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また行きたい理由が増えた! [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
約1か月前に、視覚障がい者サークルの久々の一日旅行会で約40年ぶりに訪れた西武園ゆうえんち。
昭和の商店街を再現したゾーンや、巨大テーマパークとは違う昔ながらの遊園地の香りが感じられる乗り物のゾーンなど、久しぶりの遊園地での楽しい一日を過ごすことができ、ぜひまた訪れたくなりました。
そして先日、例によってネットニュースをいろいろ見ていたらこんな記事を見つけ、西武園ゆうえんちにまた行きたくなる理由が一つ増えることになりました。
詳しくは下記のリンク記事からどうぞ。

食堂車レストラン 黄昏号 | 西武園ゆうえんち
https://www.seibu-leisure.co.jp/amusementpark/food/twilight.html
西武園ゆうえんちで食堂車体験? 〝車窓の景色〟楽しめる「黄昏号」(産経新聞) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/4037f439b5b90bfc5d3cb2d2e1dba8db96024af6
1960年代の豪華列車の食堂車をイメージしたレストランとなれば、鉄道好き、そして子供の頃から食堂車で食事をすることに憧れを抱いていた者としてはスルーすることはできません。
現在では豪華クルーズ列車や観光列車、あるいは保存車両を活用したものぐらいでしか体験することのできない食堂車(またはそれに類するスペース)での食事。
それが遊園地の中で味わえるのだから楽しそうです。
そして内装を食堂車を彷彿とさせるものにするだけでなく、映像や音響であたかも実際に走る列車の食堂車で食事をしている気分になれるというのは、保存車両や鉄道系博物館などにある動かない食堂車にはない魅力でしょう。
まあ、「車窓」にゴジラや鉄腕アトムなどが現れることがあるというのは、西武園ゆうえんちらしいご愛嬌といったところかもしれませんが。
欲を言えば、席に座った時に列車の心地よい揺れや振動が感じられたりするともっと気分が出ると思うけれど、そこまで再現するのは難しかったんでしょうか。
でも、今の技術をもってすれば決して不可能ではないような気もしますが。
もちろん料理も魅力的だし、3種類の黄昏号限定クリームソーダの味がどう違うのかも飲んで確認してみたいところです。アルコール入りのクリームソーダというのもこれまで聞いたことがないので、これも飲んでみたいです。
とにかく、これで西武園ゆうえんちにますます再訪したくなりました。前回はアトラクションを楽しむ時間がやや多くて昭和の商店街のゾーンをあまりゆっくり楽しめなかったので、次回は「食堂車」を含めもっとのんびり園内を歩きたいと思っています。
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意外に体を張ったチャレンジ? [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:自分にはできないけど、すごいと思ったこと

