SSブログ

【妄想シリーズ】東海道本線静岡地区の快速運転 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
東京から西へ、東海道・山陽本線(在来線)を「青春18きっぷ」などを利用し、普通・快速列車のみで乗り継ごうとする場合、名古屋圏(豊橋―大垣間)と関西圏(米原―姫路・網干間)には快適な転換クロスシート車で高速運転の新快速・快速などが頻繁に運転され、首都圏の東京―熱海間でも本数やスピードの点で名古屋・関西圏とは大きく差があるとはいえ一応快速「アクティー」や湘南新宿ライン方面への特別快速が走っています。
ところが、首都圏と名古屋圏に挟まれた静岡地区(熱海ー浜松・豊橋間)の東海道本線にはホームライナーを別にすれば快速列車はなく、普通列車でこの区間を通過しようとすると結構な時間を要します。
それでもセミクロスシートの113・115系や、急行「東海」や大垣夜行の関連で東京ー静岡間普通列車1往復に充当されていた165系が健在だった頃は極力それらの使用列車を選ぶようにすればよく、私も当初予定の乗り継ぎ列車が211系だった場合に、1~2本見送って113系に乗ることができるようにあらかじめ乗り継ぎスケジュールに余裕を持たせるようにする工夫をしたものですが、浜松ー豊橋間の一部を除けばこの地区の普通列車のほとんどの運用を担当する211・313系の大半がロングシート車である現在、このエリアをどのように移動するかが、東海道本線で18きっぷを使った旅をいかに快適なものにできるかのポイントになってきます。
このことは、先日のネットニュースでも取り上げられていました。

青春18きっぷの難所「静岡エリア」をどう過ごすか プラス320円で快適に : J-CASTニュース
https://www.j-cast.com/2019/08/18365198.html?p=all

確かにこうした区間では、早くこの区間を抜け出すことだけにこだわらず、敢えて適切なタイミングで「段落とし」的な乗り継ぎを挟みながら移動するというのも、18きっぷの旅でこの区間を攻略するポイントということになりそうです。
そして記事中でも取り上げられていた「ホームライナー浜松3号」とその延長区間の浜松ー豊橋間の普通列車、この列車はかなり利用価値が高そうですね。
この列車、首都圏からでも東京15:27発の沼津行普通列車(列車自体は宇都宮線小金井始発)から余裕をもって乗り継ぐことができ、豊橋からもすぐに大垣行特別快速が接続しているので、名古屋には21:43の到着となります。
18きっぷで東海道本線を下るとなると、「ムーンライトながら」を使ったり東京を早朝~朝に発つ行程が定番ですが、名古屋あたりへ行くならこのルートも十分に「使える」のではないでしょうか。
そして何より320円の乗車整理券さえ確保できれば、夕食時間帯にもかかる沼津ー豊橋間を快適なリクライニングシートに座って移動できるのですから、一度は試してみたい乗り継ぎパターンです。

特別料金不要の列車が普通列車ばかりで、しかも車両はほとんどがロングシートという東海道本線静岡地区の現状に対して、私は以前から乗車するたび、なぜ同じJR東海管内の名古屋圏のような転換クロスシート車による快速が走らないのかと思っていました。
また、静岡県内の主要都市の中には新幹線だけではカバーしきれない東海道本線沿いにある都市も多く、それらの相互間の移動の便を図るという意味でも快速は必要なのではと考えられます。
実は、静岡地区での快速運転は国鉄時代に実績があったそうです。調べてみるとこれは、昭和47年にそれまで東京―名古屋・大垣間運転の列車と静岡止まりの列車が各2往復の運転だった急行「東海」が4往復すべて静岡止まりに変更されたのを補うため、日中1時間間隔で三島―浜松間に快速が運転されていたそうですが、あまり長続きはしなかったようです。
ということで、もし東海道本線静岡地区に快速を走らせるとすれば、というテーマで妄想を広げてみました。
まず快速運転区間は富士―浜松間とします。もちろん、その前後の熱海―富士間や浜松―豊橋間に各駅停車で延長運転するのもよいし、一部の列車は身延線や御殿場線に乗り入れるのもいいかもしれません。
停車駅は富士から西に向かって興津・清水・静岡・焼津・藤枝・島田・菊川・掛川・袋井・磐田・浜松としてみました。これは現在静岡から浜松と沼津へ向けて運転されているホームライナーの停車駅に焼津駅を追加したものです。(ただしホームライナーの富士―沼津間はノンストップ)
もちろん、時間帯により一部区間を各停化したり停車駅を追加したりした区間快速や通勤快速の運転も考えられます。
運転間隔は利用のしやすさを考慮して終日30分間隔程度がよいかと思われます。もちろん途中停車駅での普通列車との緩急接続を充実させ、普通列車の本数減の影響を最小限にとどめることと合わせて快速通過駅にも快速運転の恩恵が行き渡るように配慮することが必要でしょう。
最後に車両は313系かその後継系列の転換クロスシート車とし、編成は4両を基本に時間帯や列車によって6両や8両といった編成でも運転します。

