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予備校の合宿 [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:合宿の思い出

振り返ってみると、私も学生時代は何回か合宿というものに参加しています。
高校の部活や大学のサークル・ゼミはよくある話ですが、その他にもスキー合宿や大学のオリエンテーション合宿などにも参加したことがあります。
大学のサークルでのスキー合宿については以前記事にしたことがありますし、その他の合宿の思い出も機会があれば書きたいと思っていますが、今回は浪人生時代の予備校の勉強合宿について書きたいと思います。

1990年、浪人生になった私は、中央線西荻窪駅前にある某予備校に通っていました。
そして、8月になると数日間(確か5泊6日?)ホテルや旅館に缶詰めにされて集中的に授業や過去問の演習などをする勉強合宿が行われ、私も参加することになりました。
日付は忘れましたが、合宿初日、朝東京駅前に集合してバスに乗り込み、福島県内のホテルの合宿会場へ向かいました。
この勉強合宿には日頃から予備校に通っている浪人生や高校生だけでなく、この合宿の開催を知って応募した人も結構いたようで、ホテルへ向かうバスは何と20台以上もの台数になったそうで、それらのバスが隊列を組んで走る様は圧巻だったことでしょう。
東京駅から5時間ほど(?)で会場のホテルに到着。部屋に荷物を置いたのもつかの間、さっそく合宿の日程が始まりました。
参加者がいくつかの宴会場や会議室に分かれ、そこで各教科の授業や過去問を使った問題演習、テキストや問題集を使った自習などを、朝は8時半頃から、昼休み(1時間)と夕食&入浴(2時間)を挟んで夜21時頃まで続く日々が続くことになります。
授業自体は普段から予備校で受けている者と大して変わりませんでしたが、私が授業などを受けていた部屋はなぜか冷房が効きすぎていて寒かったのがいまでも印象に残っています。
そんな日が続く中、日程の中ほどで昼休みから夕食までの午後の時間の授業が全くない自由時間が設けられた日がありました。
自由時間といったところでどこかに遊びに行けるわけでもなく、かといってみんなで外に出て体を動かしてリフレッシュしようというのでもなく、ただただ部屋でゴロゴロするぐらいしかやることのない時間でした。その日は日曜日だったのでテレビを見ても大して面白い番組もなく、せっかく勉強から解放される時間なのにあまりリフレッシュできませんでした。
そうこうしているうちに合宿最終日になり、午前中の授業と昼食の後、合宿の終了式が行われました。
予備校の校長の言葉に続き、参加者全員で乾杯をすることになりましたが、何とそこで数的には少ない20歳以上の参加者に配られたのはワインだったそうです。プラスチックのコップに少し入っているだけとはいえ、予備校の勉強合宿でアルコール類を飲む人がいるとはとびっくりしたのを覚えています。(私はまだ未成年だったのでオレンジジュースでしたが)
そんなこんなで乾杯と一本締めをして合宿の日程は終わり、行きと同じように大隊列を組むバスに乗って東京へ戻りました。
今になって考えると、この勉強合宿の成果がその後どのくらいあったのか全く分かりませんが、翌年には私も無事浪人生生活にピリオドを打てたので、まあそれなりに成果は上がったんでしょうか。
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偶然の超プチ花火見物 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:花火大会の思い出