大学時代、他大学のイベントサークルの部長をしている人から、イベントの手伝いをしてほしいと私の所属していたボランティアサークルに依頼がありました。
イベントの内容は学内の広場での子供向けのミニSLの運転会で、集まった子供たちの整理や案内などを担当するスタッフとしてお呼びがかかりました。
私は当時、所属サークルの副部長をしていたので、イベントの一週間前に事前打ち合わせのため、部長とともに会場でもある都内の某大学へ出かけました。
打ち合わせはイベントサークルの部室で行われ、イベントサークルのメンバーや私たちと同様イベントのスタッフとしてヘルプに入るという探検部のメンバー、そして私と部長が参加しました。
打ち合わせに入る前に、探検部のメンバーが、私たちにサークルの紹介ということで探検部の部誌を見せてくれました。
海外の秘境や国内の離島など、なかなか他では読むことのできない旅行記などが何本も掲載されている中、鉄道好きとしてついついじっくり読みこんでしまったのが、探検部メンバー2人が山手線の同じ車両に早朝から深夜までひたすら乗り続けたという体験記。
早朝4:30頃に池袋駅を出発し、外回りで約19週半して深夜1時近くに大崎駅に終着となる、当時の山手線の最多周回運用の電車に一日乗り続けるというチャレンジの模様が綴られていました。
乗客もまばらな始発電車の風景に始まり、朝夕のラッシュ、駅ごとに入れ替わる乗客の様子など、山手線の一日を定点観測しているような興味深い文章でした。
部誌に掲載されている他の探検・旅行記と比べるとただ電車に乗っているだけなのだから楽層と思いきや、読んでみると結構体を張ったチャレンジ(?)だったようで、食事は人目を気にしながらコンビニのおにぎりをこっそり食べたとか、とにかくずっと同じ座席に座り続けているので尻が痛くなったとか、運転間隔調整などで少し長めに停車する駅を狙ってトイレに駆け込んだりなど、なかなかの苦行だったようです。
それでも、無事予定通り19週半、20時間あまりの旅を終えた時には疲労感とともに何か大きな達成感を味わえたという感想も添えられていました。残念ながらそのチャレンジをしたご本人には打ち合わせの当日お会いできませんでしたが、個人的には直接お会いしてもっといろいfろな裏話を聞いてみたかったです。
さて、体験記を読みながら乗り鉄好きの自分はこれと同じチャレンジが果たしてできるのか考えましたが…さすがにちょっと厳しいかも…
基本的に長距離運転の列車でもとりあえず座席や寝台にありつけてさえいれば特に乗っていて苦痛を感じることはないけれど、これもあくまで車窓から見える風景が変化に富んでいたり、車内で気軽に駅弁などを味わうことが出来たり、長い停車時間にホームや駅前に出ることができたりと、何かしら気分転換や楽しみがあってこそのもので、1時間ごとに同じ風景を眺めながらひたすらぐるぐる同じ線路の上を回り続ける列車に乗るのはなかなか大変なことでしょう。
でも…、もしかするとほぼ丸一日、山手線の中でいろいろなことを考えたり、読書にふけったりする時間を過ごすというのも、ある意味贅沢な時間の使い方になるってこともあるんですかね。

タグ:山手線
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いまだ「建設前」(笑) [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:買ってから1度も使っていないもの

「使っていない」というより「作っていない」ものの話ですが…
先日実家へ帰った際、探し物のために自分の部屋の収納をあさっていたところ、謎のやや厚みのあるものがビニールに包まれて入っているのを見つけました。
目の見えない私にはその死自身はその正体を確認できないので家族に見てもらったところ、レンガ造りの建物の外壁のような絵が描いてあるという話。
それを聞いて「たぶんこれだな」と思い出したのが、かつてJR糸魚川駅構内にあったレンガ造りの機関庫と同駅の大糸線ホームを再現したジオラマキット。

このジオラマキットは、2010年3月、大糸線北部(南小谷ー糸魚川間)で活躍していた国鉄型気動車キハ52のお別れ乗車をした時に、当時糸魚川駅の待合室内にあった売店に特設されていたキハ52グッズのコーナーで発見し、衝動買いしてしまったものです。
ダンボール製で、ハサミ・のり不要で誰にでも簡単に組み立てられ、別売りのキハ52のチョロQを配置することで機関庫やホームの情景を再現できるというものでした。
この時同時に購入した、機関庫内に大糸線のキハ52全3両が勢揃いした絵柄のイラストがプリントされたマグカップは長年毎朝のコーヒーに重宝し、今も実家の食器棚の中にあります。
でもジオラマキットの方は、購入から13年が経ち本物の機関庫が北陸新幹線工事により姿を変えた今も、いまだに「建設前」状態。
というか、外装のビニールすら破らないまま放置してました(笑)
おそらく、暇なときにいつか作って部屋のインテリアにしようと考えているうちにそのままずるずると時間が経ってしまったものだと思います。
今となってはもうこのキットを自力で組み立てることはほぼ不可能になってしまったけれど、せっかくなのでこのまま保存しておくと、後年何かしら価値が出るかも(?)
ちなみにそのついでに別の機会に塗装の異なる3両分すべて購入していたキハ52のチョロQを家族とともに探してみましたが、3両のうち2両は見つかったもののもう1両はどこへ行ったやら…

