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キハ58系急行「たかやま」乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
先日、いすみ鉄道に移籍して急行列車やレストラン列車で活躍していたキハ28 2346号が引退しました。
同車はかつて全国の非電化区間の急行・快速・普通列車で大活躍した国鉄型気動車キハ58系の最後の稼働車で、これによりキハ58系、というより国鉄型急行形気動車の現役車両が消滅するという、一つの大きな節目になりました。
そのキハ58系、私自身は日常的に通勤や通学などでお世話になるような車両ではありませんでしたが、鉄道旅に出かけた時などには何度かお世話になった車両です。
私がこれまでに乗車したキハ58系の列車を記憶している範囲で挙げていくと、
・小学5年生の時の磐梯地方への家族旅行の帰りに、磐越西線喜多方→郡山間で乗車した急行「あがの」
・1990年代中盤頃に3回ほど乗車した急行「たかやま」
・1998年、関西への乗り鉄旅に向かう際に利用した関西本線経由の急行「かすが」
・時期の記憶はあいまいですが、九州への鉄道旅の際に乗車した肥薩線の急行「くまがわ」
・高山本線富山ー越中八尾間の折り返し普通列車でJR最後の定期運用についていたキハ58系
・いすみ鉄道のキハ28 2346
短時間で思い出せる範囲ではこんな感じですが、もしかしたらもう少し乗ったことのある路線や列車があるかもしれません。
そんな、数の上ではそう多くないキハ58系の乗車の思い出ですが、今回は上にあげた中から、特に印象に残っている急行「たかやま」の思い出を記したいと思います。

急行「たかやま」は、1999年12月まで大阪―飛騨古川間で運転されていた急行列車で、現在運転されている大阪ー高山間の特急「ひだ25・36号」の前身ともいえる列車です。
私はこの「たかやま」に3回ほど乗車したことがあります。
最初の乗車はおそらく1992年頃だったかと思います。
この当時の「たかやま」用のキハ58系は、すでにオリジナルの国鉄職・ボックスシートの姿ではなく、白とピンクのツートンカラーに青い細帯の入った新塗装への塗装変更と、普通車座席の簡易リクライニングシート化、それに伴う改番が実施された後でした。
この時は当時発売されていた「京阪神ミニ周遊券」を利用しての関西への乗り鉄遠征の帰りで、下り列車の大阪→大垣間の乗車でした。
周遊券利用だと自由周遊区間への行きと帰り、それに自由周遊区間内では急行列車の自由席に急行券なしで乗車できるメリットを生かしたもので、その後の「たかやま」乗車も同様な状況での乗車でした。

下り「たかやま」の大阪発は午前8時を回った頃でした。
関西へ乗り鉄旅に出かけた時によく利用していた大阪駅近くや隣の塚本駅前などのビジネスホテルを出て大阪駅に向かうと、大阪駅は当然朝のラッシュのど真ん中。
そんな中で長距離列車用のホーム(確か11番線)に上がると、8時が近づいた頃に大型の円形ヘッドマークを掲げた「たかやま」編成がやってきました。
編成はグリーン車キロ28を含めて5~6両ほどだったと思いますが、少なくとも東海道線内で私が車内を見て回った限りでは、たいていは乗車率はいいところ半分くらいだった記憶があります。
でもそのおかげで私が利用する時はいつも自由席でも余裕で座席を確保できました。
同じ米原方面への新快速・快速がラッシュ時でかなり混雑する中、これらを回避して特別料金を払うことなくゆったり移動でき、しかも米原駅での乗換も省略できる「たかやま」は、周遊券利用での関西との行き帰りにもありがたい存在でした。
東海道線内でキハ58系に乗っていると、急行とはいえさすがに電車よりも高速感がなく、特に大阪ー京都間では新快速や快速(普通)の追撃を必死の爆走でどうにか逃げ切っているというようなダイヤだったようです。
しかし、それゆえ本線格の路線での国鉄型気動車の走りをじっくり堪能できたのは今から思うとかなり価値のある経験だったと思います。

