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2020年初の乗り鉄記 その3 [鉄活動レポート]

こんばんは、gonanaです。
今回も、一昨日の2020年の初乗り鉄のレポート、その3です。

秩父鉄道長瀞駅から乗車した普通電車で羽生駅に到着後、東武伊勢崎線に乗り換えて久喜駅までやってきました。
日中の伊勢崎線はこの久喜駅と、群馬県内の舘林駅や太田駅で特急「りょうもう」以外の運転系統が分割されているため、ここで再び乗り換えとなります。
この後の私は、そのまま伊勢崎線(東武動物公園駅から先は「スカイツリーライン」の愛称あり)に乗り、さらに東京メトロ半蔵門線に乗り入れて大手町まで乗車し、同じくメトロの丸ノ内線に乗り換えて池袋へ向かう予定にしていました。
久喜駅は東武日光線の南栗橋駅とともに東武~メトロ半蔵門線~東急田園都市線の直通運転の北限の駅なので、単純にこのルートで乗車するなら久喜始発の半蔵門線直通急行に乗り換えればよいのですが(事実、羽生から乗車した久喜行からも急行中央林間行への接続がすぐにありました)、せっかくなかなか乗車する機会のない伊勢崎線に乗車するなら、まだ乗車経験のない特急「りょうもう」に乗ってみようと思い、羽生駅で久喜ー北千住間の特急券を確保していました。

羽生から乗車した列車で茎に到着したのが12:27、乗車する「りょうもう24号」の久喜発車は13:11なので、久喜での待ち時間は44分になります。
この時間をホーム上のベンチで過ごすのではさすがに寒いと思っていましたが、幸い到着したホームに暖房の入った待合室があるというので、駅員さんにそこまで誘導していただき、「りょうもう」到着直前までそこで過ごしました。
もっとも、帰宅後改めて時刻表を調べてみると、羽生からまっすぐ久喜へ向かわず、館林まで戻ってそこから同じ「りょうもう24号」に乗れば待ち時間も少なくて済み、「りょうもう」の乗車時間も長くなったことがわかりましたが・・・

「りょうもう24号」の発車が近づき、再び駅員さんに3号車の指定された座席まで誘導していただきました。
「りょうもう24号」は定刻通り13:11に久喜を発車。わずか7分で到着した東武動物公園駅を出ると北千住までノンストップで飛ばします。
北越谷からの複々線区間に入るとさらにスピードアップし、自宅最寄駅の前のコンビニで買ったパンで昼食をとっているうちに、あっという間の13:42に北千住に到着しました。
久喜からわずか31分で都内とは、さすが長い距離の複々線区間を走行する特急列車らしい俊足といったところでしょう。

北千住では、13:49発の半蔵門線・田園都市線直通急行中央林間行へ乗り換えです。
この列車は久喜を「りょうもう24号」の7分前(13:04)に発車した列車で、途中越谷で「りょうもう24号」に追い抜かれてきています。
乗車した中央林間行きの車内は、休日の昼間だからかそれほど混んではいなかったようで、半蔵門線内に入ってもそれはほとんど変わらないまま、14:15に大手町駅に到着。
ここでまた駅員さんに誘導していただき東京メトロ丸の内線に乗り換えます。乗車したのは02系でしたが、これを置き換える2000系がすでに20編成近く登場しているだけに、これまで数えきれないくらい乗車した02系への乗車もこれからはかなり貴重なものになっていきそうです。

池袋に到着後は、再びメトロの駅員さんに西武の改札まで誘導していただきました。
本日の乗り鉄の最大の目的である池袋からの西武~秩父鉄道直通快速急行の乗車が無事果たせたので、このまま西武戦で帰路についてもいいのですが、時刻はまだ15時前なので、西武線には乗り換えるものの、まっすぐ帰路につかずもうひと乗りすることにしました。

池袋から乗車するのは、池袋15時ちょうどの西武池袋線特急「むさし67号」。
ここでも駅員さんの誘導をいただいて特急券を購入し特急専用ホームへ向かいます。
個人的には池袋線特急からの撤退まであと一か月と迫った10000系に乗れることを期待していましたが、乗車したのは001系「Laview」でした。
もっとも、10000系自体は池袋線からの撤退後も新宿線系統の特急での活躍はもう少し続くし、001系も池袋から(まで)の乗車は今回が初なので、それはそれで価値のあることと言えます。
「むさし67号」は定刻15:00に池袋を発車、練馬ー石神井公園間の複々線区間を快調に飛ばしていきます。
この列車の池袋ー所沢間の所要自噴は19分と、長年の20分の壁を特急運転開始以来50年にしてついに破っています。
3月14日の西武のダイヤ改正では、特急以外の列車でも軌道改良などの結果を踏まえて若干のスピードアップが行われるようで、少なくとも池袋ー所沢間に限って言えば「西武は遅い」というイメージは払拭されつつあるように感じます。
小田急や東武よりは短いとはいえ、やはり複々線化の効果は絶大だったといえるのではないでしょうか。
ただ、001系の乗り心地のよさのため、視覚情報なしでスピード感を感じることがあまりできないのが残念と言えば残念ですが。
「むさし67号」は定刻15:38に終着の飯能に到着。
この流れでさらに西武秩父あたりまで行き、夕方の西武4000系による秩父鉄道からの直通列車に乗ろうかとも考えましたが、さすがにそれはあきらめてキロにつき、2020年初の乗り鉄は無事終了となりました。
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2020年初の乗り鉄記 その2 [鉄活動レポート]

こんばんは、gonanaです。
昨日に引き続き、2020年初の乗り鉄レポート、その2です。

西武池袋線池袋駅から乗車した、西武4000系による秩父鉄道直通快速急行は、定刻の10:17に秩父鉄道長瀞駅に到着。
ホームや駅構内には、やはり観光地長瀞の玄関口の駅あって、快速急行で到着した人も含め観光客の姿が多数ありました。
私の方はといえば、長瀞観光に繰り出すこともなく、引き続き秩父鉄道で羽生駅を目指します。
快速急行で長瀞に着いた後の行程を検討していた時、もしできるなら同じ2扉クロスシート車つながりで、秩父鉄道6000系(元西武新101系)を使用する急行「秩父路」に乗り継げないかと考えたものの、熊谷方面への「秩父路」は12:06発の6号までないので断念し、快速急行の後続の長瀞10:29発の普通電車で羽生へ向かうことにしました。
(帰宅後もう一度時刻表を調べてみると、長瀞10:30発の急行「秩父路3号」があることがわかり、見落としが悔やまれます)

