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芳賀・宇都宮LRT初乗り記 その2 [鉄活動レポート]

こんばんは、gonanaです。
前回からの続きで、去る9日の宇都宮LRTの初乗り記です。

湘南新宿ラインで宇都宮駅に着き、餃子も食べたところで、いよいよこの日の本題である宇都宮LRTに乗車します。再び駅に戻って今度は東口方面へ通路を歩き、やがて見えてきたエスカレーターで下った先にLRTのホームがあります。(もちろん会談・エレベータでもアクセス可)
1面2線構造のホームにはちょうど上り電車が到着、多くの乗客が下りてきました。
到着した電車は全員の下車が終わると一旦ドアを閉めて運転士が反対側の運転台へ移動したのちに改めてドアを開放して乗車が始まりました。
この宇都宮LRTでは交通系ICカードを利用する乗客は車両1編成の片側に4カ所ずつあるドアのいずれからも、ドア脇にあるICカードリーダーにカードを読み取らせることで運賃生産ができるシステムを採用しています。
現金払いの時もどのドアからでも乗れるのは同じですが、ホーム上にある整理券発行機で整理券を取り、降車時は運転士のそばの運賃箱に運賃とともに入れる必要があります。
また、ICカード利用時でも現金払いの時でも、降車時に運転士に障害者手帳を提示して障害者割引で乗車したい旨を申告すると割引運賃が適用され、私とガイドさんもこの方法でICカード利用で乗車しました。
当日は開業から2週間が経ち、さすがに開業直後のフィーバーぶりも落ち着いた洋でしたが、それでも土曜日の昼下がりとあって始発の宇都宮駅東口停留所からの乗客は多く、車内もホームも賑わっていました。
発車前に運転士がホームや社内の乗客に向けて肉声で運賃生産のしかたなどについての案内をするのも、まだ開業して間もなくでなれない乗客も多い今の時期らしい風景かもしれません。
乗車した車両の車内も多くの乗客がいましたが、ラッシュ時並みの混雑というのでもなく、私も後ろ向きかつ通路側ながらボックスシートに座ることができました。
ちなみにこの宇都宮LRTで使用されるHU300形車両の座席はボックスシートとロングシートを組み合わせたセミクロスシート仕様で、座席自体もなかなか座り心地のよいものです。
さて、乗車した電車は定刻の12:48に宇都宮駅東口停留所を発車し、一路終点の芳賀・高根沢工業団地停留所を目指して走りだしました。
発車時のショックもほとんどなく、それでいて加速はかなり力強くあっという間に結構スピードが上がった感じがしました。
車内に流れる自動放送では「各駅停車 芳賀・高根沢工業団地行です」などといった行き先案内が流れます。宇都宮LRTの開業時のダイヤでは全列車が各駅停車としての運転ですが、近い将来(早ければ来年春?)からは路面電車では珍しい快速運転も始まる予定になっているのでこのような案内になっているのでしょう。
いずれにしても路面電車の案内放送で「各駅停車」と列車種別が案内されるのもなかなか新鮮です。
宇都宮駅東口を出て5つ目の電停になる宇都宮大学陽東(ようとう)キャンパス停留所は文字通り大学のキャンパスに近い停留所であるとともに、ベルモールという商業施設も近くにあるため、乗車・下車とも多かったようですが、特別乗降に手間取っていた様子はありませんでした。
ここを出るとLRTの線路は専用軌道に入り、やがて次の平石停留所に着きました。
ここには宇都宮LRTの車両基地と運営会社の本社があり、まさに宇都宮LRTの中核ともいえる場所です。
平井氏を出たあたりから車窓には田園風景も目立つようで、ライトラインは引き続き快走します。
宇都宮LRTの最高運転速度は道路上も専用軌道も40km/hだそうですが、特に専用軌道では体感的にはそれよりももう少し早く走っているようにも感じられました。それでも揺れはほとんどなく、乗り心地は上々です。
将来的には専用軌道区間でのスピードアップの計画もあるらしく、もし実現すれば快速運転とあわせバスや車と比べてかなり時間的なアドバンテージが生まれそうです。
さらに進んだ清原地区市民センター前停留所には、トランジットセンターという路線バスとの乗り換え拠点が設けられていて、LRTのホームに隣接して路線バスの乗り場があり乗り換えが便利になっているそうです。
このようなバスとの乗り換え拠点は他のいくつかの停留所にもあり、自動放送でもバスへの乗り換え案内が流れます。
その次のグリーンスタジアム前停留所は、路面電車の停留所としては珍しい2面4線構造で、快速運転が開始されたあかつきにはここで快速が各駅停車を追い抜くダイヤが組まれることになっています。
宇都宮LRTの路線は結構起伏に富んでいるそうで、最大で今はなき信越本線の碓氷峠にも迫る60パーミルの急勾配も複数存在するとか。
しかしライトラインに乗っていてその勾配をはっきりと意識することはなく、力強いモーターのおかげで軽々とクリアしているように感じられました。
宇都宮駅東口を出た時にはかなり賑わっていた車内も終点に近づくにつれてかなり余裕が生まれてきました。
そして13:38にライトラインは終点の芳賀・高根沢工業団地前停留所に到着。ここまでの所要時間は50分で、標準の全線所要時間48分と比べると2分遅いですが、途中での信号停車や途中の停留所での乗降時間を考慮すればさほど気になる遅延とは感じられませんでした。


