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出張おもちゃ図書館 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:文化祭・学園祭の思い出

以前、同じようなお題の時には高校時代の科学部での結構本気度の高いお化け屋敷の思い出を書きましたが(その時の記事は→https://gonana57.blog.ss-blog.jp/2019-10-24)、今回は大学時代の学園祭でのサークルでの参加の思い出です。

このブログでも何度も書いた通り、大学時代の私は、大学のある千葉市で活動する、障害のある子供やその兄弟姉妹とおもちゃを通して交流する「おもちゃ図書館」のボランティア活動に特化したサークルに入っていました。
私のいたサークルがボランティアとして参加していたおもちゃ図書館「千葉市トイライブラリー」は、JR京葉線稲毛海岸駅から歩いて7~8分ぐらいのところにある千葉市療育センターという、子供からお年寄りまで障害を持つ人がスポーツや文化活動など様々な活動をする施設で毎週土曜日の午後に開かれていました。
普段は障害のある子供やその兄弟姉妹を対象にしているおもちゃ図書館を、私のいたサークルでは毎年秋の大学の学園祭でいわば「出張おもちゃ図書館」として多くの人に楽しんでもらうのが毎年の恒例になっていました。
毎年、会議室くらいの大きさの教室を会場にし、床にカーペットを敷いていつもの活動場所の療育センターからおもちゃを運び込み、教室の内外に簡単な飾りつけもして雰囲気づくりをしました。
おもちゃは乗って遊べる車のおもちゃや、子供用のビニールプールに軟質プラスチックのボールをたくさん入れたボールプールなど、いつものおもちゃ図書館でも人気のあるものを中心に揃えました。
もちろん私たちサークルのメンバーも、子供や親御さんなどのアテンドなどのためにスタッフとして交代で会場に常駐しました。
そして学園祭が始まると、毎年3日間の会期中たくさんの子供たちに楽しんでもらうことができました。
学園祭のパンフレットやポスターでおもちゃ図書館の存在を知った家族連れが次々に会場を訪れ、とても楽しそうに遊んでいるのを見ていると、スタッフである私も改めておもちゃ図書館のよさを再認識する時間になっていました。
またいつも千葉市トイライブラリーで顔を合わせている子供やともにボランティアとして活動している方々も来てくれ、毎年終始賑やかな中で出張おもちゃ図書館を開くことができました。

サークルは私たちの学年の卒業でメンバーがいなくなって解散になってしまい、好評だった出張おもちゃ図書館も亡くなってしまいました。
私のいた大学は社会福祉系の大学だったので、今でもおそらく様々なボランティア系のサークルがあるのだとは思いますが、おもちゃ図書館のボランティア活動をしているサークルなんてのはあるのでしょうか。
大学の学園祭といえば今でもこの出張おもちゃ図書館を思い出す私としては、そんなことを思ったりすることもあります。
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非日常間を味わえる「お出かけ」 [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:デパートの思い出

まだ東京の大田区に住んでいた幼い頃は、国鉄の川崎駅前にあったさいか屋というデパートに何回か行ったと母親が話していましたが、私には全くその記憶がありません。
その後、西武線沿線に引っ越してからは池袋の西武に時々連れて行ってもらうようになりました。
何といっても、西武沿線民にとっては池袋が一番身近な都会で、池袋駅で電車を降りて改札を出たらすぐに入ることのできる池袋西武は一番便利でした。
同じ池袋にあるデパートでも東武池袋店にはたぶん一回しか言ったことがなかったような…

