SSブログ
その他鉄道ネタいろいろ ブログトップ
前の10件 | -

これからはこんな切符も欲しい [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。

例によってネットニュースをあれこれチェックしていたら、こんな記事を見つけました。

訪日客だけ優遇?ジャパン・レール・パスの問題点 誰もが買える「全国乗り放題券」作ってはどうか | 法律で見える鉄道のウラ側 | 東洋経済オンライン
https://toyokeizai.net/articles/-/708186

ジャパン・レール・パス、日本人の私はもちろん使ったことはありませんが、存在はかなり以前から知っていたし、日本を訪れる外国人観光客の中にもこれを使って国内を旅している人が多いという話もよく聞きます。
それにしても、ジャパン・レール・パスって、他の割引きっぷやフリーきっぷなどに比べるとかなり割安なんですね。
何しろ記事にあるように、普通車用7日間有効のものだと値上げ前は3万円を着る値段で、同じ有効期間のグリーン車用でも1万円ほどアップするだけで買えたというのですから驚きです。
そして値上げしても普通車用が5万円、グリーン車用が7万円とこれでも全国のJR各線に乗り放題であることを考えるとまだ安く感じます。(ジャパン・レール・パスには7日間有効のもののほか、14日間・21日間有効の設定もあり、それぞれに普通車用・グリーン車用があります)
さらに、これまでは東海道・山陽・九州新幹線の「のぞみ」「みずほ」にジャパン・レール・パスでは乗ることができなかったのが、値上げ後は「のぞみ・みずほ利用券」を別途購入するとこの2つの列車にも乗れるようになり、その他にも一部サービスの拡充がされるとか。
私自身今まで知らなかったことですが、ここまで見てくるとこのようなかなりお得なきっぷが日本を訪れる人だけのものであるのは不公平だという考え方にも一理ある気はします。
そこで、どうせならこの際、ジャパン・レール・パスと同じ使い勝手で国籍や居住地に関係なくだれでも利用できる、JR全線、それにJRから直通列車が運転されていたり新幹線の並行在来線区間だったりするなどの一定の条件をクリアする一部の私鉄や第三セクター鉄道に乗り放題のフリーきっぷを作ってほしいと思います。
そして、これもリンク記事にありますが、現在の青春18きっぷを上記の新しいフリーきっぷの普通・快速列車限定版としてリニューアルすれば、少なくとも現状より利便性はかなり高まると思います。
最近では割引切符やフリー切符なども整理が進んだり値上げされたりするものがありますが、鉄道で旅する人を増やすためにもここまで上げてきたようなお得で利便性の高いフリーきっぷはもっと出てきてほしいものです。
nice!(11)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

臨時特急「ヌプリ」乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2030年に予定されている北海道新幹線の札幌延伸により「並行在来線」となり鉄道としては廃止される方針となってしまっているJR北海道の函館本線小樽ー長万部間、いわゆる「山線」。
今ではわずかな本数の普通列車が走るだけのこの区間も、かつてはC62形SLの重連で有名になった急行「ニセコ」やキハ80系の特急「北海」なども走った幹線でした。
そして、そんな函館本線山線区間にここ数年、9月の土休日を中心に臨時特急「ニセコ」が運転されています。(列車自体の運転区間は函館ー札幌間)
先日、いつものようにネットで鉄道関連の記事をチェックしていたら、その臨時特急「ニセコ」に関する記事が出ていました。

特急ニセコ号乗車で見えた「並行在来線」再活用の重要性 安易な鉄道廃止は地域の努力を無駄にする(鉄道乗蔵) - エキスパート - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/ce89f85729acbb17427cacc569638a4eee465a42

いわゆる「観光列車」のような豪華で非日常間のある列車とは違うけれど、停車駅での名産品の販売などの「おもてなし」にあふれたたのしい列車が「ニセコ」であることがよくわかります。
実は、おそらくこの「ニセコ」の原型ともいえる列車が、2012年の夏休みから走り始めたキハ183系の臨時特急「ヌプリ」号でした。
「ヌプリ」は運転区間も「山線」経由であることも、さらに途中駅での名産品販売などのための長時間停車を挟みながらの行程であることなど、現在の「ニセコ」と共通する部分の多い列車でした。
この列車が好評だったのか、その後列車名を「山線」経由の優等列車ではなじみ深い「ニセコ」に変更したり、使用車両も行く旅か変更されながら今でも運転が続けられているというわけです。
私はその、2012年に運転開始した直後の「ヌプリ」に乗車していますので、今回はその思い出をつづりたいと思います。

2012年8月10日、北海道での鉄道旅の4日目だったこの日は、函館駅近くのホテルを朝にチェックアウトし、まずは函館市電の撮り鉄や乗り鉄を少ししてから函館駅へ。
そしてここから乗車するのが、この年夏の臨時列車として4日前の6日から運転を開始したばかりの札幌行臨時特急「ヌプリ」でした。
この列車の特徴は、運転区間のうち長万部―札幌間を、「スーパー北斗」など他の特急・急行の室蘭本線経由(東室蘭・苫小牧経由)ではなく函館本線のいわゆる「山線」経由(倶知安・小樽経由)で運転すること。
愛称こそ異なるものの、運転経路だけならかつて定期運転されていた特急「北海」のリバイバルともいえる列車でした。
ちょうど北海道への鉄道旅を計画したタイミングでこの列車の運転が発表されたので、その時点でまだ乗車経験のない函館「山線」の踏破もできて一石二鳥とばかり乗車することにしました。
ちなみに愛称の「ヌプリ」とはアイヌ語で「山」を意味する言葉で、沿線にそびえる羊蹄山や駒ケ岳に由来して名付けられたそうです。

