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瀬戸内の夜明け [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:心打つ自然現象

多分今まで見た中で一番、見られたことに感動した光景、それは・・・
2008年の夏、山口県内のJR山陽本線神代ー大畠間を走行中のブルートレイン「富士はやぶさ」車内から拝むことができた、瀬戸内海(周防灘?)に昇る朝日です。
もちろんその時車窓から撮影した写真を今でも持っていますが、アップできないのが何とも残念です。
かつてこの区間は、朝日を浴びながら瀬戸内の海岸沿いを西へ向かう、東京発のブルトレを撮影することができる撮影名所として有名だった場所で、私もここで撮影されたブルトレの写真を目にするたび、「ブルトレの車窓から瀬戸内の朝日を拝みたい」という思いが強まっていきました。
曇り空だったり、日の出の時刻と海の見える区間を乗車した列車が通過するタイミングが合わなかったりでなかなかその願いは叶わないでいましたが、山陽本線を走るブルトレ最後の夏となった2008年の夏にやっとその念願が叶いました。
子供の頃の憧れの存在だったA個室シングルDXオロネ25を改造したオロネ15の個室の中から、瀬戸内海に昇るきれいな朝日を拝むことができました。
一番の理想だった、食堂車で朝食をとりながら瀬戸内の朝日を拝むという願いが実現することはなかったけれど、誰に気兼ねすることもない個室内でゆっくり絶景を眺めることができただけでも非常にいい思い出になりました。
今でも時期によっては岩国や柳井あたりからの早朝の普通列車に乗って同じ景色を見ることはできるでしょうが、果たして115系や227系電車の車内から昇る朝日を眺めても、ブルトレの車窓から眺めるのと同じように感動することはできるのでしょうか?

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身体が元気な時の入院って・・・ [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:入院したことある?

思い出してみれば、物心ついた後だけでも4~5回、さらに物心つく前にも1~2回入院しているらしいので、地味に入院回数は多いです。
ただし、幸いというか、物心ついた後に限ってみれば、外出先で体調不良を起こして救急車で搬送されたケースがあるほかはあまり深刻な事態での入院というのはありませんが。
今回はそんな入院体験の中から、20年近く前に目の白内障の手術で1か月ちょっと入院した時のことを書きたいと思います。

2002年秋に、定期的に通院していた眼科で両眼に白内障の症状が見つかり、ちょうど新卒で入社した会社を辞めて無職状態だったこともあり、この機会に両眼とも手術することになりました。
近年では、日帰りでの白内障手術も普通に行われるようになりましたし、手術そのものも1時間ちょっとで終わる、それほど難しいものではありませんでしたが、両眼に同じ処置をすることになったのと、術後の経過を慎重にみるために少し長めの入院となりました。
両目を手術するといっても両眼同時に手術するのではなく、入院後5日ぐらいでまず片眼を手術し、1週間ほど術後の経過を観察の上、問題がないことが確認できてからもう一方の眼を手術し、同様に経過観察するという手順を踏みました。
手術した方の眼には術後数日間眼帯を付けましたが、上に書いたような理由で常にどちらか一方の目は普通に見えているので、特に介助の必要もなく普通に歩き回れる状態でした。
なので、2回とも朝9時頃から手術を受けて昼前には病室に戻り、それ以降は何事もなかったように過ごしていました。

この入院生活を一言で言うなら、「暇」という言葉に尽きました。
術後はしばらく入浴やシャワー、洗顔ができないなど多少の制約はあるものの、基本的に体調は何の問題もなく、先ほども書いた通り介助なしで普通に歩き回れるくらい元気なので、診察や検査は別として他に大してやる事もない日々は退屈でしかたがありませんでした。
あまりにも暇なもので、せっかくベッドがあるんだからと、会社勤めの平日はできない昼寝などしてみようかとも思うんですが・・・
こういう時に限ってちっとも眠れなかったりするものです。
そして、21時という普段の生活ではありえない浅い時間の就寝。
疲れているわけでもなければ体調が悪いわけでもないから、こんな時間にすんなり眠りに入れるわけもなく、早くても22時頃まではこっそりテレビを見たり、ラジオや音楽を聴いたりして何となく起きてました。