長瀞駅では、同一方向なので同じホームでの乗り換えと思いきや構内踏切を渡っての乗り換えとなります。
西武の池袋駅からの連絡を受けてくださっていた駅員さんに誘導していただき、ホームを移動し、(おそらく)元東急の車両(形式は不明)の羽生行に乗り継ぎます。
乗車したのは先頭車で、車内は先ほどまでの快速急行の車内や長瀞駅構内の賑やかさとはうって変わって静かでまったりとした空気が流れています。速度が控えめで暖房の効きもよいので、少々眠気を感じる場面もあります。
のんびりロングシートに腰掛けているうちに、列車は11:51に終点の羽生に到着、私にとっては約7年ぶりの秩父鉄道乗り鉄は終了です。

羽生からは、東武伊勢崎線に乗り換えて、まずは久喜へ向かいます。
羽生駅でも秩父鉄道と東武の駅員さんのリレーで誘導していただき、その間に池袋からの乗車券の精算と久喜から乗車予定の特急「りょうもう24号」の特急券の確保も済ませます。
ホームへ出ると風が強く、先ほどまで暖房の効いた車内にいたからかやたら寒く感じます。
そんな中ホームのベンチで列車を待ち、12:08発の久喜行に乗車します。
車内の雰囲気はちょうどお昼時ということもあり羽生までと同様ややのんびりした空気も流れていましたが、久喜駅到着直前の乗り換え案内で「地下鉄半蔵門線直通 中央林間行」などという言葉を聴くと、にわかに都会が近づいてきたような気分になってきます。
久喜には12:27に到着。ここで乗り換える「りょうもう24号」までは40分少々あるので、駅員さんにホーム上の待合室まで誘導していただき、到着までここで小休止します。

次回も続きます。
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2020年初の乗り鉄記 その1 [鉄活動レポート]

こんばんは、gonanaです。
本日、遅ればせながら2020年初の乗り鉄に出かけてきました。
今回の乗り鉄の一番の目的は、先日もこのブログで取り上げた(その時の記事はhttps://gonana57.blog.ss-blog.jp/2020-01-30)、3月14日の西武ダイヤ改正で池袋乗り入れが廃止となる西武4000系による西武池袋・秩父線と秩父鉄道直通の快速急行。
直通自体は飯能発着となって改正後も継続されるとはいえ、かつての「ハイキング急行」の流れをくみ、都内初では希少な特別料金不要の2扉セミクロスシート車使用列車でもあるこの4000系快速急行に、ぜひ消滅前に乗っておきたいと思い、乗ってきました。

朝6:30過ぎに自宅を出発し、まずは4000系快速急行の始発駅池袋へ向かいます。
私の自宅は西武沿線なので、単に4000系に乗りたいだけなら途中駅からの乗車でも構わないのですが、今回の乗り鉄の趣旨からするとやはり始発の池袋から乗車しなければ意味がありません。
そして、この快速急行は西武線内を8両編成で走った後、横瀬駅で長瀞行と三峰口行(各4両)に分割されますが、考えてみると何度も利用する中で、秩父鉄道線内まで(から)利用するときはいつも三峰口発着の編成ばかり利用していたことに気づいたので、今回は長瀞行の編成に乗車することにしました。
7:30過ぎに池袋駅に到着し、一旦改札を出た後、駅員さんにサポートをいただきながら乗車券を購入します。
快速急行に乗って長瀞に到着した後は、そのまま後続の普通電車に乗り継いで終着の羽生まで乗車しますが、西武池袋駅では羽生までの乗車券は購入できず、羽生駅での生産ということになります。
ともかく再び改札を入り、駅員さんの誘導をいただき、乗車する池袋8:05発の快速急行長瀞・三峰口行の発車する7番ホームへ移動。
やがて7番線に折り返し快速急行となる4000系が入線。
乗車する長瀞行は池袋発車時点では編成前半に連結されており、その先頭車両進行方向右手のクロスシートに腰掛けます。
定刻8:05に4000系快速急行は池袋を発車し、長瀞・三峰口までそれぞれ2時間あまりのロングラン(?)が始まります。
私の乗車した車両に限って言えば、池袋発車時点での車内はそれほど乗客が多い様には感じませんでしたが、石神井公園・ひばりが丘と停車していくにつれ乗客が増え、所沢からはかなり車内もにぎわってきました。
ここから進行方向が変わり、同時にここから終着まで各駅停車となる8:51着の飯能でも社内に大きな動きはなく、やはりこの列車は池袋・所沢方面から飯能ー西武秩父間の中間駅、そして長瀞・三峰口方面への貴重な直通列車であることは一般の人にもよく認識されているのだということを感じます。
進行方向が変わって8:54に飯能を発車。ここからはそれぞれの終点まで各駅停車となりますが、その後も私の乗車車両からの大量下車のある駅はほとんどなく、賑やかなおしゃべりの声も聞こえ、気軽な行楽列車らしい雰囲気が車内に広がっています。
9:41着の横瀬では、(飯能から先の区間で)前半4両の三峰口行と、私の乗車する後半の長瀞行との分割作業のため9分停車。先に発車していった三峰口行に続き、9:50に長瀞行も横瀬を発車、私にとっては初の踏破になる西武秩父線から秩父鉄道御花畑駅構内への連絡線を通り秩父鉄道線内へ入ります。
横瀬で西武秩父駅や三峰口方面へ向かうと思われる人が若干下車したようですが、私の乗車車両に限れば終着まで大きく乗車率が落ち込まないまま、4000系は定刻10:17に長瀞に到着しました。
長瀞駅ではやはり観光地長瀞の玄関口の駅というべきか、観光客と思われる人が多数下車し、池袋や所沢方面から乗り換えなしでベストな時間帯に観光地につけるこの列車の存在価値を改めて感じました。