宇都宮LRTの終点の芳賀・高根沢工業団地前停留所は、その名の通り工業団地の中の停留所で、周囲にはこれといって行くべき場所もないそうなので、ここまで乗ってきた電車の折り返しとなる13:42発の宇都宮駅東口行でとんぼ返りします。
先ほどの宇都宮駅東口停留所同様、ここでも乗客をすべて降ろした後一旦ドアを閉めて運転士がエンド交換を行い、改めてドアを開けて乗車開始となりました。
今度は先頭車のロングシートに着席。先ほど通って来たばかりの道を戻ります。
芳賀・高根沢工業団地前停留所を出た時にはまばらだった乗客も先へ進むにつれて増え、宇都宮駅に近づくとそこそこ混んできました。ただ、土曜日の午後という時間だからか、車内はあくまでもまったりムードで、LRTの方も走りがもたつく場面もほとんどなく快適に走るので、乗っていて実に気持ち良い路線という印象を受けました。
そして終点の宇都宮駅東口停留所には14:32に到着。
個人的には、HU300形の大きな窓から市街地・住宅地・田園地帯・工業団地と変化していく車窓を眺められないのが何とも悔やまれるところですが、それでも宇都宮LRTの魅力は十二分に感じることができ、大満足の初乗車となりました。
宇都宮LRTは今後、先ほども触れたような快速運転の開始や増発が予定され、専用軌道区間でのスピードアップの計画もあるという話です。
さらに将来的にはJR在来線を超えて新幹線をくぐり、繁華街や市役所、東武宇都宮駅などがある宇都宮駅西口方面への延伸も計画されているそうで、今後の発展が楽しみな路線です。
今回の初乗車でひとまず宇都宮LRTは全線完乗となりますが、また宇都宮餃子を食べに行きがてらぜひ乗りに行きたい路線です。

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芳賀・宇都宮LRT初乗り記 その1 [鉄活動レポート]

こんばんは、gonanaです。
昨日(日付的には一昨日ですが)の9日土曜日、「75年ぶりの路面電車の新規開業」「初の完全新規敷設のLRT」として全国区のマスコミでも大きく取り上げられていた栃木県宇都宮市と隣の芳賀町を結ぶLRT(次世代型路面電車)路線「芳賀・宇都宮LRT」(以下、「宇都宮LRT」または愛称の「ライトライン」と表記します)に初乗車してきました。
計画の浮上から約30年、紆余曲折はあったもののついに開通した関東初の本格的LRT。
路面電車やLRTも好きな鉄道ジャンルの一つである私としてはぜひ早く乗りたくて行ってきました。

グループホームの最寄り駅からいつものように西武線で出発。
池袋駅からは10:01発の湘南新宿ライン普通宇都宮行に乗車しました。
宇都宮までは2時間近い乗車になるのでグリーン車を利用。
ガイドヘルパーさんが1階席に空席を見つけてくださり着席しました。
実は私は2階建て車両の1階席を利用したのは新幹線100系の1人用個室を利用した時を別にすれば初めてで、普段は選ばない1階席の車窓からの眺めがどんなものか確認することができないのが何とも悔やまれました。
乗車した宇都宮行はこの日の朝の宇都宮線内での踏切安全確認の影響で池袋発が9分遅れとなりましたが、その後の回復運転は凄まじく、大宮駅到着時点で6分遅れに回復、そして小山駅到着時点では定時運転に戻り、其のまま宇都宮駅には11:50に定刻到着となりました。
確かに終始結構飛ばしている印象はありましたが、10分近い遅延をきれいに解消できてしまうとは、かなりダイヤに余裕があったということなんでしょうか。