そういえば私、「花火大会」というものにほとんど行ったことがないんですよね。
隅田川も神宮などの関東の大規模な花火大会も、長岡や大曲などの地方の有名な花火も、テレビの映像や写真などではちらっと見たことはあっても、実際に会場やその周辺で花火を見る機会はほとんどありませんでした。
もちろん、地元のお祭りや盆踊りなどで上がる花火は見たことがあるけれど、私の家族が大きな祭りやイベントにみんなで行く習慣があまりなく、かといって私個人でも一緒に花火を見に行くような相手がいないということもあり、花火大会の楽しさをリアルに感じる機会はなかなかありませんでした。
しかし、私が大学を出て社会人になると、大きな花火大会を絶好の環境で見られるチャンスがありました。
私が新卒で就職した会社は、東京の竹芝桟橋のすぐそばにあるビルの中に入っていて、東京湾に面したオフィスや会議室の窓からは海やレインボーブリッジ、フジテレビ局舎の球体などがよく見えました。
会社もそういう環境を生かして、毎年湾岸エリアで開催される「東京湾大華火祭」の当日に海の見える会議室を社員とその家族に開放して花火見物ができるようにしていました。
もちろんアルコール類やソフトドリンク、デリバリーのすしやピザなどのおつまみも揃えて、花火を見ながら社員同士の親睦が図れるイベントになっていました。
毎年花火歳が近づくと、社員に参加申込書が配られ、そのたびに「申し込もうかな」とは思うものの、仕事のない土曜日にわざわざ花火を見るためだけに会社に行くのはそれはそれで面倒という気持ちが勝ってしまい、結局一度も参加することなく退職してしまいました。今思うと、場所取りの必要や混雑にうんざりすることもなくベストポジションからゆっくり花火見物ができる絶好の機会だったのに何ともったいないことをしたものだと悔やまれます。
あと、鉄道好きとして憧れるのが、列車に乗りながら花火見物をすること。
花火の見えるベストポジションで停車するか減速して通過する列車の車窓から眺めるのもいいし、何も知らずにたまたま乗った列車で花火を見るというのもそれはそれで感動的だろうと思っていました。
そんな私の思い出に残っているのが、13年前の夏に常磐線電車の車窓から偶然見ることのできた花火です。
2010年の夏にED75形電機の牽引する貨物列車を撮影しに先代まで行った帰りのこと。
勝田駅から乗車したE531系の上野行が取手駅を発車し、利根川の鉄橋を渡っているところへ大きな花火が上がり、旅の疲れも吹っ飛ぶようなサプライズ花火見物ができました。
後で調べてみるとこの日は利根川の河川敷で取手市の花火大会があったようで、そこで打ち上げられた花火のうちの一発をたまたま私が見ることができたわけです。
肝心の花火は鉄橋のトラス(鉄柱)が邪魔してスッキリとは見えなかったけれど、列車の運転士さんも多少いつもより減速して鉄橋を通過してくださったようで、なかなか感動的な体験ができました。
残念ながら私はもう花火を自分の目で見ることは叶わなくなってしまったけれど、いつか花火大会ならではの様々な音や賑わいを感じに行ってみたいものです。
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あの独特の空気感と言ったら… [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:今、どうしているのか気になる人

同じようなお題で以前にも何度か記事を書きましたが、今回は中学1年の時の歴史の先生だったS先生についてです。

S先生は当時、40歳代前半ぐらいだったと思います。
髪型は七三分け、眼鏡をかけたいかにも40歳代の教師といった風貌の人でした。
このS先生の授業を一言でいうなら、「とにかく教室に流れる空気が重い」ということでした。
声がぼそぼそと低く、しかもかなりゆっくり目にしゃべるので、他の先生の授業とは全く違う独特の重い空気感をいつも感じていました。
そういう空気だからか、授業でのS先生が質問し「わかる人は手を挙げて」と言われてもなかなか積極的に手を上げにくい雰囲気がありました。
また何かの理由で授業中に生徒に注意をするときも、S先生は怒鳴らない代わりに後で職員室に呼び出してこんこんと説教するという話で、それが逆に怖いという評判でした。
S先生もそんな授業の雰囲気を変えようとするのか、ときどきダジャレを飛ばしてみたりしていましたが、やっぱりというかほとんど受けていませんでした。
とにかく、他の授業ではしょっちゅう私語などをして先生に注意されている生徒も、S先生の授業では別人のように静かに授業を受けていたほど、S先生の授業の雰囲気は独特でした。

その2年後、私が3年生になった時に、S先生は「心の病い」とかで家族ともども故郷の富山県へ帰ったそうです。
あれからもう40年近く経ち、S先生ももう80歳代と思われますが、この間にどんなことがあったのか、40年前のことを今はどう感じているか、ちょっと聞いてみたい気分になりました。
タグ:先生
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立てる時はいろいろ考えるものの… [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:夏休みの計画、細かく決めてた? ざっくり決めてた?

