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これはチャレンジしたい! [鉄道ニュース]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:取ってみたい資格・検定は?

いつか取ろうと思っているうちにだいぶ年月が経ってしまったのが漢字検定。
高校生の時2級に合格し、その後は大学受験やら浪人生活に入ったやらでその上の急へのチャレンジをしそびれたまま気がつけば30年以上の月日が経ってしまいました。
実は今回の記事のテーマにこのお題を選ぶまで、漢検2級を持っていることを半分忘れかけていたんですが、機会があれば30年以上越しの昇給にチャレンジしてもいいかな、って思います。
あとはやはりパソコン・IT系の視覚が何か欲しいところです。
今の仕事でもそういった資格を生かせる場はあるだろうし、今後何かの機会に履歴書を書くような状況になった時に、そこに書いてアピールになるような視覚の一つも取っておきたいという気持ちがあります。
こうしたパソコン・IT系の視覚の中には、私のような視覚障がい者も多くチャレンジしているものがあるので、機会を見つけてぜひ挑戦したいと思っています。

でも、今回このお題を選んだのは、こんな記事をネットニュースで見つけたのが理由です。

JR東日本、「鉄道マイスター検定」9月16日10時受付開始 - トラベル Watch
https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1440254.html

これは鉄道ファンとしてはぜひチャレンジしてみたいですね。
私は以前、何年か前に「○○検定」や「○○マイスター」などのようないろいろな検定がブームになった頃に登場した、「鉄道検定」や「時刻表検定」といった鉄道をテーマとした検定をぜひ今度受けようと思っているうちに、いつも出願期間を過ぎてしまったり試験日に都合が悪かったりして受験できず、そのうちに検定ブームも終息してこれらの検定もいつの間にか行われなくなってしまっていたので、いいリベンジの機会かもしれません。
この検定はWebでの受験だそうなので日程の縛りもなく、時間のある時にチャレンジできるので、これこそぜひ時間を作ってチャレンジしてみたいと思います。
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一生に一度はしてみたい旅 [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
例によって、ブログのネタ元になりそうな記事をネットで探していたら、乗り鉄好きには見逃せないこんな記事を見つけました。

「33年ぶり」ファンの話題に JR「最長片道切符」の終点駅が変更へ(西日本新聞 - Yahoo!ニュース)
https://news.yahoo.co.jp/articles/68b0bda52a5530351a9ce06dd41b7f7d18d7e66e


あと20日を切った西九州新幹線開業の影響が、こんなところにも表れるんですね。
それにしても、最長片道きっぷの終点駅の変化やその乗車距離が伸びることが乗り鉄好きな鉄道ファンの間で話題になるのは当然のこととしても、このことに新たに終点駅となる駅の所在地の自治体が公式の発表をするというのはこれまで聞いたことがありません。
しかも最長片道切符での到着者に対する歓迎イベントなども検討するというのだからなかなかすごいことになりそうです。
これには、乗り鉄や広く鉄道ファンの存在を地域の活性化につなげていこうという自治体の姿勢を感じることができ、鉄道ファンにとっても自分たちが地域創生に関われていることを実感できる点でなかなかよい取り組みだと思います。

最長片道切符の旅…
乗り鉄好きとしては、いつか時間とお金に余裕が出来たらぜひやってみたいという気持ちがずっとあります。
紀行作家の宮脇俊三氏による「最長片道切符の旅」や、レイルウェイライターの種村直樹氏による「さよなら国鉄 最長片道きっぷの旅」といった最長片道切符の旅の道中記を読んだり、2004年にNHK-BSで放送された俳優の関口知宏さんによる「列島縦断 鉄道12000キロの旅 ?最長片道切符でゆく42日?」を見たりしているうちに、一生に一度はこんな壮大な乗り鉄旅にチャレンジしてみたいという思いが強くなっていきました。

ちなみに、2022年9月23日からの最長片道切符の経路は、以下のようなものとされています。(JR各車の旅客運賃・料金に関する規則である「旅客営業規則」のJR各社間などの解釈の違いの影響で、これ以外のルートが成立する可能性もあるようです)