地元の方からすれば、いろいろとご意見もあるかもしれませんが、新幹線の補完の意味からも快速は必要なのではと思いますが・・・
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

話すネタが思いつかない・・・ [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:人前で話すのは得意?苦手?

私は 苦手 派

これはもう、はっきり言って苦手です。
会議やちょっとした会合で一言発言する程度ならまだしも(それでも、場合によっては緊張であまり上手く言葉が出てこないことは多々ありますけど)、多くの人の前に立って発表やプレゼンテーション、スピーチをするなどといったことはどうしても好きになれません。
ましてや、仮に私が芸能人や作家、学者などだったとしても、講演やトークショーなどである程度の時間話し続けることなど、かなり無謀かもしれません。(幸か不幸か、今のところそう言った機械が訪れる見込みはありませんが)

今まで、大きな発表やプレゼンテーションの機会はあまりありませんでしたが、会社などでのいわゆる「3分間スピーチ」には毎回悩まされました。
新卒で就職した会社では、多くの部署で朝礼の際に3分間スピーチを行っていました。私の配属された部署でも毎朝スピーチタイムがあり、部長から平社員まで、ほぼ隔週に1回の割合で順番にスピーチ担当が回ってきます。
そこで話す内容は、その日のニュースについてや、最近読んで感銘を受けた本の紹介、プライベートや趣味の話など、人それぞれバラエティーに富んでいて楽しかったですが、いざ自分で何を話すかを考えようとしても、これといったいいネタが浮かびません。
結局、いつも昔のエピソードや趣味の鉄道などの話をどうにかこうにか絞り出してスピーチをやり過ごしましたが、緊張と話のまとめ方が下手なことも相まって、そこそこ満足のいくスピーチができたことはほとんどなかったと記憶しています。
その後転職した会社では朝礼時のスピーチはなく、たまに部内会議で最近の自分の業務内容や業務上の課題などを発表することはあったものの、前の会社ほどの負担を感じる場面はありませんでした。
しかし視覚障害者になった後、国立障害者リハビリテーションセンターでの自立訓練を修了し同じ敷地にある国立職業リハビリテーションセンターに進んだ時、再び3分間スピーチに悩まされることになりました。
職業リハビリテーションセンターの職業訓練は、終了後の企業などの事業所での再就職を目指したものなので、訓練の内容もそれを意識したものになっており、毎朝の訓練開始前の朝礼でも連絡事項の伝達とともに訓練生が順番に担当する3分間スピーチの時間が設けられていました。
私の受講していたパソコン訓練のコースの訓練生は、修了や入所などで随時入れ替えはあるもののおおむね常時30名近くいたので、訓練のない土日・祝日も考えるとスピーチの順番が回ってくるのは1か月半に一回のペースになり、以前の会社ほど回数は多くないものの、やはりこの時も話すネタには困ってしまい、結局毎回私にとっては比較的お手軽な鉄道がらみの話でお茶を濁すことになってしまいました。本当なら鉄道ネタに安易に頼らず、幅広くネタを選んでスピーチをまとめたかったのですが、やはりこの時も人前で話す技術の未熟さを露呈するばかりの状態になってしまったのは悔やまれます。

