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これ、いろいろ発展しそう [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
ここ数年の鉄道イベントといえば、結構高額の参加費の支払いが必要な事前応募性の撮影会や、職場体験も兼ねた親子向けのイベントが多くを占めるようになっていますが、そのような中でJR東日本がこんなちょっと変わったイベントを開催するそうです。
それがどんなイベントなのかは、下記のリンクからご覧ください。

JR東日本が“珍イベント”開催「車両の撮影会じゃありません」 驚きの内容とは | 乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/127455

これはありそうでなかった、新しいタイプの鉄道イベントかもしれません。
特定の車両(形式)について、開発や運転、検修などに携わった関係者がその裏話などを講演会やトークショーなどで話すことは以前からありましたが、鉄道ファンもただ話を聞くだけでなく双方向でその車両の魅力や思い出を語り合えるというのは画期的だと思います。
今回はテーマが武蔵野線205系となっていますが、路線や会社、形式を買えるだけでテーマとなる車両のネタは尽きないし、車両だけでなく特定の路線や会社、列車、駅などに的を絞って熱く語り合えるイベントにできるので、もしかするとこの手のイベントは今後の鉄道イベントのトレンドになるかもしれません。
では私がこのようなイベントに参加するとしたら、どんな形式について熱く語り合いたいかといえば…
いやあ、とても一つに絞り切れるものではないですね。
とにかく、今回のイベントぐらいの金額で参加できるイベントが今後も開かれるなら、私も機会があれば参加したいです。
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趣味があると人はやっぱり強い! [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:あなたにとっての「居場所」は?

物理的に言えば、やっぱり自分の部屋に勝るものはありません。
自分だけがいる空間で、必要以上に他人に気を遣うことなく過ごせるのは精神的にもとても楽で落ち着きます。
そして、精神的に自分の「居場所」と思えるのが、好きなことに没頭している時間です。
鉄道趣味全般を楽しんだり、テレビやラジオを見聞きしたり、好きなうまいものを食べたり…
学校で嫌なことや不満に思うことがあったり、社会人になって会社での自分の仕事に何となくもやもやしたりした時も、学校や会社を離れればそれらを忘れて趣味や好きなことに没頭できる時間を持てたことで、悩みや不満などに押しつぶされずにメンタルを穏やかに保てたと思っています。
さらに突然視覚障害者となってそれまでの生活が一変した時にショックを引きずりすぎず、早めに前向きに今後のことを考えられるフェーズに映れたのも、好きなことに時間を使うことでいい意味のガス抜きができたからだと思います。
やはり、どんな状況にあっても、趣味や好きなことを(できれば複数)持っている人は精神的にかなり強い人間になれるような気がしますね。
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ほぼ親の作品に [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:夏休みの宿題、親や兄弟に手伝ってもらったことある?

そういえば、夏休みの宿題、ほぼ毎年親に手伝ってもらってました。
「夏休みの友」のようなドリルや読書感想文などは自力でやっていましたが、最終的にはいろいろと親に手伝ってもらうものが多かったです。
特に絵を描いたり何かを作ったりが含まれる宿題はかなりの部分親に手伝ってもらっていました。
絵も下手だし、手先も不器用なので工作などもついつい後回しにしがちで、8月後半になってもほとんど手をつけていないこともよくありました。
そんな状況を見かねた父親が、私の描いた絵を修正してくれたり、作りかけの工作を仕上げてくれたりするのがほぼ毎年のことでした。
父親は絵の才能はそれほどでもなかったようですが、それでも何とかみられるようには仕上げてくれましたし、工作の方も私と違って手先が器用なのでしっかりと完成させてくれていました。
また小学5~6年の時の家庭科の宿題で裁縫の課題が出た時には、母親にかなりの部分をお願いしてしまいました。
結局、絵画や工作などの宿題で作るものは、私が作ったというよりほぼ親の作品のようになっていました。幸いというのかどうか、それらの作品が何かの賞に選ばれたりすることはなかったので、親に手伝ってもらったことはほぼ知られずに済んだと思っています。
まあ、普段の図工の授業での私の作品を見ている先生には、その辺はお見通しだったかもしれませんが…

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嫌いじゃないんだけど [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:カラオケ、好き?