稚内(宗谷本線)新旭川(石北本線)網走(釧網本線)東釧路(根室本線)富良野(富良野線)旭川(函館本線)岩見沢(室蘭本線)沼ノ端(千歳線)白石(函館本線)新函館北斗(北海道新幹線)新青森(東北新幹線)盛岡(IGRいわて銀河鉄道)好摩(花輪線)大館(奥羽本線)川部(五能線)東能代(奥羽本線)秋田(羽越本線)坂町(米坂線)米沢(奥羽本線)横手(北上線)北上(東北新幹線)古川(陸羽東線)小牛田(石巻線)石巻(仙石線)仙台(東北新幹線)福島(東北本線)岩沼(常磐線)いわき(磐越東線)郡山(磐越西線)新津(信越本線)長岡(上越新幹線)新潟(越後線)柏崎(信越本線)宮内(上越線)越後川口(飯山線)飯山(北陸新幹線)上越妙高(北陸新幹線)糸魚川(大糸線)南小谷(大糸線)松本(篠ノ井線)篠ノ井(信越本線)長野(北陸新幹線)高崎(上越新幹線)越後湯沢(上越線)新前橋(両毛線)小山(東北本線)安積永盛(水郡線)水戸(常磐線)新松戸(武蔵野線)南浦和(東北本線)赤羽(赤羽線)池袋(山手線)田端(東北本線)秋葉原(総武本線)佐倉(成田線)松岸(総武本線)成東(東金線)大網(外房線)安房鴨川(内房線)蘇我(京葉線)東京(東北本線)神田(中央本線)代々木(山手線)新宿(中央本線)西国分寺(武蔵野線)武蔵浦和(東北本線)大宮(高崎線)倉賀野(八高線)拝島(青梅線)立川(南武線)武蔵小杉(東海道本線)品川(東海道本線)川崎(南武線)尻手(南武線)浜川崎(鶴見線)鶴見(東海道本線)横浜(根岸線)大船(東海道本線)国府津(御殿場線)沼津(東海道本線)富士(身延線)甲府(中央本線)八王子(横浜線)新横浜(東海道新幹線)小田原(東海道本線)熱海(東海道本線)三島(東海道新幹線)静岡(東海道本線)豊橋(飯田線)辰野(中央本線)岡谷(中央本線)塩尻(中央本線)金山(東海道本線)名古屋(関西本線)亀山(紀勢本線)新宮(紀勢本線)和歌山(和歌山線)高田(桜井線)奈良(関西本線)新今宮(大阪環状線)京橋(片町線)木津(関西本線)柘植(草津線)草津(東海道本線)山科(湖西線)近江塩津(北陸本線)米原(東海道本線)岐阜(高山本線)猪谷(高山本線)富山(北陸新幹線)金沢(北陸本線)敦賀(小浜線)東舞鶴(舞鶴線)綾部(山陰本線)京都(東海道本線)新大阪(山陽新幹線)西明石(山陽本線)神戸(東海道本線)尼崎(福知山線)福知山(山陰本線)鳥取(因美線)東津山(姫新線)姫路(山陽本線)岡山(津山線)津山(姫新線)新見(伯備線)倉敷(山陽本線)三原(呉線)海田市(山陽本線)広島(芸備線)備中神代(伯備線)伯耆大山(山陰本線)益田(山口線)新山口(山陽本線)宇部(宇部線)居能(小野田線)小野田(山陽本線)厚狭(美祢線)長門市(山陰本線)幡生(山陽本線)門司(鹿児島本線)西小倉(日豊本線)都城(吉都線)吉松(肥薩線)隼人(日豊本線)鹿児島(鹿児島本線)川内(九州新幹線)新八代(鹿児島本線)久留米(久大本線)夜明(日田彦山線)田川後藤寺(後藤寺線)新飯塚(筑豊本線)折尾(鹿児島本線)吉塚(篠栗線)桂川(筑豊本線)原田(鹿児島本線)博多(九州新幹線)新鳥栖(長崎本線)諫早(大村線)早岐(佐世保線)武雄温泉(西九州新幹線)新大村

