まあこれも、もうくどいくらいこのブログで書いてますけどね。

私にとって、夜行列車は趣味の対象としてだけでなく、鉄道旅に出かける際には何度もお世話になった、私にとってもかなり馴染み深い存在です。

和の時代はまさに全国に張り巡らされていたブルートレインをはじめとする夜行れしゃのネットワークも、時代の流れや乗客のニーズに合わせた改善がなかなか進まないまま次々に廃止や縮小が進み、今や毎日運転の夜行列車は「サンライズ瀬戸・出雲」だけになるという寂しい状況になってしまっています。
「それでも夜の移動は高速バスがあるからいいし、飛行機や新幹線で目的地に前日のうちに言ってホテルにでも泊まる手もあるじゃないか」という意見もあるでしょう。
しかし、逆に言えば現在では夜のうちに公共交通機関で長距離を移動しようとすればほとんどの場合で高速バスしかなく、料金の高低や細かなサービスでの洗濯はできても、移動手段そのものの選択肢が相当に狭くなってしまったということでもあります。
この状況を良しとするか不便とするかは人それぞれだと思いますが、私はやはり主要都市間の移動に関しては夜行列車と高速バスを好みや懐具合に合わせて自由に選べる方が好ましいと思います。
夜行列車の衰退は、高速バスや飛行機との競争に敗れたのが大きな理由の一つではありますが、その他にもダイヤの改善や、時代に合わせた新しい設備やサービスを積極的に導入したり、高すぎる運賃・料金の制度を改めるなどの改善を行っていれば、今のような寂しい状況はおそらくなく、夜行列車もそれなりに高速バスやLCCと対等に渡り合えていたかもしれないと思うとやはり残念です。
とにかく、夜行列車という列車ジャンルがこのまま絶滅の道をたどる流れから脱して、新たな姿で復活する未来を期待してやみません。

ところで数日前に例によってネットをあれこれ見ていたら、こんな記事が出ているのを見つけました。

鉄オタの妄想ではない! 今こそ「夜行列車」を復活させるべき5つの経済的視点 | Merkmal(メルクマール)
https://merkmal-biz.jp/post/24627

記事のタイトルにもありますが、単なる鉄道好きの妄想や願望というだけでなく、こうして夜行列車復活の可能性を示してもらえると、個人的にはかなり心強いものがあります。
もしこの記事に書いてあるような考え方の下で夜行列車の利点が再認識される日が来るとしたら、鉄道を使った旅の楽しみもかなり広がるのではないでしょうか。
あとはJR各社や列車の通過する第三セクター鉄道各社などの「やる気」と、それを後押しする「先立つもの」が重要なんだけれど、これがなかなかに難しそうなんですよね…
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