結局「たかやま」乗車は3回とも下りの大阪→大垣間だけで、肝心の高山線内での乗車はついに叶いませんでした。
「たかやま」で大阪ー飛騨古川間全区間を乗り通すと確か5時間半ほどかかったと思いますが、一度その全区間を乗り通してみたかったところです。
また、もし機会があれば乗車時点でも数少なくなっていたグリーン車キロ28にも乗ってみたかったです。
今や、JR線上から「たかやま」はおろか急行列車自体がイベント列車的要素の強い臨時列車を除きほぼ消滅し、周遊券やそれを引き継いだ「周遊きっぷ」も消えてしまいました。
しかし、「たかやま」廃止後も関西から高山本線への直通列車は特急「ひだ25・36号」に引き継がれ、同じ大阪発着のJR東海エリアへの直通列車だった急行「ちくま」や大阪駅発着の特急「しなの」の廃止の後も運転が続けられています。
この「ひだ25・36号」にしても、「ひだ」のキハ85系からHC85系への置き換えに際して廃止されるのではないかという噂もあったようですが、無事車両置き換え後も存続が決まったのは、種別に関係なくJRの複数会社間を直通する列車が希少になっていく中ではある意味かなり奇跡的なことといえるかもしれません。
私はまだこの大阪発着「ひだ」には乗車経験がないので、HC85系の乗車と合わせてぜひその機会を作って乗りに行きたいものです。
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【妄想鉄】勝手に新型「サンライズエクスプレス」を考えてみる [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
現在、毎日定期運転されているたった2系統の夜行旅客列車である東京ー高松間の「サンライズ瀬戸」と東京ー出雲市間の「サンライズ出雲」。
今年2023年7月には、この両列車が前身のブルートレイン「瀬戸」「出雲3・2号」から285系寝台電車「サンライズエクスプレス」に車種変更されて誕生してから、早いもので25年という節目になります。
両列車とも「サンライズ」化されてからはこれといった大きな変化はなく、コロナ禍の初期はさすがに下がった乗車率の回復も早かったらしく、今では日によってはコロナ禍以前を上回る乗車率になる日もあるらしいと聞くのは、夜行列車好きの私には頼もしい限りです。
そんな両列車に使用されている「サンライズエクスプレス」も登場してからやはり今年で25年。
この間にごく小規模な変更を伴うリニューアルが行われたらしいのですが、それでもそろそろ後継の新型車両の話題が出てきてもおかしくない時期になってきたのかもしれません。
今のところ、今後「サンライズ」がどうなるのかということに関してJR側からは何もアナウンスがないようですが、ネットニュースなどを見るとやはり今後の「サンライズ」をどんな列車にするのがいいかというような内容の記事はいくつか見つかります。
例えば

製造から25年でも後継車両の予定はなし…最後の寝台特急「サンライズエクスプレス」はいつまで残るのか(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c1ae2766638ec7149278f612b9c46865d8edbd6

こんな感じで、他にもいくつか似たような記事があり、なるほどと思う改善案が提示されています。
そこで、私も勝手に新「サンライズエクスプレス」車両の編成内容や、新形車両投入を機に新しく「サンライズ」で運転するのがよいと思われる列車を妄想してみることにしました。

●新型「サンライズエクスプレス」の車両概要案
・現状の「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」はどちらも乗車率が高く、特に「出雲」は多客期に臨時列車を運転する日があるくらいなので、1編成の両数を現状の7両から10~12両編成程度に長くし、その分利用客の特に多い個室等の種類を中心に定員を増やす。
・2人用B寝台個室「サンライズツイン」は2人用A寝台個室「ツインDX」に改め、1人用A寝台個室「シングルDX」とともに室数を増やして1階室・2階室のどちらも選べるようにする。
・1人用B寝台個室「シングル」は室数をできるだけ増やし、もし可能なら同じ1人用B寝台個室の「ソロ」は「シングル」に統合する。この場合、「シングル」は少し寝台料金を値下げして格安の「ソロ」がなくなった分の救済措置とする。
・基本は1人用個室ながら、補助ベッドを使えば2人用としても使えるB寝台個室「シングルツイン」は常時2人用として使える「ツイン」に変更し、一部の個室は隣同士の個室間の仕切り壁を折りたたんで4人グループ用個室としても使えるようにする。
・「ノビノビ座席」も席数を増やす。
・現状では1編成当たり1カ所のラウンジは2~3カ所に増やし、広さも拡大する。またカウンター席だけでなくソファ席も設けたり、カウンター席の椅子をもう少し座り心地のよいものに変えてほしい。
・自動販売機もラウンジの数が増えた分増設し、一部は飲み物だけでなくおつまみなども変えるタイプのものを設置してもよいかもしれない。
・シャワー室も増設する。
●新型「サンライズ」登場によるダイヤの変更案
・各列車の最大連結量数が10~12両になるため、「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」は東京ー岡山間の併結を辞め、全区間単独運転とする。
・また新型車両投入と分離運転を機に、以下の列車を新設する。
①東京ー広島間 仮称「サンライズ安芸」
この区間は利用客も多く見込め、過去には多客期の臨時列車として「サンライズゆめ」が実績もあるので。
②東京ー松山間 仮称「サンライズ愛媛」
こちらも過去に「サンライズ瀬戸」が臨時園長の形で松山まで乗り入れた実績あり。