そういえば、昭和の時代はデパートに行くというと、数か月に一度ぐらいしかないちょっと特別感のある「お出かけ」の一つだった気がします。
普段着ているのとは違う「よそ行き」の服を着て出かけることも多く、母親から明日デパートに行くよと言われるととてもわくわくした思い出があります。
そして店に入るといろいろな売り場を見て回る父親や母親について回ったり、時には服などを買ってもらったりするのが楽しかったです。
その中でも子供としてはおもちゃ売り場にいる時が一番楽しく、別の売り場で買い物をしている親をそこで待っている間も寂しさや退屈を感じることはあまりありませんでした。
もちろんそこでおもちゃを買ってもらうこともあり、鉄道模型を初めて買ってもらったのも池袋西武のおもちゃ売り場の近くにあった鉄道模型売り場でした。
買い物が一通り終わると、デパートの上層階にあるレストランでお茶を飲んだり食事をすることも多かったです。普段の家の食事とは違う、ちょっと贅沢なものが食べられるのも、今から思うとデパートのレストランの魅力だったと思います。
池袋西武はターミナル駅の大きなデパートですが、それよりも小さな規模のデパートにも何度か行ったことがあります。大きなデパートほど特別な場所という雰囲気はないけれど、その分気軽に何度でも行きたくなったのを覚えています。
こうして子供の頃は(親に連れられてだけど)何度も言ったデパートも、大人になると私自身が高額の買い物をすることが少ないこともあり縁が薄くなってしまいました。
そうこうしているうちに都会でも地方でもデパートは次々閉店したり業態が変わったりし、私にとっても身近な存在だった池袋西武も売却されると聞くと、時代の大きな変化を感じます。
もう昭和の頃のようなスタイルではデパートは生き残れないということなのだと思いますが、何だか寂しい気がします。
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いろいろと謎が… [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:不思議な夢の話

あまり夢は覚えていない方ですが、そんな中でも何となく記憶に残っている夢もいくつかはあるもので、今回はその中から一つ。

その夢を見たのは、私が高校生だった1989~90年頃だったと思います。
夢の中の私は、神田の神保町のあたりを歩いている時に一軒の喫茶店に入りました。
その喫茶店の中は、とにかく青というか空色一色。
壁から天井、床、テーブルやイス、テーブルクロス、さらにはコーヒーカップやスプーンなどの食器類に至るまで、窓ガラスやグラスといったガラス製品以外はすべて空色で統一された空間が広がっていました。
そんな店内にいた他の客はといえば、当時「愛がとまらない」や「淋しい熱帯魚」などの曲がヒットして大ブレイクしていたWINKの2人、やはり当時確かデビューして間もなかったと記憶している田村英里子というアイドル(現在は俳優などとして活躍しているそうですが)、さらに顔や名前は思い出せないけれどやはり当時活躍していた女性アイドルが2人と、見事に女性アイドルだけという状況でした。
そして、アイドル好きにとってはある種夢のような空間で注文したアイスコーヒーを飲む私…

と、夢のあらましはこんな感じです。
この夢にはとにかく謎が満載です。
まず、なぜこの喫茶店はこんなにも「空色だらけ」の空間になっていたのか? そしてなぜ神保町にそんな喫茶店があるという設定になっていたのか?(もちろん、現実の神田神保町にそのような喫茶店が存在したなどという話は、当時も今も聞いたことがありません)
また、店内にいたアイドル達には、マネージャーや事務所のスタッフなどと思われる人を誰も伴っておらず、WINKは2人で、その他の人は3人でお茶をしながらおしゃべりに興じているといった雰囲気でした。
そんな女性アイドルしかいない店内にいるにもかかわらず、私はといえば特に興奮してテンションを爆上げさせているわけでもなく、淡々とストローでアイスコーヒーを飲んでいるだけというのも謎です。
そして、このシーンの後、この夢がどういう展開を見せたかといえば…全く覚えていません。というか、そもそも「その先」を見た記憶自体がありません。

私は基本的に占いには関心がない方ですが、もし夢占いをやってもらえる機会があったら、ぜひこの夢に出てくる数々の謎がどんな意味を持っているのかをぜひ聞いてみたいものです。
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締め切りに追われて [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:徹夜した思い出

私の場合、若い頃から夜通し飲み歩いたりクラブで朝まで遊んだりといった習慣がないので、徹夜の経験もあまりありません。
そんな中で、今回はその数少ない徹夜を2夜連続でした時の経験です。