「ヌプリ」の列車別改札が始まりホームへ出ると、すでにスラントノーズ形前頭のキハ183形を両先頭に連結したキハ183系4両編成がすでに入線していて、これが「ヌプリ」になります。
スラントノーズのキハ183形を生で見るのも久しぶりで、欲を言えば国鉄特急色リバイバル塗装車だったらもっと感激しただろうに…などとついつい贅沢な考えが頭をよぎりました。
側面の行先幕や前面愛称幕の絵入りヘッドマークも、「臨時」幕ではなく専用のものがちゃんと用意されていて、久しぶりに設定された山線経由の特急列車に対する力の入れようが感じられました。
またホームの発車案内にはしっかりと「ヌプリ」の列車名と「小樽経由」の文字が表示され、駅や車内の案内放送でも「ヌプリ」が東室蘭・苫小牧・南千歳等を経由しないことが繰り返し案内され、「スーパー北斗」「北斗」との誤乗防止に気を配っていることがうかがえました。
こんなところからも、函館―札幌間の鉄道利用では室蘭線経由が当たり前になっている事実を実感させられました。

「ヌプリ」は11:43、函館駅を定刻に発車。
この列車は臨時列車であるためか、特急でありながらかなりゆったりしたダイヤが組まれており、例えば函館―長万部間では当時「スーパー北斗」「北斗」なら1時間10分台、客車列車の「北斗星」「はまなす」等でさえ1時間40分台で走るにもかかわらず、「ヌプリ」はなんとこの間を2時間10分もかけて結んでいました。
その背景として、時間調整や単線区間での交換待ちのため途中の主要停車駅のほとんどではニセコ駅の30分を最長に、比較的まとまった停車時間がとられていることがあります。
そのため、乗車しているとまるで長距離ドン行の旅を楽しんでいるかのような気分を味わうこともできました。
車内では車掌による通常の車内放送とは別に、女性乗務員による車窓などの案内もあったほか、長万部からの山線区間の停車駅のホームでは、停車時間を利用して地元の方々による名産品の販売が行われたりと、単なる都市間移動のための列車というより観光列車的要素も盛り込んだ列車という感じでした。
私も停車時間にはホームに降りてみたり、函館駅で購入した駅弁を食べたり、ちょっと居眠りしたりして、乗っていてなかなか楽しめる列車でした。

18:29、「ヌプリ」は終着の札幌駅に定刻到着。
乗車した4号車(自由席)に限れば函館から札幌まで、ほぼ全区間を通して乗車率はそう悪くはない感じでした。
単純に函館―札幌間の所要時間だけで比較すれば、「スーパー北斗」「北斗」の倍以上の時間はかかるものの、乗車してみての印象としてはGWから初秋あたりにかけての多客期なら「ヌプリ」のような列車にも意外に存在価値はあると感じたものでした。

先ほども書いた通り「ヌプリ」は翌年以降も運転期間や使用車両を何度か変えながら数年間運転され、その後列車名を「ニセコ」に変更して今も9月を中心に運転が続いています。
リンク記事にもあるように今でも「ニセコ」運転時は「山線」の各停車駅や社内でも様々なイベントが行われてかなりの盛り上がりを見せているようで、大々的にPRされたりマスコミに取り上げられたりはしないものの観光列車的要素の強い列車として一定の存在感を示しているように感じられます。
昨今のバスドライバーの不足もあり、小樽ー長万部間がそのまま鉄道廃止→バス転換となるのか不透明な部分がありますが、個人的にはできれば山線区間、あるいは長万部以南の区間の旅客営業も廃止することなく、地域輸送もしつつ
「ニセコ」のような観光列車的な要素を持ちつつ気軽に乗車できる「山線」経由の観光特急列車を走らせるようなことも考えてほしいものです。
nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

ブルートレイン「出雲」乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
今回は過去に乗車した今はなき列車の思い出シリーズで、ほぼちょうど20年前に乗車したブルートレイン「出雲」の思い出です。

「出雲」は1950年に急行列車として運転を開始し、1972年には東京ー浜田間を結ぶ寝台特急となりました。
その後1978年に出雲市止まりの1往復が加わって2往復体制となりこれが長く続きますが、1998年には出雲市止まりの「出雲3・2号」が電車化されて「サンライズ出雲」となりました。
この時、浜田行きの「出雲1・4号」は「サンライズ出雲」が経由しない福知山・鳥取・倉吉などへの利用客の利便を図るためにブルートレインのまま残され、運転区間を出雲市までに短縮し列車名を号数表示のない「出雲」に変更して2006年3月のダイヤ改正で廃止されるまで走り続けました。