今回の秩父鉄道直通列車の区間短縮は、おそらくは先日の記事にも書いたように今後の4000系の老朽化による車両置き換えの問題や、ホームドア設置への対応の問題が理由なのかもしれません。
ただ、今回乗車してみて、やはり都内から長瀞・三峰口方面への直通列車、しかも乗車券のみで利用できる列車があることが、観光客にとってはやはり魅力的な事なのではと感じました。
同じように都内からの直通快速の消滅した東武日光線や東武鬼怒川・野岩鉄道・会津鉄道は、同区間に特急の運転があるので直通客にとっては料金アップは別として不便さはあまり感じないかもしれません。
しかし、今回の西武・秩父鉄道直通列車の区間短縮の場合、同じ区間に代わりとなる特急などの運転がないので、今後は池袋や所沢などから長瀞や三峰口方面へ向かおうとすると、必ず飯能、あるいは西武秩父駅と御花畑駅の徒歩での乗り換えのいずれか、あるいは両方が必要になります。
飯能駅での乗り換えの場合は同一ホームで可能なケースは多いものの、やはり直通列車の便利さにはかなわないし、西武秩父⇔御花畑駅間の徒歩連絡はなおさら不便です。
そう考えると、やはり現行の快速急行のような列車の消滅は惜しまれます。
これも先日の記事でも書いたように、近い将来の4000系置き換えとあわせて、40000系をベースにしたセミクロスシートの4扉車を、4両編成単位で現在の4000系と同程度の量数程度製造すれば、ホームドア対応の問題もほぼ解消し、これまで通りの直通運転へのハードルも少なくなるのではないかと思いますが、どうですかね。

次回は、長瀞から先の区間の乗車記です。
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相鉄ーJR直通線初乗りの記 [鉄活動レポート]

こんばんは、gonanaです。
今日、先月30日に開通した「相鉄ーJR直通線」に初乗りしてきました。
せっかくの話題の路線の開通なので、できれば開業日に乗りに行きたかったのですが、結局一週間遅れでの初乗車となりました。

自宅を昼前に出発し、西武線→JR武蔵野線→JR南武線→小田急線と乗り継いで、14時前に相鉄の海老名駅に到着しました。
駅員さんの誘導をいただきながらホームに出て間もなくの14:15頃、新宿からの普通電車が到着。これが折り返し、私の乗車する海老名14:23発特急新宿行3142列車(羽沢横浜国大ー新宿間は各駅停車の142M列車)になります。
やって来たのはJRのE233系7000番台で、他社線内のみとはいえ、国鉄・JRの通勤・一般型電車が「特急」として営業運転するのは、おそらく阪和線の「特急電車」が「直行」や「快速」に種別名を変更して以来のことと思われます。
3142列車は定刻の14:23に海老名を発車。私の乗車した車両の乗客はあまり多くなかったようで、車内には日曜の午後らしいまったりした空気が流れていました。
JRのロングシート車両で初めて聞く「特急」の種別案内はやはり新鮮というか、少々の違和感も感じさせますが、E233系は「特急」の種別に恥じない高速で相鉄線内を飛ばしていきます。
大和・二俣川と停車するも、予想していたほど乗り込んでくる人は多くありませんでした。おそらく時間帯との兼ね合いもあると思われ、同じ土休日でも朝の新宿方面や夕方以降の海老名方面はまた状況が変わってくるのでしょうか。
新たに相鉄本線と相鉄新横浜線の分岐駅となった西谷(にしや)では、先行していた横浜行快速に追いついて相互に連絡、こちら新宿行にも多少乗り換え客が乗り込んだようです。私の座っていた座席のすぐ近くにも、赤ちゃんを連れたお父さんと小学校低学年くらいの男の子が座りました。会話を聞いていると男の子は鉄道好きらしく、これから初めて乗る新線にテンションが上がっている様子です。
14:42、3142列車は西谷を発車していよいよ新線区間に突入します。といっても、トンネルに入ったことが走行音の変化で分かった直後にはもう今回開業の新駅にして相鉄・JRの境界駅となる羽沢横浜国大駅に到着します。
3142列車はここで列車番号を142Mに変更し、種別も不通となります。そして乗務員の交代も行われ、ここからの車掌は女性でした。
14:46に羽沢横浜国大を発車すると、次駅武蔵小杉まで17分間の無停車区間に入ります。
隣に座っている男の子はどうやらディーゼル機関車が好きなようで、羽沢横浜国大駅を発車した後、JR横浜羽沢駅のそばを通過するわずかな地上区間でDE10・11やHD300などの入換機を見るのが楽しみだったようですが、羽沢では姿が見えなかったようで残念がっていました。(その後、新鶴見信号場を通過中に見ることができたようで喜んでいました)
さて、羽沢横浜国大を発車した142M列車は、種別こそ普通に変わったものの爆走ぶりは相鉄線内以上で、JR線内に入っても途中の西大井まではスピードだけを見れば「特急」と呼びたいような気分にさせてくれます。
15:03着の武蔵小杉では下車する人も多かったようで、西谷から乗車した親子もここで下車していきました。
武蔵小杉からは湘南新宿ラインで乗り慣れた区間に入り、相鉄ーJR直通線の初乗りの目的もほぼ達成という感じですが、このまま142列車の終点新宿まで乗車し、今日の乗り鉄は終了となりました。
話題の新線区間の初乗車を果たし、これまで「湘南ライナー」や一部の臨時列車、それに大幅遅延に伴う西日本方面からのブルトレの迂回列車などでしか通過できなかった貨物船ルートも踏破できたなど、予想以上に楽しい乗り鉄ではありましたが、貨物駅の横浜羽沢駅をかすめたり、機関車の姿も多くみられる新鶴見信号場構内を通過するなど、鉄道好きとしては見逃せない車窓風景を見ることができないのは、やはり辛いものがあるのも事実です。こんなときこそ、車窓風景や車内の様子などを的確にガイドしてくれる友人がいてくれたらと思わずにはいられません。