それは、大学4年の確か11月のことでした。
大学4年といえば卒論をまとめる時期で、私もゼミの卒論の制作を進めていました。
文献を調べたりテーマに沿ってアンケートも実施したりして、卒論執筆の準備がほぼ整ったのが締め切りの20日ほど前。
ここから執筆を進めれば締め切りにはゆとりをもって間に合う、と思ってたんですが…
そう思ってしまうと気のゆるみが出たのか、まだ終わっていなかった就活の影響もあり卒論執筆になかなか時間が割けず、締め切りの前々日になってもやっと6割ちょっとぐらいまでしか書き進められていませんでした。
当然ながら卒論を締め切りまでに提出しなければ卒業もできなくなるので、その日徹夜で残り4割弱ほどの文章を書きあげることにしました。
私の通っていた大学の当時の卒論は、手書き、またはワープロ・パソコンで入力した文章をプリントアウトする方法で提出することになっていました。
私は当時ワープロは持っていたもののパソコンはなかったので、大学の授業から帰った後の夕方からひたすらワープロに向かって文章を打ち続け、どうにか翌日の明け方までに卒論の文章を書きあげることができました。
明けて卒論締め切りの前日、徹夜明けの眠気に耐えながら学校へ行き、帰宅してから少し仮眠をとって夜を迎えました。
ただ、卒論の制作はこれで終わりではありません。
文章を書きあげてもそのデータをメール等で提出すればよい今と異なり、書いた文章は最終的に紙で提出しなければなりません。
そのためワープロで書き上げた文章を印刷する作業が最後に残っています。
制作した卒論が何ページぐらいあったか覚えていませんが、おそらく50~60ページほどのボリュームだったかと思います。
数少ないクリック数だけで文書全体を丸ごと印刷できる今のパソコンと異なり、ワープロに印刷用紙をいちいちセットしながら1ページずつ最後まで延々と印刷し続けなければならなかったので、21時頃から印刷を始めてすべてが終わった時には午前4時が過ぎていたと記憶しています。(たまに休憩を挟みながらではありましたが)
その後朝食をとって珍しく昼前まで仮眠し、その後学校へ行き提出締め切り時刻の30分前に滑り込みで卒論を提出し、やっと一つ肩の荷が下りた気分になりました。
2夜続けて徹夜で文章を書いたりそれを印刷したりして、締め切りに追われる作家やマンガ家の気持ちがちょっとだけ分かったような気になれた卒論政策でした。
今の大学生の卒論事情はよく分からないけれど、私が30年前に経験したような方法で卒論を書いたり提出したりはもうさすがにないでしょうね。

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20年前の「あれ」の日の話 [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:○年前の今日はどんな日?

阪神タイガース、ついに「あれ」しましたね!
18年ぶり、そして史上最速の「あれ」だそうで…
このブログでも何度か「野球にはほとんど関心がない」と書いている私ですが、実はタイガースに関してはそんな中でもつい試合結果が気になってしまう時があります。
現在では埼玉西武ライオンズとともに2球団しかない「電鉄系球団」であるというのもありますが、ちょうど20年前(2003年)の(日付的には)今日9月15日の、前々回の「あれ」の瞬間にたまたま関西にいてその興奮をリアルに体感したことも大きいです。
そこで、以前も記事にしましたが、改めてその日の思い出を振り返ります。

先日のブルートレイン「出雲」乗車の思い出記でも書きましたが、2003年9月中旬に私は少し遅い会社の夏休みを利用して岡山・広島方面へ鉄道旅に出かけていました。
20年前の今日、2003年9月15日は、朝宿泊地の広島を出て山陽新幹線700系「ひかりレールスター」編成の「ひかり」に乗車して新大阪へ向かいました。といってもこのまままっすぐ帰路についたわけではなく、この日大阪で一泊してから帰宅することにしていました。
その理由は、鉄道旅のついでに、滋賀県長浜市にある「長浜鉄道スクエア」を見に行く予定にしており、広島からの帰り道の途中で寄り道するとなるとスケジュール的にあまりゆとりがなくなるため、広島よりも長浜鉄道スクエアへのアクセスが便利な大阪で一泊することにしたのでした。