ただし松山駅まで10~12両編成で乗り入れるのが難しければ、岡山駅で4両程度を切り離してもよいかと。
・以上を運転する場合、「サンライズ瀬戸」と「サンライズ安芸」、「サンライズ出雲」と「サンライズ愛媛」は共通の編成とし、それぞれ両列車がペアになった車両運用を組む。
・上記の各列車とは別に、東京ー大阪または神戸間に仮称「サンライズ銀河」を運転する。
現状でも上りの「サンライズ」には大阪や三ノ宮からの乗車も多いそうで、下り方向も含めてもともと需要が相当にある区間なので利用客も多いはず。また現在「サンライズ」が停車しない京都・大津にも停車させることで、京都や滋賀県内へも夜の移動の選択肢が増える。
この列車に関しては、上記の各列車よりも1人用の個室の比率を高めた編成とする。
・以上を踏まえて、新形「サンライズ」で運転する各列車のダイヤ案は以下の通りです。
【下り】
①サンライズ出雲 東京21:00→出雲市9:00
②サンライズ安芸 東京21:15→広島7:45
③サンライズ愛媛 東京21:30→松山9:00
④サンライズ瀬戸 東京22:00→高松7:30
⑤サンライズ銀河東京23:30→大阪6:30→神戸6:55
【上り】
①サンライズ銀河 神戸23:05→大阪23:30→東京6:30
②サンライズ愛媛 松山19:15→東京6:45
③サンライズ出雲 出雲市19:00→東京7:00
④サンライズ瀬戸 高松21:45→東京7:15
⑤サンライズ安芸 広島21:00→東京7:30
(時刻はすべておおよその目安です)

以上、新型「サンライズエクスプレス」の設備やダイヤについて、長々と書いてしまいました。
ここまで書いてきたことはあくまでも夜行列車好きによる妄想なので、きちんとした技術的な裏付けや需要の予測などをしたものではありませんが、せっかく新型車両を投入するならこんな列車を走らせてほしいという気持ちを書いてみました。
現実にこれから「サンライズ」がどうなるのか、これから大いに注目といったところですね。
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東京の片隅の床屋で聞いた? 関西私鉄のCMソング [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:今でも「あれは何だったんだろう?」と思っていること

3歳ぐらいと思われる頃の、私にとっての一番古い記憶の一つに、当時住んでいた東京都大田区の家から歩いてすぐのところにあった床屋さんで髪をカットされている場面のものがあります。
床屋のご主人の顔や姿、店内の様子の記憶はほとんどないけれど、唯一記憶に刻まれているのが、おそらく店内のラジオから流れていたと思われる「♪京阪特急~ 京阪特急~」というフレーズが何度か出てくる歌です。
その後ほどなくして鉄道好きになり、京阪電車の特急の存在も知ることになる子供の頃の私ですが、まだこの歌のことはよく知らず、記憶の中のこの歌のことは「なんか変わった歌だな」と思う程度でした。
しかし、それから10数年たって昭和時代の京阪電鉄の懐かしい映像を取り上げた鉄道ビデオを見ていると、昭和時代の京阪特急(初代3000系)が快走するシーンを集めたパートでバックに流れていた曲に記憶を呼び覚まされました。
その曲こそ、記憶の中の床屋さんで流れていた曲だったからです。
この曲のタイトルは「京阪特急」だそうで、京阪電鉄が1958年に大阪と京都を結ぶ特急電車(=京阪特急)をPRするために制作されたCMソングで、昭和30年代を中心にいろいろな私鉄で作られたCMソングの一つです。
この曲の詳細は下記のリンクからどうぞ。

京阪特急 (曲) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%98%AA%E7%89%B9%E6%80%A5_(%E6%9B%B2)

