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【過去の乗り鉄】震災前の常磐線に乗り、ED75に会いに行く その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
またまた今回から数回にわたり、過去の私のamebaブログに掲載した乗り鉄旅の振り返りシリーズです。
今回は、2010年7月に、青春18きっぷを使い、東日本大震災と原発事故で甚大な被害を受ける約8か月前の常磐線を使って仙台に向かい、当時仙台周辺の東北本線と水戸以北の常磐線で最後の活躍を続けていたJR貨物仙台総合鉄道部所属のED75の撮影を楽しんだ鉄道旅のことを振り返ってみたいと思います。
例によって、列車の時刻や列車番号等は、当時のものですので、それを踏まえてお読みください。

2010年7月、ED75撮影のための仙台への遠征に出発しました。
今回は18きっぷ利用ということで、仙台へのルートは東北本線経由化常磐線経由の二択ということになりますが、普通列車でたどる場合の乗り換え回数が少なく、当時日立駅以北が未踏破だった常磐線を行き帰りとも利用することにしました。
結果的にはこの時の乗車が、震災前の常磐線被災区間に乗車できた唯一の機会になるわけですが、もちろん当時はそんなことは想像だにしていませんでした。

7月25日、地元駅を始発で出発し、まずは上野駅へ向かいます。
早朝6時台に上野駅にやって来たのは、これから撮影予定のED75牽引列車との兼ね合いもありますが、それ以上に当時まだ命脈を保っていた2本の夜行列車を撮影するためでした。
その夜行列車は、上野ー金沢間の急行「能登」と、上野ー青森間のブルートレイン「あけぼの」の2本。
「能登」はすでに臨時列車に格下げされ、車両も定期列車時代のJR西日本の489系からJR東日本新潟車両センターの485系に変わっていました。
さらに私が上野駅に到着した時にはすでに前面愛称幕や行先表示も回送表示に変わった後でしたが、上野駅地平ホームに停車する国鉄色の485系の姿を見ることができたのは今となってはよい思い出になりました。
また、この日「あけぼの」を牽引していたEF641052号機はまだ高崎車両センターへの転属と茶色塗装化がされる前の国鉄色姿の時代で、これも貴重な記録となりました。

「能登」「あけぼの」の撮影が終わったところで、高架の常磐線ホームへ移動。
そういえば、当時はまさか常磐線に品川発着の列車が、終日日常的に走るようになることなど、想像すらしてませんでしたね・・・
上野からは7:23発の勝田行1331Mで水戸へ向かいます。
車両はもちろんE531系です。
この後、水戸から原ノ町まではロングシート車の列車2本を乗り継ぐことになるので、グリーン県さえ購入すれば18きっぷでも利用でき、しかも当日は土休日料金のため水戸まで750円のグリーン料金に惹かれて、グリーン車に乗車しました。

グリン社の座席にゆったり座って上野駅内のコンビニで購入したパンで朝食をとったりするうちに、1331Mは水戸駅に9:36に到着しました。
乗り換え待ちの間に駅上野方にある留置線に停車していたJR貨物のEH500「金太郎」や、JR東日本のEF81「カシオペア」塗装機などを撮影した後、水戸からは415系1500番台のいわき行543Mでいわきへ向かいます。
当時、常磐線土浦以南には乗り入れなくなっていたものの、土浦ー原ノ町間と水戸線ではまだ活躍が続いていた415系1500番台はこの鉄道旅の行程では数少ない国鉄型電車ですが、いかんせんロングシート車では・・・
いわきへ向かう途中の高萩駅では、構内の留置線にスカイブルー帯の209系が留置中でした。
当時、京浜東北線から撤退した浦和電車区(当時)の209系の房総向け2000番台への改造が進行中で、その改造待ちの車両が交流電化区間も含めた各地の駅などに疎開留置されており、高萩に留置されていたのもそういった車両でした。
この旅の時点では、京浜東北線からの209系撤退から半年というタイミングでしたが、正直ほとんど愛着の持てなかった209系も、久しぶりに見ると何となく懐かしさのようなものを感じたのが不思議でした。

543Mは11:46にいわき駅に定刻到着。
ここいわきで仙台行きに乗り換え、さらに北を目指します。

次回、いよいよ震災8か月前の常磐線被災区間に入っていくことになります。
そしてこの旅の本題、ED75撮影も始まります。
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