ちなみに、前日までの最長片道切符のルートでは、早岐駅から最後に乗り継ぐ佐世保線を肥前山口駅まで乗車し、新鳥栖から諫早までの間に一度経由した肥前山口駅で経路がぶつかったところでゴールというものでした。
こうして書きだしていくだけでもいかに長くて複雑な経路の旅になるかが実感できますが、やはりこれぞ究極の乗り鉄旅という感じもします。
残念ながら今の私にはこの旅を実行するのはなかなか難しそうですが、乗り換え検索サイトなどを使った妄想旅にならいつでも出かけられるので、近いうちにでも最長片道切符の妄想旅の旅行記でも書いてみようかなと思っています。
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こんなゆる~い鉄道イベントもあるのね [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
今日も、ネットをいろいろあさっていて見つけたニュースからのネタです。

コロナが流行する前は、鉄道がメジャーな趣味として認知されるようになったこともあり各地で様々な鉄道関連のイベントが行われ、それが鉄道好きな人をさらに増やす効果もあったと思いますが、コロナ禍になってからというものそういったイベントもなかなか開催されなくなり、開催されても決して安いとはいい難い金額の有料・少人数のものか子供や家族連れ向けのものが多くなり、かつてのような思い立ったその日にでも気軽に出かけられる車両基地や工場の公開イベントなどはなかなか復活の兆しが見えていない印象があります。
でもそんな中、横浜でかなり敷居の低い鉄道イベントが行われているようです。
詳細は下記のリンク記事からどうぞ。

横浜に“てきと~”な鉄道テーマパーク爆誕!体験イベント「てきと~な鉄道展」に行ってみた (TOKYO HEADLINE)
https://www.tokyoheadline.com/640487/

いやあ~、イベントレポートを読んでいるだけで楽しい気分になってくるこのゆる~い世界観がいいですね。
しかも、日本の鉄道とはある意味対極の概念でもある「てきと~」というコンセプトの鉄道イベントなんて、おそらく他には例のないものでしょう。
本格的な鉄道の知識がなくてもふらっと立ち寄ることができ、それでいて鉄道の世界を「ゆる~く」知ったり体験することができるこのイベントは、これまで鉄道に特に関心のなかった人にもとっつきやすいイベントだと思います。
イベントの内容を読む限り年齢や「鉄分」の濃淡も関係ない、ある意味今の時流に合った鉄道イベントの形かもしれず、こういうイベントが鉄道に関心や親近感を持つ人の増加という形で鉄道界に貢献できるのだとすれば、「ゆる~くててきと~」という世界観もこれからの鉄道界には必要な概念になるかもしれませんね。
幸い会期もそこそこ長いので、ぜひ時間を見つけて私もこの「ゆる~くててきと~」な鉄道の世界を体験しに行きたいと思っています。
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こういう「夜行」なら、いろいろアイデアありそう [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
「サンライズ瀬戸・出雲」を除けば、定期旅客列車としては過去のものというイメージが強くなってしまっている夜行列車。
最近はローカル私鉄などで夜行列車の雰囲気を味わうことのできるイベント列車やツアー列車が運転されるケースもいくつかあり、そのうちに、乗客を乗せた列車が夜中に走るのはあくまでもイベントであって、それが毎日、それも日常の移動手段として存在していた時代があったことが信じられないという層も増えてくるのかもしれません。
さてそんな、ツアー列車としての「夜行列車」ですが、9月には私の地元に近い西武線と秩父鉄道でも走ることになりましたが、その内容が地元の乗り鉄好きとしてはかなり「乗ってみたい欲」を掻き立ててくれるものになっているようです。
詳細は下記のリンク記事からどうぞ。

史上初 西武→秩父鉄道乗り入れ「夜行」運行 ルート珍妙 いきなり豊島園へ!? (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/120873

うん、この行程はある意味「かつての座席夜行の再現」というこの手のツアーのコンセプトに一番ぴったり合っているかもしれません。
多くの夜行列車ツアーの場合、特定の路線の一部または全線を夜から朝まで何往復もして乗車時間を稼ぐ運行ダイヤになっていますが、このツアーでは同じ区間を走るのは最大でも往復1回ずつだけなので、同じ路線ばかり走っていて乗っていて飽きてくる、ということがほとんどなさそうなのがいいですね。
それに、練馬駅の折り返し線や所沢駅の側線といった、普通の営業列車では入ることのできない線路に入るなど、このツアーでしかできない乗り鉄体験ができるのも魅力的です。
長瀞駅での夜泣きそばの販売や西武秩父駅到着後の温泉施設入浴&朝食以外に駅停車中のイベントなどがあるのかは不明ですが、いずれにしても行程を追っているだけで乗りたくなってきます。
ツアーの参加費用も、やたらと高額化しつつある鉄道の有料イベントやツアーの中にあって、内容を考えたらかなりリーズナブルな料金設定といえるかもしれません。