そのジオラマキットと同じタイミングで見つけたもう一つの「買ったはいいけど作ってない」ものが、戦前の流線形電気機関車EF55のジグソーパズル。
これはおそらく、2012年2月にJR貨物の大宮車両所で開催されたイベントの物販コーナーで購入したものだと思います。
ピースの数は忘れてしまったけれど、プラモデルが入るくらいの大きさの箱に入った結構ピースの数の多いものだった記憶があります。
これもいつかゆっくりチャレンジしようと思っているうちに放置してしまっていたようで、これも外装フィルムも含めて買った時のままの状態で就農の片隅に眠っていました。
これも自力で組み立てることや完成後の絵柄を楽しむことができない今となっては、そのまま残しておいた方が何かといいかも?
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生まれて初めて乗った「ちょっと変わった」電車 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
このブログでも何度か書きましたが、私の家族は私が幼稚園年長の都市の途中で東京都清瀬市から埼玉県某市へ引っ越すことになり、それに伴って私は幼稚園卒園までの約半年間、引っ越し先の家からそれまで通っていた幼稚園へ電車通園をしていました。
電車通園のコースは引っ越し先の家の最寄りの西武新宿線某駅から、幼稚園の最寄り駅(引っ越し前の家の最寄りでもありましたが)である西武池袋線秋津駅まででした。
もう45年も前の話なのでその頃の西武池袋・新宿線の電車も現在とは全く顔ぶれが違いました。
黄色い101系電車が当時の最新形式で、これに赤とベージュのツートンカラーの「赤電」塗装だった冷房化前の701系や801系、さらにやはり「赤電」塗装の各形式が入り混じって走っているという状態でした。
当時の私はすでに立派な電車好きにはなっていたものの、まだ幼稚園生ということもあり車両の形式についての知識もほぼありませんでしたが、それでも車両の塗装や見た目の違いは分かるようになっていて、特に朝の登園時はほぼ毎日同じ時間の列車に乗ることになるので、毎日同じ時間の電車にはいつも同じ見た目の電車が来る(つまり、同じ形式の車両が使われている)ことが多いという車両運用の法則性も何となく感じていました。

そんな中、あるかなり寒い朝、いつものように母に連れられての登園時、乗り換え駅の所沢駅で池袋線の電車を待っていました。
多くの電車好きの子供同様、当時の私も運転室の後ろの窓からの前方展望を眺めながら乗るのが大好きだったので、いつものように先頭車の乗車位置で待っていると、いつも秋津駅まで乗る電車がやってきましたが、先頭の車両はいつも乗る車両とは明らかに見た目が違う車両でした。
そして車内に入るとまたびっくり。何と床が木でできている!
さらにいつものように運転室のところに行くと、何と運転室は車両幅の左側1/3の幅しかなく、残りの2/3の空間は大人の腰?ぐらいの高さに渡されたポール1本で客室と仕切られた誰もいない空間になっていました。
そんな不思議な空間越しに眺める所沢ー秋津間の前面展望は、おそらく当時の私にはいつもとは違った風景に見えたことでしょう。

実はこの日は、池袋線では寒さによる車両ドアの凍結によりダイヤや車両運用が若干乱れていたようで(当時は首都圏でも、冬季は車両のドア凍結によるダイヤ乱れが時々起きていた)、普段は見かけないこの変わった車両の出現もそれに起因していたと思われます。
まあ幼稚園生の当時の私にはそんなことは知るところではありませんでしたが…
いずれにしてもこのいつもとは違う車両に乗れたことにいたく興奮したのか、その夜会社から帰ってきた父親に私はこの日の出来事をかなり熱くしゃべったようです。

さて、この時に乗車した車両がどのような車両であるかは当時の私はもちろん知らず、それが「クハ1411形」という形式の車両であることを知るのは数年後のことでした。
このクハ1411形という車両についての詳細は、下記のリンクに掲載されています

西武クハ1411形電車 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%AD%A6%E3%82%AF%E3%83%8F1411%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A#bodyContent