カラオケ、嫌いじゃないです。
私の初めてのカラオケ体験は、小学3~4年生の頃、当時南浦和駅近くで居酒屋を経営していた親戚を母親と尋ねた時、お店の(たぶん)8トラックのカラオケマシンで1~2曲ぐらい歌わせてもらった時でした。(どんな曲を歌ったかは思い出せませんが)
この時にどうやら私はカラオケの楽しさに気付いたようで、その後は学校の社会科見学やバス旅行などで貸し切りバスのカラオケのマイクを使えるチャンスがあるとよくマイクを回してもらって歌を歌ったりしていました。
しかし、私は歌があまり上手くなく、いつだったか自分の歌声を録音したものを聞いた時にはあまりの下手さにショックを受けてしまいました。
それ以来、小学生の時のようにカラオケを無邪気に楽しむことが難しくなってしまいました。
それでも、カラオケボックスでみんなと一緒に盛り上がるのは好きなので、申し訳程度に2曲ぐらい歌ってあとは盛り上げ要員に徹するというようなことはしていました。
ただ、大学に入ってからは遠距離通学のため、サークルなどの飲み会の二次会でカラオケがあっても、自宅へ帰る終電との関係で参加できないことも多く、社会人になった後も部署の飲み会は一次会だけで帰ることが多く、だんだんとカラオケから足が遠のいていき、最後にカラオケで歌ったのはおそらく20年近く前のことだった記憶があります。
最初に書いた通りカラオケ自体は嫌いではないので、歌の上手い下手はとりあえず置いておいてとにかく楽しく歌うことが第一ということでなら参加したい気持ちもありますが、もう20年近くカラオケボックスなどへ行っていないので、あの頃とはすっかり変わったというカラオケのシステムについていけるかどうか不安ではあります。
そんな中、先日の視覚障害者サークルのバーベキューの際にガイドヘルパーをしてくださった方を中心に、障害の有無に関係なく歌でつながる新しいサークルを立ち上げる計画を進めているという話を聞きました。
私はまだそのサークルに参加するかどうかわかりませんが、そこで新たな人とのつながりが作れるのならいいなと思っています。
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まさかここからも消えるとは… [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
先日、東海道新幹線でのワゴンでの車内販売が、10月31日をもって終了するという衝撃的なニュースがありました。
ここ数年、新幹線や在来線特急での車内販売の廃止・縮小が相次いでいたものの、利用客も多く「シンカンセンスゴイカタイアイス」という人気商品もあり、コーヒーや弁当などでキャンペーンも行ったりと、廃止・縮小の流れの中でなかなか健闘しているイメージがあった東海道新幹線の車内販売がまさか消える日がやって子用とは夢にも思わず、個人的にはかなりショックです。
廃止の主な理由は他の路線や列車と同じような「利用客の減少」「要員確保の問題」というもののようですが、個人的には現在のような状況になる前に何か打てる手はなかったのかと思ってしまったりもします。
今後はグリーン車で飲みモバイルオーダーサービスを行ったり、駅ホームの自販機の台数やラインナップを充実させてコーヒーや「スゴイカタイアイス」なども販売するそうですが、コーヒーにしてもアイスにしても車内で買ってそのまま席で食べる(飲む)のとホームで買ってしばらく車外で持ち歩いてから食べる(飲む)のとでは、特にホットコーヒーやアイスなどでは味にも大きな差が出るわけで、このあたりのフォローをどうするのか気になるところです。
「弁当だの飲み物だの酒なんて、そんなもの列車に乗る前に買って置けばよいではないか」と考える人もいるでしょうが、その時間的余裕のない状態で列車に乗らなければならない時などには車内販売があるということの安心感は大きいですし、(私はあまり経験はないですが)一仕事終えた帰りの新幹線や特急で車内販売から買った缶ビールで一杯やるのが無上の楽しみという人も多いことでしょう。それを考えると、また一つ列車旅のゆとりや楽しさが合理化や時代の流れという名のもとに失われることになるわけで、非常に寂しい気持ちになります。