一日の中で何時ごろ何をする、という計画表を作るときはやや細かめ、夏休み全体の計画表を作るときはざっくり目に作っていた記憶があります。
夏休み中の一日の生活時間の計画表では、アナログ時計の形の円グラフに勉強の時間とか遊びの時間とかを書きこんでいました。「宿題は涼しい午前のうちにやった方がよい」というので朝8時ぐらいから10時ぐらいまでは宿題の時間にあててみたり、夜は21時過ぎには寝るようにといった感じでグラフに書きこんでいました。
一方の夏休み全体の計画表は、夏休み最初の時点であらかじめ決まっている登校日やプール登校、家族旅行といった予定は書きこめますが、その他の予定はかなりざっくりとしか書いていなかった記憶があります。
私の家の場合、お盆には田舎へ行くといった毎年恒例の習慣が特になかったので、夏休みを通しての計画表は何も予定の入っていない日が結構あった記憶があります。
でも、実際に夏休みに入ってみると、初めに立てた計画ってかなり早い時期に何だかどうでもよくなってしまうんですよね。
朝から宿題もせずにプールや遊びに出かけたり、夜もテレビを見ながら遅く(といってもせいぜい22~23時前ぐらいまでですが)まで起きていたり…
夏休み全体を通しても、宿題は早めに終えて、と毎年のように計画表に書いては見るものの、それができたためしはありませんでした。
結局、私の場合、夏休みの計画は「これが出来たらいいな」というような理想で終わってしまうことがほとんどでしたね…
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泳ぎは苦手だけど その2 [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。
前回に引き続き、プールの思い出です。

プールといえば、スイミングスクールや学校だけでなく、夏休みは市民プールや遊園地の大きなプールにもたくさん行きました。
東京都大田区に住んでいた幼い頃も、現在も住んでいる埼玉県某市に引っ越してからも、家から近いところに市民プール(もっとも、埼玉に引っ越してから言っていたプールは市が運営していたわけではありませんでしたが)があり、夏の間はよく通っていました。
どちらもウォータースライダーなど派手な施設があるわけではなかったけれど、家から歩きやバスで手軽に行ける楽しい場所でした。
前回も書いたようにスイミングスクールは大嫌いだった私ですが、遊びで入るプールは逆に大好きで、幼い頃は親に連れられて、成長すると一人や友達と頻繁に出かけていました。
そしてそれ以上に楽しかったのが遊園地などの大きなプールでした。
私がよく言っていたのは何といってもとしまえんで、中学生になったあたりまでは毎年1~2回は行っていました。
としまえんは「7つのプール」を売りにしていただけあって、波のプールや流れるプールなどプールの種類も多く、いつ行っても多くの人で賑わって楽しい場所でした。
名物の「ハイドロポリス」についに挑戦するチャンスがなかったのは心残りでしたが、としまえんのプールで遊んだ思い出は小学生の頃の夏休みの思い出として今も鮮明に残っています。
家の近くの市民プールやとしまえん以外にも、他の遊園地のプールや旅行先のホテルのプールなどにもいくつか行ったことがあり、どれも楽しく遊びました。
また、それらのプールでは、泳いだり水の中で遊んだりする以外にも、広井プールサイドで家から持ってきたお弁当やプール内の屋台で買ったかき氷やアイス、フランクフルトなどを食べたのもおいしい思い出です。

一口に私のプールの思い出といっても、案外いろいろなことが思い出されて懐かしい気分になりました。
考えてみると、泳ぎは下手で得意とは言えない私ですが、それでも夏のプールが嫌いにならなかったのは、泳ぎのうまい下手をあまり気にすることなく遊べるとしまえんなどの大きなプールや市民プールの存在があったからかもしれません。
高校卒業を境に以後ほとんどプールに入っていない私ですが、これだけ猛暑が続くとどこかのプールで久しぶりに泳ぎたい気分になってきます。(もっとも、あまりの猛暑のためにせっかくの夏休みなのにプールに入れないということも起こっているそうですが…)
子供の頃のように無邪気にプールで遊ぶことはもうおじさんの私にはできませんが、せめて水中を端から端まで歩く程度のことはしてみたい気分です。
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泳ぎは苦手だけど その1 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:プールの思い出