私は2003年9月中旬、少し遅めにとった会社の夏休みを利用して岡山・広島方面へ乗り鉄旅に出かけました。
住んでいる関東からはまずは岡山へ向かうことにしましたが、東京駅からまっすぐ新幹線あるいは「サンライズ瀬戸・出雲」、または東海道・山陽本線の快速・普通列車乗り継ぎで向かうのでは新鮮味がないので、それまで乗ったことのない山陰本線と伯備線を経由して岡山駅へ向かうルートをとることにしました。
そして、せっかく山陰本線を経由するのならということで乗ることにしたのがブルートレイン「出雲」(以下、単に「出雲」と表記している場合はブルートレインの「出雲」を指します)でした。
そして「出雲」乗車のもう一つの理由は、ダイヤ改正のたびにブルートレインや夜行列車が次々に廃止されていくその頃の流れの中で、まだ未乗車だった「出雲」もいつ廃止されてしまうか予断を許さないということで今のうちに乗っておこうという気持ちがあったためでした。

2003年9月11日(だったと思う)、私は20時半近くに東京駅に到着。構内のコンビニで飲み物と朝食用のパンなどを購入してホームへ上がりました。
やがて品川から回送されてきた「出雲」編成が入線。ひととおり編成の前から後ろまで車号をチェックしながらホームを歩いてから私も乗車しました。
そして「出雲」は21:10に東京駅を定刻発車し、東海道本線を西へ下ります。
私がこの日乗車したのは、1号車の1人用A個室寝台「シングルDX」のオロネ25。
同じオロネ25でも、「出雲」に連結されていたのは先日乗車の思い出記事を書いた下関発着の「あさかぜ」乗車時に利用した300番台ではなく、「出雲」が1976年に24系25形客車での運転になって以来最後まで連結されていた0番台。
このオロネ25 0番台は私の子供の頃の憧れの車両でしたが、それまでまだ乗車経験がなかったので、これも今のうちに乗っておこうと奮発したものでした。もっともその後、そのオロネ25 0番台を14系に編入改造したオロネ15に「富士」で乗ることにはなりましたが…
子供のころからあこがれてついに乗車できたオロネ25 0番台は、座席(ベット兼用)のモケットの色がオリジナルとは異なる色のものに変わっていた以外はほぼ原形をとどめていて、子供の頃にブルトレを取り上げた本・雑誌の写真や東京駅でホームから窓越しに個室内を覗き込んで見た時の雰囲気がそのまま残り、子供の頃一度乗ってみたいという憧れを抱いた頃を思い出させてくれました。
座席の上に枕や毛布、浴衣とともにA個室乗車記念(?)のヘッドマーク入りタオルが置かれていたのも昔と同じでしたが、ヘッドマークの絵柄はさすがに「出雲」だけがプリントされていました。(ちなみに、後に「富士」のシングルDXを利用した時には、「さくら」「はやぶさ」「富士」のマークと赤いJRロゴがプリントされたタオルが置かれていました)
実際に乗ってみると、車窓を眺めるために窓に近づきたいのに備え付けの洗面台が邪魔だったりして、JRになってから登場した他の個室寝台車と比べてのわずかな不満はあるものの、ブルートレインにハマった子供の頃を思い出しながら一夜を過ごすには十分な空間でした。
静岡駅に停車したかしないかぐらいのタイミングで就寝し、翌朝はどのあたりで目覚めたのか記憶はありませんが、おそらく福知山駅を出てしばらくしたあたりだったかと思われます。
そして、当時すでに現在のコンクリート橋梁への架け替えが予定されていた余部鉄橋を渡ったのを見届けたところで、元食堂車オシ24へ向かいました。
「出雲」に連結されていたオシ24形は、国鉄時代最末期に東京ー博多間のブルートレイン「あさかぜ1・4号」の車両グレードアップ計画の一環で内装を大幅にリニューアルした「星空風」食堂車で、1991年に「出雲1・4号」の食堂車営業が休止された後も「ロビーカー」的なフリースペースとして「出雲」廃止までそのまま連結されていました。
テーブルやイスもそのまま残っている食堂車内では、前夜の東京駅内のコンビニで購入しておいたパンと缶コーヒーで朝食。曲がりなりにも食堂車で朝食をとることができたのはよい思い出になりましたが、やはり実際に食堂車でできたての朝食を食べる経験ができなかったのは悔やまれました。
個室に戻りのんびりしているうちに、9:20頃到着の米子駅が近づいてきました。せっかく乗るなら終着の出雲市駅まで完乗したいところでしたが、この後の行程の都合もあり残念ながら米子駅までの乗車となりました。

結局、「出雲」への乗車はこの時が最初で最後となりました。
今思うとあの時、あえて岡山に直行せずに「出雲」を利用してよかったと思いますが、一方で当時は鉄道写真の撮影を一時や住んでいたため、国鉄職のDD51が「出雲」を牽引する姿を写真に残しておきたかったという思いは今もあります。
山陰地方へは、この時の「出雲」に乗車しての通過が唯一の訪問経験で、実質的にはまだ訪れたことがない地域でもあるので、ぜひいつか「サンライズ出雲」に乗って訪れたいと思っています。
nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

