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【乗り鉄の思い出】いすみ鉄道&小湊鐵道 初乗車の思い出 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
10年前のいすみ鉄道&小湊鐵道初乗車の思い出、今回も続きます。

大原駅からキハ52に乗ること41分で、「急行2号」の終点大多喜駅に到着しました。
大多喜駅は、本社も置かれたいすみ鉄道の中核をなす駅で、駅構内には小さいながらも車両基地があり、駅舎に面した上総中野方面行のホームからも眺めることができます。
大多喜駅に到着後乗客を降ろしたキハ52は、一旦上総中野方へ引き上げたのち、転線して構内の側線へ移動。
ここで午後の「急行3号」発車まで2時間弱の小休止に入ります。

さて、キハ52に乗るという目的は果たしたものの、もう一つの目的であるいすみ鉄道全線完乗のためには残るこの先上総中野までの区間も乗らねばなりません。
そこで、大多喜からは一般車両で終点を目指します。
乗車するのは大多喜12:17発の上総中野行。
普段は単行(1両)での運転なのかもしれませんが、急行からの乗り継ぎ客があることも考慮したのか、この日はいすみ201号と207号による2両編成でした。
両車は国鉄木原線がいすみ鉄道に転換された時に導入されたレールバスいすみ200形で、2両のうちいすみ207号はこの乗り鉄から間もなくの引退を控えていたタイミングでした。
上総中野方に連結されたいすみ201号に乗車すると、車内は混雑することもなくほどよい乗車率。
いすみ200形はオールロングシート車で、昭和の面影が色濃く残るキハ52とは対照的に明るく軽快なイメージの車内になっていました。
観光列車的な色彩が強いキハ52とは違い、地元の足としてのいすみ鉄道の姿が垣間見えるのんびりした雰囲気の中、大多喜を定刻に発車して各駅に停車しながら上総中野へ向かいました。

黄色いレールバス重連は、12:37定刻通り上総中野駅に到着。
これにてまずはいすみ鉄道の全線踏破達成です!
完乗達成の余韻を味わいつつ、大多喜では停車時間の関係でゆっくり撮影する余裕のなかったいすみ200形2両をゆっくり撮影しました。
ここまで乗車してきた2両の車体には、当時いすみ鉄道のキャラクターだったムーミンと仲間たちのイラストがたくさんラッピングされていました。

次回も続きます。
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【乗り鉄の思い出】いすみ鉄道&小湊鐵道 初乗車の思い出 その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
10年前のいすみ鉄道&小湊鐵道初乗車の思い出、今回も続きます。

国鉄型キハ52 125による大多喜行「急行2号」は、定刻11:12に大原駅を発車。
車内は1ボックスに1~2人ぐらいの乗車率で、のんびり国鉄型気動車の乗り心地を味わうにはちょうど良い乗り具合でした。
車内にはアテンダントの女性も乗務していて、車窓案内を含むアナウンスやグッズ販売などに大活躍でした。
その活躍は大原駅発車前から始まり、乗客一人一人にキハ52の解説やキハ52 125がいすみ鉄道にやってくるまでの経緯が掲載されたリーフレットの他、キハ52のサイドビュー写真入りのパッケージに入った「うまい棒」ならぬ「うmy棒」が配られました。
「うmy棒」の中身自体は本家の「うまい棒」そのもので、私がもらったものの味はコーンポタージュ味でした。
さらに大多喜までの道中では車内販売も行われ、私はあれこれ悩みながら国産杉の間伐材で作られたというコースターを購入しました。
また、「観光急行」だけあって途中のビュースポットではその都度アナウンスもあり、沿線にある「リーダー」渡辺正行さんのお兄さんが経営されているという焼き鳥屋さんの前を通過するタイミングでもアナウンスが入ったのにはちょっと驚きでした。

大原発車後最初の停車駅上総東駅では大原行列車との交換のため4分、次の停車駅国吉駅でも再び10分間の停車時間がありました。
そう、いすみ鉄道の「急行」は「急いでは行かない列車」であり、ダイヤもそのコンセプトを体現しているかのようです。
停車時間に余裕のある国吉駅では、ほとんどすべての乗客がホームに出て記念撮影やホームの散策などを楽しんでいました。
当時、国吉駅にはいすみ鉄道のキャラクターでもあったムーミンのグッズを販売するショップもありましたが、この日は撮影したり構内をぶらついているうちに時間一杯になってしまい覗きに行けませんでした。