こういった、複数の路線や短絡線、あるいは複数の鉄道会社間をまたいだルートでの夜行ツアー列車は、いろいろと走行ルートや途中のイベントなどのアイデアをつくることができ、かなり夢のある企画といえそうです。
現実には運転するまでのハードルが相当高いものも多いですが、想像や妄想の世界ではいくらでもアイデアや可能性を広げることができるのも魅力かもしれません。
この記事がアップされるのと同じ日にツアー参加の応募が開始されているはずですが、やっぱりこのツアーもあっという間に完売するんでしょうね…
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とりあえず一安心!また会いに行きたい! [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
少し前に、福井県の福井駅前停留所と越前武生駅(北陸新幹線敦賀開業とともに旧駅名の武生新駅に改称予定)の間を結ぶローカル私鉄福井鉄道福武線で、かつて同線の急行用車両として活躍した連接車200形に乗車したり撮影を楽しんだりした時の思い出について記しました。
(この時の記事は→https://gonana57.blog.ss-blog.jp/2022-05-03
さて、その記事でも記したように、私がその時主に乗車・撮影した200形は、3編成製造されたうち、昭和時代のカラーに塗装が復元された203編成でした。
この203編成は、福井鉄道に超低床車両F1000形「FUKURAM」(フクラム)が導入されたことに伴い2016年に運用から離脱したものの、沿線での保存を求める声もあったことから解体を免れ、福武線の北府駅に休車状態で留置されていましたが、その後203編成が正式に保存されたというような話も聞かず、上にリンクを掲載したブログ記事の最後でも「もし今も203編成が解体されずに残っているのなら、ぜひきれいに整備して再び多くの人が見ることのできる場所で保存してくれると嬉しいのですが」と記しました。

…と、それから1か月少々、最近、この203編成に新たな動きがあったという記事がネットに出ていました。
詳細は下記のリンク記事からどうぞ。

現存最後の車両「200形」6年ぶり自走 昭和、平成を走り抜け…福井鉄道、現役時代そのままの姿にファン歓喜(福井新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/21ffb2469d19f6e44ee8c492441b82169a806c49

いやあ、事実上の引退を迎えてから6年、解体されずに残っていてくれたことも嬉しい限りですが、これだけのブランクを経てもしっかりと構内走行を披露できるまでに維持されていたとは驚きです。
そもそもこの203編成が解体されずに残されていたのは、福井県越前市が進めていた「北府駅鉄道ミュージアム整備事業」で保存展示する計画だったためですが、こうした計画はえてして資金面などの問題で頓挫することがあり、6年間この計画について具体的な動きがあったという話を聞かなかったのも計画が中止になったからなのでは?などとも思ってしまったほどでした。
しかし今回、いよいよ来年春の公開に向けて車両の整備が始まるということで、まずは一安心といったところです。
補修工事が終わると、203編成は塗装も登場当時の配色に戻されるということ。私は200形の登場時の塗装がどんなものだったか知識がありませんが、とにもかくにも来年春には美しくよみがえった姿が見られるようになるわけで、保存展示が始まったら北陸新幹線延伸区間の乗車を兼ねてぜひ会いに行きたいところです。
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ついにこの時が来るとは… [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
ジョイフルトレインに改造された車両を除くとJRでは最後のキハ58系営業車として高山本線富山ー越中八尾間で最後の活躍を見せた後、千葉県のいすみ鉄道に活躍の場を移し、同じくJR西日本からやって来たキハ52 125とのコンビで観光休校やレストラン列車に活躍することほぼ10年、まさにいすみ鉄道の顔となってきたキハ28 2346が、今年11月で定期(的な)運用を修了し、来年2月には現役を引退するという衝撃的な発表がこのほどありました。
詳細は下記のリンク記事からどうぞ。