何だかちょっとファンタジー [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
先日の記事でも取り上げた東海道新幹線での車内ワゴン販売の終了。
このワゴン販売終了の理由の一つに「将来にわたる労働力不足への対応」がありますが、先日見つけたネットニュースの記事に、この問題に対する妙案(?)の提示ともいえるイラストが紹介されていました。

新幹線のワゴン販売終了、嘆く大学生の“代替案”が話題に 労働力不足を「猫の手」で解消(ENCOUNT) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/80c555728de88a891eee82157ead501bb97fbcb1

ネコ型ロボットが新幹線の通路をワゴン販売のワゴンを引いて歩く、何だかシュールな光景。
まさに「猫の手も借りたい」ので、ネコ(型ロボット)が助っ人に駆り出されているという感じでしょうか。
最近、飲食店の接客などで活躍が広がっているというネコ型ロボット。
私はそれが活躍している場面に接したことがなく、どんな姿(形状)をしているかもわかりませんが、あくまでも私の中のイメージの世界だけで想像すれば、新幹線の通路をロボットとはいえネコに似たものが歩いている光景は、何だかファンタジーの世界みたいで和んでしまいそうです。
まあ、突っ込みどころはいろいろあるイラストなんでしょうが、その実現性はともかくとしても、ロボットが列車内のサービスに従事できるということになれば話題になりそうですし、それがネコやその他動物やキャラクターの形をしているとすれば、特に子供や家族連れには人気が出そうな気もします。
今の段階では突拍子もないアイデアとも言えそうなロボットによるワゴン販売ですが、もしかしたら数年後にはこの方法で新幹線やリニア、在来線列車の車内でのワゴン販売が当たり前になっているという未来もあり得ないことではない気がします。
nice!(11)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

脳内地図を書き換えなくちゃ [その他鉄道ネタいろいろ]

おはようございます。gonanaです。

本日のお題:地元の駅の話

私が埼玉県某市に引っ越してきて以来、50年近く利用し続けている地元駅。
まあほとんど特徴らしきもののない相対式ホーム2面2線の典型的な郊外の私鉄駅です。
ただ、国有化されなかった埼玉県内の私鉄の駅としては最も古い駅の一つだそうで、何気に歴史は長い駅です。
50年近くの間に、上下ホーム間の移動が構内踏切を渡る方式から跨線橋を使う方式へと変わり、もともと駅舎のあった現在の東口に加え西口改札ができたり、エスカレーターやエレベーターなどのバリアフリー設備が整備されたりといった変化はありましたが、全体的な駅の雰囲気は大きくは変化していませんでした。
そんな地元駅で、駅舎の橋上化と駅の東西を結ぶ自由通路の建設などからなる大規模な改装工事が始まることになりました。
駅の近くの元小学校跡地ではイオンの商業施設も建設されることになり、この大改装もそれに合わせた駅前再開発の一環だと思われます。
地元の駅前の商店街は、現在では私が小中学生の頃のような賑わいはなく、通勤通学時間帯は別として人通りも決して多いとは言えませんが、イオンができることで新たな形で街の賑わいが生まれるなら歓迎すべきでしょう。また、駅前広場の整備も行われるようで、狭苦しい駅前の風景も大きく変わることでしょう。
しかし、私的にはこれはちょっと困ったことになりそうです。
私は、視覚障害者になってからもそれまで見えていた時に数えきれないくらい駅を利用した経験のおかげで、駅の構造やどこにどんな設備があるかがだいたい頭に入っているので、それをもとに脳内で作り上げた地図を使って駅構内を解除なしで歩けるようになっていました。(もちろん、視覚障害者になってから受けた白杖を使っての歩行訓練の際に、地元駅構内を白杖を使って移動する訓練は受けました)
それがこのたびの橋上駅舎化や駅周辺の再開発により、それまで使ってきた駅構内の脳内地図を一から更新する必要があります。
あと数年後には地元駅やその周辺も大きく変貌し、もし見えていれば完成後駅がどのような姿になるのかが楽しみでしょうが、今の私は、工事中や完成後に駅を利用する時の動線がどうなるのかがいまから気になって仕方がありません。
nice!(9)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

こんなフェイクなら楽しい! [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
昨年イーロン・マスク氏がCEOになってからというもの、矢継ぎ早に様々な激変が起こっているTwitter。
その果てにその名称もTwitterから「X」に変わり、アイコンもそれまでの「青い鳥」から黒地に白文字の「X」に変わったとか。Twitterに関しては、ほんの一時だけ軽くかじった程度の私ですが、あまりにも短い間にいろいろなことが大きく変わるので、もう何が何やらよくわからない状態です。
そんな中、この「X」への名称とアイコンの変更で「お役御免」になった「青い鳥」に惜しむ声が多数寄せられているとか。
私はこの「青い鳥」、正直どんなアイコンだったか思い出せませんが、これだけ惜しむ声が多いということはかなりの人に親しまれたキャラクターでもあったのでしょう。
そんな中で、何とJR西日本の公式アカウントが、この「青い鳥」に関するツイート(今後は「ポスト」と呼ぶらしいですが)をしたのですが…
詳細は下記のリンクからどうぞ。

JR西日本がTwitter惜別列車!?ヘッドマークに「ありがとう青い鳥」 「JR公式やんけ!」「いつどこを走るのか」|まいどなニュース
https://maidonanews.jp/article/14975385

