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別に親と趣味を合わせなくても… [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:子供には、自分と同じ趣味を持ってもらいたい?

この年齢になって子供のいない私が、こういうお題で記事を書くというのも変な話ではありますが…
結論から言えば、仮に自分の子供が私とは全く違う趣味にハマったとしても一向に構いません。
もちろん、子供の方から私と同じことに興味や関心を持つようになったのなら、それはそれでwelcomeですが、親が自分と同じ趣味を持つように仕向けたり、自分と違うことに興味を持ったことに対して寂しさや不満を感じるのはちょっと違うような気がします。
いくら自分の子供といえども、他人と同じ趣味を持つことを期待されるいわれはないでしょうし、いくら年齢が小さくても何に興味を持つかということは自分自身で決めることだと思うからです。

そう考えるのは、私自身が親(特に父親)の趣味を全く受け継がなかったからでもあります。
父親は大の飛行機(特に戦闘機)が好きで、今も住んでいる埼玉県某市に一家で引っ越すことを決めたのにも、その戦闘機好きという趣味が大きく影響している節があります。そして男の子の私が生まれたことで、将来は一緒に旅客機や戦闘機を見に行ったり、飛行機のプラモデルを組み立てたりできたらとも考えていたようです。
でも結果的に私は飛行機にはほとんど関心を示さず鉄道にどハマりし、父親の淡い期待(?)は実現しませんでした。

そういうわけで、子供の趣味というものには親が影響を与えるものではないと思います。
まあそうはいっても、自分の子供が私と同じ鉄道好きになり、一緒に鉄道旅や鉄道イベントに出かけるようになったらと妄想したりすると、これはこれで楽しいのもまた事実なんですけどね。
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夏はキンキンに冷やして [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:牛乳は好き?

牛乳、子供の頃から今に至るまで大好きですよ!
子供の頃は、牛乳が苦手とかお腹がゴロゴロするという人の気持ちがよくわかりませんでした。
テレビで、牛乳でお腹がゴロゴロする人向け?の牛乳のCMを見ては、「牛乳を飲むとお腹がゴロゴロするって、どういうこと?」といつも疑問に思っていました。
小学校に上がって給食で毎日飲む牛乳ももちろん大好きで、時には休んだり飲まずに残した人の分まで牛乳のお代わりをしたこともありました。
もちろん今でも牛乳好きは変わりません。
特に夏のこの時期は、水や炭酸系の飲み物よりも、冷蔵庫でキンキンに冷やした牛乳を一気飲みする方が涼を感じられて好きです。
牛乳パック入りのものをコップやグラスに入れて飲むのもいいですが、キンキンに冷えたビンから直接飲む牛乳はさらにおいしく感じます。
そして、普通の白い牛乳以上に好きなのがコーヒー牛乳。
子供の頃から、銭湯のふろ上がりや駅・街中のミルクスタンドで飲むのは牛乳よりもコーヒー牛乳が多かった気がしますし、給食でコーヒー牛乳が出る日はいつも以上に給食の時間が待ち遠しかったのを思い出します。

そんなわけで、大人になっても牛乳を飲むと何だかそれだけで元気になれそうな気がして、下手にエナジードリンクを飲んだりするより自分にとってはこう過大な気がします。
世間では牛乳の消費量が減っているという話も聞きますが、これからもできる限り牛乳は飲んでいきたいと思います。
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夜行特急「ドリームにちりん」乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
時折、今はなき列車を中心に過去に乗車した時の思い出を書いていますが、今回は2011年3月まで九州の鹿児島・日豊本線で運転されていた夜行特急「ドリームにちりん」に乗車した時の思い出です。

この「ドリームにちりん」は、1993年3月のダイヤ改正で登場した、博多ー宮崎空港間を鹿児島本線・日豊本線経由(小倉・大分経由)で結ぶ夜行の特急列車で、同ダイヤ改正まで同じルートで博多ー西鹿児島(現在の鹿児島中央)間を結んで走っていた夜行急行(宮崎ー西鹿児島間は普通列車)の「日南」号を特急に格上げする形で誕生しました。
2009年3月に東京発のブルートレイン「富士はやぶさ」が廃止されてからは九州唯一の夜行列車になっていましたが、「ドリームにちりん」も2011年3月のダイヤ改正でひっそりと廃止されてしまいました。