現役最後のキハ58系列、いすみ鉄道のキハ28形が引退へ - 鉄道コム
https://www.tetsudo.com/news/2677/

うーん、ついにこの時がやってきてしまったか…というのがこの記事を読んで初めに感じたことです。
老朽化した鉄道車両は車種に関係なく経年を増すごとに補修部品の調達が困難になり、しかも走行状態を維持するための各種定期検査に要する多額の費用が経営を大きく圧迫しているのはどこのローカル私鉄や第三セクター鉄道でも同じではありますが、高山本線時代にも一度、いすみ鉄道にやってきてからも数回乗車した馴染みのある車両が引退ということで、寂しさは拭えません。
そういえば、いすみ鉄道のキハ52+キハ28は、相変わらずの人気であるにもかかわらずコロナ禍に入ったか入らないかぐらいの時期のダイヤ改正で運用される列車が削減されました。その際会社側からは理由として、老朽化しているキハコンビの負担を減らして少しでも長く走らせるため、という説明があったような記憶があり、やはり奇跡の復活を遂げたいすみのキハコンビにも老朽化という現実は避けては通れないことを実感させられました。
しかしそれから3年程度で、まさかキハ28の引退が決まるとは思いませんでした。
来年以降は観光急行もキハ52単行での運転になりますが、老朽化による補修部品の調達難はキハ52とて同じことなので、そう遠くない将来にこちらも現役引退ということになってしまうのでしょうか。
ただそうなるといすみ鉄道としても、同社の知名度を全国区の存在に押し上げ、収入の上でも大きな貢献をしてくれたキハコンビの観光休校という目玉コンテンツを失うことは大きな損失になるはずで、このピンチをいすみ鉄道がどう乗り越えていくのか、キハ52入線を機に何度も乗車して好きになったファンの一人として大いに関心があります。
引退後のキハ28 2346がどうなるのか、現時点ではまだ決まっていないようです。これまでの同車の功績を考えると解体という結末には至らないと信じてはいますが、できれば現役時代そのままの姿で常時誰でもその姿を見られる状態で保存してほしいと思います。
いすみ鉄道の本社や車両基地もある大多喜駅構内なら、管理もしやすくイベントを開催することを考えても保存場所として最適かと思いますが。

いずれにしても、11月末の定期的な運用終了の前に、ぜひとも久しぶりにもう一度キハ28に乗りに行きたいものです。
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沿線民としては… [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
このブログで何度も書いている通り、45年以上にわたって沿線に住む私にとって一番身近な鉄道会社である西武鉄道。
その西武鉄道の電車のイメージとしても定着している「黄色い電車」にいよいよ終焉の時が視野に入って来たようです。
そしてその黄色い電車を置き換えるために導入される車両の内容がかなり衝撃というか驚きです。
詳しくは下記のリンク記事を参照してください。

西武「黄色い電車」に終了宣告 他社からの譲受で“無塗装車”増備へ 大手私鉄で異例 (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/118570

いやあ、長年の西武線沿線民であり鉄道ファンである私としても、この方針には相当な衝撃を受けました。
通常、鉄道会社間の車両の譲渡といえば、JRや大手私鉄・地下鉄から地方の中小私鉄や第三セクター鉄道、はたまた海外へ、というパターンがほとんどで、今回西武が打ち出したような大手私鉄が車両譲受を受けるというのはかなり珍しいケースです。
もちろん過去にそのような前例がなかったわけではなく、鉄道ファンの間で有名なところでは1975年と1980年に東急の目蒲線等で活躍していた旧型車3700系が同じ大手私鉄の名鉄へ譲渡されたケースがあるほか、西武自身も終戦直後には戦災や事故で破損・焼失した電車を大量に国鉄から払い下げを受け、整備して自社線内で再び走らせるということをしていた過去もあります。
他にも会社間のリースなども含めれば、大手私鉄が他社から車両の譲渡を受ける例は少ないとはいえ存在します。
ただ、西武はかつて、自社の「西武所沢工場」で多くの電車を製造し、西武線内だけでなく一部の中小私鉄向け車両の製造も行っていた時代を知っている者としては、その西武がまさか他社から車両を譲り受ける立場になる日が雇用とは想像すらしておらず、個人的にかなり複雑な心境です。