昼前に「ひかり」で新大阪駅に着いた後は、夕方以降に予約していた大阪駅近くのビジネスホテルに入るまで時間をつぶすべく、未使用の「Jスルーカード」(当時JR西日本近畿エリアで利用できたプリペイドカード)や「スルッとKANSAI」(やはり近畿エリアの私鉄・地下鉄・バス等の多くの会社・交通局の路線で利用できるプリペイドカードシステムの総称)のカードを利用して乗り鉄を楽しむことにしました。
乗り鉄をしながら持参のポケットラジオで地元のラジオを聴いていると、14時少し前から(当日は祝日なので)、その日甲子園球場で行われていた阪神VS広島戦の中継が始まりました。
18年ぶりの優勝がもう目前に迫っていた阪神でしたが、そんな時に限って数試合足踏み状態が続き、いつ優勝するかに世間の話題が集まっていましたが、いよいよこの日優勝するかどうかを左右するデーゲームが始まったというわけです。
普段の私は基本的に野球にほとんど関心がないので、テレビやラジオの野球中継を見たり聴いたりすることもほぼありませんが、さすがにこの時はついつい阪神の動向が気になって中継を聴いてしまいました。
なにしろ、久しぶりの阪神優勝まであと一歩のタイミングにたまたまそのお膝元の関西にいるという偶然にテンションが上がっていたもので…
確か17時半近くだったと思いますが、ちょうど関西空港駅の南海の構内にいたタイミングで阪神VS広島戦は見事阪神の逆転勝ちに終わり、あとは確か16時か17時に試合開始のヤクルトVS横浜戦で、横浜が勝てば阪神が優勝するということになりました。
19時過ぎにこの日の宿泊先のホテルにチェックインしてしばらくたった頃、ヤクルトVS横浜戦で横浜が勝ったことで、阪神がセ・リーグ優勝を決めました。
優勝決定は19時半頃だったと思いますが、ラジオを聴いているとその1時間ぐらい前からすっかり優勝間違いなしというようなムードの放送になり、聴いているこちらもだんだん興奮状態になってきました。
優勝が決まると、もうあとはすっかりお祭り気分という感じで、完全に「にわか」な私でも気分はすっかり阪神ファンになった気分で、テンションが最高潮に達していました。

阪神優勝が決まった後のテレビやラジオは、NHKも民放も少なくとも関西ローカルの番組はほぼ阪神優勝一色の放送になり、深夜はNHK教育を除くほぼ全チャンネルで優勝特番を長時間放送していました。
さすがに夜通しこれらの番組に夜通し付き合ってばかりもいられないので途中で寝ましたが、テレビやラジオでも阪神優勝の余韻は翌日の朝まで続いたようです。
翌朝になって、主要スポーツ紙5紙(デイリー、スポニチ、日刊スポーツ、サンスポ、報知)のセット販売があるというので記念に購入しようとしましたが、大阪駅の売店をいくつか見て回ってもどこの店でもスポーツ紙・一般市とも新聞のラックが軒並み空っぽになっているという状態でした。
その他にも、デパートやショッピングセンターなどには阪神優勝を祝う垂れ幕や横断幕があちこちで見られるなど、優勝から一夜明けてもまだまだ興奮冷めやらずといった雰囲気でした。

球団も人口も多い関東では、テレビ・ラジオが地元球団優勝の話題一色になったり、スポーツ紙が売切れたりといった状況はなかなかないので、いかに阪神優勝が大事件かを実感することができました。やはりあの1985年の日本一以来18年ぶりの快挙だけに、その喜びはもう言葉で言い尽くせないほどだったのでしょう。
完全に「にわか」な私でさえ阪神優勝の日に立ち会え、その興奮を肌で感じてテンションが最高潮に達したくらいですから、長年の阪神ファンの方々にしてみればどれだけの喜びだったのか、容易に想像できました。そして、普段はあまり野球には関心のない私ですが、この日ばかりは野球好きな人の気持ちに、少しは近づけた…ような気がしました。