そんな「ドリームにちりん」に私が乗車したのは、確か2003年の夏のことでした。
この時は、会社の夏休みを利用しての九州への鉄道旅に出かけており、その3日目の夜に博多・小倉を出る下り列車に乗車しました。
その日の日中は、前夜の宿泊地の鹿児島から特急「きりしま」で宮崎まで出た後、日南線で志布志まで往復、さらに同線から分岐して宮崎空港駅へ向かう宮崎空港線の乗り鉄を楽しみました。
その翌日は、当時延岡ー高千穂間を結んでいた第三セクター鉄道高千穂鉄道に乗車した後、日豊本線で大分まで出て豊肥本線へ乗り継ぎ、熊本まで向かう予定にしていました。
ただ、このルートでの乗り継ぎ時刻を調べたところ、各線の接続が上手くいく組み合わせがなかなかなく、結局延岡を朝6時過ぎに出る高千穂鉄道の高千穂行始発列車に乗るのがベストであることがわかりました。
そのため、日南線などを乗り鉄した日は延岡駅前のビジネスホテルに泊まることも考えましたが、万が一寝坊して始発を逃すリスクも考え、「ドリームにちりん」で車中泊しながら延岡へ向かうことにしました。
この鉄道旅では、当時発売されていた周遊きっぷ「九州ゾーン」を利用していたので、九州内の在来線特急の自由席を特急券なしで利用でき、宿泊代を節約できるメリットも考えての選択でした。

志布志駅から日南線で到着した南宮崎駅で485系の特急「にちりん」で23時過ぎに小倉駅に到着。
夜遅くでもまだまだそれなりに活気のあるホームで博多からやってくる「ドリームにちりん」を待ちます。
23:45頃に定刻通り783系の「ドリームにちりん」が到着。途中駅からの自由席乗車でしかも小倉駅から乗車する人も結構いたので座席が確保できるか不安でしたが無事確保。そして23:50過ぎに進行方向を逆転して小倉駅を発車しました。
発車してもしばらくは主要駅にこまめに停車していき、スピードも「ソニック」ほどではないにしろそこそこの速度で走ります。
実はこの「ドリームにちりん」は、博多や小倉と日豊本線沿線の主要駅との間の深夜の移動手段というだけでなく、博多ー大分間や宮崎県内の特急列車の最終列車・始発列車としての側面も持ち合わせていて、さらに小倉では新幹線「のぞみ」の下りの最終・幟の始発に接続することで本州への足にもなっていました。

暗くてほぼ何も見えない窓の外を眺めながらぼ~っと座っているうちに、1時半頃にまだ地上駅だった大分駅に到着。
ここで下り「ドリームにちりん」は何と約2時間停車しました。
これは何かの理由で先へ進めず運転見合わせとなったわけではなく、初めからダイヤ上設定された長時間停車でした。
その理由はもともと運転距離が短めなことと、上記にも記したような「ドリームにちりん」のダイヤっ設定との関係で、博多ー大分間と宮崎県内で利用しやすいダイヤにするための時間調整のためでした。
それほど眠気もなく、2時間も動かない列車内でじっとしているのもつまらないので、ホームに出てなかなか味わえない深夜の駅の雰囲気を味わうことにしました。大分駅で下車する人もそれなりにいたようですが、私と同じように長い停車時間を列車の外に出てつぶすといった感じの人も多かったようでした。
ホームをぶらぶら歩いたり、ホーム上にあるホットスナックの自販機でアメリカンドックを買って食べたりしてもまだまだ時間があるので、フリーエリア内は途中下車し放題の周遊きっぷの利点を生かして改札の外へ。深夜2時というのに営業していてお客さんも数人いる駅構内のコンビニで朝食用の菓子パンなど買ったり、駅前をぶらぶら歩いたりしてここでも時間をつぶしました。
しばらく外をぶらぶらして再び改札を入った頃には、博多へ向かう幟の「ドリームにちりん」もホームに停車していました。上りも下りほどではないものの大分駅では約1時間の停車時間があり、深夜にもかかわらず駅のコンビニが営業しているのも納得というところでした。