そして11:53、「急行2号」は定刻通り終点の大多喜駅に到着。
わずか41分の短い時間でしたが、2年ぶりに乗るキハ52での小さな旅は、大糸線で乗った時とまた違う満足感のあるひとときでした。

次回も引き続きいすみ鉄道編です。
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【乗り鉄の思い出】いすみ鉄道&小湊鐵道 初乗車の思い出 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
ここ数日続いているいすみ鉄道関連の記事、まだまだ続きます。
今回からは、2012年1月にいすみ鉄道のほか、同鉄道と上総中野駅で連絡する小湊鐵道の2つの非電化ローカル線で房総半島を初めて横断した乗り鉄の思い出を振り返ります。
もともとこの乗り鉄旅は、前年の2011年4月にいすみ鉄道での営業運転がスタートした国鉄型気動車キハ52 125に初めて乗りに行くことが一番の目的でしたが、同時に実はこの日まで乗車経験のなかったいすみ鉄道と小湊鐵道を全線乗りつぶすこともまた目的でした。
そして、この2つの路線をどちらも全線踏破することで、千葉県内の鉄道全線の完乗が達成されることにもなるので、この点でも一つの思い出になると考え、日帰り乗り鉄旅に出ることにしました。

2012年1月29日、自宅を朝出発し、総武線快速と外房線普通列車を乗り継いで、10:33に外房線といすみ鉄道の乗り換え駅大原に到着。
早速いすみ鉄道の乗り場へ向かいます。
といっても、ここ大原から乗車するキハ52の観光急行「急行2号」が大原駅にやってくるまでには少し間があるので、ひとまず駅前へ出ました。
JRの駅舎に併設されたいすみ鉄道の大原駅の駅舎の前には、いすみ鉄道の黄色いレールバスやキハ52とそれぞれ同じカラーにラッピングされた2台の自販機が設置されていました。
同様の自販機は、この日確認できただけでもこの他に国吉・大多喜・上総中野の各駅にも設置されていて、後年キハ28がいすみ鉄道にやってきた後にはキハ28カラーのものも登場しました。(現在の状況は不明ですが)

前回の記事でも書いた通り、いすみ鉄道の観光急行に乗車するには乗車券とは別に急行券を購入する必要があるので、上総中野までの乗車券とともに駅売店の店員さんも兼任する駅員さんから購入しました。
その急行券は、昔ながらの硬券で発券してもらうことができ、今や貴重な改札鋏の入った切符を手にすることができます。
しかも乗車後も回収されることなく記念に持ち帰れるのも嬉しい限りです。

10:57、大多喜からの「急行1号」でいよいよ本日最大のお楽しみであるキハ52 125が到着。
私にとっては、JR時代最後の活躍の場だった大糸北線(南小谷ー糸魚川間)からの引退を目前に控えた2010年3月の糸魚川駅以来、約2年ぶりの再会でした。
「急行2号」の改札が開始されるとさっそくホームへ出て、久しぶりに再開するキハ52 125をあれこれ撮影したり観察したりしました。
同車は、大糸線時代末期と比較すると、塗装が紺とベージュの昭和30年代までの旧気動車標準色を再現したものから、朱色とクリーム色の国鉄一般型気動車標準色に戻され、助士側(車両前面左側)前面窓内側に設置されていた行先表示器が撤去されたことで、原型に近いすっきりした外観になっていました。
この日の同社は、大原方(駅舎側)の前面にはかつての房総急行「そと房」のヘッドマークが付いていました。一方、反対の大多喜・上総中野方はヘッドマークのないプレーンな姿でした。
側面に回ってみると、ここにも運転区間や「急行」を表示したサボ(行き先表示板)が掲げられ、国鉄時代の雰囲気づくりに一役買っていました。
もちろん側面の車番などの標記も国鉄スタイルのもので、所属標記も「千カウ」(千葉鉄道管理局勝浦機関区?)と「ご当地」のものになっていました。