いやあ、JRの公式アカウントがこんなフェイク画像をツイートするとは驚きですが、こんな楽しい「遊び」なら多くの人が楽しめるものでしょう。
残念ながら私はその画像や動画を見ることはできないけれど、頭の中で想像しただけでも国鉄型車両好きには楽しくなってきます。
それにしても、「青い鳥」という名の特急列車、本当に日本のどこかで走っていそうですね。
現実には「青い鳥」という愛称の列車は国鉄・JRでは少なくとも定期列車としては走った実績はありませんが、もしかしたら画像を見て「この列車見た(乗った)ことがあるかも」なんて思ってしまう人もいるんでしょうね。
この画像の元画像は現在岡山ー出雲市間の特急「やくも」で運用されている381系国鉄色リバイバル編成ですが、JR西日本さんもこれだけ反響があるのなら、「嘘から出た実」でもないけれどこの編成を使ってリアル「ありがとう青い鳥」号を運転したりすれば、なかなかの話題になりそうな気がしますが、どうですかね?
nice!(11)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

1999年夏 ブルトレ乗車の思い出 あかつき編 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
前々回の記事では、1999年の夏に九州への鉄道旅に出かけた際、九州への往路に東京ー下関間で利用した寝台特急「あさかぜ」乗車の思い出を記しましたが、今回はその鉄道旅の復路に、長崎駅から京都駅まで乗車したやはり寝台特急の「あかつき」の思い出を記したいと思います。

「あかつき」は1965年10月のダイヤ改正で初の関西と九州を結ぶブルートレインとして運転を開始しました。その後増発を重ねて一時期は他の愛称の列車との併結も含めれば最大7往復も運転されていましたが、私の乗車した1999年には京都ー長崎・佐世保間を結ぶ1往復が残るだけになっていました。
しかしその前年(1998年)10月からは、同年7月に「サンライズ出雲」に置き換えられる形で運転を終了した「出雲3・2号」に連結されていた1人用A個室寝台「シングルデラックス」、1人用(補助ベッド利用時は2人)B個室寝台「シングルツイン」、2人用B個室寝台「ツイン」が編成に組み込まれ、以前から連結されていた座席車「レガートシート」と1人用B個室寝台「ソロ」とあわせ「あかつき」43年間の運転史の中でも最も華やかな編成になっていました。

「あさかぜ」で下関駅に着き、415系電車で関門トンネルをくぐって九州に上陸。
その日から九州各地を列車でめぐりました。
九州での最終日は朝に博多駅近くのビジネスホテルを出て博多→佐賀→伊万里と乗り継ぎ、そこから第三セクター鉄道松浦鉄道で佐世保へ。
佐世保駅からは当時長崎ー佐世保間を大村線経由で結んでいた特急「シーボルト」で長崎駅へ。
その後路面電車の乗り歩きを楽しんで18時近くに長崎駅に戻ってきました。
「あかつき」の長崎駅発車が近づいたのでホームへ向かい、乗車前に編成を後方から前方に向かってひととおりホームから見学しました。
この日乗車したのは2号車の「シングルデラックス」(オロネ14 300番台)。この車両は上にも記したように前年までは「出雲3・2号」に連結されていたものです。
さっそく寝台券に指定された個室に入室。個室の内部は「あさかぜ」で乗車したオロネ25 300番台と同じで、収納式の洗面台や小テーブル、ビデオデッキつきのモニターテレビも同様に設けられていました。
19:45頃(だったと思う)に「あかつき」は長崎駅を発車。ほどなくして車内改札があり、「あさかぜ」の時と同様に個室のカードキーとシャワーカード、それにこれも「あさかぜ」でもらったものとほぼ同じ内容のアメニティーグッズのポーチが車掌さんから手渡されました。
車内改札が終わったところで長崎駅で購入した駅弁で夕食。
その後は同じ2号車にあるシャワールームでシャワーを浴びました。この車両のシャワールームもA個室利用客専用のものでしたが、「あかつき」には「レガートシート」やB寝台利用客も利用できるシャワールームがなかったので、この列車ではシャワーもA個室利用客だけの特典になっていました。
シャワーを浴びてさっぱりしたのはいいのですが、実はその間に「あかつき」は肥前山口駅(現 江北駅)に到着し、ここで佐世保駅始発の編成の併結作業が行われることをうっかり忘れていました。
個室に戻ってきた時にはちょうど肥前山口駅を出たところで、「あかつき」行程中の一つのイベントといえる併結作業を見学できなかったのは悔やまれる思い出です。
個室に戻った後はこれまた「あさかぜ」の時同様に持参のビデオを楽しみ、小倉駅到着少し前に就寝。
翌朝は姫路駅到着が近い6時少し前に起床。
西明石から複々線区間に入り、すれ違ったり追い抜いたりする列車も増え、当時完成したばかりの明石海峡大橋や須磨付近の海も見え、ほぼ真っ暗だった九州内とは打って変わった車窓を楽しむことができました。ただ、個室の窓は東海道・山陽線内では山側にあるので、これらの車窓を眺めるには通路に出るか個室の扉を開け放しておくかしかないのは難点でしたが。
そして「あかつき」は8時前に終着の京都駅に(おそらく)定刻到着。「あさかぜ」もそうでしたが比較的よく眠れ、ブルトレの旅自体も十分に楽しめた12時間の「あかつき」乗車は終わりました。