こうして両眼とも白内障を手術した後は、以前より見え方が目立って改善されたのを実感できました。十数年後に視覚障害者になることは当時は想像できませんでしたが・・・

そんな入院生活でしたが、退院の日にはやっぱり「やっと家に帰れる!」「娑婆に帰れる!(笑)」という喜びというか、ホッとした気持ちでいっぱいでしたね。これはそれ以外の入院の時にも感じたことではありますが。
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こりゃ年齢がバレるな(笑) [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:子供のころ流行ったもの

このお題を見て、改めて思い出してみると、私が幼稚園から小学生だった時代って、結構いろんなものがブームになったんですよね。
子供向けのおもちゃやグッズだけでも超合金にガンダムに、キン消し(キン肉マン消しゴム)になめ猫グッズに・・・
アイドルではキャンディーズやピンクレディーの大ブレイクもありました。
もっとも、これらは私の場合ほとんどスルーしてましたけど(笑)
あとインベーダーゲームも流行っていたし、任天堂が出していた「ゲームウォッチ」なんてのも2~3個持っていた記憶があるな・・・

私が覚えている初めての「ブーム」は、幼稚園に入ったか入らないかぐらいの時期の「スーパーカーブーム」。
すでに鉄道好きになっていた私も、CMなどで流れるかっこいいスーパーカーの映像に魅了されたものです。
当時確か東京12チャンネル(現在のテレビ東京)でその名も「スーパーカークイズ」という子供向けのクイズ番組がありました。番組の内容はスーパーカーに限らず乗り物全般についてのクイズ番組だったと思いますが、毎回番組の終わりに「宿題クイズ」として、スーパーカーがサーキットやメーカーのテストコースなどを颯爽と走る映像を見て、テレビを見ている視聴者が車種を充てるクイズコーナーがあり、そこで流れるスーパーカーの走りに、鉄道にハマりつつあった私も車大好き人間に傾きかけた思い出があります。

でも、個人的に一番のブームだったと思うのが、やっぱりブルートレインブーム。
東京駅でのブルトレウォッチングには、小学生の間に数回行きました。
日曜の午前中を東京駅で過ごしたのも、今や懐かしい思い出ですし、当時このブームに乗っていろいろ発売されたブルトレの写真や絵柄を使った文房具などもいくつか持っていました。
あの頃は、ブルトレどころか夜行列車そのものが絶滅の危機を迎えようなどとは露ほども想像もできない楽しい時代でしたし、かっこいい乗り物に純粋に憧れを抱くことができた、懐かしい時代でした。
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勉強漬けの年末年始に青い癒し [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。
昨日はかつて会社帰りに時折東京駅や上野駅で夜行列車やブルトレの撮影や見送りをしていたという話をしましたが、今回はその記事を書きながら思い出した浪人時代のエピソードについてです。