ともかく宇都宮駅に無事到着したところで、さっそくLRTの乗り場へ…といきたいところですが、時刻もお昼間近なので、まずは腹ごしらえタイム。
そして宇都宮まで来た以上餃子を食べずに帰るわけにはいきません。
そんなわけで、一旦LRT乗り場とは反対側の西口に出て、駅からすぐのところにある宇都宮餃子館という餃子店が集まったエリアにある「健太餃子」というお店へ。
お昼時とあって店の外には7人ほどが並んでいましたが、幸いほとんど待つことなく入店。
私もガイドさんも8種類の餃子が食べ比べできるセットメニューを食べました。
肉や野菜、ニンニクやチーズなど、いろいろな餃子を少しずつ味わうことができて大満足でした。ただ、もし食べきれなかったらと控えめに注文してしまったため、数的にはちょっと物足りなかった感も…
それならもっと多種類の餃子が食べられる12種類セットを注文すればよかったと2人とも公開でした。

さて、餃子もしっかり食べたところでいよいよLRTに乗車…となりますが、そのあたりはまた次回書きたいと思います。
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リアルに経験したばかりなので [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。
本日のお題:テレビ、スマホ、パソコン、使えないと一番困るものは?

テレビも全く見られないとなるとそれはそれでつまらないし、スマホもいつの間にかないといろいろ困るようになっていますが…
やはり今の私にとってはパソコンが使えなくなるとかなりの痛手になります。そして、つい先日までそれをリアルに経験しました。
今の私にとってパソコンは、ネットを見たりこうしてブログ記事を書いたりするだけでなく、在宅勤務で仕事をするのにも欠かせない道具です。
その、在宅仕事に使う会社から貸与されているPCの一部のキー(文字キーや矢印キー)が押しても反応しなくなり、その中にPCへのログインに使用するパスワードに含まれる文字のキーもあったため、PCへのログイン自体が不可能になってしまいました。
業務外のネット接続やメール等に使用しているプライベート用のPCで会社のシステムに入ることはできないので、仕事用PCの故障はそのまま仕事ができないことにつながります。
結局、故障したPCは新品と交換することになり、会社のIT担当からメーカーに交換用のPC発注することになりました。
ただ、PCが発注してから会社に届くまでが約2週間、その後各種の設定や業務上必要になるソフトのインストールなどを行って私のもとに届くまでにさらに数日かかるとのことで、その時点で2週間余りの予期せぬ「夏休み」となりました。
しかも実際にはIT担当のPC発注が遅れた影響でPCがこちらに届くまで、結局PCが故障してから1か月ちょっとかかる結果になり、当然その間仕事に戻れないまま日々過ごすことになってしまいました。
幸い、会社の業務はもちろん勤怠の連絡などにも欠かせないPCが故障したということで、勤務予定日は毎日、本来の始業時刻と終業時刻に勤怠管理の担当者に「出勤しました」「退勤します」とSMSを送ることでその日は出勤したものとみなしてもらうことで、1か月余りにわたる「夏休み」も私自身の勤怠や給与に影響することはありませんが、実際は基本的に仕事はできないわけで、一応勤務していることになっている時間も出勤しているようでしていない、何となく宙ぶらりんな時間を過ごすことになりました。
パソコン故障から1か月ちょっと経ち、やっと会社から新しいパソコンが届き業務に復帰できましたが、今度は「休み」中のメールやスカイプのコメント、部署内で共有された各種の文書などを遡って確認するのに3~4日かかり、正直ちょっと疲れました。
長々と書いてきましたが、今回のことで、在宅勤務はいろいろとメリットはあるけれど、業務のほとんどをパソコンを使用してする場合、ひとたびPCが使えなくなるといかに大変なことになるかを思い知りました。
ひとまず、どこかのタイミングで今回のようにキーボードの一部が使えなくなる事態に備えて、予備の外付けキーボードの購入を考えたいと思っています。
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ブルートレイン「出雲」乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
今回は過去に乗車した今はなき列車の思い出シリーズで、ほぼちょうど20年前に乗車したブルートレイン「出雲」の思い出です。