列車に戻り、荷物に留守番をさせていた座席に再びつくと、さすがに少し眠気が出て、定刻通りだったと思われる大分駅発車には気づきませんでした。
下車予定の延岡の1つ前の停車駅佐伯を出てしばらく走ったあたりで目が覚めました。延岡到着まではまだ40分ちょっとあったと思いますが、ここでまた眠ってしまって延岡でおり損ねてしまっては意味がないので、ここから延岡到着まではデッキに立って過ごしました。
そして5:20頃?に延岡駅に到着し、無事下車しました。そして予定通り高千穂鉄道の始発列車に乗って終点の高千穂駅を目指しましたが、やはり夜行列車であまり眠れなかったのと当日が雨だったせいもあり、車内ではかなりの部分で眠ってしまい、せっかく乗りに来たにもかかわらずあまり高千穂までの往復の車窓を味わうことができませんでした。
次回九州を訪れた時にはぜひリベンジを、と思っていた矢先の2005年に高千穂鉄道は台風被害にあい、その復旧も叶わずに廃止となってしまいました。
そう考えると、最初で最後の乗車になった「ドリームにちりん」に乗れたことをよかったと思うか、それともおとなしく延岡に泊まるべきだったのか、悩ましいところです。
いずれにしても、今はもう「ドリームにちりん」も高千穂鉄道も過去の存在となってしまったのは寂しいところです。

さて、今回この「ドリームにちりん」の思い出を記そうと思ったのは、下記のリンクにある記事を例によってネットで見つけたのがきっかけでした。

夜行急行「日南」号がよみがえる JR九州、415系セミクロスシート車での最後のツアーを9月に開催 (ねとらぼ)
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2208/12/news148.html

今回ツアー列車としてリバイバル運転される夜行急行「日南」は、先ほども書いたように「ドリームにちりん」の前身にあたる列車です。
私にとって「日南」といえば20系や24系25形寝台車と12系座席者による客車編成のイメージが強いですが、これを再現しようにも今となってはJR九州にはリバイバル運転に適した客車や機関車はもうないので、次善の策として急行形電車で運転されていた昼行の「日南」の雰囲気が味わえる415系セミクロスシート車が起用されることになったということでしょう。
それにしても、特急でも8~9時間を要する門司港ー鹿児島中央間を均衡型電車で乗り通すのは、なかなかハードな道中になりそうな気がしますが…
それでも日豊本線の全区間を415系が走るという、今後あるかどうかというレアな列車だけに、乗り鉄的にも撮り鉄的にも魅力的な列車でしょうね。
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得意というか… [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:体育の授業で得意だった種目は?

運動神経がないので、小・中・高を通じて体育の授業は苦手でしたが…
その中では球技は比較的得意、というか好きでした。
小学校低学年の時のドッジボールに始まり、バスケにサッカー、バレーボール、中学の時にはハンドボールもやりましたっけ。
どれも後に部活やクラブチームで続けるほどハマったというわけではなかったけれど、体育の授業などでプレイするのは純粋に楽しかったです。
水泳も、泳げはしないけれどプールの授業自体は嫌いではありませんでした。
逆に鉄棒や跳び箱、マットなどの器械体操系や陸上競技、持久走やマラソンなどは大の苦手でした。
こちらは自分の運動神経のなさがもろに出てしまうのが苦手になった主な理由です。
そのようなこともあるからか、今でもスポーツでは水泳や陸上などより球技の方が好きです。
特に特定のチームのファンやサポーター等になっているわけでもなく、試合を見に行ったこともほとんどないけれど、サッカーやバスケには今もそれなりに関心があります。
もし生まれ変わって子供の頃からスポーツをするなら、私ならサッカーかバスケがいいかな、なんて思ったりしています。
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年令のせいなのか? それとも体質が変わったのか? [日々のあれこれ&つぶやき]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:酷暑と極寒、どちらが耐えられない?