あれこれ見て回ったり写真を撮影しているうちに発車時刻が近づいてきたので車内へ。
車内は大糸線時代とあまり変化はなさそうでしたが、やはり全般的には国鉄ムードたっぷりです。
そして11:12、「急行2号」は大原駅を発車。
大多喜駅まで41分のキハ52の旅が始まります。
この続きはまた次回です。
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【乗り鉄の思い出】いすみ鉄道キハ28 初乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
ここ数日、現役引退まであと1年を切ったいすみ鉄道のキハ28 2346やそこからつながる話題についての記事が続いていますが、今日もそのキハ28についての思い出を振り返ります。
今回は、先日の記事でも記した一般向け内覧会の後、営業運転に向けての本格的な整備を経て2013年3月にいよいよいすみ鉄道での営業運転を開始したキハ28に初乗車した時の思い出です。
2013年4月28日、いすみ鉄道国吉駅前の商店街で行われた「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」(以下「みんしあ」と略します)という町おこしイベントが開催されました。
そこで、このイベントを見に行くのに合わせて、営業運転を開始したばかりのいすみ鉄道のキハ28に初乗車するとともに、いすみ市内にあって多くの鉄道車両が保存展示されている「ポッポの丘」という施設も見学することを目的にいすみ鉄道を訪れることにしました。
(以下、列車時刻などのデータは2013年4月時点のものです)

当日は朝早く自宅を出て、新宿駅7:09発の255系特急「新宿わかしお」でいすみ鉄道との接続駅である外房線大原駅へ向かいました。
「新宿わかしお」は8:54に大原駅に到着。さっそく改札を出てすぐ右手にあるいすみ鉄道のホームへ向かいます。
いすみ鉄道の観光急行に乗車するには乗車券のほかに急行県が必要なので、駅舎内の自動券売機で当日分のフリーきっぷを購入した後、売店の店員さんも兼任の駅員さんから急行券を購入します。
キハ28は指定席車として連結されるため、乗車するには座席指定も受ける必要があり、もちろん座席指定ありの急行券を購入しました。
営業開始からまだ日も浅く注目度も高いだけに座席が撮れるか不安でしたが、幸い無事に指定券をゲットでき、キハ28に乗車できることとなりました。
購入した急行券は硬券で、乗車日・発車時刻・席番は手書きで記入、そして改札鋏の入鋏跡も入り、これだけでも国鉄時代のローカル急行の雰囲気は十分です。
しかも乗車後の急行券の回収もないので乗車記念品としての価値も高いです。
ちなみにこれから乗車する大原9:20発の「急行1号」は上総中野行ですが、急行券の発売区間は途中の大多喜までで、大多喜ー上総中野間は各駅に停車し、急行券なしで乗車可能でした。

改札を入りホームに出ると、すでにキハ28+キハ52の国鉄型キハコンビが入線していました。
やはり国鉄色の車両は、どこでいつ見てもその場の風景によくなじんでいいものです。
キハ28は大原寄り(駅舎側)に連結されていて、前面にはかつての房総地区の急行列車を思わせるヘッドマークも掲げられていました。
キハ28の前面種別表示は、私が乗車前にホームで撮影していた時点では、折り返し前の大多喜始発の快速の時の「快速」表示のままでした。(その後発車前に「急行」表示に変わりました)
また車体側面に標記された所属車両基地の電略標記は、キハ52と同じ「千カウ」(勝浦機関区の意味?)になっていて、ここにも国鉄時代を再現する演出が感じられました。

ホームでキハ28の外観撮影を一通り終えて、いよいよキハ28に乗車。
そのキハ28のデッキには、この後向かう「みんしあ」のポスターが掲げられていて、改めて国鉄ではなくいすみ鉄道に乗っているのだということを気付かされます。
車内は内覧会で見た時とほぼ同じ、JR時代に改造されたままのセミクロスシート仕様で、原形のオールクロスシート仕様への復元はなりませんでした。
またロングシート部の一部に張られたJR西日本オリジナルの優先席用の黒地にカラフルな模様の入ったモケットもそのままでしたが、その他の部分(ボックス部分・ロング部分とも)は国鉄時代を思わせる青いモケットに張り替えられていました。

キハ28+52の「急行1号」は9:20に大原駅を発車。
「みんしあ」へ向かう人たちで混雑するかと思いきや、キハ28の車内は大きな混雑もなく、上総中野までの1時間強の間ワンボックスを一人で占領して急行型キハの旅を満喫することができました。
大原を出て最初の停車駅国吉駅に到着する直前、構内には、同じ千葉県内の久留里線を最後に引退した後、いすみ鉄道にやってきた国鉄色のキハ30 62の姿も見ることができました。
国鉄色のキハ3両の揃い踏みは、できるものなら列車から降りて撮影したいくらい魅力的な光景でした。
国吉駅では大原行列車との交換のため10分ほど停車。もちろんこの間も社内でじっとすることなく、ホームへ出て撮影をしたり、ホーム上をぶらぶら歩いたりして過ごしました。
上下線の線路を挟んだ上りホームから下りホームに停車中の国鉄型キハコンビを眺めていると、これぞまさしく国鉄時代の非電化ローカル線というムードがたっぷり感じられ、これが21世紀の光景とは信じられないほどでした。