おそらく高校時代以来プールともご無沙汰になってイるけれど、毎日こう暑いとプールでひと泳ぎしたくなってきます。
でも私、泳ぎ苦手なんですよね…
それでもプールに入るのは決して嫌いではありません。

まだ東京の大田区に住んでいた幼い頃は、隣の品川区にあるスイミングスクールの幼児クラス(?)に通っていて、同じ東京の清瀬市に引っ越した後にも近くのスイミングスクールに通っていました。
親がどのような意図で私に水泳を習わせたのかはわかりませんが、私はとにかくスイミングスクールが大嫌いで、毎回のように「行きたくない」と駄々をこねていたとか。スイミングの時間が終わった後、すぐそばの食堂でカレーうどんやラーメンを食べさせたり、帰りに屋台でたい焼きやソフトクリームを買ってくれたりしてどうにか私をなだめていたようです。

今となってはなぜそんなにスイミングが嫌いだったのかわからないけれど、おそらく顔を水につけることが怖かったのか、それともコーチが厳しかったからなのか、そのいずれかでしょう。

小学生になってからも、幼稚園時代のスイミングの記憶のせいか、もともとの運動神経のせいか、とにかくなかなか泳げるようにならず、それは結局高校時代まで、さらにおそらく今も変わりませんでした。
25mプールの半分ぐらいまではなんとか泳げても、端から端までとなるとほとんどまともには泳げなかったような記憶があります。
それでも、あまりスパルタ的な指導をする先生に当たらなかったからなのか、幼い頃のスイミングのように学校のプールの時間が嫌いになることはありませんでした。
それはプールの授業の途中にある「自由時間」の存在のおかげでした。この時間はプールの中で文字通り自由に遊べるので、泳げるか泳げないかはあまり気にする必要のない楽しい時間でした。
そして小学生時代の今頃の時期といえば、夏休みのプール登校。
夏休みなのに暑い中(それでも今と比べたらずいぶんましでしたが)プールのためだけに学校に行くのは少々面倒ではありましたが、プールに入るのはそれはそれで楽しかった記憶があります。

プールの思い出はまだありますので、次回も続きます。
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懐かしいタイトルがいっぱい [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。
学校向けの教科書や教材などを出版している出版社、光村図書出版がこのほど、ユーザーの生年月日に合わせて小中学校時代に使っていた(光村図書出版の)国語の教科書を検索できるサイト「教科書クロニクル」を公開しました。
サイトはこちらです。

教科書クロニクル | みつむら web magazine | 光村図書出版
https://www.mitsumura-tosho.co.jp/webmaga/chronicle

実は私の小学校時代の国語の教科書はずっと光村のものだったので、さっそく検索してみました。(中学時代はどうやら別の会社の教科書を使っていたようです)
教科書の検索は、サイトに入って自分の生年月日を入力するだけという簡単なものです。
私は1971年9月生まれなので、小学校入学は1978年4月、中学校入力は1984年4月ということになります。
検索してみると、それぞれの学年ごとに教科書のタイトルや表紙の画像(私は残念ながら見られませんが…)と主な掲載作品(もちろん全作品が分かるリンクもあります)が掲載されています。
学年ごとに掲載全作品が掲載されているページを見てみると…
「おおきなかぶ」に「スイミー」に「すーほの白い馬」に「くまの子ウーフ」に「一つの花」などなど…
いやあ、「ああ、これあったな~」とつい声が出てしまう作品がたくさんあり、文章の一部や挿絵を何となく覚えている作品も多かったです。(もちろん、授業で習ったかどうか記憶に残っていない作品もありますが)
そして、それとともに小学生時代の国語の授業の記憶もよみがえってきたりして、懐かしい思い出にひととき浸ることができました。
また、検索結果のページには小学校入学の年(私の場合は1978年)と中学校入学の年(私の場合は1984年)にあった主な出来事も掲載されていて、「へぇ~、こんなことがあったんだ」という発見もあります。
それにしても、自分が使っていた国語の教科書に乗っていた作品のタイトルを見るだけでこんなに懐かしい気分になれるとは思いませんでした。もし可能なら、光村図書以外の教科書の出版社でもこのようなサイトを開設すれば面白いでしょうし、国語だけでなく他の強化でも自分の使っていた教科書の内容を振り返ることのできるようなサイトがあると話題になりそうですね。