私は現役での大学受験に全敗し、浪人生活を送ることになり、西荻窪にある某予備校に通っていました。
その年の年末年始、まあ当然というか浪人生には年末も正月もないというわけで、私の通っていた予備校では年を跨いだ6日間ほどの間、集中的に個人学習を行う学習会が行われました。
これは、期間中毎日朝8時から夜20時半まで、休憩や昼食・夕食を挟みつつ、2時間×5コマの10時間、参加者がそれぞれに持参した参考書や問題集を使って集中的に自習を行うというものでした。(合宿ではなく、自宅や下宿から毎日会場まで通うという形態でした)
学習会が行われたのは、東京大手町にある某ビルの貸会議室でした。年末年始で利用客がほとんどなく空いていたのと、オフィス街なので勉強への集中を妨げるような誘惑もほとんどないということで会場として選ばれたのだと思われます。
学習会の間は、先ほども書いた通り8時から20時半まで、ほぼ勉強漬けの時間を過ごすことになります。午前と午後に15分ずつ、昼食と夕食時にそれぞれ1時間の休憩はあるものの、休憩時間に外へ出て気分転換を図るということもできず(そもそも大手町周辺は年末年始に外へ出たところで食事のできる店もコンビニもほとんどなかったようですが)、受験生には酷な年末年始の世間の雰囲気から逃れて勉強するにはよかったけれど、気分的には正直辛い6日間でした。
しかし、そんな中で唯一の癒しの時間が、それぞれの日の日程が終わり自宅へ帰る途中の時間にありました。
20時半にその日の5コマ目の自習時間が終わり解散になると、会場のビルから近い地下鉄の大手町駅ではなく東京駅へ急いで向かいます。
東京駅へ急いだのは、もちろん帰宅のためでもありますが、もう一つのお楽しみがこの時間にあったのも理由でした。
当時、21:00に高松行「瀬戸」、21:20に出雲市行「出雲3号」の2本のブルトレが相次いで東京駅を発車していました。そのため、勉強漬けだった一日の終わりに、このブルトレの発車を見送ることで少しでも勉強へのモチベーションを維持しようとしたのかもしれません。
そして、学習会の期間中毎日、この2本の発車を見送っていると、浪人中なかなか思うように乗り鉄や鉄道旅などもできない中で、ホームの賑わいも含めて、わずかではあっても旅の気分を感じることができ、正直面白みのない浪人生生活の中の貴重な癒しの時間になったのは間違いありません。
その年の春、私は無事に浪人生生活にピリオドを打つことができました。あの時、東京駅でブルトレに元気とやる気をもらったから・・・かどうかは定かではありませんが、やはり鉄道好きにとっては、好きな車両や列車の近くにいるとそれだけでパワーをもらえるということもあるんでしょうね。
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スーツ姿で旅気分 [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:仕事終わりまずなにしたい?

ほとんどの社員がオフィスに通勤することのない会社に在宅勤務している者にとって「会社へ行く」とか「会社帰り」という言葉がもはや懐かしさすら感じるようになってきました。
私が都内の会社に通勤していた頃は、会社が終わるとまっすぐ飲み屋へ・・・などといったことはまずなく、ほとんどの場合は退社するとまっすぐ帰宅していました。
たまに鉄道関連の雑誌・書籍が充実している神田神保町の書店「書泉グランデ」に立ち寄ることはあるものの、その他に会社帰りにいつも何かをする、というタイプではありませんでした。
そんな私でも、時々楽しんでいたのが上野駅や東京駅での夜行列車の見送り。
2005年2月末の「さくら」「あさかぜ」廃止が発表された頃からだったと思いますが、時折ビジネスバッグにデジカメを忍ばせて会社帰りに東京駅や上野駅で夜行列車の撮影と発車の見送りをするようになりました。
2008年に急行「銀河」が廃止された後は、定時に会社を出た後でも発車に間に合う東京発の夜行列車が「サンライズ瀬戸・出雲」だけになったため、会社帰りの鉄分補給スポットは主に上野駅になりました。
18時過ぎに会社を定時退社して上野駅へ移動し、19:03発の「北斗星」からスタート、「北斗星」の撮影と見送りをした後上野駅構内の店で夕食をとり、その後「あけぼの」、さらにその後の「北陸」「能登」まで同じようにして見送ることが結構ありました。
会社帰りなのでスーツにビジネスバッグという姿ではあるものの、やっぱり「能登」を除きこれらの列車は上野駅では最も旅情にあふれる13番線の発車ということもあり、列車名や「札幌」「青森」「金沢」の行先表示には旅気分をいやがうえにもそそられるものがあり、会社に行くだけの一日になりがちな平日のよい気分転換になっていた気がします。
そして時には上野駅で「あけぼの」を撮影した後、「あけぼの」より早く上野を発車する489系の「ホームライナー古河」で大宮へ先回りし、ここでも「あけぼの」の撮影をしたことも、今となってはよい思い出になっています。
今となっては、定期夜行列車自体が「サンライズ」だけになり、アフター5(私にとってはアフター6でしたが)に夜行・ブルトレ三昧という時間を過ごせた日々も遠い思い出になりつつあります。
そう考えると、あの頃の私は鉄道好き敵に結構贅沢な仕事帰りの時間を過ごせていたのだなという気持ちになります。
またいつか、仕事帰りに遠くの街へ向かう列車に旅気分を感じる時間の持てる日々が来たらいいなと思う今日この頃です。