「出雲」は1950年に急行列車として運転を開始し、1972年には東京ー浜田間を結ぶ寝台特急となりました。
その後1978年に出雲市止まりの1往復が加わって2往復体制となりこれが長く続きますが、1998年には出雲市止まりの「出雲3・2号」が電車化されて「サンライズ出雲」となりました。
この時、浜田行きの「出雲1・4号」は「サンライズ出雲」が経由しない福知山・鳥取・倉吉などへの利用客の利便を図るためにブルートレインのまま残され、運転区間を出雲市までに短縮し列車名を号数表示のない「出雲」に変更して2006年3月のダイヤ改正で廃止されるまで走り続けました。

私は2003年9月中旬、少し遅めにとった会社の夏休みを利用して岡山・広島方面へ乗り鉄旅に出かけました。
住んでいる関東からはまずは岡山へ向かうことにしましたが、東京駅からまっすぐ新幹線あるいは「サンライズ瀬戸・出雲」、または東海道・山陽本線の快速・普通列車乗り継ぎで向かうのでは新鮮味がないので、それまで乗ったことのない山陰本線と伯備線を経由して岡山駅へ向かうルートをとることにしました。
そして、せっかく山陰本線を経由するのならということで乗ることにしたのがブルートレイン「出雲」(以下、単に「出雲」と表記している場合はブルートレインの「出雲」を指します)でした。
そして「出雲」乗車のもう一つの理由は、ダイヤ改正のたびにブルートレインや夜行列車が次々に廃止されていくその頃の流れの中で、まだ未乗車だった「出雲」もいつ廃止されてしまうか予断を許さないということで今のうちに乗っておこうという気持ちがあったためでした。

2003年9月11日(だったと思う)、私は20時半近くに東京駅に到着。構内のコンビニで飲み物と朝食用のパンなどを購入してホームへ上がりました。
やがて品川から回送されてきた「出雲」編成が入線。ひととおり編成の前から後ろまで車号をチェックしながらホームを歩いてから私も乗車しました。
そして「出雲」は21:10に東京駅を定刻発車し、東海道本線を西へ下ります。
私がこの日乗車したのは、1号車の1人用A個室寝台「シングルDX」のオロネ25。
同じオロネ25でも、「出雲」に連結されていたのは先日乗車の思い出記事を書いた下関発着の「あさかぜ」乗車時に利用した300番台ではなく、「出雲」が1976年に24系25形客車での運転になって以来最後まで連結されていた0番台。
このオロネ25 0番台は私の子供の頃の憧れの車両でしたが、それまでまだ乗車経験がなかったので、これも今のうちに乗っておこうと奮発したものでした。もっともその後、そのオロネ25 0番台を14系に編入改造したオロネ15に「富士」で乗ることにはなりましたが…
子供のころからあこがれてついに乗車できたオロネ25 0番台は、座席(ベット兼用)のモケットの色がオリジナルとは異なる色のものに変わっていた以外はほぼ原形をとどめていて、子供の頃にブルトレを取り上げた本・雑誌の写真や東京駅でホームから窓越しに個室内を覗き込んで見た時の雰囲気がそのまま残り、子供の頃一度乗ってみたいという憧れを抱いた頃を思い出させてくれました。
座席の上に枕や毛布、浴衣とともにA個室乗車記念(?)のヘッドマーク入りタオルが置かれていたのも昔と同じでしたが、ヘッドマークの絵柄はさすがに「出雲」だけがプリントされていました。(ちなみに、後に「富士」のシングルDXを利用した時には、「さくら」「はやぶさ」「富士」のマークと赤いJRロゴがプリントされたタオルが置かれていました)
実際に乗ってみると、車窓を眺めるために窓に近づきたいのに備え付けの洗面台が邪魔だったりして、JRになってから登場した他の個室寝台車と比べてのわずかな不満はあるものの、ブルートレインにハマった子供の頃を思い出しながら一夜を過ごすには十分な空間でした。
静岡駅に停車したかしないかぐらいのタイミングで就寝し、翌朝はどのあたりで目覚めたのか記憶はありませんが、おそらく福知山駅を出てしばらくしたあたりだったかと思われます。
そして、当時すでに現在のコンクリート橋梁への架け替えが予定されていた余部鉄橋を渡ったのを見届けたところで、元食堂車オシ24へ向かいました。
「出雲」に連結されていたオシ24形は、国鉄時代最末期に東京ー博多間のブルートレイン「あさかぜ1・4号」の車両グレードアップ計画の一環で内装を大幅にリニューアルした「星空風」食堂車で、1991年に「出雲1・4号」の食堂車営業が休止された後も「ロビーカー」的なフリースペースとして「出雲」廃止までそのまま連結されていました。
テーブルやイスもそのまま残っている食堂車内では、前夜の東京駅内のコンビニで購入しておいたパンと缶コーヒーで朝食。曲がりなりにも食堂車で朝食をとることができたのはよい思い出になりましたが、やはり実際に食堂車でできたての朝食を食べる経験ができなかったのは悔やまれました。
個室に戻りのんびりしているうちに、9:20頃到着の米子駅が近づいてきました。せっかく乗るなら終着の出雲市駅まで完乗したいところでしたが、この後の行程の都合もあり残念ながら米子駅までの乗車となりました。