さて、この記憶のどこが謎化といえば、それは何より東京の片隅の小さな町の床屋さんで流れていたラジオで、関西の私鉄のCMソングが流れることがあったのか、あるいはそもそも私は本当にこの歌を床屋さんで聞いたのかということです。
京阪のラジオCMが流れるのは、当時の関西のラジオではごく普通のことだったのかもしれませんが、私が床屋さんのラジオで聞いたとすればまず間違いなく関東の放送局のはずで、関西の放送局で制作されて関東の局でもネットしていた京阪電鉄がスポンサーの番組が流れていた可能性はある者のその可能性は低そうな気がします。
あと考えられるのは、この曲の作詞・作曲を担当し多数の有名なCMソングの生みの親でもある三木鶏郎氏や、歌っている楠トシエさんを特集する番組がたまたま流れていたということだと思われます。

まあこの謎の真相はどうなのか、ちょっと探ってみたいような、このまま幼き日の不思議な記憶のままとどめておく方がいいような…
ちょっと気持ちが揺れてます。
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時々無性に食べたくなる! [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:今この瞬間、一番食べたいものは?

冒頭で「こんにちは」とあいさつしておいてなんですが、実はこの記事を書いているのは深夜0時近くだったりします。
そしてこんな時間にもかかわらず、ついさっきこんな記事を見つけてしまったものだから、深夜にもかかわらずこの駅弁が食べたくてたまらなくなっている自分がいます。

絵の豚と味の豚が合致した傑作「トンかつ弁当」 パッケージの絵と中身の味がぴったり噛み合う(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/c4243dc61f0cbf013ffc4e86386d6fa71b290fba

千葉駅の駅弁、万葉軒の「トンかつ弁当」。
私個人にとっては、ある意味大学生時代の思い出の味の一つといってもいい存在です。
なぜなら、通学で通る千葉駅で、昼食用や妙に腹が減った時の間食用に頻繁に買っていた弁当なので…

「トンかつ弁当」を買うと、記事にもあるような豚のコックがとんかつを揚げている、レトロなムードの絵柄の掛け紙に癒されます。
そして掛け紙を外すと、それこそ白いご飯を覆い隠すかのような大きさのとんかつがどんと載った弁当が現れます。
とんかつ自体は薄いけれど、ソースもしっかりとかかっていて揚げ具合もよいもので、満足度はかなり高いです。
とんかつにかかったソースは下のご飯にもたっぷりしみていて、このご飯だけでもかなりおいしく感じます。
カツとご飯にかかったソースはこれだけでも十分なほどの量ですが、「それだけでは足りない!」という声があるからなのか別添えのソースのパックもついています。

とにかく私にとってこの駅弁、今でも定期的に無性に食べたくなる弁当です。
そして自分でもこんな記事を書いていたらますます食べたくなってしまいました。
まあこんな深夜に食べるのは体に悪いかもしれないけれど、しばらく千葉方面へも行っていないことだし、近いうちにトンかつ弁当を食べながらの房総半島への乗り鉄旅にでも行こうかな。
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できるものならもう一度… [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:今まで泊まったホテルや旅館の中で、一番高級だったのは?