私が初めてこのクハ1411形電車に出会った頃には、この形式の廃車も進んで両数が少なくなっていた時期で、それゆえ普段乗る機会もなかなかなかったのかもしれません。
だから、車内の床が木であったり、運転室が普通の電車の1/3のスペースしかないなど、当時でもかなり珍しくなっていた構造の電車に乗った「非日常間」が幼い私にも伝わって、それが今も記憶に残っているのかもしれません。
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キハ58系急行「たかやま」乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
先日、いすみ鉄道に移籍して急行列車やレストラン列車で活躍していたキハ28 2346号が引退しました。
同車はかつて全国の非電化区間の急行・快速・普通列車で大活躍した国鉄型気動車キハ58系の最後の稼働車で、これによりキハ58系、というより国鉄型急行形気動車の現役車両が消滅するという、一つの大きな節目になりました。
そのキハ58系、私自身は日常的に通勤や通学などでお世話になるような車両ではありませんでしたが、鉄道旅に出かけた時などには何度かお世話になった車両です。
私がこれまでに乗車したキハ58系の列車を記憶している範囲で挙げていくと、
・小学5年生の時の磐梯地方への家族旅行の帰りに、磐越西線喜多方→郡山間で乗車した急行「あがの」
・1990年代中盤頃に3回ほど乗車した急行「たかやま」
・1998年、関西への乗り鉄旅に向かう際に利用した関西本線経由の急行「かすが」
・時期の記憶はあいまいですが、九州への鉄道旅の際に乗車した肥薩線の急行「くまがわ」
・高山本線富山ー越中八尾間の折り返し普通列車でJR最後の定期運用についていたキハ58系
・いすみ鉄道のキハ28 2346
短時間で思い出せる範囲ではこんな感じですが、もしかしたらもう少し乗ったことのある路線や列車があるかもしれません。
そんな、数の上ではそう多くないキハ58系の乗車の思い出ですが、今回は上にあげた中から、特に印象に残っている急行「たかやま」の思い出を記したいと思います。

急行「たかやま」は、1999年12月まで大阪―飛騨古川間で運転されていた急行列車で、現在運転されている大阪ー高山間の特急「ひだ25・36号」の前身ともいえる列車です。
私はこの「たかやま」に3回ほど乗車したことがあります。
最初の乗車はおそらく1992年頃だったかと思います。
この当時の「たかやま」用のキハ58系は、すでにオリジナルの国鉄職・ボックスシートの姿ではなく、白とピンクのツートンカラーに青い細帯の入った新塗装への塗装変更と、普通車座席の簡易リクライニングシート化、それに伴う改番が実施された後でした。
この時は当時発売されていた「京阪神ミニ周遊券」を利用しての関西への乗り鉄遠征の帰りで、下り列車の大阪→大垣間の乗車でした。
周遊券利用だと自由周遊区間への行きと帰り、それに自由周遊区間内では急行列車の自由席に急行券なしで乗車できるメリットを生かしたもので、その後の「たかやま」乗車も同様な状況での乗車でした。

下り「たかやま」の大阪発は午前8時を回った頃でした。
関西へ乗り鉄旅に出かけた時によく利用していた大阪駅近くや隣の塚本駅前などのビジネスホテルを出て大阪駅に向かうと、大阪駅は当然朝のラッシュのど真ん中。
そんな中で長距離列車用のホーム(確か11番線)に上がると、8時が近づいた頃に大型の円形ヘッドマークを掲げた「たかやま」編成がやってきました。
編成はグリーン車キロ28を含めて5~6両ほどだったと思いますが、少なくとも東海道線内で私が車内を見て回った限りでは、たいていは乗車率はいいところ半分くらいだった記憶があります。
でもそのおかげで私が利用する時はいつも自由席でも余裕で座席を確保できました。
同じ米原方面への新快速・快速がラッシュ時でかなり混雑する中、これらを回避して特別料金を払うことなくゆったり移動でき、しかも米原駅での乗換も省略できる「たかやま」は、周遊券利用での関西との行き帰りにもありがたい存在でした。
東海道線内でキハ58系に乗っていると、急行とはいえさすがに電車よりも高速感がなく、特に大阪ー京都間では新快速や快速(普通)の追撃を必死の爆走でどうにか逃げ切っているというようなダイヤだったようです。
しかし、それゆえ本線格の路線での国鉄型気動車の走りをじっくり堪能できたのは今から思うとかなり価値のある経験だったと思います。