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熟女好きではないけれど [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:おじさん、おばさんは好き?

「おじさんは好き?」といわれても、何しろ自分自身がおじさんになってしまいましたからね・・・(笑)
まあ、おじさんもおばさんもいろいろな人がいるので、一概に好きだとか嫌いだとか言い切れるものではないですけどね。

私は、特に熟女好きという意識はないけれど、どういうわけか、世間でおばさんと呼ばれるような年齢層の女性に気に入ってもらえる傾向があるようで・・・
自宅の近所の人や母親の知り合いで私のことを知っていてくれる人は結構いるようで、子供の頃から顔なじみの人もいます。
それだけでなく、よく通っているお店の店員さんなども、私が話しかけやすいキャラに見えるのかどうか、よく声をかけてくれました。
以前、大学時代によく利用した、大学構内の購買部のある店員さんとのエピソードを書きましたが(その時の記事はhttps://gonana57.blog.ss-blog.jp/2019-06-07-1)、その他にも高校時代は高校最寄り駅の近くにある食料品店のおばさんや、その最寄り駅の売店の店員さん(こちらの方はやや若い人もいましたが)等とも顔なじみになっていました。
放課後や部活帰りにそれらの食料品店や売店で缶ジュースや菓子パン、スナック菓子などを買い食いすることがよくあり(食料品店の店の前にはベンチも置かれていました)、そんなときにはいつも店員さんに「いらっしゃい、お疲れ様!」などと声をかけてもらえるのが楽しみでした。
食料品店も駅の売店も、私の高校の生徒はかなり利用していたので、こうして声をかけてもらえるのは自分だけではないことはわかっていましたが、やはり声をかけてもらえるのはうれしいもので、また明日も行こうという気分になったものです。
あれからもう30年近く経ち、私達世代の某高校の生徒がよく通ったお店の数々も、おそらくかなり姿を消してしまっているかもしれません。
今某高校に通っている私の遠い後輩たちには、私達世代のような放課後の買い食いの思い出などはあるのでしょうか。
いずれにしても、今はコンビニなどで店員さんとのやり取りの思い出ができることもありますが、これから無人の店舗やロボットの接客する店が増えたりすると、お店のおばちゃんおじちゃん(もちろん若い店員さんともですが)との思い出というのも生まれなくなってしまうんでしょうかね?

そういえば、朝のラッシュ時の駅の売店で、神業ともいえるテクニックで次から次へ注文をさばき、お金のやり取りも素早く行う店員さんの姿というのも、駅売店のコンビニ化などでもう絶滅危惧の存在になってしまったんでしょうね。
これなども、鉄道界の文化遺産として何らかの方法で後世に伝える方法はないんでしょうか。
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ヨイショっと! [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:落語は好き?

