SSブログ

大糸線キハ52お別れ乗車&撮影の思い出 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
相変わらず新しいブログのネタの収集もなかなかできない状況なので、今回からも過去の乗り鉄の思い出の振り返りシリーズです。
今回からは、2010年3月のダイヤ改正でキハ120形に置き換えられて引退した、大糸線南小谷ー糸魚川間で活躍していたキハ52形3両に、引退直前にお別れ乗車と撮影をしに行った時のことを振り返っていきます。

2010年3月5日の夜、青春18きっぷを利用して大糸線キハ52のお別れ乗車&撮影に出発しました。
今回は実質的に日帰りとなるため、当時シーズン中の金曜夜を中心に下りのみ運転されていた新宿ー白馬間の夜行快速「ムーンライト信州」を立川から利用することにし、まずは自宅最寄駅から西武線と武蔵野線を乗り継いで西国分寺へ、さらに中央線で立川へ向かいました。
しかし、西国分寺までは順調に来たものの、この夜の中央線は、夜に入って車両点検による遅延が発生していたところへ、さらに22時半頃には四ツ谷駅で人身事故(実際には「接触」程度だったらしいですが)が発生し、このダブルパンチでダイヤは混乱。
事故による抑止は30分弱で解除になり、立川には0時頃到着したものの、各列車とも40分前後の遅れが出ていたようで、信濃大町・白馬からの乗り継ぎ、さらに運転本数の少ない肝心の大糸北線への接続のこともあり「ムーンライト信州」がどの程度遅れてくるのか気にしながらひたすら待つことに。
しかし、それも悪いことばかりではなかったようで、当時2編成が最期の活躍を続けていた中央快速線のオレンジの201系を、2編成とも立川駅ホームで撮影することができました。
いずれも30~40分ほどの遅れで立川に到着したものですが、2編成とももし中央線が定時運転であれば、撮影どころか遭遇もできなかったと思われるので、逆にラッキーな展開になりました。

さて、肝心の「ムーンライト信州」の方は、所定の立川到着時刻の頃になって「現在15分程度の遅れで運転中」とのアナウンスがありました。
もともとムーンライト信州はダイヤに比較的ゆとりがあったので、この程度の遅れの幅であれば高尾以西での回復運転はそう難しくないと思われ、ちょっと安心。
そして0:48、20分遅れで「ムーンライト信州」は立川に到着、1分停車で発車しました。
私は5号車のモハ188-33に乗車し、座席に落ち着きます。
その後の「ムーンライト信州」は、中央線遅延に伴う救済措置とかで本来通過の高尾と石和温泉に臨時停車したり、先行の大月行終電や貨物列車の支障で2~3カ所で抑止がかかったりして、塩山発車時点では遅れが25分ほどに拡大しましたが、そこからのスピードアップは素晴らしく、甲府発車時点で17分、小淵沢発車時点で5分と急速に遅れを解消していき、塩尻に到着したところで定時運転に回復しました。

「ムーンライト信州」は5:10に大糸線信濃大町駅に定刻到着。列車自体はこの少し先の白馬行ですが、私はここで下車。
この先南小谷への接続列車は、信濃大町からでも白馬からでも同じ快速1323M列車でしたが、1323Mは信濃大町始発のため、座席確保も考え信濃大町での乗り換えを選択しました。
1323MのE127系の車内は、私も含め「ムーンライト信州」からの乗り継ぎ客を中心に、特に白馬からは早朝とは思えない混雑となり、特に南小谷駅の改札や跨線橋に近い後部車両は満員になりました。
1323Mは定刻6:27に南小谷駅に到着。
ここから先は、いよいよこの日の乗り鉄&撮影の目的であるキハ52に乗車します。
nice!(9)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 9

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。