もちろん、乗客の立場からすれば新造車両だろうが他社からの譲渡された中古車両だろうが、車内外がきれいで安全に快適に乗れる電車であればどちらでもよいということになるのでしょう。
また西武鉄道も大手私鉄としてのプライドという意味からも、譲受車両に対しても中古車両というマイナスイメージを払拭するような大胆なリニューアルを施して自社線の営業運転に投入することも考えられます。
いずれにしても、今後どこの鉄道会社のどんな車両が、西武のどこの路線を走ることになるのか、これからかなり注目されます。
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「青ガエル」乗車の思い出 熊本電鉄編 [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
前回に引き続き、「青ガエル」こと元東急初代5000系に乗車した時の思い出です。

前回も書いた通り、私の「青ガエル」乗車経験は1982年か83年頃の一回だけに終わり、その「青ガエル」も1984年には最後まで残っていた目蒲線からの引退を持って古巣の東急の線路上から姿を消しました。
しかしこの「青ガエル」は軽量でサイズがローカル私鉄にとってちょうどいい車体のおかげもあって、多くの車両が各地のローカル私鉄に譲渡されて第二の車生(?)を送ることになりました。このたび総合車両製作所横浜事業所で復元の上で保存されることになった「青ガエル」の先頭車デハ5015号も、東急での引退後長野電鉄に譲渡されて活躍していた経歴の持ち主です。
そんな、各地のローカル私鉄で再度の活躍を始めた「青ガエル」たちも、私がやっと心おきなく長距離の鉄道旅に出られるようになった1990年代前半には新天地でもそろそろ引退の時期が近づきつつあり、結局のところ私が乗車することができたのは、熊本電鉄に譲渡された車両だけでした。この他、乗車中の別の列車からの「見る鉄」ができたのも長野県の松本電鉄(現 アルピコ交通)と静岡県の岳南鉄道(現 岳南電車)のものだけでした。
それでも、熊本電鉄では短い区間ながら2度にわたり乗車することができたので、今回はその時の思い出を簡単ですが振り返りたいと思います。
最初に熊本電鉄の青ガエルに乗ったのは、確か2000年の夏休み当たりの九州への鉄道旅の時だったと思います。
熊本市電の乗り歩きをした後、JRの上熊本駅のすぐ前にある熊本電鉄の上熊本駅へ向かうと、1面1線だけのホームに北熊本駅行の青ガエル(5100形)が停まっていました。塗装は上半分が水色、下半分が青、その間に白い縁取りのある赤帯が入った派手なものになっていました。
早速熊本電鉄の終点の御代志(みよし)駅までの乗車券を買い(一日乗車券を購入したのかも?)、やがて私も含め数人の乗客を乗せて発射。
車窓は10数年前に青ガエルに乗って眺めた目蒲線のものとはもちろん異なり、単線の成果家並みなどの間をすり抜けて走るように感じた区間が多かった記憶があります。
スピードも目蒲線で乗った時よりゆっくりした走りでしたが、やはり線路状態の差か、揺れは結構激しく吊り革が派手に揺れていたのを覚えています。
青ガエルの車内はワンマン運転用の運賃箱などが設置されてはいるものの、それ以外は東急時代と大きな変化はないようで、地方私鉄へ譲渡された元東急車両の「あるある」ともいえる「東急百貨店」などの広告ステッカーが貼られたままの吊り革も見ることができました。
ただ、座席モケットが一部破れたのかガムテープで補修されているのが痛々しく、熊本の青ガエルの余命もそう長くはないことを予感させられました。
上熊本から7~8分ほどで車庫のある北熊本駅に到着。
乗ってきた電車は北熊本折り返しなので、乗り換え時間の間にもう一度じっくり青ガエルを眺めて藤崎宮前駅から来る御代志行に乗り換えました。

そしてそれからしばらく経った2007年の夏休みにやはり九州へ行った際に再び熊本電鉄に乗りに行きました。
この当時の熊本電鉄の青ガエルは、6両転入したうちの2両がまだ健在で、しかも塗装は東急時代の緑一色に戻されていました。
7年ぶりに乗った青ガエルは塗装もきれいで車内もきれいに整備されていてまだまだ現役で頑張っていることを主張するかのようでした。
この時は上熊本ー北熊本間を往復乗車し、上熊本・北熊本両駅での停車時間には前回できなかった写真の撮影をたっぷりとすることができ、熊本電鉄の青ガエルのよい記録を残すことができました。
私がこの時乗車した5101A号車は、最終的に2016年2月まで現役を続け、各地の地方私鉄に移った青ガエルの中でも最も長生きした車両となり、引退後も北熊本の車庫で運転体験のイベントなどで構内走行することがあるようです。再び本線走行するのは難しそうですが、最後の動く「青ガエル」として末永く動態保存されてほしいものです。