発車時刻が近づいたので再びキハ28の車内に戻って引き続き上総中野を目指します。
国吉と大多喜では下車する人も多く、大多喜からは各駅停車となって事実上普通列車扱いになり、車内ものどかな雰囲気になっていきました。
そして10:26、国鉄型キハコンビは終点の上総中野に到着。
国鉄型気動車を代表する形式の一つでもあるキハ58系の乗り心地を満喫しながらの、あっという間の66分間でした。

上総中野に到着した国鉄型キハコンビは、同駅10:46発(この日実際には「運転上の都合」とやらで7分ほど遅延)の大多喜行で折り返します。
もちろん私も、この列車で大多喜へ戻りましたが、この列車では相方のキハ52 125に乗車しました。
この大多喜行は普通列車のため急行券なしで国鉄型キハに乗れることと、上総中野で接続する小湊鉄道からの乗り継ぎもできるためか、先ほどの「急行1号」よりも乗車率は高かったです。

こうしていすみ鉄道へやってきたキハ28の初乗車を終えた私は、その後「みんしあ」のイベントを楽しんだり、ボンネットバスの乗車を楽しんだり、「ポッポの丘」に保存された鉄道車両を見学したりして楽しい一日を過ごしたのでした。
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まさかあの「国鉄遺産」が令和の世に復活? [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
昭和の国鉄型車両を象徴する車両内外のアイテムには様々なものがありますが、そのうちの一つがボックスシート部分の窓下のテーブルの下部に設けられたビン入り飲料の王冠を外すための栓抜き。
かつて列車内でビン入り飲料を飲むのに重宝したというこの栓抜きも、缶やペットボトル入りの飲み物が普及してからというもの存在感を失い、やがては撤去されたり初めから装備されなくなるなどし、今やほぼ保存車両の中にしか残っていないのではと思われるアイテムになっています。(ちなみに、ここ数日記事で話題にしているいすみ鉄道のキハ28 2346の車内にもボックスシート部のテーブルに栓抜きが残っていたと思います)
そんな、懐かしい昭和の面影とでもいった存在の「栓抜き」ですが、何とこれをユニバーサルデザインの視点から再現した商品が発売されたそうです。
詳細は下記のリンク記事からどうぞ。

「昔は汽車に付いとった」固定式センヌキ、ユニバーサルデザインとして注目し再現 : 読売新聞オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/national/20220519-OYT1T50207/

かつてこの固定式栓抜きを車内に装備することを考えた人は、まさかそれから70年も経ってから意外な形で存在が見直されることになろうとは、夢想だにしなかったでしょうね。
確かに列車の座席に座った状態で使用することが前提の栓抜きなら、車いすに座っていても片手が動かせれば使えるのではないか、ということなんでしょうね。
今ではビン入りの飲み物といっても昔と比べて限られた存在になったので、実際にどのくらいニーズのあるものなのかはわかりませんが、この固定式栓抜きの考え方を発展させてペットボトルのキャップなどを開ける道具を開発したりするような流れになっていけば年齢や障害の有無に関係なくだれでもが使いやすい商品が世の中に広まるきっかけにもなるという意味で、なかなか意義のあることだと思います。
しかも、製造にあたっては地元の業者や福祉施設との連携も行われていて、こうしたところでも地域創生やユニバーサルデザインの考え方が反映されているのも素晴らしいと思います。
それにしても、すっかり「国鉄遺産」といった存在になっていたアイテムが、こんな形で実用性が見直されるとは、世の中分らないものですね。
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【鉄道イベントの思い出 番外編】初めてのボンネットバス体験 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。
前回は、来年2月には現役を引退することになったいすみ鉄道の国鉄型気動車キハ28 2346がいすみ鉄道に入線した直後に開催された、お披露目内覧会に出かけた時の思い出を振り返りました。
その記事の最後にも少し書きましたが、今回はその内覧会の関連イベントとして行われた、キハ28同様こちらも懐かしいある乗り物の体験乗車の思い出です。