「あかつき」はその後、2000年3月のダイヤ改正で佐世保発着の編成の連結を廃止し、同時に新大阪ー都城間に運転されていたブルートレイン「彗星」との併結運転を開始、2005年10月のダイヤ改正では「彗星」が廃止されたことに伴いもう1本の関西発着の九州行ブルートレイン「なは」(新大阪ー熊本間)と併結運転されるようになりましたが、とうとう2008年3月のダイヤ改正で併結相手の「なは」ともども廃止となってしまいました。
今では関西と長崎の間も新幹線と特急の乗り継ぎで4時間ちょっとで行けるようになりましたが、博多駅と武雄温泉駅での2回の乗り換えが必要な上、それがいつ解消されることになるのかの見通しが立たない現状を考えると、もし「あかつき」が「サンライズエクスプレス」の交直両用バージョンの新型電車に置き換えられて今でも運転を継続していたら、それなりに利用客も期待できたのではないか、などと妄想するのは私だけでしょうか。
nice!(14)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

1999年夏 ブルトレ乗車の思い出 あさかぜ編 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
先日、1998年の夏に「サンライズエクスプレス」に初乗車した時の思い出を書きましたが、そこからのつながりで今回はその翌年1999年の夏に、当時発売されていた周遊きっぷ「九州ゾーン」を使って九州への鉄道旅に出かけた際に乗車したブルートレインの思い出を記したいと思います。
この旅では、まず九州へ向かう際に東京駅から下関駅まで寝台特急「あさかぜ」に乗車し、その後4日間にわたり九州内をあちこち列車でめぐり、帰りは長崎駅から京都駅までやはり寝台特急の「あかつき」に乗車しました。
この記事では、そのうち往路の「あさかぜ」乗車時の思い出を振り返ります。

「あさかぜ」は1956年11月に戦後初の夜行特急として東京ー博多間で運転開始し、2年後には車両が初めてのブルートレイン客車20系に置き換えられて後に続々登場するブルートレインの先駆けになった列車でした。
最盛期は3往復が運転されていた「あさかぜ」も、私が乗車した時にはすでに一番最後に増発された東京ー下関間の列車1往復が残るだけになっていました。
1999年8月のある日、18時半ごろに私は東京駅の「あさかぜ」発車ホームへ上がりました。
18:50近くになって品川方面からEF65に引かれた24系客車が入線し、しばらくしてドアが開きました。
私がこの時乗車したのは、3号車の1人用個室A寝台「シングルデラックス」(オロネ25 300番台)でした。さっそく寝台券に指定された部屋に入り、荷物を置いてホッと一息つきます。
個室内にはベッドの他に小さなテーブルや収納式の洗面台、VHSのビデオデッキの付いた小さなモニターテレビがあり、なかなか快適な個室でした。
「あさかぜ」は定刻の19:00に東京駅を発車し、下関駅までの15時間のブルトレ旅が始まりました。
最初の停車駅横浜が近づいたあたりで車内改札があり、この時に車掌さんから個室の施錠に使うカードキーとシャワールームの利用券(これも磁気カード)、それに小さな石鹸やタオル、歯磨き粉とカミソリの入ったポーチを受け取りました。ポーチには「あさかぜ」のヘッドマークも入り、2種類のカードともども持ち帰りOKなのでよい乗車記念品になりました。
車内改札も終わったところで東京駅そばの大丸東京店の地下食品売り場で購入した弁当で夕食。
食後少しゆっくりした後、同じ3号車にあるシャワールームへ。
この3号車のシャワールームはA個室の利用客専用で、先ほど車内改札の時受け取ったシャワーカードを利用することでA個室の利用客は無料でシャワーを利用できるというわけです。
(別に4号車のラウンジカーにもしゃわーるむがあり、こちらはシャワーカードを購入すればB寝台の乗客も利用可能)
シャワーを浴びてさっぱりして個室に戻ったところで、個室内のモニターテレビでビデオ鑑賞タイムとしました。
テレビはビデオ専用で、持ち込んだVHSのビデオテープを再生できるデッキも付いたものでした。
テレビではタイトルは忘れましたが映画も見ることができましたが、私はこの日のために自宅から持参したブルートレイン関連のビデオを見て過ごしました。
弁当と一緒に購入しておいた缶ビールを飲みながらリアルとビデオの両方でブルートレインを味わうひとときはなかなか乙なものでした。
0時少し前に名古屋駅を発車したあたりで就寝し、2~3回ほど目を覚ましつつ翌朝広島駅到着が近づいた頃に起床。
着替えて隣の4号車のラウンジへ。
ここにはソファーとテーブルが置かれ、2~3人ほどがソファーに座っていました。
私もここで、食堂車があった頃の「あさかぜ」を想像しながら持参したパンで朝食をとり、横長の大きな窓から見える車窓を眺めながらのんびりした朝の時間を過ごしました。
個室に戻ってしばらくすると、この列車に乗務していたJR西日本広島車掌区オリジナルの「あさかぜ」グッズの車内販売の案内の車内放送があり、やがてやってきた車掌さんから私はキーホルダーを購入しました。
そうこうしているうちに「あさかぜ」の旅も終わりに近づき、ブルトレに乗るときにはいつも感じていた「まだまだ乗っていたい」という思いを抱えながら9:55の定刻より数分遅れて終着の下関駅に到着。
東京駅では見ることができなかった「あさかぜ」マーク付きのEF66の雄姿を眺めつつ、ここまで来たのなら博多まで乗れたらよかったのになどと思いながら、当時の下関運転所へ引き上げていく「あさかぜ」編成を見送ったのでした。