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好奇心旺盛…だったのかな? [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:迷子の思い出

成長してからはあまり道に迷ったりはしなくなりましたが、幼い頃は結構迷子になっていたらしいです。
親とデパートや大型スーパーなどに行って、親が買い物をしている間にいつの間にか親とはぐれたり勝手に他の売り場へふらふらと歩いて行ったりして戻れなくなるなんてことは何度もあったようで、そのたびに店内放送で親が呼ばれていたようです。
あと、母親と一緒に公園へ遊びに行ったり散歩に出かけた時にもいつの間にか母親とはぐれてしまい、2~3回警察のお世話になったことがあるらしいです(私はうっすらとした記憶しかありませんが)
親が言うには、その頃の私は遊んでいたり道を歩いていたりしている時に何か興味を惹かれるものを見つけるとついついそちらに引き寄せられる癖があったそうで、それに夢中になっているうちに自分がどこにいるのかわからなくなることが多かったようです。
今から思うと、幼い頃の私はかなり好奇心旺盛な子供だったのかもしれません。確かに面白そうなものや楽しそうなものは大好きだったし、「探検」と称していったことのないところへ行ってみるのも好きでした。
そういう意味では、何度も迷子になって親には迷惑をかけてしまったけれど、いろいろな所へ出かけるのが好きになったということに関しては幼い日の迷子の思い出も無駄にはなってはいないということですかね。
タグ:迷子
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「鉄」友との出会い、と思ったら… [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:騙された話

この話は、「騙された話」でもあるし、「騙されかけた話」でもあります。

それは、今から確か12~3年前のある日のこと。
その日私は、とある大手鉄道会社の車両工場の一般公開イベントに出かけていました。
屋外の展示車両の撮影もとりあえず人段落し、少し場所を移動してここまで撮影したデジカメの画像をチェックしていたら、不意に(当時の)私より少し若いくらいの年齢と思われる男性(仮にAとします)から声をかけられました。
彼が言うには、彼はこの車両工場の近くに住んでいて、乗り鉄や撮り鉄が好きだということでした。
家の近くで行われる鉄道イベントということで自分もこのイベントに出かけてあれこれ楽しんでいるうちに、熱心に車両を撮影している私のことが目に留まり、声をかけてみたというようなことを話しました。
そして彼は、せっかく出会ったのでこれから友達になってもらえませんかと声をかけてきました。
同じ趣味の友達ができるというのは私にとってもうれしいことなので、あまり考えずにOKしました。
そして、イベント会場ではゆっくり落ち着いて話ができないからというので、翌日車両工場からもほど近いところにある大きな公園で待ち合わせすることになりました。
翌日、約束の時間に待ち合わせ場所の公園入口に行くと、Aが約束通り待っていました。
早速公園に入り、園内の池のそばにあるベンチに座って自販機で買った飲み物を飲みながら話し始めました。
最初のうちはお互いの最近の乗り鉄の話や、普段どこで(列車を)撮影しているかといったたわいもない「鉄」話で盛り上がりましたが、そのうちに何だか雲行きが怪しくなってきました。
何がきっかけだったか忘れましたが、いつの間にかAの切り出す話題が「鉄」話から(その当時の)世の中や政治に関する話題に変わり、しかもだんだんと宗教がかった方向へ話が展開し始め、やがて自分も所属する団体に入らないかという誘いまでしはじめました。
私は「これはやばい」と感じ、Aが団体への勧誘をしはじめたところで立ち上がり、「住みませんけど、私はそういう話には関心がないのでお断りします」とAに告げて早足で講演の入口、そして公園の最寄りの私鉄駅へ向けて歩きはじめました。
突然のことで驚いたのか、それともこのようなことには慣れているのかは知りませんが、とにかくAは「いやいや、そんな怪しい団体じゃないから」とか「不利益になるようなことはしないから」などとなおも食い下がってきましたが、私はそれには一切反応することなく、ひたすら駅までの道を急いで歩きました。
最寄り駅に着くとAも追いついてきて、まだまだしつこく団体への入会を勧めてきますが、もちろん私は無視したままです。
やがて電車がやってきて乗り込む私を追ってAも乗りました。(まあ、Aが家に帰るにも電車に乗る必要はあったんですけどね)
そして、次の駅(いくつもの路線が発着するターミナル駅)で私は降り、JRに乗り換えました。
Aもしぶとく追いかけてきましたが、私がJRの改札を入るのを見てとうとうあきらめたのか、そこからはもうAの姿を見ることはありませんでした。
幸い、お互いの苗字だけは名乗りあったものの、連絡先の交換などはまだだったこともあり、あとでしつこく電話などで勧誘されるといったことはなく、どうにか私はAから逃げきれた形にはなりました。