今務めている会社では在宅勤務ということもあり、今私が所属している部署では朝礼やスピーチもなく、skypeの通話機能を使ってミーティングを行う時にもある程度の時間一人でしゃべり続けなければならない場面はほぼありません。
しかし、今後のことを考えると、また何らかの形でまとまった「一人しゃべり」をする場面が訪れないとも限りません。そういった時に、今度こそ少しでも自信をもって話すことができるように、その場や時に応じた最適な話題を選び、一定時間聞き手を飽きさせないようなトークの技術を身につけたいという気持ちはありますが、さてどこまで買われるやら・・・
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:仕事

レインボーブリッジを眺めて [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:好きな絶景スポット

私が大学を卒業し、新卒で入社した会社の本社は、東京都港区の竹芝というところにありました。
この竹芝は、伊豆諸島へのフェリーや高速船、夏の東京湾納涼船などが発着する竹芝桟橋のあるところです。
私は、竹芝桟橋の存在はもちろん知ってはいたものの、正直この会社への就職活動で初めて訪れるまで、竹芝桟橋の周辺がどんなところかのイメージが湧きませんでした。
実際にJRでの竹芝桟橋への最寄り駅でもある浜松町駅を出て海の方へ歩いていくと、25年ほど前はまだそれほど大きな再開発は行われておらず、同じエリアでも世界貿易センタービルや地下鉄大門駅の周辺と比べ、飲食店もほとんどなく静かな印象でした。
しかし、竹芝桟橋のすぐ近くになると急に高層ビルや新交通ゆりかもめの高架が現れ、未来的な光景が広がるようになります。
そしてその時見えた高層ビルに入居している会社に、私が就職したというわけです。
入社してから会社の先輩に話を聞くと、竹芝桟橋付近はバブル期に東京湾岸や臨海副都心の開発が脚光を浴び、「東京ベイエリア」などと呼ばれるようになった頃に再開発されたようで、私の入社した会社も入るビルと1階に竹芝桟橋の旅客ターミナルを組み込んだもう一つのビルトのツインビル構造の再開発ビルも、その一環でできたようです。
その2つのビルの間には、それぞれのビルを結ぶペデストリアンデッキと、海側に公園のようなスペースが設けられています。ここには目の前の東京湾やお台場へとつながるレインボーブリッジ、そしてそのお台場に建つフジテレビの局舎などを眺めることのできるベンチが多数設けられています。
こういった絶景スポットだからか、公園内で海をバックにしてモデルさん(?)がグラビアや映像の撮影をしている場面に遭遇したことは何度もありましたし、私には全く縁はありませんでしたがデートスポットとしても人気のスポットのようです。
私は、ここを会社の昼休みに、ほぼ毎日訪れていました。会社のデスクで昼食を食べるより、オープンエアで居心地の良い空間だということもありますが、やはり景色のよさは最高でした。ここで食べるのは主に近くのコンビニで買った弁当やパンでしたが、やはりいい景色の中で食べると何となくおいしく感じられたものです。
時にはビジネスバッグにオペラグラスを忍ばせて出勤し、昼食時にそれを持って公園へ行くなどということをしたこともあります。
結局、新卒で入社したこの会社はいろいろと思うところもあって7年ほどで退社したため、東京湾やレインボーブリッジなどの景観を身近なものに感じる日々は終わりましたが、今もあの頃感じた海風のさわやかさと景色の美しさはよい思い出になっています。
退社してから竹芝桟橋のあたりに行くこともほとんどなくなり、今の状況がどうなっているのかはわかりません。あの頃私が毎日通勤で利用していた浜松町駅の周辺も、ここ15年くらいの間に大規模な再開発が行われ、街並みも大きく変わったはずです。
今の私はあの絶景を再び目にすることはもうかないませんが、暑さが一段落したらまたあの公園へ久しぶりに行ってみたいと思っています。
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

文章力がないもんで・・・ [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:夏休みの宿題、一番大変だったのはどれ?

