「水色の電車」の思い出 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
スカイブルー(水色)の塗装の国鉄型通勤型電車の思い出、その3です。
今回は関西地区の「水色の電車」の思い出です。
私が関西の「水色の電車」に初めて生で接したのは、1989年春の高校の修学旅行の時でした。
それまでにも東海道・山陽線普通電車の103・201系や阪和線の103系の存在はもちろん知っており、特に当時関東では見ることのできないスカイブルーの201系には何となく妙な憧れのようなものも感じる部分がありました。
そのため、修学旅行先の九州へ向かう途中の新幹線の車内から、京都駅構内に停車中のスカイブルーの201系を見た時には、「関西に来たんだ」という感慨がわいてきたものです。
そんな関西の「水色の電車」に初めて乗車したのは、大学生になって初めての関西への鉄道旅に出かけた1991年のGW。
最初に乗車したのは、京都駅から大阪駅までの東海道線普通電車。初めて本格的に関西にやって来たその日の夕方、京都駅から大阪駅へ向かおうと東海道線下りホームに行ったところ、ちょうど大阪方面への普通電車が発車を待っていました。
最初はこれには乗らず新快速で大阪へ向かうつもりでいましたが、止まっていたのが当時普通電車の主力だった201系ではなく当時すでに朝夕中心の運用になっていた103系だったので、たまには各駅停車で京阪間を移動するのもいいかな、と103系に乗ることにしました。
乗車した普通電車は、駅間距離の長さもあって、同じ103系でも関東の常磐快速線や武蔵野線でもなかなか味わえないような高速運転を味わうことができたのが印象的でした。
もちろんこの鉄道旅では憧れ(?)だったスカイブルーの201系にも乗る機会があり、これまた関東の同形式とはまた違う魅力を感じることができました。
関西の「水色の電車」といえば、阪和線の103系も忘れられません。
関西へ鉄道旅に行くたび、天王寺駅などで発着風景を眺めたり短い区間だけ乗車したことはありましたが、そのうちに長年大阪環状線で活躍していたクハ103形のトップナンバークハ103-1が阪和線に転属してからは、同車ともともと阪和線に配属されていたクハ103-2とが両端に連結された編成を朝から夕方まで追いかけて撮影や乗車をしたのも懐かしい思い出です。
そしてもう一つ、今もスカイブルーの103系が残る和田岬線(山陽本線支線)にも関西へ行く旅乗車しました。
同線は朝夕のみの運転で、乗客も通勤客か鉄道ファンがほとんどという路線で、運転距離も短くスピードも低いので、他の路線の103系とも違う独特の乗車経験のできる路線です。
今となってはスカイブルーの全面塗装を施す最後の通勤電車であるとともに、延命工事や先頭車化改造を施していない最後の現役103系という点でも貴重な存在になっています。
このたった1編成だけ残った和田岬線の103系も、いつまで活躍を続けられるか予断を許さない状況ではありますが、103系はその製造量数の割にきちんと保存されている車両が少ないので、できることなら何らかの形で1両でも保存されることになれば嬉しいですが。
スカイブルー色の国鉄型通勤形電車は、この他に仙台地区の仙石線、名古屋地区の中央西線でも活躍していましたが、私はこれらに生で出会ったり撮影した経験は残念ながらありません。
そして、今ではかつて「水色の電車」が活躍していた各路線でも、京浜東北線を除けば路線のイメージカラーとしてもスカイブルーは姿を消し、和田岬線の103系が姿を消すと水色の国鉄型通勤形電車も過去の存在になってしまうのは、個人的にはとても寂しいことです。
でも、私の記憶の中ではいつまでもスカイブルーの103系や201系は走り続けるでしょうし、私自身も「水色の電車」の思い出を大切にしていきたいと思います。
スカイブルー(水色)の塗装の国鉄型通勤型電車の思い出、その3です。
今回は関西地区の「水色の電車」の思い出です。
私が関西の「水色の電車」に初めて生で接したのは、1989年春の高校の修学旅行の時でした。
それまでにも東海道・山陽線普通電車の103・201系や阪和線の103系の存在はもちろん知っており、特に当時関東では見ることのできないスカイブルーの201系には何となく妙な憧れのようなものも感じる部分がありました。
そのため、修学旅行先の九州へ向かう途中の新幹線の車内から、京都駅構内に停車中のスカイブルーの201系を見た時には、「関西に来たんだ」という感慨がわいてきたものです。
そんな関西の「水色の電車」に初めて乗車したのは、大学生になって初めての関西への鉄道旅に出かけた1991年のGW。
最初に乗車したのは、京都駅から大阪駅までの東海道線普通電車。初めて本格的に関西にやって来たその日の夕方、京都駅から大阪駅へ向かおうと東海道線下りホームに行ったところ、ちょうど大阪方面への普通電車が発車を待っていました。
最初はこれには乗らず新快速で大阪へ向かうつもりでいましたが、止まっていたのが当時普通電車の主力だった201系ではなく当時すでに朝夕中心の運用になっていた103系だったので、たまには各駅停車で京阪間を移動するのもいいかな、と103系に乗ることにしました。
乗車した普通電車は、駅間距離の長さもあって、同じ103系でも関東の常磐快速線や武蔵野線でもなかなか味わえないような高速運転を味わうことができたのが印象的でした。
もちろんこの鉄道旅では憧れ(?)だったスカイブルーの201系にも乗る機会があり、これまた関東の同形式とはまた違う魅力を感じることができました。
関西の「水色の電車」といえば、阪和線の103系も忘れられません。
関西へ鉄道旅に行くたび、天王寺駅などで発着風景を眺めたり短い区間だけ乗車したことはありましたが、そのうちに長年大阪環状線で活躍していたクハ103形のトップナンバークハ103-1が阪和線に転属してからは、同車ともともと阪和線に配属されていたクハ103-2とが両端に連結された編成を朝から夕方まで追いかけて撮影や乗車をしたのも懐かしい思い出です。
そしてもう一つ、今もスカイブルーの103系が残る和田岬線(山陽本線支線)にも関西へ行く旅乗車しました。
同線は朝夕のみの運転で、乗客も通勤客か鉄道ファンがほとんどという路線で、運転距離も短くスピードも低いので、他の路線の103系とも違う独特の乗車経験のできる路線です。
今となってはスカイブルーの全面塗装を施す最後の通勤電車であるとともに、延命工事や先頭車化改造を施していない最後の現役103系という点でも貴重な存在になっています。
このたった1編成だけ残った和田岬線の103系も、いつまで活躍を続けられるか予断を許さない状況ではありますが、103系はその製造量数の割にきちんと保存されている車両が少ないので、できることなら何らかの形で1両でも保存されることになれば嬉しいですが。
スカイブルー色の国鉄型通勤形電車は、この他に仙台地区の仙石線、名古屋地区の中央西線でも活躍していましたが、私はこれらに生で出会ったり撮影した経験は残念ながらありません。
そして、今ではかつて「水色の電車」が活躍していた各路線でも、京浜東北線を除けば路線のイメージカラーとしてもスカイブルーは姿を消し、和田岬線の103系が姿を消すと水色の国鉄型通勤形電車も過去の存在になってしまうのは、個人的にはとても寂しいことです。
でも、私の記憶の中ではいつまでもスカイブルーの103系や201系は走り続けるでしょうし、私自身も「水色の電車」の思い出を大切にしていきたいと思います。
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