スタートしたばかりのこの相鉄とJRの直通運転が、今後どのように変化していくのか興味深いものがありますし、2022年度に予定されている東急東横・目黒線との直通開始後のダイヤがどうなるのかも注目されます。
個人的には、次回はぜひ相鉄12000系による直通列車にも乗りたいし、平日・土休日ともにごくわずかながら設定のある川越ー海老名間直通列車にも乗車してみたいものです。
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「回らない山手線」に乗ってきた その3 [鉄活動レポート]

こんばんは、gonanaです。
前々回・前回に引き続き、16日の山の手・京浜東北線線路切り替え工事に伴う山手線折返し運転の乗り鉄記、その3です。

「大崎発上野行」山手線外回り電車で上野駅に到着してしまえば、今回の乗り鉄の目的のかなりの部分は達成してしまったようなものですが、せっかくここまで来たので、こちらも切替工事に伴うレアな運転形態である「田町行の京浜東北線」に乗ることにし、上野駅で乗り換えます。
山手線で14:41に上野駅3番線に到着し、駅員さんの誘導でホーム反対側(4番線)に移動します。
この日の運転計画によれば、田町以北の京浜東北線の運転間隔は、山手線の折返し運転中は通常程度ということだったようですが、実際には東十条以南は一部間引きされていたのか10分ほど待ってようやく田町行が到着、乗り込みます。
上野駅では、品川駅や横浜方面へは上野東京ラインを利用するようにという案内が繰り返されていましたが、やはり上野東京ラインの通過駅への利用客も多いようで車内は混雑していました。
私の乗車した田町行は14:51に上野を発射しました。車内アナウンスの方は、もともと「田町行」の案内の設定が用意されていたのか、次駅案内は自動放送で行われ、これに車掌が肉声で乗り換えの案内などをフォローする形になっていました。
当日の運転計画では、15:00~15:20にかけて京浜東北線東十条ー田町感も一時的に運転見合わせになると予告されており、できればその時間までに京浜東北線を降りてしまいたかったのですが、ここまでの間に見込みよりもいろいろと時間がかかり、乗車中に運転見合わせ時間を迎えてしまうことになりました。
乗車した田町行は東京駅を発車したところで15時を迎えましたが、結局新橋に到着したところで運転見合わせとなり、13分ほど停車ののち運転を再開、田町駅には15:21の到着となりました。
田町駅では再び駅員さんの誘導をいただき、折り返し乗車のためここでも改札を出入りします。
到着した時点ではまだ山手線の周回運転が再開されていなかったため、田町駅はJR線に限って言えば他線との接続のない行き止まりの終点になっていたので、品川・横浜方面へは一度新橋まで戻ってから東海道線・横須賀線を利用するようにという案内が繰り返し流れていたほか、田町駅から徒歩数分の所にある都営浅草・三田線の三田駅からの振り替え乗車の案内も流れていました。
やはりこの駅でも目的の駅への生き方を駅員さんに質問している人は多かったようで、大森など、普段は山手・京浜東北線一本でサクッと移動できる駅へも面倒な乗り換えが必要になるケースが多いことに、今回の切替工事の影響の大きさが感じられました。
田町からは、15:35発の京浜東北線大宮行に乗車して上野駅へ向かいます。田町止まりの京浜東北線がこの日限定のレアな列車なら、田町始発の京浜東北線も貴重な存在です。(山手線には普段から早朝に数本田町始発の電車は存在します)
再び駅員さんに誘導していただいてちょうど折り返し作業を済ませて京浜東北線北行ホームに入選してきたE233系に乗り込みます。乗車してしまえばあとは普通の大宮行電車という感じで、自動放送も通常使用されているものがそのまま使われているようでした。ただ、田町を発車する時にはやや少なめだった乗客も、新橋・有楽町と停車していくにつれ混雑が増していったようでした。
田町からの京浜東北線は15:51に上野駅に到着。ここで、今回の山手・京浜東北線の乗り鉄最後の乗車列車となる上野始発の内回り電車に乗り換えます。
京浜東北線には普段から早朝に上野始発の電車が1本あるものの、山手線の上野始発はもちろんこの日限定で、これもまた貴重な乗車体験になります。
上野駅の山手線内回りホームである2番線に(おそらく)鶯谷方の引上線から入線してきたE235系は15:56頃に上野を発車。上野発車時の車内はそれほど混雑していなかったようですが、池袋が近づくにつれ少しずつ混雑してきたようです。
山手線は当初計画通り16時から周回運転が再開されたので、車内アナウンスも通常通りの自動放送で行われ、駅のアナウンスもほぼ普段通りの内容に戻りつつあるようでした。
私の今回の乗り鉄はこの内回り電車が高田馬場に到着したところで終了となり、あとは西武戦で帰路に就いたのでした。

今回の高輪ゲートウェイ駅新設に伴う大規模な工事運休は、事前にマスコミでも大々的に取り上げられていましたが、終わってみると特に大きなトラブルがなかったためかニュースの扱いは予想よりもかなり小さかったような気がします。(同日の高輪ゲートウェイ駅の報道公開はそこそこ話題にはなっていたようですが)
ただ、乗り鉄中に見た範囲でも、山手・京浜東北線が一部区間とはいえ長時間泊まることが、日常の足として使うにせよ観光客が利用するにせよ、結構な不便をもたらすことが再認識できたような気がします。
一方、鉄道ファン目線で言えば、上野での山手線の折り返し運転や京浜東北線の田町折り返しなど、この日限定の貴重な列車が走ることになり、一つの記録としての価値はそれなりにあったのではないでしょうか。

それにしても、「高輪ゲートウェイ駅」、やっぱりこのままこの名で開業するんですかね・・・
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「回らない山手線」に乗ってきた その2 [鉄活動レポート]

