1999年夏 ブルトレ乗車の思い出 あかつき編 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんばんは、gonanaです。
前々回の記事では、1999年の夏に九州への鉄道旅に出かけた際、九州への往路に東京ー下関間で利用した寝台特急「あさかぜ」乗車の思い出を記しましたが、今回はその鉄道旅の復路に、長崎駅から京都駅まで乗車したやはり寝台特急の「あかつき」の思い出を記したいと思います。
「あかつき」は1965年10月のダイヤ改正で初の関西と九州を結ぶブルートレインとして運転を開始しました。その後増発を重ねて一時期は他の愛称の列車との併結も含めれば最大7往復も運転されていましたが、私の乗車した1999年には京都ー長崎・佐世保間を結ぶ1往復が残るだけになっていました。
しかしその前年(1998年)10月からは、同年7月に「サンライズ出雲」に置き換えられる形で運転を終了した「出雲3・2号」に連結されていた1人用A個室寝台「シングルデラックス」、1人用(補助ベッド利用時は2人)B個室寝台「シングルツイン」、2人用B個室寝台「ツイン」が編成に組み込まれ、以前から連結されていた座席車「レガートシート」と1人用B個室寝台「ソロ」とあわせ「あかつき」43年間の運転史の中でも最も華やかな編成になっていました。
「あさかぜ」で下関駅に着き、415系電車で関門トンネルをくぐって九州に上陸。
その日から九州各地を列車でめぐりました。
九州での最終日は朝に博多駅近くのビジネスホテルを出て博多→佐賀→伊万里と乗り継ぎ、そこから第三セクター鉄道松浦鉄道で佐世保へ。
佐世保駅からは当時長崎ー佐世保間を大村線経由で結んでいた特急「シーボルト」で長崎駅へ。
その後路面電車の乗り歩きを楽しんで18時近くに長崎駅に戻ってきました。
「あかつき」の長崎駅発車が近づいたのでホームへ向かい、乗車前に編成を後方から前方に向かってひととおりホームから見学しました。
この日乗車したのは2号車の「シングルデラックス」(オロネ14 300番台)。この車両は上にも記したように前年までは「出雲3・2号」に連結されていたものです。
さっそく寝台券に指定された個室に入室。個室の内部は「あさかぜ」で乗車したオロネ25 300番台と同じで、収納式の洗面台や小テーブル、ビデオデッキつきのモニターテレビも同様に設けられていました。
19:45頃(だったと思う)に「あかつき」は長崎駅を発車。ほどなくして車内改札があり、「あさかぜ」の時と同様に個室のカードキーとシャワーカード、それにこれも「あさかぜ」でもらったものとほぼ同じ内容のアメニティーグッズのポーチが車掌さんから手渡されました。
車内改札が終わったところで長崎駅で購入した駅弁で夕食。
その後は同じ2号車にあるシャワールームでシャワーを浴びました。この車両のシャワールームもA個室利用客専用のものでしたが、「あかつき」には「レガートシート」やB寝台利用客も利用できるシャワールームがなかったので、この列車ではシャワーもA個室利用客だけの特典になっていました。
シャワーを浴びてさっぱりしたのはいいのですが、実はその間に「あかつき」は肥前山口駅(現 江北駅)に到着し、ここで佐世保駅始発の編成の併結作業が行われることをうっかり忘れていました。
個室に戻ってきた時にはちょうど肥前山口駅を出たところで、「あかつき」行程中の一つのイベントといえる併結作業を見学できなかったのは悔やまれる思い出です。
個室に戻った後はこれまた「あさかぜ」の時同様に持参のビデオを楽しみ、小倉駅到着少し前に就寝。
翌朝は姫路駅到着が近い6時少し前に起床。
西明石から複々線区間に入り、すれ違ったり追い抜いたりする列車も増え、当時完成したばかりの明石海峡大橋や須磨付近の海も見え、ほぼ真っ暗だった九州内とは打って変わった車窓を楽しむことができました。ただ、個室の窓は東海道・山陽線内では山側にあるので、これらの車窓を眺めるには通路に出るか個室の扉を開け放しておくかしかないのは難点でしたが。
そして「あかつき」は8時前に終着の京都駅に(おそらく)定刻到着。「あさかぜ」もそうでしたが比較的よく眠れ、ブルトレの旅自体も十分に楽しめた12時間の「あかつき」乗車は終わりました。
「あかつき」はその後、2000年3月のダイヤ改正で佐世保発着の編成の連結を廃止し、同時に新大阪ー都城間に運転されていたブルートレイン「彗星」との併結運転を開始、2005年10月のダイヤ改正では「彗星」が廃止されたことに伴いもう1本の関西発着の九州行ブルートレイン「なは」(新大阪ー熊本間)と併結運転されるようになりましたが、とうとう2008年3月のダイヤ改正で併結相手の「なは」ともども廃止となってしまいました。
今では関西と長崎の間も新幹線と特急の乗り継ぎで4時間ちょっとで行けるようになりましたが、博多駅と武雄温泉駅での2回の乗り換えが必要な上、それがいつ解消されることになるのかの見通しが立たない現状を考えると、もし「あかつき」が「サンライズエクスプレス」の交直両用バージョンの新型電車に置き換えられて今でも運転を継続していたら、それなりに利用客も期待できたのではないか、などと妄想するのは私だけでしょうか。
前々回の記事では、1999年の夏に九州への鉄道旅に出かけた際、九州への往路に東京ー下関間で利用した寝台特急「あさかぜ」乗車の思い出を記しましたが、今回はその鉄道旅の復路に、長崎駅から京都駅まで乗車したやはり寝台特急の「あかつき」の思い出を記したいと思います。