私は読書感想文 派

そういえば、小・中・高校生の夏休みもそろそろ終盤に入るんですよね。
自分の学生時代がもう遠い昔のことになりつつある上に、子供もいないのでこのあたりの季節の流れに鈍感になってしまっている今日この頃。。。
特に小中学生の頃は今くらいの時期になると、まだ片付いていない宿題が重くのしかかりつつある時期でしたっけ。

夏休みの宿題の中でも、「夏休みの友」(どこが?)という名前のドリルや漢字練習帳のようなものは正直それほど苦痛ではありませんでした。
でも、問題は自由研究や図画工作などその他の宿題。
とにかくそれらがついつい後回しになり、夏休み終盤になって慌てて片付けるということを毎年繰り返していました。

例えば絵日記は、「今日はこれ」と言えるトピックがある日はいいけれど、全くネタのない日は正直書くのが面倒でしたし、絵も下手なのでそれも嫌でした。
図画工作も、もともと絵も下手で手先も不器用なので、父親にかなりの部分手伝ってもらってどうにか提出したという状態でした。
自由研究も、テーマがなかなか決まらず、テーマを決めて研究(と言えるほどのものは作れなかった記憶がありますが)を始めてもなかなか満足のいく仕上がりとはなりませんでした。

そして夏休みの宿題の中で一番やりたくなかったのが、読書感想文。
普段から文章力のなさのために作文が苦手な上に、課題図書を読んでも正直これといった感想を持てなかった本もあり、その中で制限時数にある程度近いボリュームで感想文を書くためにどうすればよいか、かなり悩みました。
さすがにあとがきを丸写しにして・・・などといったことはしませんでしたが、書いてみたら字数の半分以上が本のあらすじを要約しただけ、ということもよくありました。
そんな状況なので、読書感想文コンクールで高い評価を受けた人の感想文を読むと、同じ本を読んでも自分とはこうも違うのかと痛感し、感動のポイントや感想を的確に文章にできる能力が自分にもほしいと、本気で思ったものです。

今の小中学生の夏休みの宿題事情がどうなっているのかわかりませんが、毎年の宿題が昔と同じような内容だとしたら、私たちが子供の頃とは夏休みの過ごし方も変化しているであろうことを考えると、もう少し整理しても良いのかもしれません。
夏休みドリルのようなものはそのままとしても、その他の自由研究や読書感想文などは、生徒それぞれが自分の得意なものを夏休みに入る前に選択し、夏休みが終わったら選択した宿題の成果をクラス全員の前で発表し質疑応答も受ける、というようなスタイルにしてはどうかとも思います。
自分の選んだテーマや内容に集中することで宿題自体の完成度も高くなるだろうし、人前で発表したり質問に答えたりすることで、プレゼンの能力や他人に分かりやすく物事を伝える技術なども磨けてそれなりの収穫はありそうな気がしますが・・・

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

電車の色に一喜一憂した時代 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:「昔の夏って、こんな感じだったよな」という思いで、ある?

以前記事にも下、先日の友人との船橋法典&流山へのプチ旅で久しぶりに強く実感したこと。
それは、暑い日の冷房や冷たい食べ物・飲み物がいかにありがたいものであるかということ。
普段はこれらのものに対して特別なありがたみを意識することもないけれど、あの日の、特に流山の暑さを肌で感じた後の流山線社内の冷房と、幸谷・新松戸駅近くのコメダ珈琲のかき氷には、本当に救われたような気持になりました。
こんな気持ちになったのは、おそらくは小中学生時代の時以来かもしれません。

あの頃(約30~40年前)は、今よりも冷房が効いているとか、冷たい食べ物・飲み物が食べられる(飲める)ことへのありがたみを感じる場面が多かった気がします。
暑い外で歩いたり自転車に乗ったりした後、冷房がキンキンに効いた店や図書館などに入るとほっとするものを感じたし、かき氷やアイス、サイダーや冷水器の水などを飲むと生き返ったような気分さえ感じることがありました。

