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【2013-2014 冬の18きっぷ旅 Part1】栃木で乗り鉄 その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2013年から2014年にかけての青春18きっぷを使った鉄道旅の振り返り記事、Part1の続きです。

烏山線で烏山駅まで往復し、宇都宮駅に戻ってきました。
未乗路線だった烏山線の踏破を達成してしまったので、この日の乗り鉄目的の大半は果たしてしまっていますが、時刻はまだ正午になろうとしている頃。
かといってこの時間からどこかへ行こうというあてもないので、とりあえず宇都宮駅に発着するもう一つの在来線である日光線に乗ることにしました。
その前に、烏山から乗車した烏山線332Dが到着し折り返し烏山への発車を待っている1番宣ホームから見える側線に目をやると、そこには当時常磐線の特急「フレッシュひたち」で活躍していたE653系電車が停車中。
なぜ定期運用で通ることのない宇都宮にいるのか、詳細はわかりませんでしたが、おそらくは定期検査を受ける郡山車両センターからの入出場回送の途中か、臨時列車運用に備えた乗務員訓練の関連だったのかもしれません。
そのE653系から黒磯方に少し離れた場所には、オレンジ色一色の「タラコ色」(通称:首都圏色)のキハ40同士を連結した2両編成が留置中!
先ほど乗ってきたキハ40 1007の朱色とクリーム色のツートンカラーの塗装もいいけれど、やっぱりキハ40系に一番似合うのはタラコ色です!
もちろんこのタラコ色リバイバル車にも烏山線の七福神ステッカーは貼られており、烏山方のキハ40 1005には恵比寿様、相方のキハ40 1004には大黒天様のものが貼られていました。
このタラコ色キハ40を1番ホームから撮影しているうちに、先ほど烏山まで往復乗車した編成が折り返しから須山行333Dとなって発車する時刻が近づいたので、朱色+クリーム色のキハ40 1007とタラコ色の2両との国鉄色同士の並びを撮影することにします。
333Dの停車中はお互いの停車位置の関係で並びを撮れなかったので、333D発車直後に3両がファインダーに収まるタイミングを狙って撮影しましたが、残念ながらキハ40 1007の顔に影がかかってしまいました。
もっとも、烏山線のキハ40そのものが消えてしまった今となっては、これも貴重な記録となりました。

333Dの発車を見送った後、ホームのベンチで宇都宮駅の駅弁「とちぎ霧降高原牛めし」で昼食。
牛肉のすき焼きをご飯に載せた、肉系の駅弁としてはオーソドックスなタイプの弁当でしたが、紐を引っ張って加熱するタイプなのが、この時のように寒いオープンエアな場所で食べるにはありがたかったですし、もちろん味も最高でした。

駅弁で昼食後、日光線ホームの5番線に移動。
ここから12:38発の日光行845Mで日光駅へ向かいます。
宇都宮駅5番ホームは、壁面などがレトロ調の装いになっていて、駅名標もJR東日本標準スタイルと異なるレトロ仕様です。
そこに発着する日光線電車は、107系に代わって投入された205系600番台。
この205系600番台は、かつて京葉線で活躍していた通称「メルヘン顔」と呼ばれたグループが中心になっており、乗車した編成もそれでした。
私は大学時代の通学やボランティアサークルの活動の行き帰りに京葉線の205系には大変お世話になったので、こんな場所で再開できるのもなんだか不思議な感じでした。
もっとも、600番台への改造に当たり、路線カラーのストライプが日光線用は茶色系、同時に宇都宮線宇都宮ー黒磯間に投入された編成は緑とオレンジの湘南色になり、印象がかなり変わっています。
日光線用の205系600番台の側面にはオリジナルのエンブレムステッカーが貼られ、前面・側面の方向幕のデザインや文字のフォントもレトロ調のものでした。

845Mは定刻に宇都宮駅を発車。
発車時の車内は混雑するでもなくがらがらでもなく程よい乗車率で、その後も少しずつ減りながらもそれなりの乗車率をキープしながら日光へ向かいました。

次回、Part1の最終回です。
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