前回の記事にも記したような感じで国鉄急行色の姿に戻ったキハ28の内覧会を存分に楽しんだ後
、会場となった大多喜駅の改札を出ました。
外へ出ると、駅舎の前ではいすみ鉄道を応援するさまざまな活動を展開していてイベントなどではボランティアスタッフとしても活躍している「いすみ鉄道応援団」の方々がポップコーンを販売していました。
このポップコーンはいすみ鉄道のイベントに行くといつも販売している人気商品で(現在も販売される機会があるのかどうかわかりませんが)、定番の塩味だけでなくカレー味やコンソメ味といった他ではなかなか見かけない味もあり、この日の私はその中からカレー味を選んでみました。
ポップコーンを買うと近くにいた応援団の方々が一斉に一本締めまでして下さり、なんだかちょっと照れくさい場面も(笑)
この応援団のボランティアスタッフの中には当時私がやっていたブログの読者になってくださっていた方もいて、少しだけですが近況報告などすることができました。

そして、道路を挟んで駅のすぐ前にある大多喜町の観光案内所の横に止まっていたのは…
ボンネットバス!
このボンネットバスは確か一般の収集家が所有してイベントなどで走らせているもので、この日のキハ28内覧会に合わせて、大多喜駅前を発着点に大多喜の街を10~15分ほどで一周するコースで体験乗車が行われていたものでした。
私が生まれた頃にはすでにバスといえば現在のような車体形状のものがほとんどだったようで、物心ついたころにはすでにボンネットバスといえば「懐かしの」とか「郷愁を呼ぶ」と言われるような存在でした。
そんな、ボンネットバスの全盛時代を知らない世代の私にとっても、観光案内所の駐車スペースにたたずむ、どちらもいかにも昭和30~40年代のバスといった風情の塗装の2台のボンネットバスの姿には、どこか懐かしい気分になれるオーラのようなものが漂っていました。
このボンネットバスには、この日大多喜駅のいすみ鉄道グッズの売店で買い物をしたり、いすみ鉄道のフリーきっぷを大多喜駅の改札で見せるともらえる整理券があれば無料で乗車できたので、もちろん私も体験乗車することにしました。

整理券さえあれば無料で乗れるので乗車希望者の列が長く伸びているかと思いきや、昼前の時点では列はそれほど長くなく、待つこともなく2台のうちクリーム色系の塗装のバスに乗ることができました。
バスはほぼ座席定員ぐらいの人数を乗せたところで大多喜駅前を発車。ワンマン運転仕様ではないため、運転士の他に安全確認のための車掌(?)役のスタッフも乗っていました。
実は私、ボンネットバスに乗るのもこの時が初めてなら、ついでに言えば一般乗合用の車で車掌(約の乗務員)が乗務しているバスに乗るのもおそらくこの日が初めてでした。
駅前を後にしたバスは、しばらく大多喜の市街地を走った後、田園地帯に出ました。
この日は天気も良く、暑くも寒くもないちょうどいい気候の中、少し開いた窓から入ってくる風が気持ちよく、走りもゆったりしたボンネットバスの旅は、15分弱の短いものながら街並みや広大な田園風景を眺めながらの楽しい時間でした。

ちなみにボンネットバスの体験乗車を終えた私は、その後大多喜駅から朝も乗車したいすみ300形重連に乗っていすみ鉄道の終点上総中野駅まで往復し、さらにその後キハ52による観光休校に大原駅まで乗車して、この日のいすみ鉄道の旅を終えたのでした。
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【鉄道イベントの思い出】いすみ鉄道キハ28 お披露目内覧会 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
前回の記事では、JR西日本からの引退後いすみ鉄道で約10年にわたり活躍してきたキハ28 2346が、老朽化による補修部品の調達難などを理由に今年11月末で定期的な運転を修了し、来年2月には現役を引退することについて書きましたが、今回はそのキハ28 2346が、2012年秋にいすみ鉄道に入線して間もない時期に同線の大多喜駅構内で行われた一般向けのお披露目内覧会を見に行った時の思い出を振り返りたいと思います。