そして、ごく一部の地域を除いては今や冷房があることが当たり前の鉄道車両も、あの頃は本線格の路線でも非冷房車が普通に走り、毎年5~6月になるとテレビのニュースや新聞で国電各線や大手私鉄各社の冷房化率が発表されるのが年中行事になっていました。
そんな時代は、電車に乗る時も乗る電車が冷房車であるかどうかは重要でした。
もちろん、私の自宅付近を走る西武線でもその状況は同じでしたが、西武の場合はやって来た電車の色を見て一喜一憂するという状況が、1980年代中盤頃までありました。
それは、冷房車が特急用の5000系を別にすれば、すべて現在も西武の電車のイメージカラーとして定着している黄色塗装だったからで、暑い日に遠くから乗ろうとする電車が見えてきた時に黄色い車体が見えると喜んだものでした。
ただし、実は黄色い車両がすべて冷房車だったわけではなく、一部に非冷房車も含まれていました。
それは、今からちょうど50年前に登場した西武101系初期車(旧101系)で、新製冷房車や冷房改造車はあったものの、非冷房車がすべて冷房改造されたのは1980年代中盤頃だったと思います。
せっかく黄色い電車がやって来たと思っても、その101系非冷房車に当たった時は、やはりがっかりした思い出もあります。

ところで、その西武101系に関する記事が先日ネットに出ていました。

西武101系、走り続ける「黄色い電車」の元祖 (東洋経済オンライン)
https://toyokeizai.net/articles/-/296862

40数年前に西武池袋線沿線に引っ越して西武との付き合いが始まった私にとって、当時すでに池袋線の主力車両になりつつあった101系は馴染みのある車両で、特に運転室後部の座席に座って前面展望を楽しむことのできる旧101系は好きでした。
その101系が、若手の車両検修係員にとって、車両メンテナンスのポイントを覚えるのに適した車両であるというのは、車両検修のベテランの方ならではの視点だと思います。私は車両のメカに関することは正直門外漢ですが、やはり機器の状態が五感で分かるというのは技術の継承という点でも貴重な存在なんでしょうね。

そういえば、あの日乗った流鉄の車両も元西武新101系でした。流鉄の元新101系は塗装以外は西武時代の姿をよくとどめているので、30数年ぶりに冷房の効いた新101系の車内でホッと一息つく、子供の頃の体験を思い出すこともできました。
あ8月3日は、改めて、冷房や冷たいもののありがたさを見直した一日でした。
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

憧れはいつも持っていたい [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:ギター弾きたいって思ったことある?

私はある派

そりゃあ男女を問わずギターが弾けることって、何だかそれだけでカッコいいイメージがありますからね。
憧れもあるし、自分でもカッコよくギターを操れたらどんなに気分がいいか、想像するだけでやはりいいものですね。

私は、はっきり言って音楽的な才能やセンスは限りなくゼロに近いです。
歌っても音痴だし、楽器もほとんどまともに演奏できるものはありません。
楽譜もほとんど読めないので、学生時代の音楽のテストは実技にしてもペーパーテストにしてもかなりの苦痛でした。
そんな私でも、ギターが弾けるということは素直にかっこよいと思うし、自分もなれるものならそうなりたいという憧れはずっとあります。

私のギター経験は高校の音楽の授業でほんの「さわり」程度まで習っただけで、しかもほとんど「弾ける」というレベルにも達しない状態で終わってしまいました。
当然というか、音楽のテストでもギターの実技試験には大苦戦し、(お情けの)合格をもらうにも相当苦労しました。
それでも、学校の備品とはいえギターを手にしているというのはこんなに気分がいいものかというのを実感することはできました。

おそらくもうギターを手にする機会は訪れないかもしれないけれど、ギターをカッコよく引きたいという憧れはいつも持っていたいと思います。
タグ:音楽 ギター
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

何事も「ほどほど」が一番 [日々のあれこれ&つぶやき]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:休みをもらえるなら何日ほしい?