結局「たかやま」乗車は3回とも下りの大阪→大垣間だけで、肝心の高山線内での乗車はついに叶いませんでした。
「たかやま」で大阪ー飛騨古川間全区間を乗り通すと確か5時間半ほどかかったと思いますが、一度その全区間を乗り通してみたかったところです。
また、もし機会があれば乗車時点でも数少なくなっていたグリーン車キロ28にも乗ってみたかったです。
今や、JR線上から「たかやま」はおろか急行列車自体がイベント列車的要素の強い臨時列車を除きほぼ消滅し、周遊券やそれを引き継いだ「周遊きっぷ」も消えてしまいました。
しかし、「たかやま」廃止後も関西から高山本線への直通列車は特急「ひだ25・36号」に引き継がれ、同じ大阪発着のJR東海エリアへの直通列車だった急行「ちくま」や大阪駅発着の特急「しなの」の廃止の後も運転が続けられています。
この「ひだ25・36号」にしても、「ひだ」のキハ85系からHC85系への置き換えに際して廃止されるのではないかという噂もあったようですが、無事車両置き換え後も存続が決まったのは、種別に関係なくJRの複数会社間を直通する列車が希少になっていく中ではある意味かなり奇跡的なことといえるかもしれません。
私はまだこの大阪発着「ひだ」には乗車経験がないので、HC85系の乗車と合わせてぜひその機会を作って乗りに行きたいものです。
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【妄想鉄】勝手に新型「サンライズエクスプレス」を考えてみる [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
現在、毎日定期運転されているたった2系統の夜行旅客列車である東京ー高松間の「サンライズ瀬戸」と東京ー出雲市間の「サンライズ出雲」。
今年2023年7月には、この両列車が前身のブルートレイン「瀬戸」「出雲3・2号」から285系寝台電車「サンライズエクスプレス」に車種変更されて誕生してから、早いもので25年という節目になります。
両列車とも「サンライズ」化されてからはこれといった大きな変化はなく、コロナ禍の初期はさすがに下がった乗車率の回復も早かったらしく、今では日によってはコロナ禍以前を上回る乗車率になる日もあるらしいと聞くのは、夜行列車好きの私には頼もしい限りです。
そんな両列車に使用されている「サンライズエクスプレス」も登場してからやはり今年で25年。
この間にごく小規模な変更を伴うリニューアルが行われたらしいのですが、それでもそろそろ後継の新型車両の話題が出てきてもおかしくない時期になってきたのかもしれません。
今のところ、今後「サンライズ」がどうなるのかということに関してJR側からは何もアナウンスがないようですが、ネットニュースなどを見るとやはり今後の「サンライズ」をどんな列車にするのがいいかというような内容の記事はいくつか見つかります。
例えば

製造から25年でも後継車両の予定はなし…最後の寝台特急「サンライズエクスプレス」はいつまで残るのか(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c1ae2766638ec7149278f612b9c46865d8edbd6

こんな感じで、他にもいくつか似たような記事があり、なるほどと思う改善案が提示されています。
そこで、私も勝手に新「サンライズエクスプレス」車両の編成内容や、新形車両投入を機に新しく「サンライズ」で運転するのがよいと思われる列車を妄想してみることにしました。

●新型「サンライズエクスプレス」の車両概要案
・現状の「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」はどちらも乗車率が高く、特に「出雲」は多客期に臨時列車を運転する日があるくらいなので、1編成の両数を現状の7両から10~12両編成程度に長くし、その分利用客の特に多い個室等の種類を中心に定員を増やす。
・2人用B寝台個室「サンライズツイン」は2人用A寝台個室「ツインDX」に改め、1人用A寝台個室「シングルDX」とともに室数を増やして1階室・2階室のどちらも選べるようにする。
・1人用B寝台個室「シングル」は室数をできるだけ増やし、もし可能なら同じ1人用B寝台個室の「ソロ」は「シングル」に統合する。この場合、「シングル」は少し寝台料金を値下げして格安の「ソロ」がなくなった分の救済措置とする。
・基本は1人用個室ながら、補助ベッドを使えば2人用としても使えるB寝台個室「シングルツイン」は常時2人用として使える「ツイン」に変更し、一部の個室は隣同士の個室間の仕切り壁を折りたたんで4人グループ用個室としても使えるようにする。
・「ノビノビ座席」も席数を増やす。
・現状では1編成当たり1カ所のラウンジは2~3カ所に増やし、広さも拡大する。またカウンター席だけでなくソファ席も設けたり、カウンター席の椅子をもう少し座り心地のよいものに変えてほしい。
・自動販売機もラウンジの数が増えた分増設し、一部は飲み物だけでなくおつまみなども変えるタイプのものを設置してもよいかもしれない。
・シャワー室も増設する。
●新型「サンライズ」登場によるダイヤの変更案
・各列車の最大連結量数が10~12両になるため、「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」は東京ー岡山間の併結を辞め、全区間単独運転とする。
・また新型車両投入と分離運転を機に、以下の列車を新設する。
①東京ー広島間 仮称「サンライズ安芸」
この区間は利用客も多く見込め、過去には多客期の臨時列車として「サンライズゆめ」が実績もあるので。
②東京ー松山間 仮称「サンライズ愛媛」
こちらも過去に「サンライズ瀬戸」が臨時園長の形で松山まで乗り入れた実績あり。