阪神はその年は結局日本一を逃し、2005年にもリーグ優勝どまりに終わった後、18年ぶりに「あれ」の日を迎えました。
今今は、関西では20年前に私が味わったような興奮の一夜が繰り広げられているのでしょうか?
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バレバレだったんだろうけど [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:学校や会社をずる休みして遊びや旅行に行ったことある?

学生時代、さすがに学校をずる休みしてどこかへ出かけたというようなことはなかったけれど、中高生時代の部活は何度もサボりましたね。
中学時代と高校の途中まで、私は剣道部に入っていましたが、それはあくまでも親の勧めと「男子は運動部に入るべし」とでもいうような空気に流されてそうしたまでで、私自身は剣道部、というより運動部に入りたいとは正直思っていませんでした。
そういう消極的な姿勢で部活に出ていたことと、もともとの剣道の技量のせいもあり、練習のきつさと対外試合に出られるような選手でもないことから部活に出るモチベーションがどんどん下がっていきました。
そんなことから、ウソの通院やら家庭の都合やらを理由に部活をサボることがありました。
特に平日夕方にフジテレビで「夕やけニャンニャン」という番組が始まると、まだビデオデッキが我が家になかったためこの番組を見るために部活を途中で抜けて家に帰るということがよくありました。
もちろんテレビが見たいから早く帰るなどと言っても許されるわけもないので、通ってもいない塾に行くことにして早帰りしていました。
まあ、当時の部活の顧問はこんなことはたぶんお見通しだったのでしょうが、どうにか最後までこの件について注意されることはありませんでした。
最近は、旅行や「推し活」遠征のために学校を休むことが認められるケースも増えているらしいです。
学校を休んで旅行や遊びに行けたらとは思いつつも、そんなことは親にも先生に怒られるのが怖くて言い出せなかった昭和の小中学生にとっては驚きですが、これも「よほどの体調不良や怪我でもない限り学校は休んではならないもの」という価値観が大きく変化している証なんでしょうか。
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夏休みの記憶とつながる味 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:夏になると飲みたくなる飲み物

夏の飲み物と言ったら、まず思い出すのは麦茶です。
毎年夏が近づくと、母親が水出しの麦茶を用意して冷蔵庫に常備してくれるようになるのが、子どものころからの恒例でした。
暑い外から帰ってきたり、扇風機だけでは暑さをしのぎきれない時に、よく冷えた麦茶を(時にはコップに氷を入れて)一杯飲むだけで、ずいぶん涼しい気分になれたものでした。
後にコンビニなどでペットボトル入りの麦茶も買えるようになりましたが、たとえ冷蔵ケースに入っていたとしても母親の作ってくれていた麦茶と比べると、暑い時に飲むありがたみがどうも薄いような気がしてしまうのは私だけ?
もう一つ、夏と聞いて思い出す飲み物はカルピスです。
これも、夏の暑い日に氷を入れて飲むのが大好きでした。
ただ麦茶のように一日に何杯も飲むことはできず、せいぜい一日1杯しか飲ませてもらえなかった記憶があります。
当時はカルピスもちょっとした贅沢な飲み物というイメージで、お中元の定番商品の一つにもなっていて、私の家で飲んでいたカルピスも、お中元で届いたものでした。
そして、友達の家に遊びに行った時や、祖父母の家に行った時に飲ませてもらったカルピスも思い出に残っています。
その頃の「あるある」話で、友達の家で飲むカルピスは、何だか自分の家で飲むそれよりも濃い気がしたのも懐かしい思い出です。
子供の頃はなかなか気軽に飲めなかったカルピスも、カルピスウォーターの登場で自販機やコンビニ、スーパーでいつでも気軽に買って飲めるようになってうれしく思ったのも、もう今から30年ぐらい前の思い出です。
そういえば、最近カルピスウォーター飲んでないなあ~
久しぶりに子供のころを思い出しながら飲みたいです。
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社長と二人きり [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:バイト先でのエピソード