こんばんは、gonanaです。
前回に引き続き、一昨日の山の手・京浜東北線線路切り替え工事に伴う山手線折返し運転の乗り鉄記、その2です。

高田馬場から乗車した内回り電車で山手線折返し運転中の南側の終点となっていた大崎駅に到着、折返し乗車のため一度改札を出入りします。
ここからしばらくは乗継ぎ・折返しの駅ごとに駅員さんに誘導をお願いします。
改札の係員のいる通路で誘導をお願いし、誘導してくださる駅員さんがこの後の乗り継ぎ駅となる上野駅と、そこから京浜東北線で向かう田町駅へ連絡を取ってくださっている間に少し待っている間にも、目的の駅への行き方を駅員さんに質問する人が複数おり、外国人観光客らしい人からの問い合わせにも対応していました。ただでさえ東京の電車は複雑な上に、この日はイレギュラーなルートでの乗り継ぎの多い状況なので、特に外国人観光客には一昨日は大変な一日だったのではないでしょうか。
そして駅員さんに誘導していただき山手線外回りホームへ移動し、本日の乗り鉄の一番の目的である「大崎発上野行」外回り電車に乗車します。
大崎駅の山手線ホームは内回り・外回りとも2線ずつの2面4線構造になっており、外回り電車は通常3番線(ホームドアあり)から発射しますが、折返し運転中は全列車が大崎始発列車が使用する4番線(こちら側のホームにはホームドアなし)発車に統一されていて、ホームでも3番線からの発車はしばらくの間ないことが繰り返し案内されていました。
誘導してくださった駅員さんの話では、この時間臨時の折返し運転ダイヤに対し若干の遅れが発生していたようで、私の乗車した電車も13:43発車予定のところ5分遅れの13:48に大崎駅を発車することになりました。
大崎駅発車時点での乗客はあまり多くなかったようですが、やはり渋谷ー新宿ー池袋館あたりではいつもの土曜日の午後もこんな感じなのでは?と思われる程度の混雑でした。
そして私が最も注目していた車内アナウンスですが、やはり通常はあり得ない「上野行」というイレギュラーな運転形態のためか、私の乗車した列車では日本語による案内はすべて車掌の肉声によるものでした。
すっかり自動放送に慣れた身には、山手線で久しぶりに聞く肉声の次駅案内や乗換案内は逆に新鮮な感じで、しかも「上野行」というこの日だけの超レアな行先の案内も加わるので、アナウンスを録音しておけばかなり貴重な記録になったのではと悔やまれます。
日暮里を発車する頃までは順調に走ってきた上野行外回り電車でしたが、鶯谷駅手前で先行電車との間隔の詰まりで2~3分停車し、鶯谷に到着した後も5分ほど同駅で抑止となりました。やはり上野駅での折返し運転自体が通常の山手・京浜東北線では行われていないため、折返し作業に手間取っていたのでしょうか。
田端駅到着直前や鶯谷駅での停車中などには、上野から先への乗り換えについての案内が、日本語に加えて英語でも(上野駅到着直前には中国語・韓国語でも)流れました。これもこの日だけのレアな案内の一つだっただけに、録音しておけばよかったと思ってしまいます。
結局、大崎から乗車した外回り電車は上野駅には14:41に到着しました。乗客がすべて下車した後、乗車してきたE235系はおそらく鶯谷寄りにある引き上線に入った後、折返し上野始発の内回り電車になったと思われます。こんな光景も、おそらくはこの日だけの大変貴重なものになるでしょうから、もし見えていれば何とかその模様を撮影してみたかったと思ってしまいます。

ということで、「大崎発上野行」の山手線乗車は終わりましたが、ここまで来たら今日限定のもう一つのレアな行先の列車である田町行の京浜東北線にも乗るべく、上野駅でも駅員さんに誘導をいただき、京浜東北線に乗り換えます。
ここから先は、また次回。
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「回らない山手線」に乗ってきた その1 [鉄活動レポート]

こんばんは、gonanaです。
昨日、来年春の高輪ゲートウェイ駅(正直、今でもこの駅名には反対ですが)開業に伴う線路切り替え作業による、山の手・京浜東北線の大規模な工事運休が行われ、中でも始発から16時頃まで上野ー東京ー大崎間が区間運休となった山手線については、マスコミでもかなり大きく取り上げられていました。
ところで、おそらく誰もが一日中都心をぐるぐる回っているのが当たり前だと思っているであろう山手線が一部区間で折り返し運転を行うのはかなりレアな状況であり、さらに普段のダイヤでは存在しない山手線の上野行や京浜東北線の田町行に乗るというのもかなり貴重な体験になるのではないかと思い、私は昨日工事時間中の山手線と京浜東北線に乗ってきました。

昼前に自宅を出発し、西武線で高田馬場へ向かい、山手線へ乗り換えます。
山手線ホームに降りると、普段の土曜日の昼間に利用するときよりも乗客は少なめに感じました。
ここでまず注目していたのが駅のアナウンス。大崎ー高田馬場ー上野間であるこの時間の運転状況をどのように案内しているのかに興味がありました。
私がいた10分弱の間だけに限って言えば、ホームでは特に折り返し運転についてのアナウンスが繰り返されるということもなく、電車接近の案内放送も内回りは「大崎行」、外回りは「池袋・上野方面」という行先・方面の駅名が入った自動音声を通常通り使っていました。ただし、通常は選考の電車が発車した後に、次の同一方向の電車の行先と時刻を案内する自動音声が流れるのですが、さすがに臨時ダイヤとあってこれは流れていませんでした。
さて今回の乗り鉄は、折返し運転中の南側の折返し駅の大崎へ内回りで向かうことからスタートです。高田馬場を12:58頃に発車した大崎行はかなりの混雑でした。
山手線の中でもこのあたりは終日混雑している印象のある区間ですが、先行電車との間隔が7分ほど開いていたことも影響しているかもしれません。
車内アナウンスはおそらく普段の大崎止まりの列車で使用されているものと同じと思われる自動放送が使われていました。
そして、電車は13:18に大崎駅に到着しました。
ホームや駅コンコースでは品川駅へはりんかい線で大井町まで行き、京浜東北線に乗り換えるようにとの案内が繰り返し流されていましたが、私の乗車した内回り電車では湘南新宿ラインと横須賀線を西大井で乗り継ぐルートを案内していて、両方の案内を聴いた人は果たしてどちらのルートにすればよいの空か迷うのではないかと気になりました。
おそらく駅側では、湘南新宿ラインの列車の中には西大井が通貨となる列車があることから、その点での混乱を防ぐためりんかい線経由を案内していたのかもしれませんが・・・