落語、大好きです!
といっても、まだ一度も寄席や落語会などに足を運んだことはないんですがね。
それでも、ラジオで落語番組などやってると、ついつい聞き入ってしまいます。

特別に「推し」の落語家さんや好きな演目があるわけではないですが、とにかく落語を聴いていると楽しいし、確実に笑えます。

これでも、若い頃は落語というと年寄りの趣味というイメージがあってほとんど興味はなく、「笑点」もほとんど見たことはありませんでした。
それが今では、毎週とはいきませんが「笑点」も見るようになり、その面白さも味わえるようになってきました。

子供の頃は落語の面白さを知らなかった私ですが、そんな中でも好きだった落語家さんがいました。
それは、5代目月の家圓鏡師匠、そしてその後の8代目橘家圓蔵師匠です。
その昔、「メガネ曇っちゃった」でおなじみのメガネクリンビューのCMやエバラ焼肉のたれのCMにも出演していたあの落語家さんです。
私も師匠をこれらのCMで好きになり、後に文化放送やニッポン放送で放送されていた師匠のラジオ番組でのトークを聴いてさらに好きになりました。
そんな圓鏡(圓蔵)師匠でしたが、肝心の落語を聞いたことはありませんでした。
しかし、中学3年生の時だったと思いますが、何かの機会に私の通っていた中学校に圓蔵師匠が落語をしに来てくださることを知り、私は非常に楽しみにしていました。
当日、全校生徒が体育館に集まった中、出囃子とともに、体育館の舞台上にビールケースの上に畳を置いて組んだ高座に座った圓蔵師匠が現れました。
当日師匠がどんな落語を聞かせてくださったか記憶にありません。私はせっかくの機会なのでちゃんと落語を聞きたかったのに、やはり中学生にとって圓蔵師匠はCMで面白いことをいう人という認識しかないのか、それとも中学生にとってやはり落語は縁遠い存在なのか、師匠が話をされている最中も一部の生徒が私語をやめず、肝心の落語がまともに聞こえない場面が多々あったのが残念でした。
結局、圓蔵師匠の落語をきちんと生で聞くチャンスに再び恵まれることがなかったのは、子供の頃から師匠が好きだった者としては悔やまれてなりません。

落語の良いところは、しっかりしたストーリー性があって、聴いているうちにその噺の世界に引き込まれていく気分を味わいながら笑えるところですかね。

う~ん、やっぱり一度は寄席で生の落語の世界に触れないと、本物の落語好きにはなれないだろうな・・・

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どうせならもっと「爪痕」が残せていたら [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:テレビ番組の観覧に参加したこと、ある?

残念ながら私、これまで一度もテレビ番組の観覧をしたことがありません。
中高生の頃は、一度「夕やけニャンニャン」のスタジオ観覧を見に行きたくてたまらなかったし、その後も「笑っていいとも」を一度見に行きたいと思っていましたが、どちらの願望もかなわないまま番組が終わってしまいました。

その代わりというわけではないですが、ラジオの公開番組は2度ほど見に行ったことがあります。
一つは小学生の頃、父方の祖父に渋谷のNHK内の見学コース(今の「スタジオパーク」に相当するエリアです)に連れて行ってもらった時のこと。
見学コースを見ているうちに、ちょうど昼の12:30から、見学コース内のサテライトスタジオ的なスペースでラジオの公開生放送が行われるというので、見に行くことになりました。
その時観覧した番組は、当時NHKラジオ第一で平日の昼12:30から放送されていた「昼の散歩道」という25分間の公開生放送番組で、男性アナウンサーの司会で、歌手やタレントのゲストが毎回出演する番組だったようです。
私と祖父が観覧した時のゲストは、名前は忘れましたがあまり有名ではなかったらしい演歌歌手でした。
何せ私は小学生なので演歌歌手の名前はまだほとんど知らず、祖父もあまりラジオを聴く人ではなかったので、観覧そのものは正直それほど記憶に残るものにはなりませんでした。