ただし松山駅まで10~12両編成で乗り入れるのが難しければ、岡山駅で4両程度を切り離してもよいかと。
・以上を運転する場合、「サンライズ瀬戸」と「サンライズ安芸」、「サンライズ出雲」と「サンライズ愛媛」は共通の編成とし、それぞれ両列車がペアになった車両運用を組む。
・上記の各列車とは別に、東京ー大阪または神戸間に仮称「サンライズ銀河」を運転する。
現状でも上りの「サンライズ」には大阪や三ノ宮からの乗車も多いそうで、下り方向も含めてもともと需要が相当にある区間なので利用客も多いはず。また現在「サンライズ」が停車しない京都・大津にも停車させることで、京都や滋賀県内へも夜の移動の選択肢が増える。
この列車に関しては、上記の各列車よりも1人用の個室の比率を高めた編成とする。
・以上を踏まえて、新形「サンライズ」で運転する各列車のダイヤ案は以下の通りです。
【下り】
①サンライズ出雲 東京21:00→出雲市9:00
②サンライズ安芸 東京21:15→広島7:45
③サンライズ愛媛 東京21:30→松山9:00
④サンライズ瀬戸 東京22:00→高松7:30
⑤サンライズ銀河東京23:30→大阪6:30→神戸6:55
【上り】
①サンライズ銀河 神戸23:05→大阪23:30→東京6:30
②サンライズ愛媛 松山19:15→東京6:45
③サンライズ出雲 出雲市19:00→東京7:00
④サンライズ瀬戸 高松21:45→東京7:15
⑤サンライズ安芸 広島21:00→東京7:30
(時刻はすべておおよその目安です)

以上、新型「サンライズエクスプレス」の設備やダイヤについて、長々と書いてしまいました。
ここまで書いてきたことはあくまでも夜行列車好きによる妄想なので、きちんとした技術的な裏付けや需要の予測などをしたものではありませんが、せっかく新型車両を投入するならこんな列車を走らせてほしいという気持ちを書いてみました。
現実にこれから「サンライズ」がどうなるのか、これから大いに注目といったところですね。
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東京の片隅の床屋で聞いた? 関西私鉄のCMソング [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:今でも「あれは何だったんだろう?」と思っていること

3歳ぐらいと思われる頃の、私にとっての一番古い記憶の一つに、当時住んでいた東京都大田区の家から歩いてすぐのところにあった床屋さんで髪をカットされている場面のものがあります。
床屋のご主人の顔や姿、店内の様子の記憶はほとんどないけれど、唯一記憶に刻まれているのが、おそらく店内のラジオから流れていたと思われる「♪京阪特急~ 京阪特急~」というフレーズが何度か出てくる歌です。
その後ほどなくして鉄道好きになり、京阪電車の特急の存在も知ることになる子供の頃の私ですが、まだこの歌のことはよく知らず、記憶の中のこの歌のことは「なんか変わった歌だな」と思う程度でした。
しかし、それから10数年たって昭和時代の京阪電鉄の懐かしい映像を取り上げた鉄道ビデオを見ていると、昭和時代の京阪特急(初代3000系)が快走するシーンを集めたパートでバックに流れていた曲に記憶を呼び覚まされました。
その曲こそ、記憶の中の床屋さんで流れていた曲だったからです。
この曲のタイトルは「京阪特急」だそうで、京阪電鉄が1958年に大阪と京都を結ぶ特急電車(=京阪特急)をPRするために制作されたCMソングで、昭和30年代を中心にいろいろな私鉄で作られたCMソングの一つです。
この曲の詳細は下記のリンクからどうぞ。

