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中央線201系の最後に立ち会う その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
前回に引き続き、中央線のオレンジ色の201系の31年間の活躍の最後に立ち会った思い出の振り返りです。

前回の記事にも書いた通り、中央線201系の最後の営業運転列車に乗車した日の3日後、いよいよ中央線201系にとっての本当に最後の一日になりました。
この日は、豊田車両センターを出て中央東線・篠ノ井線・信越本線を経由して解体先となる長野総合車両所へ向かう「片道切符の旅」です。
途中、豊田から松本まではツアー形式の貸し切り列車としての運転でしたが、私はこの列車には乗車できず、それならばこの廃車回送兼イベント列車を撮影することで中央線201系の本当の最後の日の姿を見届けたいと思いました。

2010年10月17日、朝自宅を出て西武線と徒歩で武蔵野線新秋津駅へ。
新秋津からは183・189系の「ホリデー快速河口湖3号」で最初の撮影地大月駅へ向かいました。
豊田以西の各駅や駅間には、すでに201系を狙うファンの姿がたくさん見られました。
もちろんそれはホリデー快速の車内も同じだったようです。
9:58に大月に着くと、もちろんここも多数のファンが待ち構えていました。
そんな中、定刻よりわずかに遅れて201系到着。
何しろ人数が多いもので駅撮りも一苦労でした。
でも、特製のヘッドマーク(ステッカー?)はもちろん、前面方向幕の特製字幕、それに運転室の花束が感動的でした。
特製の前面行先字幕には「ありがとう中央線201系」の文字がありましたが、その下の「豊田→松本」という一方向のみの運転区間表示が、二度と戻ることのできないこの日の旅路を象徴しているかのようで切なさを覚えました。
一方、側面方向幕は残念ながら「臨時」表示。他が素晴らしいだけにこちらも何か欲しかった・・・と思ったのはわがままですかね。

201系は大月を後に再び西へ向かいます。
私のほうは大月から「かいじ103号」で201系を追っかけます。
当初は甲府まで先回りして最後のお見送りをするつもりでしたが、同じ事を考える人も多く自由席は満席でデッキに立つことに。
そこで予定を変更し、手前の塩山駅で下車。
塩山に着くと、先着していた201系が「かいじ」が入線した隣の2番線に停車中。
201系はここで「かいじ」を待避するため長時間停車しているわけです。
結果的にいうと、ここに撮影地を変更したのは吉と出たようで、駅撮りしやすい長時間停車駅にもかかわらず、意外にも比較的余裕のある状態で撮影できました。
改めて太陽の下でオレンジ色のボディーを眺めると、もうこれがラストランだというのがにわかに信じられないほどの美しい輝きが感じられました。
そして12:08、定刻より4分ほど遅れて201系は塩山駅を発車。
そしてこの出発していく姿を後追いで撮影したかッとが、ついに私にとっての中央線201系のラストカットとなってしまいました。

撮影帰りに乗り換えのために降りた八王子や国分寺のホームに立つと、もういくら待ってもここにオレンジの201系が現れることはないと頭ではわかっていても、何だか信じられない気分でした。
前回も書いた通り、私は中央線沿線民ではないものの、中央線の201系には過去いろいろとお世話になることも多く、非常に身近な存在の車両でした。
そういうこともあり、3日前の営業運転最終列車とこの日のラストランの両方に立ち会うことができたのは本当に幸せだったと今でも思います。

あれから10年、201系から中央快速線のバトンを受け継いだE233系はグリーン車連結の対応工事が進み、12年ぶりの新製車増備も行われるなど、まだまだ中央線での活躍は続きそうです。
一方関東からはすでに撤退した201系も、関西では延命工事も行われるなどして健在でしたが、こちらも間もなく引退の時を迎えようとしており、時代の流れを感じます。

中央線の201系は、注目度の高い特急用車両やイベント用車両のような派手さはないものの、沿線の人々や頻繁に利用する機会のあった人々にはやはり馴染みの存在だっただけに、最後の営業運転や廃車回送にはいろいろな人のいろいろな思いがあるものだと、この2日間で強く感じました。
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