2012年10月21日に、JR西日本金沢総合車両所からいすみ鉄道に到着してまだ間もないキハ28 2346のお披露目内覧会が開催されるというので、早朝に自宅を出て「新宿わかしお」でいすみ鉄道との乗り換え駅大原までやってきました。
ここからはいすみ300形重連の上総中野行で内覧会会場の大多喜駅へ向かいました。
大多喜駅には10:14に到着。
上総中野行が到着した駅舎側の1番線ホームからは、構内踏切を渡った先にある、大原方面への列車が発着する2番線に停車中の10:18発の大原行「急行1号」としての発車を待つキハ52 125と、その隣の側線に留置されてすでに内覧会がスタートしていたキハ28 2346の並びを撮影することもできました。キハ28が営業運転に入った後はなかなか見られない光景でしたが、今後はどうなりますやら。

「急行1号」の大多喜発車を見送り、いよいよこの日の主役キハ28 2346のもとへ向かいました。
側線に停車していたキハ28は、金沢総合車両所ですでに高山本線で活躍していた当時の通称「高岡色」(えんじ色の地に白帯の塗装)から国鉄急行色へ塗装が戻されていたのは知っていましたが、いざ実物を目の前にするとやはり独特の存在感と何とも言えない安心感が伝わってきました。
いやあ~、これぞまさしく国鉄急行形気動車キハ58系という感じでした。
私は、キハ28 2346とは高山線時代に一度乗車して以来3年ぶりの再会となりましたが、あの頃と比べて国鉄急行色に戻った姿は心なしか生き生きとしているように見えました。
「生き生き」といえば、キハ28はただ留置されているだけではなく、エンジンを稼働させた状態の「生きた状態」で停車していたのが、本格的な営業運転開始への期待を膨らませてくれて嬉しい演出でした。
車両前面の表示幕には、私のいた時間には「臨時」の表示がされていました。この時点ではまだJR時代に変更された様式の表示幕が残されていたそうですが、営業運転に入った時にはもちろん国鉄スタイルの「急行」「快速」「普通」などの表示を見ることができるようになりました。

この内覧会でもう一つ嬉しかったのが、外観だけでなく車内も公開されていたことでした。
側線に設けられた車輛洗浄台から車内に入ると、各所にJR西日本時代の案内ステッカーが貼られたままだったり、ワンマン運転用の整理券発行機が残っていたりと、このあたりはいかにも新しい職場に到着して間もない車両といった感じでした。
客室の座席もJR時代に改造されたセミクロス仕様のままで(これはいすみでの営業運転開始後も同じですが)、優先席のモケットもJR西日本仕様のままでした。ただ、一般席部分についてはボックス席もロングシート部分もJR時代の茶色系のモケットから国鉄時代と同じ青色のモケットに戻されていました。
座席には実際に座ることもでき、特にボックスシートに座るとやはりこの車両は「急行形」なんだなという実感がこみ上げてきました。
この内覧会の中のイベントとして、昼頃にはこのキハ28の車内で瓶入りのジュースを飲みながら(ボックスシート部分の窓下に設けられているテーブルに、ビン入り飲料の栓を開けるための栓抜きが装備されている)駅弁を食べるという催しもあったようで、これぞ「昭和」な列車旅を追体験できる絶好のチャンスだったといえますが、私がこれを知ったのは自宅に帰ってきた後のことで、参加できなかったのは残念でした。
営業運転開始後もこういった経験はできていないままですが、引退までに実現できる機会は果たしてあるのでしょうか。

当時、このキハ28の復活はテレビや新聞、ネットなど結構いろいろなメディアで取り上げられていたようでした。またこの内覧会は特に事前申し込みなどは不要で当日有効の大多喜駅までの乗車券や大多喜駅の入場券、いすみ鉄道のフリーきっぷがあれば誰でも見学可能となっていました。
そのため当日はかなりの混雑を覚悟していましたが、少なくとも私がキハ28の近くにいた10:20頃から1時間ほどの間に限って言えば、車内外とも案外人は多くなく、撮影場所も限られたスペースしかないにもかかわらず混雑や撮影場所をめぐるトラブルらしきものもなく非常に撮影しやすかったのが印象的でした。