結局、私が「あさかぜ」に乗車したのはこの一回だけで、そのまま2005年3月のダイヤ改正で「あさかぜ」は50年弱の歴史にピリオドを打ってしまいました。
「サンライズエクスプレス」の登場後の数年間、「あさかぜ」と運転区間が重複する東京ー広島または下関間では夏休みや年末年始などの多客期に「サンライズエクスプレス」を使用した臨時寝台特急「さんらいずゆめ」が運転されていました。
運転日数は多くないものの、数年間の運転でそれなりに実績も積んだことで、「あさかぜ」の「サンライズ」化も車両さえそろえばすぐに実現しそうに思えましたが、それは叶いませんでした。
ただ、東京ー広島間に関しては、今でも寝台特急があればそれなりに利用客は期待できそうな気もするので、将来285系の後継車が製造されるときには、ぜひこの区間の寝台特急の復活にも期待したいところですし、その時にはぜひ「あさかぜ」の列車名の復活も期待したいものです。
nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

サンライズエクスプレス初乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
1998年7月10日から運転を開始し、先日運転開始から25周年を迎えた、現在唯一の定期夜行旅客列車「サンライズ瀬戸・出雲」。
私もこの列車には何度か乗車したことがありますが、今回はその中でも運転開始直後に四国への鉄道旅の際に初めて乗車した時の思い出です。

1998年8月某日(具体的な日付は忘れてしまいましたが)、四国への初の乗り鉄旅に向かうべく、21時少し前の東京駅に到着。
まずは当時、「サンライズ出雲」と同じ東京ー出雲市間運転ながら、福知山・鳥取経由で運転されていた21:10発車のブルートレイン「出雲」の発車を見送り、「サンライズ」入線を待ちました。
21:50頃、いよいよ品川から「サンライズ」編成が入線。号車は忘れてしまいましたがさっそく乗り込みます。
この時利用したのは、「サンライズ」に設定されている個室・ノビノビ座席の中でも最も室数の多い1人用B寝台個室「シングル」の2階の個室でした。
個室に入ってみると、鉄道雑誌やパンフレットの写真で見るよりも広く感じ、2階室ということもあり窮屈さもほとんどなく、快適に過ごせそうに感じました。
「サンライズ瀬戸・出雲」は(当時の)定刻22:00に東京駅を発車。
個室の窓から眺める夜のホームや街のネオンも、2階建てグリーン車の2階席から眺めるのとはまた違った気分になれて楽しいものです。
23:20頃の熱海駅発車の前後あたりで就寝。新しい車両だからか、それとも他の多くのB寝台とは異なりベッドがレール方向に配置されているからか、加減速時などのショックもほとんど感じられず快適に眠ることができました。

目が覚めて窓のカーテンをあげてみると、外は明るくなりかけていました。
時刻は確か4:40頃だったと思います。
列車の位置としては大阪駅での運転停車を終えて発車したところのようで、個室の窓から見える景色も見覚えのあるものでしたが、気になるのはなぜか速度があまり出ずトロトロと進んでいること。
そしてそのうち「サンライズ」は、本来なら通過するはずの神戸駅で停車してしまいました。
その後しばらくして、同駅のホームに停まっていた京都行と西明石行のそれぞれの始発電車(どちらも201系の普通電車)がいずれも定刻通りに発車した後も、「サンライズ」は依然停車したままでした。
それから少し経って車内放送があり、前日夕方に発生した山陽本線網干駅構内での貨物列車の機関車の脱線事故の影響で姫路以西の区間が運転見合わせとなり、このため「サンライズ」も神戸駅で停車しているということが分かりました。
結局「サンライズ」が神戸駅を発車したのは6:30過ぎ頃だったと思います。
その後は先行列車につかえたのか数回の短い抑止があり、約2時間遅れて岡山駅に到着。
同駅では私の乗る「サンライズ瀬戸」と「サンライズ出雲」の分割作業が行われ、単独編成になった「サンライズ瀬戸」は私も始めて通る瀬戸大橋を渡ってそのまま約2時間遅れで終点高松駅に到着しました。
この時の網干駅の事故では、東京・関西発着の九州方面のブルートレインの中には運休や途中駅での運転打ち切りの憂き目にあった列車もあったようですが、「サンライズ」は「瀬戸」「出雲」のいずれも遅れながらも何とか終点まで運転されたのは幸いでした。
もちろん事故による遅延なので全く好ましいことではありませんが、考えようによっては真新しい「シングル」の個室に通常より2時間長く滞在できた?ともいえ、これはこれでちょっと得した部分もあったかもしれません。