もちろん、日々仕事や勉強、その他様々な用事に追われている中で休みがもらえるのは嬉しいしありがたいことではあるけれど、あまりに休みが長すぎると、贅沢なものでかえってその休みの過ごし方をいかにすべきか悩んでしまいます。
いくら休みが多いからといって遊び呆けてばかりもいられないし、かといって家に引きこもってばかりでは何とも時間を無駄にしている罪悪感があるし、何より退屈でしかたがありません。
そしてダラケた生活が身についてしまい、休みが明けてもなかなか通常の生活に戻れなくなりそうな気がします。
ある程度まとめて休みをもらうなら月~金曜を通しで休み、前後の土日と合わせて実質9連休にするというのが定番ですけど、そのうちの数日はどこかへ出かけるというのならその方がありがたいけれど、ほとんど出かけることもなく過ごすということになった場合はやはり長すぎる気もします。
やはり、休みの長さも「ほどほど」が一番ということになりますね。

昨日で会社の夏休みと前後の土日、昨日の振り替休日を含めた10連休が終わり、今日から仕事復帰です。
今回の休みほど、ここまで書いてきたことを実感した休みというのも初めてだったかもしれません。
結局今回の10連休でまともにどこかへ出かけたのは、先日も記事にした3日の友人との食事&流鉄流山線の乗り鉄と、9日の通院くらいで、その他に1~2日ほどどこかへ乗り鉄にでも行こうと思っていたにもかかわらず、酷暑に負けて冷房の効いた部屋ですることもなくゴロゴロ、ダラダラする毎日に終わってしまいました。
まあ、今日から仕事だといっても、在宅勤務なので自宅にいることには変わりはないんですが、やはりこんなもったいない大型連休を過ごしてしまうと「この時間にはこれをする」というのがきちんとある生活というのは、生活にメリハリやリズムが生まれていいものだという気がしてきます。
やっぱり、これをきっかけに休日の過ごし方というのも見直した方がいいんでしょうね。

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

地味だけど魅力的な街 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:田舎、下町、大都会、どれが好き?

私は下町派

田舎も大都会も嫌いではないし、それぞれ惹かれるポイントもあります。
でも、田舎の場合は車がないと日常生活が成り立たないような状況では、もともと自動車免許を持っていない上に視覚障害のある者にとっては生活する上でかなりの困難が予想されますし、大都会は交通の便は抜群でも、騒がしい繁華街や生活感が薄いビジネス街などでの生活は個人的にはいまひとつ好きになれません。
そう考えると、私が住むとすれば田舎のゆったり感や人情と都会の便利さがうまい具合にニックスされた下町がベストといえるかもしれません。
もっと正確に言えば、東京の下町ほど粋でいなせでなくても、最寄駅は普通電車しか止まらない小さな駅ながら、駅前にはこのご時世でも頑張っている商店街があり、人と人とのつながりがちょうどよい密度の、地味ながらその街で長く生活したくなる街が理想です。
生まれ故郷の街だからというわけではないけれど、このブログで何度も取り上げた京急雑色(ぞうしき)駅周辺などはまさに私の理想に近い街の一つです。