生まれ故郷ともいえる旧東急車輛製造からの歴史を引き継いだ総合車両製作所横浜事業所で保存されることになった「青ガエル」。
メーカーの敷地内ということでなかなか一般の鉄道ファンが気軽に身に行ける場所ではありませんが、できれば同署でともに保存される2両の元東急車両(デハ5201・デハ7052)ともども車両内外をゆっくり見学したり撮影できたりするようなツアーイベントなどを開催してはどうかと思います。
とにもかくにも、私鉄の電車というよりも日本の鉄道車両史の中でも外すことのできない名車の一つである「青ガエル」が美しく復元保存されるというのは大きな意義のあることだと思います。
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「青ガエル」乗車の思い出 東急編 [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
1954年(昭和29年)に当時最先端の鉄道車両技術を駆使してデビューし、独特の下膨れの車体形状と2枚窓の前面形状、そして緑一色の車体塗装から「青ガエル」のニックネームで親しまれた東急初代5000系(以下、地方私鉄に譲渡されたものも含めて「青ガエル」と記します)の先頭車デハ5015号が、このほど保存展示されていた長野県内から同形式のメーカーでもある旧東急車輛製造を引き継いだ総合車両製作所横浜事業所に移り、東急時代の姿に復元されて保存されるということです。
詳細は下記のリンクからどうぞ。

「青ガエル」が長野から関東に里帰り…総合車両製作所が復原・保存へ 元東急初代5000系 (レスポンス(Response.jp))
https://response.jp/article/2022/04/20/356494.html

 
このニュースを知った私の感想は「やっと東急(とつながりのある会社)が青ガエルをフルサイズのきちんとした形で保存するのか」というもので、東急沿線民ではないものの青ガエルの姿には親しみを持っている者としてはうれしい限りです。
というのは、かつて東急での引退後長野県の上田交通(現 上田電鉄)で活躍していた同じアオガエルのデハ5001号が、同じく上田交通に譲渡されていた5200系のデハ5201号(この車両についてはリンク記事に写真があります)とともに保存を目的に東急に里帰りしたものの、同車はその後運転室部分だけのカットボディーとなって渋谷駅前に置かれると聞いて非常に残念に感じた過去があるからです。(デハ5001のカットボディーはその後秋田県大館市へ移り美しく整備された姿になったのは幸いですが)
それだけに今回、青ガエルの生まれ故郷でもある旧東急車輛製造の構内という場所で復元保存されるというのは大きな意義のあることだと思います。

さてその「青ガエル」、私の中では歴代の東急の車両の中でも1、2を争うくらい好きな車両ですが、後年の地方私鉄各社への譲渡車も含めて乗車経験は決して多いとは言えません。
もともと東急各線にはそれほど馴染みのない生活を送っていたのと、地方私鉄への譲渡者についても、それらの路線に乗りに行こうと思えば可能な環境に私がなった時にはそちらでも引退の時期に入ったりといったこともあり、身近で青ガエルに触れるチャンスは少なかったです。
それでも、東急時代と熊本電鉄で少しだけですが青ガエルの乗車経験があるので、この機会にその時の思い出を簡単に記しておきたいと思います。
まず今回は、東急時代の乗車の思い出です。
私が東急時代の「青ガエル」に初めて乗ったのは、小学4~5年だった1982~83年頃だったと思います。
この頃の「青ガエル」の東急での状況は、登場以来の活躍の場だった東横線からは撤退し、大井町線からも撤退したか撤退間近という状況で、目蒲線(現在の目黒線・東急多摩川線)が主な活躍の場になっていました。
以前にも書いたことがありますが、その頃の私は一人で電車に乗って祖父母の家へ行ったりするようになっていました。
その際には、自宅から西武線と山手線を乗り継いで品川駅まで行き、そこから京急か京浜東北線に乗り換えて祖父母の家に近い京急の雑色駅か国電の蒲田駅へ向かうのが定番でした。
しかし、時には山手線を目黒や五反田で降り、そこから東急目蒲線や池上線に乗り換えて蒲田へ向かうルートを選ぶこともありました。
初めて目蒲線を利用して蒲田へ行った時には旧型の3000系に乗車しましたが、しばらく後に再び目蒲線を利用した時に乗車したのが青ガエルでした。
私はそれまでにも絵本や鉄道雑誌で青ガエルの姿はよく見ていて一度乗ってみたいと思っていたので、地上駅だった目黒駅に入線してくる姿を初めて生で見た時には乗ってみたかった車両に乗れるのはうれしいものでした。
初めて生で見る青ガエルの印象は、やはり他の鉄道車両とは違うその外観で、大きな前面や側面の窓と側面窓下の2本のリブ(補強のため外板につけられた筋)が印象に残りました。
そして車内に入ると、車内の断面が視覚ではなくやや上の方へすぼまり気味になっていることや、車体の裾が丸まっているため車内のドアや壁も丸く下の方へカーブしているのが他の電車にないインパクトある光景でした。
やがて青ガエルは目黒駅を発車して蒲田駅へ向かって走り出しました。
目蒲線は駅間距離も短く、スピードも速くないので東横線で急行運用についていた時のような高速運転は味わえませんでしたが、吊り掛けモーターの音が響くデハ3450形などと比べると走行音も静かに感じ、座席もそれらの形式より座り心地がよく感じたのを覚えています。