結局、「出雲」への乗車はこの時が最初で最後となりました。
今思うとあの時、あえて岡山に直行せずに「出雲」を利用してよかったと思いますが、一方で当時は鉄道写真の撮影を一時や住んでいたため、国鉄職のDD51が「出雲」を牽引する姿を写真に残しておきたかったという思いは今もあります。
山陰地方へは、この時の「出雲」に乗車しての通過が唯一の訪問経験で、実質的にはまだ訪れたことがない地域でもあるので、ぜひいつか「サンライズ出雲」に乗って訪れたいと思っています。
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バレバレだったんだろうけど [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:学校や会社をずる休みして遊びや旅行に行ったことある?

学生時代、さすがに学校をずる休みしてどこかへ出かけたというようなことはなかったけれど、中高生時代の部活は何度もサボりましたね。
中学時代と高校の途中まで、私は剣道部に入っていましたが、それはあくまでも親の勧めと「男子は運動部に入るべし」とでもいうような空気に流されてそうしたまでで、私自身は剣道部、というより運動部に入りたいとは正直思っていませんでした。
そういう消極的な姿勢で部活に出ていたことと、もともとの剣道の技量のせいもあり、練習のきつさと対外試合に出られるような選手でもないことから部活に出るモチベーションがどんどん下がっていきました。
そんなことから、ウソの通院やら家庭の都合やらを理由に部活をサボることがありました。
特に平日夕方にフジテレビで「夕やけニャンニャン」という番組が始まると、まだビデオデッキが我が家になかったためこの番組を見るために部活を途中で抜けて家に帰るということがよくありました。
もちろんテレビが見たいから早く帰るなどと言っても許されるわけもないので、通ってもいない塾に行くことにして早帰りしていました。
まあ、当時の部活の顧問はこんなことはたぶんお見通しだったのでしょうが、どうにか最後までこの件について注意されることはありませんでした。
最近は、旅行や「推し活」遠征のために学校を休むことが認められるケースも増えているらしいです。
学校を休んで旅行や遊びに行けたらとは思いつつも、そんなことは親にも先生に怒られるのが怖くて言い出せなかった昭和の小中学生にとっては驚きですが、これも「よほどの体調不良や怪我でもない限り学校は休んではならないもの」という価値観が大きく変化している証なんでしょうか。
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当たらないからやらないのか、やらないから当たらないのか [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:くじ運はいい方? 悪い方?