「サンライズエクスプレス」も登場から25年。
最近は以前も記事にしましたが285系の後継者をどうするかということも話題になってきています。
ちょうどJR西日本とともに285系を2編成所有しているJR東海が、「しなの」用の383系の後継車となる新型特急電車385系の新製を発表したタイミングでもあり、もしかすると次は新型「サンライズエクスプレス」登場ということになるかもしれません。
それがいつになるのか、夜行列車ファンとしても楽しみにしたいところです。
nice!(13)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

40年前の西武山口線の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
今回はまず、例によってネットで見つけた鉄道の話題から。
「KATO」のブランド名でNゲージとHOゲージの鉄道模型を製造・販売している関水金属が、埼玉県鶴ヶ島市に建設を進めている新工場と、その敷地内にオープンさせる「KATO Railway Park」の概要が先日発表されました。
詳細は下記のリンク記事からどうぞ。

元西武の“おとぎ電車”復活! 各地のナローSLも集結「KATOのレールパーク」全貌あきらかに | 乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/127050

このレールパークの計画は数か月前に別のネット記事で知りましたが、なかなか楽しい施設になりそうです。
しかも、そこで保存されるのがJR・私鉄などの標準軌(1435㎜)または狭軌(1067㎜)規格の車両ではなく、「ナローゲージ」と呼ばれる線路幅が762㎜または610㎜の車両というのが他の鉄道系の展示施設にない面白さでしょう。
また敷地内に敷設される「関水本線」では一部の保存車両が実際に走行する姿も見られる(乗車も?)ようで、これは鉄道ファンだけでなく家族連れなどにも人気のスポットになりそうです。
レールパークの完成は来年度だそうで、私の住んでいる市からも近いので、オープンしたらぜひ行ってみたいものです。

ところで、このリンク記事に掲載されている保存車両のリストを見て、個人的に興味を惹かれたのが、かつて西武鉄道の山口線で活躍していた蒸気機関車と木造客車、さらにこれも同線で走っていた蓄電池機関車と遊覧客車(通称「おとぎ電車」)。
蒸気機関車と木造客車は記事にもあるように北海道で静態展示されていたことは知っていましたが、「おとぎ電車」が機関車・客車ともまだ残っていたとは驚きました。

西武山口線といえば、現在は「レオライナー」という愛称を持つ、純然たる私鉄としては唯一の新交通システムの路線となっていますが、1984年5月までは関東でも唯一のナローゲージ(軌間762㎜)の鉄道路線でした。
西武山口線の詳細は下記のリンクをご覧ください。

西武山口線 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%AD%A6%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%B7%9A

現在では西武園ゆうえんちへのアクセス手段の他、ベルーナドームでの野球やイベントの観客輸送、さらには通勤通学輸送も担う西武山口線ですが、ナローゲージ鉄道だった頃の同線は西武園ゆうえんちと、隣接していたテーマパーク「ユネスコ村」を結ぶ遊覧鉄道といった目的にほぼ特化した路線でした。
そして、その当時の西武山口線で走っていたのが、このほど「KATO Railway Park」で保存されることとなったSLと木造客車による列車、そして「おとぎ電車」というわけです。

SL列車には、私も小学生時代に西武園ゆうえんちとユネスコ村に家族で行った際乗車経験があります。
私が載った当時のSL列車は、台湾の製糖会社で運転されていた小型SL(このたび保存されることになった532号の他、ほぼ同型の527号もありました)が、岡山県のローカル私鉄で走っていた木造の客車を牽引するスタイルで、春から秋にかけての休日を中心に運転されていました。
私たち家族は、確か西武遊園地駅から乗車したのではないかと思います。
SL列車に乗るために駅に向かうと、ホームにはすでにSLが朱色に白帯の塗装の客車(何両編成だったかは覚えていませんが、おそらく3~4両ぐらいと思われます)を従えて停車していました。
ドアのないオープン構造のデッキから車内に入りました。
客車の座席の形状がどうだったかの記憶はありませんが、レール幅の狭い車両だったのでロングシートだったのかもしれません。いずれにしても、乗車中はナローゲージとはいえ初めて乗るSL列車の走行音や乗り心地、そして自然豊かな沿線の風景をたっぷり楽しむことができて嬉しかったのを覚えています。

一方、「おとぎ電車」は、「電車」とはいっても実際は蓄電池式機関車が客車(トロッコ客車タイプのものと密閉型のものとがあった)を牽引して走るスタイルでした。
残念ながら私はこちらの方には乗る機会がないままでした。まだ子供だった私としては、SLもいいけれどより楽しそうなおとぎ電車にも乗りたかったので残念でしたが、「KATO Railway Park」ではこの「おとぎ電車」が動態保存されるということで、思わぬ形で40年越しに乗車するチャンスに恵まれそうで楽しみです。

西武山口線がナローゲージ鉄道から新交通システムへ転換してもう40年近く経ち、かつて同線にSLや「おとぎ電車」が走っていたことを知らない人もかなり多くなっていますが、「KATO Railway Park」にそのどちらもが保存されることになったのを機会にそうした歴史にスポットが当たる日が来るかもしれませんね。
とにかく来年度の「KATO Railway Park」のオープンを楽しみに待ちたいものです。
nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー
前の10件 | - その他鉄道ネタいろいろ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。