1時間ほどじっくりキハ28を撮影したり観察したりして、営業運転を開始したらぜひまた乗りに行こうと心に誓って会場を後にしました。
これでこの日の目的は無事達成!…と言いたいところですが、実はこの日、キハ28内覧会の関連イベントとして、大多喜の駅前からもう一つの貴重な乗り物に体験乗車できるという催しが行われていたので、私はこちらにも参加することにしました。
次回はこの乗り物の体験乗車の思い出を振り返ります。
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ついにこの時が来るとは… [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
ジョイフルトレインに改造された車両を除くとJRでは最後のキハ58系営業車として高山本線富山ー越中八尾間で最後の活躍を見せた後、千葉県のいすみ鉄道に活躍の場を移し、同じくJR西日本からやって来たキハ52 125とのコンビで観光休校やレストラン列車に活躍することほぼ10年、まさにいすみ鉄道の顔となってきたキハ28 2346が、今年11月で定期(的な)運用を修了し、来年2月には現役を引退するという衝撃的な発表がこのほどありました。
詳細は下記のリンク記事からどうぞ。

現役最後のキハ58系列、いすみ鉄道のキハ28形が引退へ - 鉄道コム
https://www.tetsudo.com/news/2677/

うーん、ついにこの時がやってきてしまったか…というのがこの記事を読んで初めに感じたことです。
老朽化した鉄道車両は車種に関係なく経年を増すごとに補修部品の調達が困難になり、しかも走行状態を維持するための各種定期検査に要する多額の費用が経営を大きく圧迫しているのはどこのローカル私鉄や第三セクター鉄道でも同じではありますが、高山本線時代にも一度、いすみ鉄道にやってきてからも数回乗車した馴染みのある車両が引退ということで、寂しさは拭えません。
そういえば、いすみ鉄道のキハ52+キハ28は、相変わらずの人気であるにもかかわらずコロナ禍に入ったか入らないかぐらいの時期のダイヤ改正で運用される列車が削減されました。その際会社側からは理由として、老朽化しているキハコンビの負担を減らして少しでも長く走らせるため、という説明があったような記憶があり、やはり奇跡の復活を遂げたいすみのキハコンビにも老朽化という現実は避けては通れないことを実感させられました。
しかしそれから3年程度で、まさかキハ28の引退が決まるとは思いませんでした。
来年以降は観光急行もキハ52単行での運転になりますが、老朽化による補修部品の調達難はキハ52とて同じことなので、そう遠くない将来にこちらも現役引退ということになってしまうのでしょうか。
ただそうなるといすみ鉄道としても、同社の知名度を全国区の存在に押し上げ、収入の上でも大きな貢献をしてくれたキハコンビの観光休校という目玉コンテンツを失うことは大きな損失になるはずで、このピンチをいすみ鉄道がどう乗り越えていくのか、キハ52入線を機に何度も乗車して好きになったファンの一人として大いに関心があります。
引退後のキハ28 2346がどうなるのか、現時点ではまだ決まっていないようです。これまでの同車の功績を考えると解体という結末には至らないと信じてはいますが、できれば現役時代そのままの姿で常時誰でもその姿を見られる状態で保存してほしいと思います。
いすみ鉄道の本社や車両基地もある大多喜駅構内なら、管理もしやすくイベントを開催することを考えても保存場所として最適かと思いますが。

いずれにしても、11月末の定期的な運用終了の前に、ぜひとも久しぶりにもう一度キハ28に乗りに行きたいものです。
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浪人時代の「鉄」活動 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
私が浪人生生活を送っていた1990年春から1991年春にかけての「鉄」活動の思い出、ひとまず今回で一区切りです。

その1でも書いた通り、私が浪人中に通っていた予備校は中央線沿線にありました。
当時の中央線(特快・快速)は国鉄型の201系の天下で、私も平日はほぼ毎日201系に乗って予備校へ向かっていました。
また、同じ線路を走る中央線特急「あずさ」「かいじ」もやはり国鉄型である183系で、「あずさ」用のグレードアップ編成が白ベースの新塗装に変わっている他は国鉄色の車両が普通に定期列車に使用されているという状況でした。
そんな中でも、時にはこれらとは一味違う車両を見かけることもあり、単調な予備校への往復の中の数少ない楽しみになっていました。
一つは、中央本線大槻・甲府方面への普通列車に使用されていたスカ色の115系。
現在でこそ立川以東へ乗り入れなくなった中央東線甲府方面への普通列車ですが、1990年当時は一日にわずか数本とはいえまだ新宿駅発着の列車が残っていて、日中にも上下合わせて2~3本程度スカ色の115系が新宿まで顔を出していました。
予備校では曜日ごとの時間割の関係で曜日ごとに通学時間が異なり、曜日によってはその115系普通列車を駅や乗車中の電車内から見ることができました。
オレンジ色の201系が目立つ中央線国電区間ではスカ色の115系は目立つ存在でしたし、同時にたまに予備校をさぼって予備校とは逆方向のやまなし方面へ乗り鉄したくなる誘惑が頭をもたげてきたりもしていました。