今はどちらかといえば極寒の方が耐えられないかもしれません。
もっとも、真冬の北海道や豪雪地帯など本物の「極寒」の世界をほとんど経験したことのない私にとっては、あくまでも「耐えられないかもしれない」というレベルではありますが。

若い頃は、最近ほどの酷暑ではない暑さでも苦手でした。
真夏に外や冷房のない体育館などで運動や体育の授業、部活をするのは単純に嫌でしたし、そうでなくても真夏に冷房のない環境では何をするにもやる気が出ないことが多かったです。
そのため、自分の部屋ではクーラーをかなり低い温度で一日中かけているというのが当たり前のようになっていて、それ以外でもクーラーは少々強めに効いているくらいがちょうどいいとさえ思っていました。
一方冬は普通に寒いことは寒いものの、だからといってどこへも出かけずに家に籠っていたいと思うほどではなく、寒い中でも早朝から乗り鉄や撮り鉄に出かけることも珍しくありませんでした。

それで今はどうかというと…
昔と比べ寒さに対する耐性は落ちている気がします。
コロナ禍で外出の機会が減って外の寒さを肌で感じる機会も少なくなりましたが、おそらく以前のように寒さをいとわずどこへでも出かけるというパワーはなくなってきているような気がします。
また夏にクーラーを入れる時も、以前のような低い設定温度では寒く感じるようになり、今ではほぼ常時27~28℃ぐらいの温度に設定するようになりました。
一方で暑さで物事に対するやる気がなくなったりするようなことはほとんどなくなり、暑さに対する耐性も少しはついているのかもしれません。
単純に年齢を重ねたせいなのか、それとも若い頃のピーク時と比べると体重が30㎏ほど減って体質が変化したせいなのか、どちらの影響が大きいのかわかりませんが、いずれにしても若い頃とは気温や室温に対する体感もかなり変化しているということなんでしょうね。

それを踏まえても今年の暑さには驚きを隠せません。
家にいてもクーラーの効いた部屋から一歩廊下に出ただけで暑さというより熱さに圧倒される気がします。
かといって最近は長時間クーラーに当たりっ放しでは寒さを感じてしまうことが多くなり、両方の環境の中でどうバランスを取ってこの夏を乗り切るか、それがなかなかの難問です。
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見えなくたって、工夫次第でゲームもプレイできる…らしい [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:ハマっているゲーム、昔ハマったゲーム

子供の頃は、ボードゲームを中心にゲームが好きでした。
友達の家で遊ぶ時には、外で遊ぶよりもすごろくやら人生ゲームやらで遊ぶ方が好きだったし、自宅でもトランプやオセロゲームなどをよく家族で楽しんでいました。
やがてLSIや液晶などを使った電子機器のゲームが出てくるようになり、インベーダーゲームや「パックマン」などをゲームセンターや友達の家などで遊ぶようになりました。
また同じぐらいの時期に「ゲームウォッチ」というその後の携帯ゲーム機の原型のような小型のゲーム機が任天堂から発売されてブームになり、私も2~3種類ほど買ってもらって大いにハマりました。
その後、子供の頃から慣れ親しんだオセロゲームがコンピュータを相手に一人でもプレイできる携帯型の「コンピューターオセロ」が発売されるとそれにもハマって、相当にやり込んだ思い出があります。
しかし、中学生ぐらいを境にその後はゲームに対する興味はかなり減退し、ファミコン以降いくつものゲーム機やゲームソフトが発売されて周囲で大騒ぎになっていても、私はあまりその流れに乗ろうという気が起きず、それは今もほとんど変わりません。
もちろん、長い間にはぜひプレイしてみたいと思うゲームもそれなりにはありました。
「電車でGO!」や「桃太郎電鉄」「A列車で行こう」などの鉄道がテーマだったりモチーフになっていたりするゲームはやはりプレイしてみたくなりましたし、その他にもやってみたいゲームはいくつかありました。
またパソコンや携帯を持つようになると、いろいろなゲームが収録されているネットゲームのサイトにハマりかけた時期もありました。
ただ、ファミコン以降のゲーム会の流行にほとんど乗ってこなかったため、私にとって今はゲームはかなり遠い存在になってしまっているのが実情です。
それでも子供がいれば少しは今流行りのゲームにも接する機会はあったと思いますが、現状ではそのようなこともどうやら当分なさそうです。

