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1998年夏 四国初遠征の思い出 その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
22年前の初の四国乗り鉄旅の思い出、その4です。

高知への往復と高松琴平電鉄の踏破を終えて宿泊した高松のホテルで迎えた、四国乗り鉄旅の2日目は、夕方までは「サンライズ瀬戸」の遅延がなければ前日にたどる予定だったルートをたどります。
この日のスタートは、高松8:10頃発のキハ185系特急「うずしお」。
この列車は徳島からさらに牟岐(むぎ)線を経由して第三セクター鉄道の阿佐海岸鉄道の終点甲浦(かんのうら)まで直通し、高徳線・牟岐線・阿佐海岸鉄道の3路線を一気に全線踏破できる、乗り鉄派にはありがたい列車でした。現在ではJR四国と阿佐海岸鉄道の直通列車はすべて廃止されてしまっているので、このルートを1本の列車で踏破できたのはよい思い出になっています。
徳島まではそれなりに乗客も多かった「うずしお」ですが、以降は比較的閑散とした車内になっていきました。牟岐からは普通列車となりそのまま阿佐海岸鉄道線内へ。開通後まだ7年しか経過していないので、まだ新しい感じの残る高架線から外を眺めつつ昼前に甲浦に到着しました。
この阿佐海岸鉄道、今年度(2020年度)中に、道路上をバスとして、レールの上を鉄道車両として走ることのできる「DMV」(デュアル・モード・ビークル)での運転となり、同時にJR牟岐線の阿波海南ー海部間が阿佐海岸鉄道に移管されてDMVでの運転となる予定で、現在も未踏破の土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線とともにぜひ乗りに行きたいところです。

甲浦からは先ほど乗ってきた列車の折り返しとなる高松行「うずしお」で徳島駅まで戻り、そのままキハ40系の普通列車で鳴門線を終点の鳴門駅まで全線踏破しました。
徳島駅の駅ビルで少し時間をつぶしてから乗り継いだのは、徳島線徳島ー阿波池田間に当時1往復が残っていた急行「よしの川」。
国鉄時代は四国党内の都市間輸送に大活躍していた四国の急行列車も当時はこの「よしの川」1往復が残るのみとなっていて、しかも車両は長年活躍したキハ58・65から、この年3月のダイヤ改正でキハ185系に変更されていました。
かつての急行全盛の頃とは違う姿ではありましたが、この翌年には「よしの川」も同区間を走る特急「剣山」に格上げされて消滅してしまったので、今となっては貴重な乗車体験になりました。
「よしの川」は19時頃(?)に終点の阿波池田に到着。当初の予定ではここから土讃線の特急に乗り継いで高松へ向かう予定にしていましたが、前日とこの日の行程を変更したためと、この日の宿泊地が耕地なので、同じ土讃線の特急でも逆方向の高知方面へ向かいます。
乗り継ぎ予定の高知行の特急(「南風」「しまんと」のどちらだったかは忘れましたが)は何らかの理由で若干遅れて到着したものの、あとは順調に高知駅に到着。
駅前のビジネスホテルに入ってこの日ののりてつは終了しました。

次回、高知から愛媛へ向かいます。
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