それは、大学1年から2年にかけての春休みのことです。
この期間、私は東京本郷にある小さな出版社でバイトをしていました。
会社のオフィスは営団地下鉄(現 東京メトロ)丸の内線本郷三丁目駅と御茶ノ水駅の中間あたりにある雑居ビルのワンフロアだけの小さいもので(その他にすぐ近くの別のビルの地下に倉庫を借りていました)、社員もパートさんやバイトを含めても10人ぐらいだったと記憶しています。
さて、その出版社でバイトをしていたある日、当時としてもかなり久しぶりに春闘の大手私鉄の24時間ストライキが決行されることになりました。
ただ私が自宅最寄り駅から池袋駅まで乗車する西武線はストライキを行わず平常運転で(この他小田急と京急もストライキ不参加。また集会札のみのストライキに規模を縮小した会社もあり)、池袋から先も丸の内線でなくJRで御茶ノ水駅まで行くルートで通っていたため、私自身には直接ストの影響はありませんでした。
それでも池袋駅から秋葉原駅まで乗車した山手線外回りは営団地下鉄が止まっていたことによる迂回客での大混雑でダイヤが乱れ、結局私は10時の始業時刻に5分ほど遅刻してしまいました。
会社の入るビルに到着し、オフィスの入る部屋のドアを開けて朝の挨拶と遅刻の謝罪をすると、デスクに座っていた出版社の女性の社長が「おはよう! あれ? ○○君(私のこと)、電車停まってなかった?」と声をかけてきました。
ふと見ると、オフィスには始業の10時を回ったのに自分と社長の2人しかいません。
聞けば、他の社員さんやパートさん、バイト仲間もみんなストで電車が止まった影響でまだ出社できていないとのこと。そして社長は西武線も止まっていると思っていたらしく、私が5分遅れただけで出社してきたので驚いたようでした。
何はともあれオフィスに着いたので仕事に入ってもよかったのですが、まだ大半の社員が出社できていないのと、その日はそれほど急を要する業務もなかったようで、社員がそろうまでのんびりと仕事をしながら時間をつぶすことになりました。
そして2人とも黙っていては寂しいので、社長とたわいもない話をしながら過ごすという、なかなかできない体験をすることになりました。
私からは自分のことや通っている大学のこと、社長からもいろいろと内緒の話を聞かせてもらい、ついつい話が盛り上がってしまいました。
結局、この日の大手私鉄のストライキは11時ぐらい?に終わったようで、お昼が近づくと次第に他の社員さんなども集まってきました。
お昼休みにはみんながストによる混乱や大混雑・大渋滞の中の出勤の様子を語り合い、いつも以上に賑やかなお昼になりました。
ということで、久しぶりのストの影響で思いがけず社長と2人だけの時間を過ごすというレアな経験ができたこの日の午前中も終わり、午後からは何事もなかったようなオフィスの風景に戻りました。
あれ以来、バイト先でも就職した会社でも、社長と2人きりで会話を交わすことなど一度もありませんでした。
そういうこともあって、今でもあのアットホームな雰囲気の出版社のオフィスの雰囲気と、優しい女性社長のことは今でも思い出に残っています。
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ほぼ親の作品に [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:夏休みの宿題、親や兄弟に手伝ってもらったことある?