ところでここからは、私のような視覚障がい者は、果たしてゲームを楽しむことができるのかということについて書きたいと思います。
結論から言えば、視覚障がい者も楽しめるゲームというのはかなり少ないのが実情です。
もちろん、中には用具を工夫したりルールをアレンジしたりして視覚障がい者が楽しめるようにした囲碁や将棋、オセロゲームなどもあり、私も視覚障がい者向けイベントで体験したことがあります。
でも基本的には多くのゲームは見えない・見えにくい状態でプレイするのはかなり難しく、特に画面の変化が激しいビデオゲームはよほどの工夫をしないとまともにプレイすることは困難だと言えます。
そういうわけで、見えない・見えにくい人々にとっては相当な壁のあるゲームですが、それでも工夫と能力次第でゲームを楽しんでいる人はいるようで…
詳細は下記のリンク記事からどうぞ。

視覚障害者はどうやってゲームをするのか ― 「ポケモン」は泣き声で暗記し、ボヨンというSEでマップを把握。「無双」はシステムがバリアフリー(電ファミニコゲーマー - Yahoo!ニュース)
https://news.yahoo.co.jp/articles/aca7f957050318678c6ce47410979f93d27be48c

私のスマホやPCのゲームに対してもともとそれほど興味がないせいもあるのでしょうが、視覚障がい者でも晴眼者(目が見える人)と同じくらいゲームを楽しみたいと思っている人が多いという事実は、正直意外でした。
でもだからこそ、ゲーム内の細かな効果音の違いを聞き分けるなどしてゲームを楽しむ工夫をしている人もいるんですね。
そういえば、先週(8月5日)に放送されたNHK Eテレの「バリバラ」という番組でも、全盲の視覚障がい者をはじめとする4人の障がいを持つゲーマーが登場し、それぞれに工夫を凝らしてゲームを楽しむ姿を披露していました。
これを見ていると、ゲームを楽しみたいという気持ちは障がいの有無に関係なく実は多いのだということを改めて感じました。
ゲーム関連の技術的なことは全くわからない私ですが、IOTやICT関連の技術が日進月歩で進化していることを考えると、もしかすると障がいの有無による有利不利の差がほとんどないアクセシビリティーの高いゲームの開発というのも実はそう難しいものではなかったりするのかもしれないという気もします。
その点、ぜひゲーム機やゲームソフトの開発会社には頑張ってほしいですし、そういうゲームが生まれてきたらぜひプレイしてみたいものです。
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ずっとこの時期にほしかったので [日々のあれこれ&つぶやき]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:祝日をもう一日増やすとすればいつがいい?

そういえば今日は「山の日」という祝日なんですよね。
まだ山の日が祝日になって日が浅いのと、一昨年・去年とオリンピックの影響で祝日があちこち移動したりしたせいで、今日が休日だということを半分忘れかけてました(笑)
まあ、夏休みの時期でしかもお盆休みに入るかどうかという時期に祝日があっても、恩恵を感じる人ってそう多くはない気もするんですけどね。

で、祝日がもう一日増えるならいつがいいか、ですが…
これは断然、6月、それも中旬ぐらいが一番いいですね。
理由は簡単、6月に祝日がないから!
これはもう、小学生時代からの願望です。
社会人の有給休暇のように自分の都合で休みを取ることの難しい学生時代、GWが終わると夏休みまで日曜しか休みがない(私が小・中・高校生の頃はまだ学校が週休2日制ではなかったので)のがなんとも気が重く、新しい祝日をつくるなら6月にしてほしいといつも思っていました。
ここ10数年ぐらいの間に山の日やら海の日などいくつか昔はなかった祝日ができましたが、一番ほしい6月にはまだ祝日はできないままです。

仮に6月に祝日をつくるとするなら、その前にあるGWや、後にある海の人の間隔のバランスをとることを考えて中旬に設定するのがベストなような気がします。
「山の日」や「海の日」のような、「○○の日」の○○に入る言葉を何にしたらよいか今一つ明暗が出ませんが、いっそのこと6月10日の「時の記念日」を祝日にしてしまう手もありそうです。

祝日ばかり増やさずに、誰でも自分の休みたい時に自由に休日がとれる社会にしなければ、という意見もまったくその通りだと思いますが、先ほども書いた通り学生は社会人ほど休みをフレキシブルには取りずらいので、6月に祝日を新設することで月に最低1日は土日以外の休日を設定するようにしてもいいような気がします。
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こんなゆる~い鉄道イベントもあるのね [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
今日も、ネットをいろいろあさっていて見つけたニュースからのネタです。