大崎駅到着後は、近くにいた男性に改札まで誘導していただき、折り返し乗車のため一旦改札を出入りします。
再び改札内に戻った後は、駅員さんに誘導していただき外回りホームへ移動し、いよいよ昨日の一番の目的である「大崎発上野行」の乗車となりますが、この後はまた次回の記事で。


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2003年9月の乗り鉄思い出しの記③ 可部線非電化区間に最初で最後の乗車編 [鉄活動レポート]

こんばんは、gonanaです。
前回・前々回に続き、2003年9月の岡山・広島方面への乗り鉄旅の思い出です。

213系「マリンライナー」のパノラマグリーン車と高松港ー宇野港間のフェリーで高松へ往復した翌日の2003年9月13日は、朝のうちに宿泊地の岡山市内を走る岡山電軌の路面電車全線に初乗車した後、岡山駅から福山駅まで117系の快速「サンライナー」、福山からは115系の山陽線普通列車と乗り継ぎ、昼を少し過ぎた頃に広島駅に到着しました。
広島到着後の午後は、一日乗車券を購入して広島電鉄の軌道線と宮島線を乗り回して過ごしました。
翌9月14日は、朝(確か)8時半少し前に広島駅から105系電車の可部線可部行で出発しました。可部線自体もまだ発乗車の路線でしたが、今回の目的はあくまでも可部から先の区間でした。
可部線は現在、山陽本線の横川(よこがわ)駅から分岐して安芸亀山駅までを結ぶ路線ですが、かつてはその先の三段峡駅まで路線が伸びていて、電化されている可部までは電車、その先三段峡までは非電化のため気動車で運転が行われていました。
そして可部ー三段峡間は赤字路線のため2003年12月1日に廃止されることになったので、廃止前に乗っておこうと出かけたもので、この区間の乗車はこの時の乗り鉄旅の大きな目的の一つでもありました。
9時杉に可部駅に到着し、ここで9時半過ぎに発車する三段峡行のキハ40・47系に乗り換えます。当日が日曜日だったこともあり、私と同じように可部ー三段峡間のお別れ乗車に向かおうという人も多く、車内はほとんどの座席が埋まり立つ人も数人いる状況になりましたが、発車が近づいた頃に流れた車内放送で車内が少々ざわつくことになりました。
それはこの日の早朝、山陽新幹線で信号トラブルがあり一部区間が一時運転を見合わせた影響で新幹線にダイヤ乱れが発生し、その影響で遅延した新幹線にこの三段峡行で目的地へ向かう乗客が乗っていたため、その乗客が広島で乗り継ぐ可部止まりの到着を待って発車するというものでした。
広島近郊区間ということで運転本数の比較的多い可部までと対照的に、その先の非電化区間は列車本数も少ないのでこのような救済措置が取られたのだと思いますが、すでに乗車済みのこちらは特にすることもなく待たされることになり、また終点三段峡駅に滞在できる時間が大幅に減ってしまうのも気になってきました。
発車待ちがかかっている間にも広島駅からの電車が着くたびに三段峡行に乗る人は増え、車内はかなりの混雑になってきました。そんな中でやっと新幹線からの乗り継ぎ客が到着したようで、三段峡行は約1時間ほど遅れて可部駅を発射しました。
可部から(おそらく)1じかんちょっとで終点の三段峡駅に到着し、可部線の全線踏破と廃止となる区間の乗車という目的は達成できました。
しかし、定時運転ならば三段峡駅に到着後、折り返しの可部行に乗車するまでの約30分ほどの間に駅の周囲を少しぶらつくことができるはずだったのが、約1時間遅れの到着となったため、可部行は折り返し準備ができ次第すぐ発車ということになり、駅前散歩どころか帰りの乗車券を購入することも同じように切符を買おうとする乗客が多くてままならず、滞在時間わずか3~4分でもう多分来ることはないであろう三段峡駅を後にすることになってしまいました。
折り返しの可部行も、おそらく先ほど乗った三段峡行にも乗っていたと思われる、お別れ乗車の鉄道ファンで大混雑でした。私と同じように三段峡駅からの乗車券を持っていない乗客も多かったようで、車掌から運賃は下車駅で精算してほしいという放送がありました。
こうしてドタバタのうちに廃止区間の可部ー三段峡間の往復を終えて可部まで戻ってきました。正直なところ、列車の遅れと混雑(私はボックスシートに座れましたが)のせいかあまり落ち着いて車窓を眺められず、せっかくの最初で最後の乗車なのに車窓風景の記憶があまり残っていないという、何とももったいない結果になってしまったのが悔やまれます。
私がお別れ乗車してから2か月半後に可部から先の区間が廃止された可部線でしたが、2017年3月には途中の安芸亀山駅までの区間が電化の上で復活しました。可部ー安芸亀山間の復活後の路線にはまだ乗ったことがないので、ぜひこちらも踏破しに行きたいところです。

可部から再び105系に乗って広島駅まで戻った後は呉線を全線踏破して三原まで行き、山陽線で広島駅へ戻ってこの日は終了となりました。
翌15日は、朝の山陽新幹線700系「ひかりレールスター」で新大阪へ向かい、その後先日も記事にした阪神タイガース優勝の夜を迎えるのでした。

以上、16年前の乗り鉄の記憶をたどりながら記事にしてみました。
今となっては記憶があいまいな部分も多いですが、思い出してみるとやはり今は乗ることのできない列車や車両、路線にはこの時乗っておいてよかったと思っています。
しばらく岡山や広島あたりへの鉄道旅もご無沙汰ですが、またぜひ乗り鉄氏に行きたいものです。
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2003年9月の乗り鉄思い出しの記② マリンライナー&フェリーで高松往復編 [鉄活動レポート]