くじ運、悪いというかないと言った方がいいですね。
これまで生きてきた中で、懸賞や宝くじに当たったり、くじ運に恵まれたと実感できた体験がほとんどないからです。
小中学生の頃は、学習雑誌などの懸賞コーナーが楽しみで、いつもたくさんの賞品ラインナップの中からかなり迷って希望の賞品を選び、ほぼ毎月(毎号)アンケートはがきや応募はがきを送っていましたが、確か一度も当たったことはなかったと思います。
あの頃はこういった懸賞の当選者の名前もそれぞれの雑誌に掲載されていたので、時々そこで同じクラスや知っている同級生の名前を見つけ、後日その同級生が自慢げに懸賞で当てた賞品を見せびらかしてきた時には、うらやましさとともに悔しさがこみ上げてきたのを覚えています。
そういう経験があったせいもあるのか、高校生ぐらいになると懸賞に応募したりすることにはあまり興味を持てなくなりました。もちろん、雑誌の懸賞コーナーやアンケートなどの応募などで当たる賞品が欲しいと思ったことは数限りなくありますが、では応募しようと気持ちになることはほとんどありませんでした。
その後、競馬や競輪などのギャンブルができる年齢になっても、それらにはあまり興味がありませんでした。もともと両親ともにほぼギャンブルをやらないこともあり、そもそも競馬などは自分には縁遠いものだという気持ちがあったからかもしれません。
そのため、自分で馬券や車券を買ってみたこともなく、当然ながら当てたことも外したこともありません。まあ、下手にギャンブルにハマって依存症になるよりはずっとよかったといえばその通りではありますが…
あと、宝くじの方は、母親が年末ジャンボか何かを買う時に私の分としていくらかお金を出したことが何度かあり、自分自身でもスクラッチ式の宝くじにハマりかけた時期もありましたが、これもあまり成果はありませんでした。
そのようなわけで、私は自分にはくじ運やギャンブル運はほとんどないのだという気持ちが強く、どこかで一攫千金を狙いたいとか、一時期流行った「懸賞生活」なるものも自分には縁のないものと思い込んでしまっているところがあります。
まあこういうのも、チャレンジしないから当たることもないだけで、たまには勇気を出してリスクのない懸賞にでも挑戦してみては、と言われれば心は動くかもしれませんが。
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またこの日がやってきた [日々のあれこれ&つぶやき]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:「齢をとったな」と思う時

今日、また一つ齢を重ねました。
あえて何歳になったかは書きませんが(このブログをずっと読んでくださっている方にはいまさら伏せても意味がありませんが)、「自分は齢とったなあ」と一番痛感するのが、今日のように自分の年齢をはっきり意識したり、何かの手続きなどで自分の年齢を書いたり入力したりする時です。
別に年齢より若く見られたいとか、齢をとったことを認めたくないわけでもないけれど、やはり50歳代ともなると年齢の数字には重みを感じます。
もちろん日々生活する中でも、自分の年齢を意識せざるを得ない場面はいろいろあります。
企業の社長や役員に自分より何歳も若い人が就任するのはもう当たり前になっているし、若い頃に好きだったアイドルの今の年齢に気付いた時なども、自分もそれだけ齢をとったのだということをまざまざと思い知らされます。
まあ、今さら年齢に抗っても仕方がないので、せめてこの年齢だからこその楽しみを探したり、将来いかに充実した高齢者生活を送るかをじっくり考えていきたいと思います。
タグ:年令 誕生日
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身近なようで歩いたことのない街 [ノンジャンル]

こんばんは。gonanaです。

本日のお題:じっくり時間をかけて街歩きをするなら、どこを歩きたい?

そういえば、私は鉄道旅などでいろいろな所へ行ってはいるけれど、その多くは駅とホテル、近くのコンビニとの往復ぐらいでちゃんと歩いてその街の魅力を味わったり食べ歩きをしたりしたことがないんですよね。それどころか、駅から一歩も外に出ずに立ち去ってしまった街も結構多いです。
なので、改めて時間をかけてじっくり街歩きをしたい街はいくらでもありますが、今一番じっくり歩きたい街は、私の生まれ故郷でもある東京都大田区の蒲田駅の周辺です。
蒲田駅は、私が生まれてから数年間暮らし、その後も父方の祖父母が住んでいた家から一番近い国鉄・JRの駅ということで数えきれないくらい利用した駅ですが、駅から家まではバスを利用することがほとんどで、実は蒲田駅周辺の商店街などを歩いたことはほとんどありませんでした。
そのため、人気の羽根つき餃子の店などにも行ったことがありません。
そんな私ですが、いつだったか京急蒲田駅からJR蒲田駅まで歩いてみたことがあります。
この2つの駅の間は、バスで4~5分ぐらいの距離だった記憶があったので、歩いても大した時間はかからないと思っていましたが、途中で道を間違えたこともあって想定よりも時間がかかりました。
今、大田区と東急電鉄などは、この2駅間を結ぶ新路線「蒲蒲線」の実現に前のめりになっていますが、その気持ちはわかる気がします。
とにかく、観光地や有名な街並みをゆっくり歩きたい気持ちもあるし、身近なようでいて実はきちんと街歩きをしたことのない街を歩くのも楽しいでしょうね。
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