子供の頃、家族旅行で伊豆や箱根に行った時、家族や祖父母と一緒に泊まるということで、ちょっとだけ高級そうなホテルや旅館に泊まったのは覚えていますが、何分まだ小学生だったので自分でお金を出したわけでもなく、ただただいつもの家とは違うところに泊まれるということで、やたらテンションが上がっていたのを覚えています。
その後、一人で鉄道旅に出かけるようになると、泊りになる場合はいかに宿泊費を節約できるかがポイントになってきます。
そこで、夜のうちに異動するときは「ムーンライトながら」などの夜行の急行・快速・普通列車を利用したり(高速バスは個人的なこだわりで積極的には使いたくないので)、ホテルに泊まる場合も4000~7000円台のビジネスホテルを選ぶことが多かったです。
そんな私でも時には奮発して(というかそれも立派な旅の目的の一つでしたが)ブルートレインの個室A寝台に乗ることもありました。
「あさかぜ」「富士」「出雲」「あかつき」「あけぼの」といった列車で個室A寝台の旅を楽しんだ中で、やはり一番の思い出は「北斗星」の「ロイヤル」を利用することができたことです。
たった1回きりの体験になってしまいましたが、乗車した札幌駅発車直後のウェルカムドリンクから始まり、個室内に備え付けのシャワールームやゆったりした回転チェア、広くて快適な寝心地のベッド、そして翌朝のモーニングコーヒーと朝刊のサービスまで、とにかくいつもとは違う贅沢な旅に大満足だったのを昨日のことのように思い出します。
今となっては、「北斗星」などのブルートレインの個室寝台も過去のものになってしまいましたが、今でももしもう一度体験できるなら、鉄道好き、それも夜行列車好きにとっての贅沢な一夜をもう一度味わいたいです。
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せっかくの豪華なラインナップだったのに [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
1月といって思い出すことの一つに初詣がありますが、初詣といえば毎年参拝者数ベスト3に入るのが成田山新勝寺。
そして、この時期の成田山新勝寺への初詣と聞いて私のような鉄道ファンが連想するのが、その新勝寺への初詣客を乗せた臨時列車(通称「成田臨」)です。
この「成田臨」は、関東やその周辺の各地から、主に団体客を乗せて新勝寺最寄りの成田線成田駅まで運転される臨時列車のことで、かつては1月中を中心に多数の列車が設定され、鉄道雑誌にはこの時期、それぞれの臨時列車の運転予定や運転された各列車の写真がよく掲載されていたものです。
「成田臨」の主な運転ルートとしては、常磐線の我孫子駅から成田線の通称「我孫子線」を経由して成田駅に至るルートと、総武本線を経由して千葉駅を経て佐倉駅から成田線に入り成田駅に至るルートとの2つがありました。
「成田臨」がおそらく最も注目を浴びていたと思われる1990年代、「成田臨」に使用される車両はもちろん電車が多かったですが、中には機関車牽引の客車列車もありました。
そしてその客車列車を牽引する機関車も、「お召機」EF5861をはじめ同じEF58の89号機、EF62やEF64、EF65P・PF、EF81の他、静岡方面からの列車を引いてJR東海所属のEF65一般形が遠征してくる場合もあるなどバラエティー豊かで、これらの機関車が12・14系客車や各地のお座敷客車を牽引して成田線を走る姿は注目の的でした。
一方電車で運転される列車の方も、1990年代当時は国鉄型の特急・急行形電車が主力で、特急型なら183・185・189・485系といった各形式、急行形なら165・167・169系といった各形式が活躍していました。
どの形式も塗装や形態のバラエティーが豊富で、これもまた「成田臨」が人気となっていた要因の一つでした。

そんな成田臨、私自身はというと鉄道雑誌でいろいろな写真を見てはぜひ一度生で列車を見たり撮影したりしたかったのですが、その頃(1990年前後)は以前使っていたカメラが故障して使えなくなり、そうしているうちに大学受験や浪人生の時代とも重なって鉄道写真の撮影をしていなかったこともあり、残念ながらあの頃の成田臨を一枚も写真に残すことはできませんでした。
その後1991年には千葉市内の大学に入学し、毎年1月になると通学で利用する総武快速線の乗車中に同線を経由する成田臨と出会うことがよくありました。
この時目にした車両の多くは、日によって所属の電車区や運転所も塗装も様々な国鉄型急行形電車で、首都圏ではあまり目にすることのない長野・松本地区の車両を見ることができるなど、今から振り返るとなかなか楽しい思い出でしたが、これらもまた写真に残すことができなかったのは残念です。

最近は成田への初詣シーズンの臨時列車自体が少なくなったようで、運転されても団体専用列車というより臨時の特急列車としての運転が多くなったようです。
また車両も波動輸送用のE257系5000・5500番台での運転がほとんどで、わずかに185系で運転される団体列車が注目される程度で鉄道ファンの注目度もかつてよりはかなり低いように感じます。
その点、1980年代末から1990年代にかけての成田臨は、今から考えるとかなり賑やかで華やかな車両のラインナップが魅力だったことを改めて感じ、そういった列車たちを写真に残せなかったことが悔やまれます。
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とにかく「楽しい」の一言 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:初めて行った博物館は?