こんばんは、gonanaです。
前回からの続きで、2003年9月に岡山・広島方面へ乗り鉄旅に出かけた時の思い出記です。

2003年9月12日、前夜東京駅から乗車したブルートレイン「出雲」を9:20過ぎに到着した米子で下車し、30分ちょっと後に米子を発射する381系の伯備線特急「やくも」で昼前に岡山駅に到着しました。
岡山に到着後は、そのまま快速「マリンライナー」で瀬戸大橋を渡り高松へ向かうことにしました。
私にとっては5年ぶり2度目の四国上陸ですが、今回は「マリンライナー」に乗ることが高松へ向かう目的でした。
「マリンライナー」は1988年4月の瀬戸大橋線開業以来、パノラマグリーン車クロ212形を組み込んだ213系電車により運転されてきましたが、2003年10月1日のダイヤ改正から、現在も「マリンライナー」で活躍しているJR四国5000系とJR西日本223系の併結による編成に置き換えられることになりました。
213系普通車の方は岡山周辺各線のローカル運用に転用されるものの、パノラマグリーン車クロ212形は活躍の場を失い引退することになりました。
クロ212は運転室越しに全面展望が楽しめるほか、側面の窓も大きく眺望に優れた構造になっており、一度乗ってみたい車両でした。
そこで、引退前にぜひ乗っておこうと、乗り鉄旅の行程に組み込むことにしました。

私が乗車したのは、岡山駅を12:40前後に発車する「マリンライナー」(号数は忘れてしまいました)でした。
発車10分ほど前に岡山駅の「マリンライナー」発車ホームに行くと、すでに213系が入線していて、もちろん目的のクロ212に乗車します。
クロ212は白い鋼製車体に在籍する5両それぞれに異なる色のストライプの入った塗装が特徴でしたが、乗車した車両は何かのキャンペーンか商品とタイアップしたと思われる(具体的な内容は覚えていませんが)青緑色ベースの特別塗装となっていました。
「マリンライナー」のグリーン車(室)は指定席(別に普通車指定席もあり)なので、もちろん事前に最前列(運転室のすぐ後)のグリーン県を確保していました。
普通・快速列車のグリーン車といえば、首都圏各線のそれは昼間でも結構乗車率が高いですが、平日のお昼時の「マリンライナー」のグリーン車は観光客もそれほど多いわけでもないので空いているだろうと思っていましたが、実際には8割程度の座席が埋まった状態で岡山駅を発射しました。
岡山と坂出・高松の間は乗車時間もさほど長くありませんが、やはりゆったりした座席への着席が保証されているという点で、「マリンライナー」にも首都圏のグリーン車と同じような需要がかなりあるのでしょう。
指定された座席は運転士の真後ろの席のため、落ち着いてゆっくり前面展望を楽しむには若干の難がありましたが、それでも岡山駅で購入した駅弁を食べながらの前面展望は楽しいものでした。瀬戸大橋走行中は、隣の席が空いていたのを幸い、海の眺望も存分に味わうことができました。
そうこうしているうちに四国に上陸し、岡山から1時間足らずであっという間に高松駅に到着しました。
クロ212は車両自体の乗り心地も前面・車窓からの眺望も素晴らしく、製造後わずか14~15年で廃車されてしまったのは何とももったいない限りです。もし今だったら、全車とは言わないまでも一部は何らかの観光列車に転用されていたかもしれず、こんなところにも鉄道車両の運命を感じます。

「マリンライナー」で高松駅に着いたのは13:30過ぎでした。
先ほども書いた通り今回高松へ向かったのはクロ212形に乗るのが目的のため、高松では特に何も予定はありませんでした。そのため今回は高松到着後すぐにとんぼ返りで岡山に戻ることにしていました。
単純に岡山へ戻るだけなら「マリンライナー」が一番手軽ですし、クロ212はもちろん213系普通車も「マリンライナー」からの撤退が目前に迫っているのでこちらのお名残乗車ということにしても良いのですが、もと来た道をただ戻るのも芸がないので、帰りは高松港から宇野港(岡山県玉野市)へのフェリーと宇野駅からの宇野線列車を乗り継ぐコースをとることにし、高松駅から港までタクシーで移動します。
高松港と宇野港の間では、国鉄・JR四国の宇高連絡船・高速艇が廃止されてからも3社のフェリーがそれぞれ数十往復、24時間体制でフェリーを運航していました。
この時私が高松港から乗ったのは、3社のうち「宇高国道(うたかこくどう)フェリー」という会社の高松港発14:30発の便でした。
港のフェリー乗り場で乗船手続きをし、少し待合室で時間をつぶしたのちに乗船します。
宇高連絡船には一度も乗る機会がなかったので、運航会社は違うとはいえ同じうのー高松間航路の船ということで、少しでも宇高連絡船に乗った気分が味わえたらと期待して乗りました。
出港後は線内を歩いたり、デッキに出て海風に当たりながら海や瀬戸大橋を眺めたりして久しぶりの船旅を楽しみましたが、線内を歩いてみても乗客の少なさに驚かされました。乗った時間がちょうど平日昼間の閑散時間帯だったからだということもあるのでしょうが、当時就航していた船の定員の500人弱程度に対して、見たところ20人程度しか乗っていないようで、売店のおばさんも手持無沙汰な感じでした。(もちろんただ通り過ぎるだけでは申し訳ないので、私はスナック菓子と缶コーヒーを購入しました)
高松港から宇野港まで、フェリーでは約1時間の所要時間ですが、「マリンライナー」ではほぼ同じ時間で岡山駅まで行けてしまうので、高松市内から岡山市内の中心部まで行く場合や新幹線に乗り継ぐなら「マリンライナー」が断然便利なので、そちらに乗客が流れていたのは確かなようです。
そしてこの航路のフェリーのもう一つの大きな役目であるトラックなど自動車の航送も、一時期の高速道路の料金値下げなどの影響でかなり減っているそうで、こちらの影響も大きいようです。
案の定というか、私の載った数年後には高松ー宇野航路のフェリーの大幅な減便が始まり、今では運航会社も一社だけになってしまったようで、全盛期を知る人から見れば相当に寂しい状況になってしまったのではないでしょうか。
そういう意味では、私が乗った瓶は活気に乏しく寂しい船内風景でしたが、それでも少しでも宇高連絡船の追体験ができたという意味では、帰り道にあえてフェリーを選んでよかったと今でも思います。