京阪特急 (曲) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%98%AA%E7%89%B9%E6%80%A5_(%E6%9B%B2)

さて、この記憶のどこが謎化といえば、それは何より東京の片隅の小さな町の床屋さんで流れていたラジオで、関西の私鉄のCMソングが流れることがあったのか、あるいはそもそも私は本当にこの歌を床屋さんで聞いたのかということです。
京阪のラジオCMが流れるのは、当時の関西のラジオではごく普通のことだったのかもしれませんが、私が床屋さんのラジオで聞いたとすればまず間違いなく関東の放送局のはずで、関西の放送局で制作されて関東の局でもネットしていた京阪電鉄がスポンサーの番組が流れていた可能性はある者のその可能性は低そうな気がします。
あと考えられるのは、この曲の作詞・作曲を担当し多数の有名なCMソングの生みの親でもある三木鶏郎氏や、歌っている楠トシエさんを特集する番組がたまたま流れていたということだと思われます。

まあこの謎の真相はどうなのか、ちょっと探ってみたいような、このまま幼き日の不思議な記憶のままとどめておく方がいいような…
ちょっと気持ちが揺れてます。
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時々無性に食べたくなる! [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:今この瞬間、一番食べたいものは?

冒頭で「こんにちは」とあいさつしておいてなんですが、実はこの記事を書いているのは深夜0時近くだったりします。
そしてこんな時間にもかかわらず、ついさっきこんな記事を見つけてしまったものだから、深夜にもかかわらずこの駅弁が食べたくてたまらなくなっている自分がいます。

絵の豚と味の豚が合致した傑作「トンかつ弁当」 パッケージの絵と中身の味がぴったり噛み合う(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/c4243dc61f0cbf013ffc4e86386d6fa71b290fba

千葉駅の駅弁、万葉軒の「トンかつ弁当」。
私個人にとっては、ある意味大学生時代の思い出の味の一つといってもいい存在です。
なぜなら、通学で通る千葉駅で、昼食用や妙に腹が減った時の間食用に頻繁に買っていた弁当なので…

「トンかつ弁当」を買うと、記事にもあるような豚のコックがとんかつを揚げている、レトロなムードの絵柄の掛け紙に癒されます。
そして掛け紙を外すと、それこそ白いご飯を覆い隠すかのような大きさのとんかつがどんと載った弁当が現れます。
とんかつ自体は薄いけれど、ソースもしっかりとかかっていて揚げ具合もよいもので、満足度はかなり高いです。
とんかつにかかったソースは下のご飯にもたっぷりしみていて、このご飯だけでもかなりおいしく感じます。
カツとご飯にかかったソースはこれだけでも十分なほどの量ですが、「それだけでは足りない!」という声があるからなのか別添えのソースのパックもついています。

とにかく私にとってこの駅弁、今でも定期的に無性に食べたくなる弁当です。
そして自分でもこんな記事を書いていたらますます食べたくなってしまいました。
まあこんな深夜に食べるのは体に悪いかもしれないけれど、しばらく千葉方面へも行っていないことだし、近いうちにトンかつ弁当を食べながらの房総半島への乗り鉄旅にでも行こうかな。
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できるものならもう一度… [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:今まで泊まったホテルや旅館の中で、一番高級だったのは?