生まれて初めて行った博物館やその手の施設は、たぶんかつて東京神田にあった交通博物館だったと思います。
時期はおそらく幼稚園生の頃、遅くとも小学生になってすぐの頃だと思います。
この頃には私はすっかり鉄道好きになっていたので、父親か父方の祖父が連れて行ってくれたのだと思います。
初めて入る博物館には、家や幼稚園、スーパーなどこれまで自分の行ったことのある建物にない何だか特別な場所という空気が幼い身にも感じられたのを覚えています。
最初にどこから見て回ったかははっきり覚えていませんが、とにかくよく見ていた電車の絵本や図鑑に載っている車両やそれよりも古い車両の模型がたくさん展示してあるのには興奮を抑えられなかったのを覚えています。さらに展示されている模型の中には展示ケースのそばのボタンを押すとレールの上を動いたり機器の動きが分かるようになっていたりするものは、何度も何度もボタンを押して楽しんでしまいました。
また、歴代の旅客者の座席に座る体験が出来たり、寝台電車581・583系の車内の一部や101系通勤電車のドア(開閉体験ができた)といった実物大模型の展示も子供心に楽しい展示でした。
そしてやはり一番興味をそそられたのは、大型の鉄道模型ジオラマ。
ライティングで朝から夜までの時間帯を表現しながら、新幹線からブルートレイン、特急電車、通勤電車、SLまで、たくさんの列車模型がジオラマ内を駆け巡る様は、いつまでも見ていたい素晴らしいアトラクションでした。
もちろん、最後の定期旅客列車を牽引したSLであるC57135号機や、大正時代のマレー式蒸気機関車といった実物車両の展示も、SLをこれまで見たことのなかった私には新鮮な経験でした。
また、お昼に館内の食堂で(たぶん)カレーライスを食べさせてもらいましたが、その食堂はかつて東海道本線を走った「こだま形」151系特急電車の食堂車に使われたのと同じ部材を使って造られたもので、これも鉄道がメインの博物館らしくて楽しかったです。
とにかく、初めて行った交通博物館には、幼い私をコテコテの「鉄ちゃん」へと誘う楽しさがあふれていた気がします。
そして、約30年後の閉館まで、私は何度も交通博物館へ足を運んだのでした。
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ブログ友達との鉄旅の思い出 貨物撮影&583系乗車 その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
前回に引き続き、かつて私が開設していた別ブログで知り合ったブログ友達のEさんと私との、15年前の日帰り鉄道旅の思い出です。

東北本線黒磯駅で貨物列車(の機関車)を撮影したり、2つのサプライズに遭遇した利した後、701系電車の東北本線普通列車で郡山駅へ。
この後は、この日の鉄道旅のもう一つの目的である、磐越西線の快速「あいづライナー」に時折使用されていたかつての寝台電車583系に乗車します。
磐越西線郡山ー会津若松間に当時運転されていた「あいづライナー」は、本来であればこちらも特急型電車の485系電車で運転されていましたが、その「あいづライナー」用の485系に予備者がなかったため、同車が検査等で運用に入れない時期には、同じ車両基地に所属して臨時列車などに使用されていた583系が代走で「あいづライナー」に使用されることが時折あり、私とEさんはそれを狙って鉄道旅の行程に組み込みました。
正確な運転時刻は記録を残していないので今は不明ですが、Eさんともども郡山駅で駅弁を買い込み、13時前後に発車する「あいづライナー」に乗車しました。
自由席車に座席を確保して、発車時刻までホームから583系をあれこれ撮影しました。
郡山駅を発車してからは、Eさんともどもゆったりしたクロスシートに座って駅弁を食べ、お互い同じ583系の急行「きたぐに」や同系(581系を含む)を改造した近郊型電車715系・419系に乗車した時のことなどに話の花が咲き、会津若松駅までの1時間ほどはあっという間に過ぎました。
会津若松駅に着いてからは、583系の他、同駅に発着するC57180号機牽引の「SLばんえつ物語」号やキハ40、会津鉄道の気動車などを撮影し、折り返しの「あいづライナー」で郡山駅へ戻りました。
郡山駅では相次いで通過するEH500形とED75形重連それぞれが牽引する貨物列車を撮影した後、E721系の東北本線上り普通列車で1駅黒磯寄りの安積永盛駅へ向かいました。
時間は16時を回った頃で、車内は混雑していました。次の駅で下車するのでEさんともどもドア付近に立って郡山駅発車後左手に見えてくる郡山貨物ターミナル駅の構内をドアのガラス越しに見ていると、またまたここでもサプライズが!
何と当時、赤い車体に裾回りが白というJR貨物のED75の「新更新色」の塗装と、車体側面の「ED75」の大きなレタリングから、一部ファンから「偽レインボー」などとあだ名されていたED751028号機が単機で構内に停車しているのを発見したのです。
慌ててドアガラス越しにデジカメで撮影。走る車内から、しかもスモークのかかったガラス越しの撮影ではありましたが、奇跡的にほとんどブレることなく同機の特徴ある側面をしっかり撮影できました。
ちなみにEさんはこのサプライズを見逃してしまったらしく、かなり悔しがっていました。
そのサプライズの興奮も冷めやらぬまま安積永盛駅で下車。この駅では、先ほど郡山駅で撮影したED75重連による貨物列車を再び撮影。この貨物列車が郡山貨物ターミナルに停車している間に、我々も載っていた普通列車が同列車を追い抜いたためにできたことで、Eさんの提案でこのようなスケジュールになったものでした。
上りホームで待つことしばし、予定通りの時刻にやって来たED75重連の列車を撮影し、この日の予定はすべて無事終了。その後黒磯・宇都宮と乗り継いで上野駅でEさんと分かれ、自宅へと帰りました。