宇野港には15:30頃に到着し、徒歩でJR宇野駅まで移動して115系の宇野線普通列車で岡山駅へ戻りました。
その後は倉敷ー三菱自工前間を結ぶ水島臨海鉄道に全線乗車し、この日ののりてつは終了となりました。

次回は広島編です。
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2003年9月の乗り鉄思い出しの記① ブルートレイン「出雲」編 [鉄活動レポート]

こんばんは、gonanaです。
少し前、2003年9月15日の阪神タイガースのセ・リーグ優勝の夜に大阪にいた時の話をしましたが、この時大阪にいたのは岡山・広島方面への乗り鉄旅から帰る途中に大阪に立ち寄った日にたまたま阪神優勝というタイミングと重なったことからの偶然でした。
私にとってはどうも阪神優勝のインパクトが大きくてその前の乗り鉄旅の印象がやや薄れてしまった感はありますが、実はこの旅で乗車した路線や列車、車両の中には、今はもう乗ることのできないものも多く含まれていました。
そこで、それらの今は乗ることのできない列車や車両(途中でフェリーも登場しますが)に乗った時のことを中心に、2003年9月の岡山・広島への乗り鉄旅の思い出をまとめてみたいと思います。
ただし、何せ16年前のことなのと、当時はまだデジカメを持っておらずこの旅でも写真は撮っていないうえ、普段の乗り鉄の時にも細かなメモをとる習慣がないため、少ない記憶を総動員して記事を書くこととなり、いろいろと間違い等があるかとは思いますが、どうかご容赦ください。

2003年9月11日(だったと思う)、私は少し遅目の会社の夏休みを利用して岡山・広島方面への乗り鉄旅に出かけました。主な目的は今回の「思い出しの記」でも取り上げる列車に乗ることでしたが、中でもその年の12月1日に廃止となった広島県内の可部線の非電化区間(可部ー三段峡間)に最初で最後の乗車をすることが大きな目的でした。

9月11日の夜、私は当時東京ー出雲市間(鳥取経由)で運転されていたブルートレイン「出雲」で乗り鉄旅に出発しました。
岡山方面へ夜行で向かうなら「サンライズ瀬戸・出雲」に乗るのが常道ですが(私の乗り鉄旅では高速バスは無縁の存在です)、この時敢えて山陰回りのルートをとることにしたのは、この頃にはもうすでに明確になっていたブルートレインや夜行列車削減の流れを考えると、それまで乗車したことのないブルトレ「出雲」もいつ廃止となるか予断を許さない状況と思われたので、今のうちに乗っておこうという気持ちがあったからでした。
ブルトレ「出雲」は21:10に東京駅を発車しました。
乗車したのは1人用A個室寝台「シングルDX」のオロネ25。同じオロネ25でも下関発着の「あさかぜ」と客車時代の「瀬戸」に連結されていたものには、「あさかぜ」で乗車経験があったものの、子供の頃憧れの存在だったオリジナルの0番台にはまだ乗ったことがないのでこれも今のうちに乗っておこうと奮発したものです。もっともその後、そのオロネ25 0番台を14系に編入改造したオロネ15に「富士」で乗ることにはなりますが・・・
座席(ベット)のモケットが確か新しい色のものに変わっていた以外はほぼ原形をとどめていたオロネ25の個室内は、寝具の上に浴衣とともに置かれたヘッドマーク入りタオル(さすがにマークは「出雲」だけの絵柄になっていましたが)とともに子供の頃にブルトレを取り上げた本・雑誌の写真や東京駅でホームから窓越しに覗き込んで見た時の雰囲気が残り、子供の頃一度乗ってみたいという憧れを抱いた頃を思い出させてくれました。
実際に乗ってみると、窓に近づきたいのに備え付けの洗面台が邪魔だったりして、他の個室寝台と比べてのわずかな不満はあるものの、ブルトレにはまった子供の頃を思い出しながら一夜を過ごすには十分な空間でした。
翌朝はどのあたりで目覚めたのか記憶はありませんが、おそらく福知山から城崎あたりの区間だったかと思います。
当時すでに現在のコンクリート橋梁への架け替えという話題が鉄道雑誌に出ていた余部鉄橋を渡ったのを見届けたところで食堂車オシ24へ向かいます。
このオシ24は、国鉄時代最末期に東京ー博多間の「あさかぜ1・4号」のグレードアップ計画の一環で内装を大幅に変更した「星空風」食堂車で、「出雲1・4号」の食堂車営業が休止された後もフリースペースとしてブルトレ「出雲」廃止まで連結が続けられていました。
食堂車内では、前夜の東京駅内のコンビニで購入しておいたサンドイッチと缶コーヒーで朝食。やはり食堂営業をしていたころに乗るチャンスに恵まれなかったのが悔やまれましたが、それでも曲がりなりにも食堂車で朝食をとることができたのはよい思い出になりました。
せっかく乗るなら終着の出雲市まで完乗したいところでしたが、この後の工程の都合上、残念ながら米子までの乗車となりました。
結局、ブルトレ「出雲」への乗車はこの時が最初で最後となりました。今思うとあの時敢えて岡山に直行せずに「出雲」を利用してよかったと思う一方、国鉄職のDD51が金帯入りの24系25形を牽引する姿を写真に収めておきたかったと悔やまれます。
山陰地方へは、この時の「出雲」乗車で通過したことがあるのみで実質的にはまだ訪れたことがないので、ぜひいつか「サンライズ出雲」に乗って訪れたいと思っています。

「出雲」で米子に到着した後は、約30分後に米子を発車する381系の伯備線特急「やくも」で岡山へ向かい、さらにまだ213系電車で運転されていた快速「マリンライナー」で高松へ向かいます。
岡山から先に関しては、次回の記事で書きたいと思います。
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