「あかつき」は1965年10月のダイヤ改正で初の関西と九州を結ぶブルートレインとして運転を開始しました。その後増発を重ねて一時期は他の愛称の列車との併結も含めれば最大7往復も運転されていましたが、私の乗車した1999年には京都ー長崎・佐世保間を結ぶ1往復が残るだけになっていました。
しかしその前年(1998年)10月からは、同年7月に「サンライズ出雲」に置き換えられる形で運転を終了した「出雲3・2号」に連結されていた1人用A個室寝台「シングルデラックス」、1人用(補助ベッド利用時は2人)B個室寝台「シングルツイン」、2人用B個室寝台「ツイン」が編成に組み込まれ、以前から連結されていた座席車「レガートシート」と1人用B個室寝台「ソロ」とあわせ「あかつき」43年間の運転史の中でも最も華やかな編成になっていました。
「あさかぜ」で下関駅に着き、415系電車で関門トンネルをくぐって九州に上陸。
その日から九州各地を列車でめぐりました。
九州での最終日は朝に博多駅近くのビジネスホテルを出て博多→佐賀→伊万里と乗り継ぎ、そこから第三セクター鉄道松浦鉄道で佐世保へ。
佐世保駅からは当時長崎ー佐世保間を大村線経由で結んでいた特急「シーボルト」で長崎駅へ。
その後路面電車の乗り歩きを楽しんで18時近くに長崎駅に戻ってきました。
「あかつき」の長崎駅発車が近づいたのでホームへ向かい、乗車前に編成を後方から前方に向かってひととおりホームから見学しました。
この日乗車したのは2号車の「シングルデラックス」(オロネ14 300番台)。この車両は上にも記したように前年までは「出雲3・2号」に連結されていたものです。
さっそく寝台券に指定された個室に入室。個室の内部は「あさかぜ」で乗車したオロネ25 300番台と同じで、収納式の洗面台や小テーブル、ビデオデッキつきのモニターテレビも同様に設けられていました。
19:45頃(だったと思う)に「あかつき」は長崎駅を発車。ほどなくして車内改札があり、「あさかぜ」の時と同様に個室のカードキーとシャワーカード、それにこれも「あさかぜ」でもらったものとほぼ同じ内容のアメニティーグッズのポーチが車掌さんから手渡されました。
車内改札が終わったところで長崎駅で購入した駅弁で夕食。
その後は同じ2号車にあるシャワールームでシャワーを浴びました。この車両のシャワールームもA個室利用客専用のものでしたが、「あかつき」には「レガートシート」やB寝台利用客も利用できるシャワールームがなかったので、この列車ではシャワーもA個室利用客だけの特典になっていました。
シャワーを浴びてさっぱりしたのはいいのですが、実はその間に「あかつき」は肥前山口駅(現 江北駅)に到着し、ここで佐世保駅始発の編成の併結作業が行われることをうっかり忘れていました。
個室に戻ってきた時にはちょうど肥前山口駅を出たところで、「あかつき」行程中の一つのイベントといえる併結作業を見学できなかったのは悔やまれる思い出です。
個室に戻った後はこれまた「あさかぜ」の時同様に持参のビデオを楽しみ、小倉駅到着少し前に就寝。
翌朝は姫路駅到着が近い6時少し前に起床。
西明石から複々線区間に入り、すれ違ったり追い抜いたりする列車も増え、当時完成したばかりの明石海峡大橋や須磨付近の海も見え、ほぼ真っ暗だった九州内とは打って変わった車窓を楽しむことができました。ただ、個室の窓は東海道・山陽線内では山側にあるので、これらの車窓を眺めるには通路に出るか個室の扉を開け放しておくかしかないのは難点でしたが。
そして「あかつき」は8時前に終着の京都駅に(おそらく)定刻到着。「あさかぜ」もそうでしたが比較的よく眠れ、ブルトレの旅自体も十分に楽しめた12時間の「あかつき」乗車は終わりました。
「あかつき」はその後、2000年3月のダイヤ改正で佐世保発着の編成の連結を廃止し、同時に新大阪ー都城間に運転されていたブルートレイン「彗星」との併結運転を開始、2005年10月のダイヤ改正では「彗星」が廃止されたことに伴いもう1本の関西発着の九州行ブルートレイン「なは」(新大阪ー熊本間)と併結運転されるようになりましたが、とうとう2008年3月のダイヤ改正で併結相手の「なは」ともども廃止となってしまいました。
今では関西と長崎の間も新幹線と特急の乗り継ぎで4時間ちょっとで行けるようになりましたが、博多駅と武雄温泉駅での2回の乗り換えが必要な上、それがいつ解消されることになるのかの見通しが立たない現状を考えると、もし「あかつき」が「サンライズエクスプレス」の交直両用バージョンの新型電車に置き換えられて今でも運転を継続していたら、それなりに利用客も期待できたのではないか、などと妄想するのは私だけでしょうか。
寝台列車廃止の中で余剰車両が組み込まれた「あかつき」は豪華列車になったのですね
by 青い森のヨッチン (2023-08-06 12:40)
青い森のよっちんさん、こんばんは。
同じような個室寝台者の増結は、「あかつき」と同じJR西日本の受け持ちの「日本海」でもありました。(こちらは「瀬戸」のサンライズ化で余った個室A寝台車を増結)
せっかく改造した個室車両なので有効活用したかったのかもしれませんが、ファンとしてはまだブルートレインの存続をあきらめてはいなかったからと思いたいです。
by gonana (2023-08-06 23:37)