そういえば、先日ネットニュースにこんな記事が出ていました。

東長崎、江古田…西武線"地味な駅"にある風情 (東洋経済オンライン)
https://toyokeizai.net/articles/-/294477

この記事を読んで思い出してみると、私はもうかれこれ40数年西武池袋線をいろいろな目的や区間で利用してはいるものの、記事で取り上げられている椎名町・東長崎・江古田・桜台のうち、駅に降り立って街を歩いたことがあるのは東長崎駅だけで、しかも確か40年弱前の1回きりだったと記憶しています。
小学4年生くらいだったと思いますが、ある日曜日に友達と当時高田馬場駅からほど近いところにあった、鉄道模型メーカーのKATO(関水金属)のショールームを見に行った帰り、友達が東長崎にいる彼のおばあちゃんの家に寄るというので、何となくついて行ったのが東長崎を歩いた唯一の経験です。
その頃の東長崎駅は、優等列車待避のための設備のない(当時、待避設備は隣の江古田駅にありました)島式ホーム1面2線の駅でした。
当時東長崎の駅前がどんな様子だったかの記憶はほとんどありませんが、おそらく今とそれほど大きくは変わらない、駅前の商店街と住宅地という街並みだったのではないでしょうか。ただ、たまたま私が行った日は激しい雨が降っていて、商店街もあまり賑わってはいなかったような記憶があります。
普段はただ通り過ぎるだけの小さな駅も、たまにゆっくり歩いてみると、結構安価で気軽な街歩きができる場所としていいかもしれませんね。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

こんなことってあるの? [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんにちは、gonanaです。
先日、私の所属している視覚障害者団体のメーリングリストに、以下のような投稿がありました。
投稿者の方によると、最近その方の自宅の近くで道路工事があり、大型トラックが道をふさいでいたため、作業中の人に誘導をお願いしたところ「白杖の意味を全く知らなかった」という人に3回ほど連続して遭遇したそうです。
その方は、白杖を見せても作業員が「この色に何か意味があるのですか」と言われたことで、大変ショックを受けたそうです。
私がこの投稿を読んだ時は、そんな人もいるのかと少なからず驚きましたが、その後同じメーリングリストに別の方から、他にも自分が視覚障害者であると正しく認識してもらえなかった体験についての事例の投稿がありました。
その方によると、例えばタクシーに乗った時運転手さんから「あっ、目が不自由なんですね。私はてっきり足が不自由かと想いました」と言われたり、駅では窓口で介助を頼んだら「しばらくお待ちください」と言われてかなり待たされた挙句、駅員さんが車いすを持って現れ、その方が視覚障害者であるが足には何の問題もないと説明してやっと視覚障害者と認識してもらえたなどといった体験をされたそうです。
また、「白杖SOS」という、何か困った時に白杖を高く上げて助けを求めるというポーズがあるのですが(これについてはいつか機会を見つけて改めて書きたいと思います)、その投稿者の方が以前デパートのインフォメーションの場所がわからず、白杖を上げたものの反応がなく、それならと白杖を上げながらくるくる回していたら、インフォメーションの人が来て「あぶないからやめてください」と中尉を受けたため、その方が事情を話したところやっと視覚障害者であることに気付き対応してくれたということもあったそうです。

私はそれまで、世間の人々は白杖を持った人は程度の差こそあれ視覚に何らかの障害を持った人であるという認識をしているものと思っていましたし、自分自身が視覚障害者になる前の私もおおむねそのような認識でした。
そして、そういった認識を持つようになったのは誰かにそう教えられたのではなく「なんとなく、いつの間にか」だったと思います。
今回、先ほども書いたような事例を知り、私のそういった認識が通用しない場面があることに大変驚きましたが、これも私も含めて障害者についての正確な知識やコミュニケーションのしかたについてのノウハウがまだまだ不足していることの表れなのかもしれません。
今後は、多くの人に様々な障害や障害者に対する正しい知識を知ってもらうことはもちろん、私も含め障害を持つ人々自身が積極的に情報を発信していくことがますます重要になっていくのではないでしょうか。
私も、将来的には視覚だけでなく様々な障害者自身が幅広く情報発信を行えるような場で仕事ができるようになれたらという希望を持っていますし、このブログも何らかの形でその小さな足掛かりにでもできたらと思っています。
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

今こそこんな番組やってほしい! [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:復活して欲しい番組

もともと復活してほしかったりもう一度当時の放送を見てみたい番組は数多くて、このお題の答えは一つに絞り切れなかったですが、こうしてそのような番組のことを記事に書いていると、後から後から取り上げたい番組が出てきてきりがなくなってしまいます(笑)