また、中央線には山梨・長野方面への団体臨時列車が設定されることも多く、それに使用される三鷹電車区や松本運転所、田町電車区や幕張電車区などの165・167・169系といった急行形電車や、三鷹電車区の「パノラマエクスプレスアルプス」、幕張電車区のお座敷電車「なのはな」などのジョイフルトレインと遭遇することもありました。
特にジョイフルトレインを見かけると浪人生とはいえ心は少しばかり浮き立ちますが、一方で列車の中で盛り上がっている団体客の姿をホームから見てしまうと、何とも言えないうらやましさや少々の嫉妬がこみ上げてきて複雑な心境にもなったものでした。

こうして振り返ってみると、浪人中でも遠出はできないにしても、まあそれなりには鉄道好きとしての楽しみはあったということになるんでしょうか。
いずれにしても、自分の好きなことを我慢せずにいたおかげで、浪人中でもあまりストレスに押しつぶされることなくどうにか1年間やってこれたのは事実で、その意味では鉄道趣味が私の人生にいい影響を与えたといってもいいのかもしれません。
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浪人時代の「鉄」活動 その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
前回に引き続き、私が浪人生生活を送っていた1990年春から1991年春にかけての「鉄」活動の思い出です。

今回は、浪人生として迎えた年末年始の事です。
まあ当然というか浪人生には年末も正月もないというわけで、私の通っていた予備校では年を跨いだ6日間ほどの間、集中的に個人学習を行う学習会が行われました。
これは、期間中毎日、朝8時から夜20時半まで、休憩や昼食・夕食を挟みつつ、2時間×5コマの10時間、参加者がそれぞれに持参した参考書や問題集を使って集中的に自習を行うというものでした。(合宿ではなく、自宅や下宿から毎日会場まで通うという形態でした)
学習会が行われたのは、東京大手町のとあるビルの貸会議室のような部屋でした。年末年始で利用客がほとんどなく空いていたのと、オフィス街なので勉強への集中を妨げるような誘惑もほとんどないということで会場として選ばれたのでしょう。
学習会の間は、先ほども書いた通り8時から20時半まで、ほぼ勉強漬けの時間を過ごすことになります。午前と午後に15分ずつ、昼食と夕食時にそれぞれ1時間の休憩はあるものの、休憩時間に外へ出て気分転換を図るということもできず(そもそも大手町周辺は年末年始に外へ出たところで食事のできる店もコンビニもほとんどなかったようですが)、受験生には酷な年末年始の世間の雰囲気から逃れて勉強するにはよかったけれど、気分的には正直辛い6日間でした。

しかし、そんな中での唯一の楽しみな時間が、それぞれの日の日程が終わり自宅へ帰る途中にありました。
20時半にその日の5コマ目の自習時間が終わり解散になると、会場のビルから近い地下鉄の大手町駅ではなく、徒歩6~7分ぐらいのところにあるJR東京駅へ急いで向かいます。
東京駅へ急いだのは、もちろん帰宅のためでもありますが、それよりもこの時間だからこその理由がありました。
それは、21時台前半に相次いで東京駅を発車する2本のブルートレインの発車を見るためでした。
当時、東京駅からは21:00ちょうどに高松行「瀬戸」、21:20に出雲市行「出雲3号」が発車していました。
そのため、勉強漬けだった一日の終わりに、このブルトレの発車を見送ることで少しでも勉強へのモチベーションを維持しようとしたのかもしれません。
そして、学習会の期間中毎日、この2本の発車を見送っていると、浪人中なかなか思うように乗り鉄や鉄道旅などもできない中で、ホームの賑わいも含めて、わずかではあっても旅の気分を感じることができ、正直面白みのない浪人生生活の中の貴重な癒しの時間になったのは間違いありません。
あの時、東京駅でブルトレに元気とやる気をもらったから1年遅れながら大学生になれた…かどうかはわからないけれど、やはり鉄道好きにとっては、好きな車両や列車の近くにいるとそれだけでパワーをもらえるということもあるんでしょうね。

浪人生時代の「鉄」活動の思い出、次回も続きます。
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