結局、「友達になろう」というAの誘いに私がまんまと乗せられ、危うく怪しげな団体(新興宗教?)に入らされるところを何とか回避できた形になりました。
もちろん怪しげな団体に私を引きずり込もうとしたAが悪いのはその通りですが、まだ素性も知らない人間の誘いにホイホイと乗せられてしまった私も脇が甘かったことは否定できません。
でも…当時の私としては鉄道好きの友達はやはり欲しかったわけで(それは今も同じですが)、もしAが妙な団体などへの勧誘などせずに純粋に同じ鉄道好きとして友達になってくれていたら…などと、ちょっぴり残念に思ったりもしてしまいます。
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一番記憶に残る卒業式 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:卒業式の思い出

卒業式…
自分の卒業式となると一番最後の大学の卒業でさえもう28年前のことになります。
私には子供がいないので自分の子供が卒業を迎えるという感動とは縁がなく、甥っ子もこの春から小学校入学という段階なので、私には卒業式は遠い思い出の一コマになっています。
それでも、私自身の過去の卒業式を振り返ってみると…

まずは大学の卒業式。
式自体の記憶はあまり残っていないけれど、式の後にゼミの教授やメンバー、そして所属していたサークルのメンバーとそれぞれ最後に集まって記念撮影をしたりお別れの挨拶を交わしたりしたのがいまでもよい思い出になっています。
特にゼミで仲良くしていた後輩から花束をもらった時にはちょっと涙ぐんでしまいました。
もっとも、花束を抱えて自宅まで3時間かけて帰るのはちょっぴり恥ずかしかったんだけど。

その少し前の中学・高校の卒業式のことは正直ほとんど覚えてません。
中学校時代にはあまりいい思い出が作れなかったこともあり、卒業の感動というよりも少々重荷だった中学時代が終わってほっとしたこと、そして高校に入ってからのことで頭がいっぱいだったのかもしれません。
そして高校の卒業式の時には、おそらくこれから一年間の浪人生活が決定していたタイミングだったと思われるので、卒業を祝うような気分ではなかったのかもしれません。
いずれにしても中学・高校の卒業式がどうだったのかはなぜか思い出せません。

そしてさらにその前の小学校の卒業式ですが、実はこれが一番記憶というか思い出に残っています。
この日は、登校してまず教室にクラス全員で集まってから、担任の先生ともども卒業式に先立ってのあるイベントに臨みました。(その詳細は→https://gonana57.blog.ss-blog.jp/2019-07-11の記事の後半を参照してください)
そして卒業式。式自体はきわめて型通りの内容といったところでしたが、いわゆる「呼びかけ」の場面では6年間のいろいろな思い出がよみがえってきてグッとくるものがあったし、卒業証書授与で壇上に上がる際も独特の緊張感があったのを思い出します。
式の途中では、私達のクラスではなぜか誰も泣いている人がいなかったのに、隣のクラスでは男子も含めて何人もの人が涙を流していました。
式が終わり、教室に戻って本当に最後のクラス集合の時がやってきました。
まず担任の先生からの最後の話があった後、各自が一言ずつ最後の挨拶をして、卒業アルバムや卒業文集、本当に最後の学級通信などをもらって、思い出深い小学校を後にしたのでした。
あれからもう40年弱。
この時の担任の先生もその後若くして亡くなり、あの頃の思い出を語り合うという機会もなかなかありませんが、この小学校卒業の日のことは今でも鮮明に心に残っています。
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