子供の頃、家族旅行で伊豆や箱根に行った時、家族や祖父母と一緒に泊まるということで、ちょっとだけ高級そうなホテルや旅館に泊まったのは覚えていますが、何分まだ小学生だったので自分でお金を出したわけでもなく、ただただいつもの家とは違うところに泊まれるということで、やたらテンションが上がっていたのを覚えています。
その後、一人で鉄道旅に出かけるようになると、泊りになる場合はいかに宿泊費を節約できるかがポイントになってきます。
そこで、夜のうちに異動するときは「ムーンライトながら」などの夜行の急行・快速・普通列車を利用したり(高速バスは個人的なこだわりで積極的には使いたくないので)、ホテルに泊まる場合も4000~7000円台のビジネスホテルを選ぶことが多かったです。
そんな私でも時には奮発して(というかそれも立派な旅の目的の一つでしたが)ブルートレインの個室A寝台に乗ることもありました。
「あさかぜ」「富士」「出雲」「あかつき」「あけぼの」といった列車で個室A寝台の旅を楽しんだ中で、やはり一番の思い出は「北斗星」の「ロイヤル」を利用することができたことです。
たった1回きりの体験になってしまいましたが、乗車した札幌駅発車直後のウェルカムドリンクから始まり、個室内に備え付けのシャワールームやゆったりした回転チェア、広くて快適な寝心地のベッド、そして翌朝のモーニングコーヒーと朝刊のサービスまで、とにかくいつもとは違う贅沢な旅に大満足だったのを昨日のことのように思い出します。
今となっては、「北斗星」などのブルートレインの個室寝台も過去のものになってしまいましたが、今でももしもう一度体験できるなら、鉄道好き、それも夜行列車好きにとっての贅沢な一夜をもう一度味わいたいです。
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せっかくの豪華なラインナップだったのに [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
1月といって思い出すことの一つに初詣がありますが、初詣といえば毎年参拝者数ベスト3に入るのが成田山新勝寺。
そして、この時期の成田山新勝寺への初詣と聞いて私のような鉄道ファンが連想するのが、その新勝寺への初詣客を乗せた臨時列車(通称「成田臨」)です。
この「成田臨」は、関東やその周辺の各地から、主に団体客を乗せて新勝寺最寄りの成田線成田駅まで運転される臨時列車のことで、かつては1月中を中心に多数の列車が設定され、鉄道雑誌にはこの時期、それぞれの臨時列車の運転予定や運転された各列車の写真がよく掲載されていたものです。
「成田臨」の主な運転ルートとしては、常磐線の我孫子駅から成田線の通称「我孫子線」を経由して成田駅に至るルートと、総武本線を経由して千葉駅を経て佐倉駅から成田線に入り成田駅に至るルートとの2つがありました。
「成田臨」がおそらく最も注目を浴びていたと思われる1990年代、「成田臨」に使用される車両はもちろん電車が多かったですが、中には機関車牽引の客車列車もありました。
そしてその客車列車を牽引する機関車も、「お召機」EF5861をはじめ同じEF58の89号機、EF62やEF64、EF65P・PF、EF81の他、静岡方面からの列車を引いてJR東海所属のEF65一般形が遠征してくる場合もあるなどバラエティー豊かで、これらの機関車が12・14系客車や各地のお座敷客車を牽引して成田線を走る姿は注目の的でした。
一方電車で運転される列車の方も、1990年代当時は国鉄型の特急・急行形電車が主力で、特急型なら183・185・189・485系といった各形式、急行形なら165・167・169系といった各形式が活躍していました。
どの形式も塗装や形態のバラエティーが豊富で、これもまた「成田臨」が人気となっていた要因の一つでした。

そんな成田臨、私自身はというと鉄道雑誌でいろいろな写真を見てはぜひ一度生で列車を見たり撮影したりしたかったのですが、その頃(1990年前後)は以前使っていたカメラが故障して使えなくなり、そうしているうちに大学受験や浪人生の時代とも重なって鉄道写真の撮影をしていなかったこともあり、残念ながらあの頃の成田臨を一枚も写真に残すことはできませんでした。
その後1991年には千葉市内の大学に入学し、毎年1月になると通学で利用する総武快速線の乗車中に同線を経由する成田臨と出会うことがよくありました。
この時目にした車両の多くは、日によって所属の電車区や運転所も塗装も様々な国鉄型急行形電車で、首都圏ではあまり目にすることのない長野・松本地区の車両を見ることができるなど、今から振り返るとなかなか楽しい思い出でしたが、これらもまた写真に残すことができなかったのは残念です。

最近は成田への初詣シーズンの臨時列車自体が少なくなったようで、運転されても団体専用列車というより臨時の特急列車としての運転が多くなったようです。
また車両も波動輸送用のE257系5000・5500番台での運転がほとんどで、わずかに185系で運転される団体列車が注目される程度で鉄道ファンの注目度もかつてよりはかなり低いように感じます。
その点、1980年代末から1990年代にかけての成田臨は、今から考えるとかなり賑やかで華やかな車両のラインナップが魅力だったことを改めて感じ、そういった列車たちを写真に残せなかったことが悔やまれます。
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