きちんとした旅の記録を残していなかったので、やや記憶があいまいなところはありますが、15年前のE桟との鉄道旅では、今はもう撮影したり乗ったりすることのできない車両とも多く出会え、さらに普段はブログのコメント欄や個人メッセージでの交流がほとんどのEさんともたくさん鉄道話やお互いの話などをすることができ、楽しい思い出になりました。
Eさんとも私が以前のブログの更新を止めてしまって以来交流がなくなってしまい、現在どうしているかはわかりません。
もし何らかのきっかけで再びEさんとつながる機会があったなら、また2人でどこかへ鉄道旅にでも出かけたいものです。
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ブログ友達との鉄旅の思い出 貨物撮影&583系乗車 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
過去何度か、このSSブログを始める前に開設していた別ブログ時代にお互いに読者として知り合った方との思い出を書いてきましたが、今回もそういったブログ友達との鉄道旅の思い出です。

この鉄道旅をご一緒したブログ友達はEさんといい、私同様の鉄道好きでした。
そのEさんと、青春18きっぷを使って日帰りの鉄道旅に行こうということで話がまとまりました。
目的は、東北本線黒磯駅などでの貨物列車撮影と、当時ときおり本来の使用車両である485系特急型電車に代わって磐越西線郡山ー会津若松間の快速「あいづライナー」に使用されることがあった、かつての寝台電車583系電車に乗ることでした。

2008年夏のある日曜日、私は早朝に自宅を出て池袋駅から、当時新宿ー黒磯間に土休日を中心に運転されていた快速「フェアーウェイ」に乗車。
大宮駅でEさんも合流し、本格的に男2人での鉄道旅が始まりました。
9時頃に「フェアーウェイ」は黒磯駅に到着。
黒磯駅では、郡山方面への列車に乗り継ぐ前に、電化方式が直流から交流へと変わるこの駅で機関車を直流電機から交流電機へ(あるいはその逆)付け替える貨物列車を少し撮影することにしました。
当時の黒磯駅では、現在も東北本線の貨物列車に活躍しているEH500形電機の牽く貨物列車のほか、黒磯以北から貨物列車を牽引してきたED75形電機と同駅以南を牽引するEF65やEF66などとの機関車交換が見られ、それを撮影するのが目的でした。
まずは上りホームへ向かい、もうすぐED75に引かれて到着するのぼり貨物列車を撮影しようとしていると、そこへ私とEさん共通のブログ友達であるKさんが突然姿を現しまし、3人ともびっくり!
聞けばKさんも「フェアーウェイ」の我々とは違う号車に乗ってやってきたといい、やはり我々同様に黒磯駅で少し撮影をした後に別の撮影地へ向かうところだということでした。
そしてこのホームではもう一つのサプライズが。
それは当時、定期運用から離れ運転士などの教習用として使用されていたEF65PF形のトップナンバーEF651001号機で、ホーム上から障害物なしで全景を撮影できる最高の位置に停車しており、これも私とEさん、Kさんとで夢中になって撮影しました。
3人で撮影を楽しんだ後、Kさんと別れ私とEさんは701系の普通列車で郡山駅へ。
ロングシート車なので車窓も見にくいので、郡山駅までの1時間半ほどは2人でいろいろ話しながら過ごし、昼過ぎに郡山駅に到着。
この後はいよいよこの日のもう一つの目的である583系「あいづライナー」に乗車しましたが、この先はまた次回書きたいと思います。
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長野電鉄3500系乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
最近では、JRが発足してからある程度時間が経ってから製造された車両や、平成に入ってから製造された鉄道車両の中にも、引退し廃車される車両が珍しくなくなりつつありますが、そんな中でそれらの車両たちよりも一、二世代古い昭和30年代に登場した元営団地下鉄日比谷線3000系である長野電鉄3500系の最後の1編成が、このほど引退することになったようです。
詳細は下記のリンクからどうぞ。