コロナが流行する前は、鉄道がメジャーな趣味として認知されるようになったこともあり各地で様々な鉄道関連のイベントが行われ、それが鉄道好きな人をさらに増やす効果もあったと思いますが、コロナ禍になってからというものそういったイベントもなかなか開催されなくなり、開催されても決して安いとはいい難い金額の有料・少人数のものか子供や家族連れ向けのものが多くなり、かつてのような思い立ったその日にでも気軽に出かけられる車両基地や工場の公開イベントなどはなかなか復活の兆しが見えていない印象があります。
でもそんな中、横浜でかなり敷居の低い鉄道イベントが行われているようです。
詳細は下記のリンク記事からどうぞ。

横浜に“てきと~”な鉄道テーマパーク爆誕!体験イベント「てきと~な鉄道展」に行ってみた (TOKYO HEADLINE)
https://www.tokyoheadline.com/640487/

いやあ~、イベントレポートを読んでいるだけで楽しい気分になってくるこのゆる~い世界観がいいですね。
しかも、日本の鉄道とはある意味対極の概念でもある「てきと~」というコンセプトの鉄道イベントなんて、おそらく他には例のないものでしょう。
本格的な鉄道の知識がなくてもふらっと立ち寄ることができ、それでいて鉄道の世界を「ゆる~く」知ったり体験することができるこのイベントは、これまで鉄道に特に関心のなかった人にもとっつきやすいイベントだと思います。
イベントの内容を読む限り年齢や「鉄分」の濃淡も関係ない、ある意味今の時流に合った鉄道イベントの形かもしれず、こういうイベントが鉄道に関心や親近感を持つ人の増加という形で鉄道界に貢献できるのだとすれば、「ゆる~くててきと~」という世界観もこれからの鉄道界には必要な概念になるかもしれませんね。
幸い会期もそこそこ長いので、ぜひ時間を見つけて私もこの「ゆる~くててきと~」な鉄道の世界を体験しに行きたいと思っています。
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あの頃はわりと地味な駅だったんだけどね… [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:東京で思い出深い街は?

東京都内で思い出深い街といえば、何といっても生まれ故郷の大田区蒲田とかその後住んだ清瀬市は外せません。
でも今回は、27年前に新卒で入社した会社の最寄り駅だった(今も?)浜松町駅や竹芝桟橋のあたりの思い出を書きたいと思います。

社会人になるまで、浜松町駅といえば個人的には羽田空港へ向かうモノレールへの乗換駅という以上のイメージはなく、近くの有楽町や新橋と比べても地味な駅という印象がありました。
街としての浜松町や大門・竹芝のあたりへ出かける機会も特になかったので、電車で通過したことは数えきれないくらいあったものの浜松町駅を目的地への最寄り駅として利用したのは、新卒で入社した会社の面接の時が初めてでした。
この時利用した改札は、東京モノレールへの乗り換えに便利な橋上駅舎にある改札ではなく、新橋方にある北口でした。
当時の浜松町駅北口は、ここが山手線の駅かと思うくらいの規模の小ささで、ここだけを見ると私鉄の普通電車鹿停車しない小駅のようでした。
改札を出て左手方向には世界貿易センタービルの巨大なビルがそびえ、その向こうには多くの飲食店が立ち並んだ大門の交差点があります。
一方線路を挟んで海側は大きな建物は少なく、飲食店も少なくて大門側と比べると何となくのんびりした空気も流れていました。
そして私は、そんな海側の街並みを通って竹芝桟橋そばに立つ再開発ビルに入っている会社へ通勤するようになりました。
当時の竹芝のあたりは、バブルの頃の「ベイエリア」の再開発の効果で、それ以前にイメージしていた竹芝桟橋周辺の後継とは違う、未来的なイメージのビルの立つ街という印象がありました。私が竹芝へ通うようになった翌年には「ゆりかもめ」も開通し、昼食時などによく利用した小さな公園から眺めるレインボーブリッジやお台場のフジテレビの球体などと合わせ、何だか時代の先端を行く街で働いているというちょっとした誇りのようなものもありました。
まあ、浜松町駅からそこへ向かうまでの街並みはそれに伴って大変化、というほどではありませんでしたが。

