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10年前の広島遠征 その14 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
10年前の広島への鉄道旅の振り返り、第14回です。

広電と戯れた(?)一日も終わって広島駅に戻ってきました。
広島駅の駅ビル内で夕食を済ませると、広島遠征も、残すところあとは新幹線と「サンライズ」を乗り継いで東京へ戻るだけになりました。
広島駅から乗車するのは、新大阪行の「こだま776号」。
岡山までのわずかな乗車なので「のぞみ」「ひかり」利用で先を急いでもあまり意味がない(当時はまだ九州新幹線全通や山陽新幹線との直通が開始される前だったので「みずほ」「さくら」は未設定)という理由もありましたが、それよりもこの列車がかつて「グランドひかり」として名を馳せた100系(西日本所属車)を使用していたためでした。
「ひかり」仕業を追われ山陽区間の「こだま」運用で余生を送っていたJR西日本の100系も、同じように「のぞみ」運用から撤退する500系の改造車の「こだま」への転用により引退が近いという情報を知り、それならば引退前に一度乗っておこうとこの列車を選択しました。

「こだま776号」の到着が近づき、新幹線ホームへ移動。
まずは到着シーンを撮ろうと博多方面のホームへ上がると、ちょうど岡山発広島止まりの「こだま767号」で到着した100系4両編成のP11編成が停車中。
それにしても、かつてダブルデッカー車4両を含む16両編成で東海道・山陽新幹線を日夜カッ飛ばしていた西日本の100系が新幹線最小単位の編成である4両編成となっていたのには、時代の流れというか、かつてのスターに漂う哀愁のようなものを感じてしまいました・・・

20:32、「こだま776号」は広島に到着。こちらの編成は6両のK59編成でした。
ここ広島では「のぞみ96号」と「ひかり582号」の待避を行いますが、その停車時間は何と17分!
客車長距離ドン行あたりならこんな長時間停車も味わいの一つですが、新幹線でこれはちょっと驚き。
こんなところからもますます「100系こだま」に漂う哀愁が感じられます。
「こだま」用100系の車内は、指定席・自由席ともに2列+2列の快適なシートに改装されていました。
このシート配列の変更のため、デッキ付近の通路が途中からちょっとズレていたのは改造車ならではの後継でした。

広島で予定通り2本の列車を待避した「長距離ドン行新幹線」こと「こだま776号」は20:49、定刻に発車。
岡山や新大阪に先着できる列車の後だけに、予想通り乗車した5号車を含めどの車両もガラガラ。
その数少ない乗客も東広島・三原・福山と停車していくうちにパラパラと降りていき、あげくの果てに新倉敷―岡山間の5号車の乗客は私だけに・・・
3連休中日の日曜日の夜というのも、乗車率に影響したのでしょうか。
車両の中に乗客は自分だけ、という状況は、ローカル線の気動車やローカルバスあたりでは何となくありがちな光景ですが、まさか新幹線でこうした状況に出くわすとは驚きでした。
この当時は、まさか10年後に例の騒動の影響による乗客急減で、こうしたガラガラ、または乗客ゼロの状態で走る新幹線が各地で出現するとは想像だにしていませんでした。

「こだま776号」は22:04、岡山駅に定刻到着。
この列車は、岡山ー新大阪間での「こだま」の最終列車で、相生と西明石の両駅へこの日のうちに到達できるのもこの列車が最終となるためか、少ないとはいえここからの乗客もあり、一瞬主のいなくなった5号車にも数人が乗り込んでいきました。

さて、あとはここ岡山から「サンライズ」で東京へ向かうだけになりましたが・・・
その前にちょっとしたサプライズが!
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