もう一つは、高校2年の時のこと。
当時、文化放送で平日の15:00~18:00に「那智チャコハッピーフレンズ」というワイド番組があり、かつてTBSラジオの「パックインミュージック」の伝説的パーソナリティーとなった野沢那智・白石冬美(どちらも故人になってしまいましたね・・・)の二人がパーソナリティーを務めていました。
その番組の16:00から、主に首都圏各地の薬局やドラッグストアからの中継コーナーが放送されていました。
私が高校2年の時のある日、理由は忘れましたがいつもより早い14時頃に高校から帰宅し、当時毎日留守番録音して聞いていた同じ文化放送の「吉田照美のやる気MANMAN」を聴き、それが15時に終わり、そのまま「那智チャコ~」を何となく聴いていたらその中継コーナーの当日の中継場所が、自宅の最寄り駅の駅前にある薬局だということがわかり、せっかくなので行ってみることにしました。
放送開始15分ほど前に中継現場の薬局に着くと、すでに多くの人が集まっており、最終的には30人くらいが集まっていたように記憶しています。
そして16時になり中継がスタートしました。
まずはコーナーのMCを務める女性(タレント化フリーアナウンサーだと思われます)と中継を見に来た人たちの間のちょっとしたやり取りが繰り広げられます。
女性が、「ここ埼玉県○○市は西武ライオンズの本拠地に近いということもあって、こちらにいらっしゃる皆さんの中にもきっとライオンズファンの方が多いと思いますので、ちょっとお話を伺いたいと思います。」との言葉とともに、突然私の前にマイクが差し出されました。
女性が私に「ライオンズの選手でだれが一番好きですか?」と質問してきましたが、まさか自分にマイクが向けられるなどとは思っていなかったのですっかりパにクってしまい、「清原です」と答えるのが精一杯でした。
別にこういう場でウケを狙わなくてもよいとは思いますが、せめて今風に言えばよい意味で「爪痕」を残せるような受け答えができたらよかったと後悔したものです。
その後は中継のメインコーナーである、現場に集まった人たちが挑戦する○×クイズに移りましたが、私は早々に不正解となって脱落しました。ちなみに最後まで残った人には、このコーナーのスポンサーの製薬会社のグッズや製品の試供品が送られていたと記憶しています。

今のところ、ラジオの公開番組を見た経験はこの2本だけです。
今から思うと、テレビ・ラジオとももっといろいろな番組の観覧に行けばもっといい思い出ができたのではないかと思いますし、今からでも例えば現在もTBSラジオで放送されている毒蝮三太夫さんの中継コーナー「ミュージックプレゼント」の中継現場には、ぜひ機会を見つけていってみたいと思っています。

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職場のアイドル [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:初めてやったバイトは?

初バイトは大学1年の夏休み。
埼玉県戸田市にある本の流通会社の流通センターでの倉庫内作業でした。
その倉庫では主に小中学校向けの教科書やドリル、副読本などを扱っていて、出版社や印刷所から送られてきたそれらの書籍類の入出庫に伴う作業や、逆に取次店等から返本されてきた書籍類を出版社に戻す作業などを主に、倉庫の事務所での事務作業などもしていました。
新品の教科書やドリルなどはビニール等でしっかり梱包されていましたが、返本されてきたものは一冊一冊バラバラにダンボール箱に入っていたりするので、休憩時間にはそういった返本の教科書やドリルをチラッと覗いてみたりするのが密かな楽しみでした。
久しぶりに小学生向けのドリルを頭の中でやってみたりすると(もちろん、返本されるドリルなどに直接答えなどを書くなどといったことは全くしていません)、ちょっと小学生に戻った気分がする反面、理科などは意外と忘れている事があったりして複雑な心境でした。

私が働いていた倉庫では30~40人くらいの人がともに作業をしていました。もちろん倉庫会社の社員の方も多数働いていましたが、私のような学生バイトも10数人働いていました。その中には3~4人の女性もいました。
そして、中国からの留学生というKさんというかわいらしい女性もいて、職場のよきムードメーカーになっていました。彼女のちょっと天然キャラな人柄と、微妙に変な(?)日本語で、バイトみんなに愛される存在でした。
あの頃確か私とほぼ同い年くらいだったと記憶しているので、Kさんももうアラフィフのおばちゃんになっていることでしょうが、今どこで何をしているのか、ちょっと興味があります。
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ぜひもう一度あの空間で [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:食べてみたいご当地グルメ