そういえば、夏休みの宿題、ほぼ毎年親に手伝ってもらってました。
「夏休みの友」のようなドリルや読書感想文などは自力でやっていましたが、最終的にはいろいろと親に手伝ってもらうものが多かったです。
特に絵を描いたり何かを作ったりが含まれる宿題はかなりの部分親に手伝ってもらっていました。
絵も下手だし、手先も不器用なので工作などもついつい後回しにしがちで、8月後半になってもほとんど手をつけていないこともよくありました。
そんな状況を見かねた父親が、私の描いた絵を修正してくれたり、作りかけの工作を仕上げてくれたりするのがほぼ毎年のことでした。
父親は絵の才能はそれほどでもなかったようですが、それでも何とかみられるようには仕上げてくれましたし、工作の方も私と違って手先が器用なのでしっかりと完成させてくれていました。
また小学5~6年の時の家庭科の宿題で裁縫の課題が出た時には、母親にかなりの部分をお願いしてしまいました。
結局、絵画や工作などの宿題で作るものは、私が作ったというよりほぼ親の作品のようになっていました。幸いというのかどうか、それらの作品が何かの賞に選ばれたりすることはなかったので、親に手伝ってもらったことはほぼ知られずに済んだと思っています。
まあ、普段の図工の授業での私の作品を見ている先生には、その辺はお見通しだったかもしれませんが…

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「違う自分」になる楽しみ [いろんな思い出]

おはようございます。gonanaです。

本日のお題:演劇は好き?

演劇、好きです。
舞台やミュージカルを見に言ったりする習慣はほとんどないし、特別演劇ファンというのでもないけれど、まあまあ興味はありますね。
小中学生の頃は、いわゆる「学習発表会」でのクラス発表とか文化祭のクラスの出し物で劇をやるのは好きだったし、小学6年の時には演劇クラブに入っていたこともあります。
そんな、学校での演劇体験(そんな立派なものでもないですが)の中で、特に思い出に残っている2つの劇の思い出を書きたいと思います。

一つ目は、小学6年生の時の学習発表会でやった(確か)「テレパシーリング」という劇。
宇宙船のトラブルで地球に不時着した兄弟がたまたまであったある少年に助けてもらい、そのお礼に兄弟は少年に、物事が何でも思った通りにできる「テレパシーリング」を手渡す。
テレパシーリングをもらった少年はその後、学級委員に選ばれたり野球でホームランを連発したりして楽しい日々を送るようになるのだが…というストーリーでした。
私の役どころは少年のクラスメイトの一人で、セリフも短いものが1つか2つという端役でしたが、とにかくクラスみんなが楽しく練習や本番に取り組んでいて、学習発表会での他のクラスの生徒の反応も良く、演劇の楽しさを始めて実感できた作品だと思っています。

もう一つは、中学3年の時の文化祭のクラス発表だった「二十四の瞳」の劇です。
もちろんこれは坪井栄の小説「二十四の瞳」をもとにした脚本の劇で、事前に全編をビデオカメラで撮影しておき、当日視聴覚教室のテレビで上映するというスタイルでした。
私は島の分教場の12人の子供たちのうち、相沢仁太という男の子の役を演じました。彼はよく言えばクラスのムードメーカー、悪く言えばお調子者キャラの子で、私のふだんの性格とは真逆なキャラでした。
でもそのためか逆にあまり「役作り」をせずに芝居に臨むことができ、「いつもとは違う非日常の自分」を演じることのできる演劇の楽しみを学ぶことができました。
しかし…、無事最初から最後まで撮影も終わり、映像の編集や試写も終わっていざ文化祭当日、あろうことかビデオデッキだったかテープだったかのトラブルで上映ができないという事態が発生。結局文化祭が終わるまでにトラブルは解決できず、せっかくのみんなの晴れ舞台を他の生徒に見てもらうことはできませんでした。
そんな残念なラストにはなりましたが、私自身にとっては中学時代では数少ない楽しい思い出になりました。

中学卒業以来、出演する側としても見る側としても演劇とはあまりつながりのない生活になっていますが、今でも何かしら「いつもとは違う自分」を演じてみたいという思いはあります。
この齢になって役者として演劇に関わろうとしてもそう簡単ではないかもしれませんが、せめてその体験だけでもいつかしてみたいとは思っています。
そして生まれ変わったら本格的に演劇の世界を目指してみようかなとも思います。
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