結局、私が東急線内で青ガエルに乗車できたのはこの一回だけで、その1~2年後の1984年に青ガエルは東急の線路上から姿を消すことになります。
もっと早く生まれていたら、東横線急行や田園都市線で活躍する青ガエルに乗れたかもしれないと思うと残念ですが、末期の姿とは言え東急時代の青ガエルに接することができたのはよい思い出になったと思います。

次回はそれから10数年後の熊本電鉄での青ガエル乗車の思い出です。
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なんだかんだあって… [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:卒業旅行の思い出

卒業旅行…、実は行ったことがありません。
小中学校の時はまだ卒業旅行に行くという発想自体が私にも親にもなく、おそらくは日帰りでどこかへ遊びに出かけた程度だったと思います。
高校卒業の時は、現役での大学受験に失敗して一浪が確定し、卒業旅行なんぞに行ける状況ではありませんでした。
そして大学卒業の時には、三度目の正直ではありませんがぜひ卒業旅行に出かけようと思っていました。
当初は九州に行こうと考えていましたが、卒業直前の1995年1月の阪神・淡路大震災の影響もあって断念。
そして私自身もなかなか就職先が決まらず、3月末ぎりぎりでやっと進路が決まるという状況で、結局卒業旅行というものを経験する機会に恵まれないまま社会人としてのスタートを迎えることになりました。
それでも、泊りがけではなくてもせめてどこかへ行こうと、入社式直前の慌ただしい中、日帰りで乗り鉄旅に出かけました。
行き先は伊豆修善寺にある観光施設「修善寺虹の郷」。
ここへ行った目的は、施設内を走る「ロムニー鉄道」に乗ること。
このロムニー鉄道は日本で唯一の15インチゲージの鉄道で、1990年頃の運転開始以来一度乗りに行きたいと思っていました。
(ロムニー鉄道についての詳細はこちら→https://www.nijinosato.com/park/romney-railway/
遠くへ出かけていろいろな列車に乗りまくるような旅ではないけれど、英国風の装いの列車にゆったり揺られたり、園内を散策するなどして束の間の「卒業乗り鉄」を楽しみました。

ところでこの「ロムニー鉄道」、今のところ乗車したのはこの時が唯一で、正直その存在も忘れかけてしまっていましたが、先日こんな記事がネットに出ているのを見つけて久しぶりに27年前に乗車した日のことを思い出しました。

ロムニー鉄道復活、5日に式典 修善寺虹の郷、全国から支援集まる|あなたの静岡新聞
https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1032516.html

そして、ロムニー鉄道は昨日、予定通り運転を再開したそうです。

修善寺のロムニー鉄道が7カ月ぶり運行再開 ファンの熱意で枕木交換 | 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20220305/k00/00m/040/162000c#main

ロムニー鉄道、こういう状況だったとは知りませんでした。
それでも、復活に向けてこれだけの額の支援が集まるということは、いかにロムニー鉄道が愛されているかということなんでしょうね。
これをいい機会に、ぜひ近いうちに久しぶりに乗りに行きたいものです。
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