今回は、子供の頃の私がほぼ毎日見ていたお気に入りの番組のことについて書きたいと思います。
その番組は、NETテレビ(現在のテレビ朝日)で月~土曜日の朝に放送されていた「みどりの窓口」という番組です。
この番組のスポンサーは当時の国鉄で、タイトルも国鉄時代なら全国のほぼすべての主要駅にあった長距離切符や指定券類などの発売窓口「みどりの窓口」が由来です。
国鉄がスポンサーになっているだけあって、この番組の内容は国鉄のPR番組の要素が濃いものでした。
私が見ていた時期は番組構成は、月~金曜日と土曜日で少し異なっていました。
月~金曜日は朝7時15分からの15分間の生放送でした。
まずは朝の生放送らしく(?)、番組冒頭に東京周辺の国電(山手線など)や中距離電車(東海道線など)、それに新幹線の7時現在の運行情報を伝えていました。これは当時首都圏一円の国鉄列車の運行管理を統括していた国鉄首都圏本部と電話をつないで運行情報を伝えてもらうスタイルで、おそらく今でもNHKの「おはよう日本」でこれが引き継がれているのではないかと思います。
その後、新幹線・ブルートレイン・特急列車の放送当日を含め5日間の指定券の空席情報に移ります。
紹介の順番を記憶している限りで書くと、
①新幹線(基本的に東京発毎時00分発の博多行「ひかり」のみ)
②東京発のブルートレイン(急行「銀河」も含む)
③東京発伊豆方面への特急「あまぎ」(急行「伊豆」も含まれていたかも)
④東京発の房総方面特急
⑤新宿からの中央線「あずさ」
⑥上野からの東北方面特急(昼行・夜行の順)
⑦同じく上野からの常磐線「ひたち」
⑧同じく上野からの上信越方面特急(昼行・夜行の順)
と、こんな感じだったと思います。
その後は特集コーナーという感じで、内容は日替わりになっていました。
毎回一つの駅を取り上げてその駅の様子や周辺の名所の紹介をする日もあれば、これも毎回一つの特急列車を取り上げ、走行風景や車内の様子などを紹介する日もありましたし、放送日現在で実施中の観光キャンペーン(現在のディスティネーションキャンペーンに当たるもの)に合わせてその地域の観光名所を紹介することもありました。(このコーナーで放送される映像は当時神田にあった交通博物館のホールでも上映されることがありました)
番組の最後は国鉄からのお知らせ(新しい割引きっぷや観光キャンペーンの告知など)コーナーで終わるという内容でした。
土曜日は朝6時45ふんから15分間の録画放送で、週替わりで観光キャンペーンと連動した企画から国鉄の経営問題まで、硬軟取り混ぜて国鉄のいろいろな最新情報を伝えていました。
今でこそ、鉄道で行く旅や鉄道そのものを楽しく紹介するテレビ番組もよく放送されるようになりましたが、当時はそのような番組もほとんどなかったので、幼稚園児ぐらいになってすっかり鉄道好きになった私は毎日夢中でこの番組を見ていました。
この番組と「ママと遊ぼう!ピンポンパン」「ひらけ!ポンキッキ」の3つの番組を見ることは、幼稚園時代の私にとって朝のルーティーンになりました。「ピンポンパン」と「ポンキッキ」は小学生になるとさすがに卒業しましたが、「みどりの窓口」はその後も毎日登校前に見るのが楽しみでした。
「みどりの窓口」はその後、1985年に番組内容はほぼそのままで放送局がテレビ朝日からテレビ東京に変わり、タイトルも「レール7(セブン)」に変わり、JR移行後はJR東日本がスポンサーになるなどの変遷はありましたが、私が高校を卒業する頃までは放送されていた記憶があります。
今は「みどりの窓口」のような番組も見かけませんし、そもそも番組タイトルの由来にもなった「みどりの窓口」も消えゆく存在になっていますが、いろいろな意味で鉄道の注目度が昔より格段に上がっている今こそ、JR貨物も含めた各JRの曜日替わりでの全国向けPR番組という新たな形で復活してほしい番組だと思っていますし、それ以外の私鉄や第三セクター鉄道のPR番組というのも是非見てみたいものです。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:テレビ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。