結局、私の浜松町・竹芝通いは新卒入社の会社を辞めた2002年の8月いっぱいで終わりました。
その頃は、これといって大きな再開発が行われるというような話も聞いていなかったように記憶してますが…
そんな浜松町エリアがこれから大変貌を遂げようとしているというのを知って、かつてそこに毎日通っていた身としてはかなりの驚きがありました。
浜松町のランドマークともいえた世界貿易センタービルも取り壊され、新たな高層ビルが建つとか。
以前から少しずつ再開発されてきていた竹芝のあたりと合わせ、あと10年ぐらいも経てば、私が毎日接してきていた浜松町周辺とは全く違う街に変貌していることでしょう。
私自身はその変貌ぶりを自分の目で実感することは叶わなくなってしまったけれど、この再開発で以前は地味な存在だった浜松町が一躍東京の注目スポットにのし上がるかもしれないと思うと、感慨深いものがあります。
でも個人的には、焼き鳥屋さんの開け放したドアから焼鳥を焼く煙の臭いが漂ってくるよう、大門駅周辺の庶民的な街並みは消えないでほしいと思います。
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肉声だからこその感動 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
いつものごとく、ネットニュースをあれこれチェックしていたら、下記のリンクのようなちょっといいニュースを見つけました。

41年勤務の車掌さん、ラストランでアナウンス「私ごとですが…」 その後下車したホームでの出来事に「遭遇したら泣いちゃう」「素晴らしい」(まいどなニュース - Yahoo!ニュース)
https://news.yahoo.co.jp/articles/52ba4ca943008d45bd3e23a632973f77883fd281

どうも気分が沈みがちになるニュースが多い中、こんな話題に触れると素直にホッとするものがあります。
この車掌さん自身も前置きしているように、この日のこの列車が車掌人生最後の乗務列車だということは、あくまでも車掌さんの「私事」であり、そのようなことを車内アナウンスで言わなくてもいいではないか、という意見もあるでしょう。
でも、長年にわたる車掌人生の最後という節目を、多くの乗客とともに迎えられるという感慨は計り知れないものがあるだろうし、私がそのアナウンスをたまたま実際の列車内で聞いたとしてもおそらく胸にグッとくるものがあったでしょう。

私はYoutubeで鉄道関連の動画を見るのも好きで、列車内で撮影されたり録音されたものではその最中に流れる車内アナウンスを聞くのも楽しみの一つになっています。
私がこれまで見てきた動画の中には、今回のような車掌としての最後のアナウンスが収録されているものはなかったと思いますが、廃止される列車の最終運行の日の最後のアナウンスには、実際にその列車に乗っていない者でも聞いていて思わず涙がにじんできてしまうものも多くあります。
そこまで特別なアナウンスでなくても、朝の通勤時間帯に「おはようございます」とか「本日も一日お元気でお過ごしください」、夜の帰宅時に「本日も一日お疲れ様でございます
」などといった車掌さんの言葉を聞いた時にはとても嬉しかった思い出があります。
このような車内アナウンスを聞いて感動を覚えるのも、それらが車掌さんの肉声だからこそではないかと思います。
冒頭のリンク記事でも紹介されているアナウンスも、おそらくは41年間の車掌人生の重みがにじみ出るような声でのものだったからこそ、聞いている乗客にもそれが伝わって感動を呼んだのでしょう。仮に同じ内容を自動放送で流したとしても「あ~、そうですか」と聞き流されてしまうかもしれませんし、「今日も一日お元気で」とか「お疲れ様です」などの言葉も同様かもしれません。

最近では列車内で車掌さんの肉声でのアナウンスを聞く場面も減り、あったとしても具体的な接続列車の案内、社内マナーや感染対策のお願いといったものがほとんどを占めるようになってきたように思います。
そして今後列車のワンマン化やドライバーレス化が進むと、列車内で人間の肉声を聞くこと自体が、ある種特別な経験になってしまう日が来るかもしれません。
でも、「私事」でなくても車掌さんやそれに代わる人の温かみのある肉声の言葉は、列車内の空気を和やかなものへと変える効果が大いにあると思われ、これもなくしてほしくない鉄道文化ではないかと思います。
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