“営団のマッコウクジラ”ついに見納め 長野電鉄3500系引退 | 乗りものニュース
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この長野電鉄3500系(及びその3両編成版の3600系)の種車となった営団地下鉄(現 東京メトロ)3000系は、営団時代には数回程度しか乗る機会がなかったものの、子供向けの電車の絵本や図鑑にはよく写真やイラストが出ていたのと、幼い頃3000系を模したブリキ製の電車のおもちゃを持っていたこともあり、「マッコウクジラ」のあだ名も持つ独特な前面スタイルと合わせ、私には親しみのある車両です。
後継の03系に置き換えられて約30年前に日比谷線から引退したその3000系が現役車両として唯一譲渡された長野電鉄には、なかなか乗りに行く機会がありませんでしたが、15年前の2007年秋に乗車&撮影に出かける機会ができ、その際に3500系となった元営団3000系に乗ることもできました。

2007年10月13日、前日夜発の「ムーンライト信州」と篠ノ井線普通列車を乗り継いで到着した長野駅から、一日乗車券を使った長野電鉄の乗り鉄に出かけました。
午前中は当時まだ健在だったクロスシート車2000系や、元小田急ロマンスカーHiSEの特急用車両1000系「ゆけむり」に乗車したりして過ごし、途中駅の須坂駅前で昼食の後、当時同駅から分岐してしなの鉄道の屋代駅との間を結んでいた屋代線に乗ることにしました。
2007年当時の屋代線は、須坂ー屋代間折り返しの普通電車が60~90分間隔ぐらいの頻度で運転され、一度駅を出た私が昼食を終えて須坂駅に戻ってきた時には、次の屋代行の発車までにはあと20分ほどとわりにいいタイミングでした。
屋代線の発着するホームには、同線の折り返し運用につく3500系が停車していました。
この当時、3500・3600系にはすでに廃車となった車両もあったようですが、両形式はまだまだ両数もそれなりにあり、ここまでの乗車中にも何度かすれ違ったり車庫で留置中の姿を見てきましたが、いよいよこれから初めての乗車ということになりました。
3500系の車体は、赤い帯が前面と側面に入れられている他は営団時代とほとんど変化がなく、「マッコウクジラ」のあだ名のもとになった広いオデコもそのままでした。
車内もワンマン運転関連の機器が設置されているのを除けばほぼ営団時代と変わっていないようで、日比谷線時代の3000系になじみのある人なら懐かしく感じたことでしょう。
やがて発車時刻が来て3500形は須坂駅を発車。
当日は土曜日で、昼下がりだからか乗客はかなり少なく、2両合わせて10人に届いていたかどうかという感じだったと思います。
屋代線は田園風景が広がる中を走り、かつて東京のど真ん中の地下や住宅地を多くの乗客を乗せて最大8両編成で走っていたことを思うと、ちょっと不思議な感じもありました。
須坂を出て30分弱(だったかな?)で3500系は屋代線の終点屋代駅に到着。
屋代からは折り返しの須坂行で再び須坂へ戻り、結果的に最初で最後の屋代線乗車は終わりました。
そして3500系も、須坂駅に戻った後に小布施駅構内の「ながでん電車の広場」を見学した帰りに長野行電車で乗車したのがどうやら最後となりそうです。

長野電鉄3500系は年明け間もなく引退を迎えますが、幸いその長野電鉄から営団地下鉄改め東京メトロへ里帰りした2両が綾瀬の車両基地で保管されていて、なかなか公開される機会がないのが残念ながら、どうやらきれいな姿を保っているらしいです。
私はおそらく今回引退する3500系にお別れ乗車しに長野を訪れることは難しいでしょうが、ぜひ無事に長野での活躍を全うしてほしいものです。
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