あちこち鉄道旅に出かけていたので、さぞやいろいろなご当地グルメを食べてきたのではないかと思われそうですが、駅弁などで多少は食べる機会があっても、実は名前は知っていても食べたことのない者や、存在自体知らなかったご当地グルメはたくさんあります。
そんな中で、お題の「食べてみたい」というより「また食べたい」ご当地グルメの一つが、九州長崎のご当地グルメの一つ「トルコライス」です。

九州長崎のご当地グルメといえば、ちゃんぽん、皿うどん、卓袱(しっぽく)料理などいろいろありますが、その中でも私が最も好きなのが「トルコライス」です。
トルコライスは、一般的にはピラフやドライカレーの上にナポリタンスパゲッティーを盛りつけ、さらにその上にとんかつを乗せ、さらにその上からドミグラスソースをかけ、これをワンプレーとで提供する料理とされていますが、もちろん細かい部分は提供するお店それぞれで変わります。
名前に「トルコ」とついてはいますが、そのトルコにはこの種の料理はありません。それではなぜ「トルコライス」と呼ぶのかということになりますが、由来についての見解が諸説あり、これという決定的な命名理由はまだ見つかっていないようです。
長崎で1950年代頃に生まれた料理とされていますが、発祥とされるお店もはっきりとは分かっていないそうで、いろいろと謎の多い料理といえそうです。
私が初めてトルコライスを食べたのは、今から25年ほど前に九州を旅し、長崎に立ち寄った時でした。
この時トルコライスをいただいたのは、長崎の名所の一つである眼鏡橋の近くにあった「きっちんせいじ」というお店でした。
このお店は、その存在を知って以来長崎に行ったらぜひ訪れてみたいと思っていたお店でしたし、私がかつてやっていた他のブログの長崎出身の読者の方からもおすすめいただいたお店でした。それは、お店の内外が鉄道ムードにあふれていたからです。
お店の正面には路面電車の前頭部が道路に面して鎮座しています。これも路面電車のそれを思わせるドアを開けて店内に入ると、そこは鉄道ファンにとって見どころだらけといってもいい空間でした。
店内には路面電車の運転台機器や駅名表、鉄道写真などが飾られ、路面電車の走る街をイメージした鉄道模型のジオラマも展示されていました。さらに天井からは電車の吊革が下がり、これも路面電車で実際に使用されていた座席に座って料理をいただくという、まさに鉄道づくし、路面電車づくしといった感じのお店でした。
そんな店内でいただくトルコライスは、お店のご主人と奥さんの愛情もこもった非常においしいもので、私はすっかりトルコライスが好きになりました。
この「きっちんせいじ」は、1966年に同じ長崎市内の別の場所で開店後、1979年に眼鏡橋近くに移転しました。
1982年7月に長崎市内を襲った大水害でお店は大きな被害を受けますが、再建にあたって「どうせなら他と違う店に」ということで、同じ長崎大水害で浸水被害を受けて廃車されることになった長崎電軌800形(旧 東京都電3000形)の部品を買い取って先ほど書いたように改装し、2年後に再オープンしたそうです。
やがて、トルコライスが長崎のご当地グルメとして知られるようになるとともに、「きっちんせいじ」自体も観光名所の一つになっていき、ガイドブックにも掲載される有名店になったということです。
一度訪れてとても気に入り、その後も長崎に行くたびにトルコライスをいただいた「きっちんせいじ」ですが、残念ながら2017年末に惜しまれながら閉店してしまいました。
お店を切り盛りしていたご主人と奥さんが高齢になったことが理由だそうです。幸い、その後親族の方がお店を引き継ぐ方向だという報道を見る機会がありましたが、現時点でお店の再オープンが実現しているかどうかはわかりません。
もし再オープンがかなったとして、お店正面の電車前頭部や店内の鉄道コレクションがどうなるのか気になりますが、もう一度「きっちんせいじ」のトルコライスの味を再び楽しめるのであれば、ぜひ数年ぶりに食べに行きたいと思っています。


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