私にも、車内販売の思い出はいろいろあります。
家族旅行で乗った東北本線・磐越西線の急行「ばんだい」で親にアイスクリームを買ってもらった話や、ブルートレイン「富士はやぶさ」でこの列車限定の幕の内弁当やホットコーヒーを車内販売から買って楽しんだことなどは過去にも記事にしましたが、その他にもさまざまな列車で車内販売を利用した思い出があります。
弁当やサンドイッチ、お菓子、飲み物だけでなく、列車内限定販売のオレンジカードやキーホルダーなどの記念グッズなど、車内販売のワゴンから買ったものをいろいろ思い出してみると懐かしい気分になってきます。

10月末で東海道新幹線での車内販売(ワゴン販売)がなくなるとはいっても、列車内での車内販売そのものが全滅するわけではありませんが、将来的には食堂車やビュッフェなどのように、「昔の列車にはこんなサービスがあった」というような昔話のネタに車内販売がなる日もやって来るのかもしれません。
私としては、10月末までにチャンスを見つけて東海道新幹線に「車内販売を利用するために」乗りに行こうかなどと考えています。そしてその時にはあの「シンカンセンスゴイカタイアイス」をぜひ車内で味わいたいなと思っています。
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こんなフェイクなら楽しい! [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
昨年イーロン・マスク氏がCEOになってからというもの、矢継ぎ早に様々な激変が起こっているTwitter。
その果てにその名称もTwitterから「X」に変わり、アイコンもそれまでの「青い鳥」から黒地に白文字の「X」に変わったとか。Twitterに関しては、ほんの一時だけ軽くかじった程度の私ですが、あまりにも短い間にいろいろなことが大きく変わるので、もう何が何やらよくわからない状態です。
そんな中、この「X」への名称とアイコンの変更で「お役御免」になった「青い鳥」に惜しむ声が多数寄せられているとか。
私はこの「青い鳥」、正直どんなアイコンだったか思い出せませんが、これだけ惜しむ声が多いということはかなりの人に親しまれたキャラクターでもあったのでしょう。
そんな中で、何とJR西日本の公式アカウントが、この「青い鳥」に関するツイート(今後は「ポスト」と呼ぶらしいですが)をしたのですが…
詳細は下記のリンクからどうぞ。

JR西日本がTwitter惜別列車!?ヘッドマークに「ありがとう青い鳥」 「JR公式やんけ!」「いつどこを走るのか」|まいどなニュース
https://maidonanews.jp/article/14975385

いやあ、JRの公式アカウントがこんなフェイク画像をツイートするとは驚きですが、こんな楽しい「遊び」なら多くの人が楽しめるものでしょう。
残念ながら私はその画像や動画を見ることはできないけれど、頭の中で想像しただけでも国鉄型車両好きには楽しくなってきます。
それにしても、「青い鳥」という名の特急列車、本当に日本のどこかで走っていそうですね。
現実には「青い鳥」という愛称の列車は国鉄・JRでは少なくとも定期列車としては走った実績はありませんが、もしかしたら画像を見て「この列車見た(乗った)ことがあるかも」なんて思ってしまう人もいるんでしょうね。
この画像の元画像は現在岡山ー出雲市間の特急「やくも」で運用されている381系国鉄色リバイバル編成ですが、JR西日本さんもこれだけ反響があるのなら、「嘘から出た実」でもないけれどこの編成を使ってリアル「ありがとう青い鳥」号を運転したりすれば、なかなかの話題になりそうな気がしますが、どうですかね?
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4年ぶりのバーベキュー [視覚障碍者としてのあれこれ]

おはようございます。gonanaです。
一昨日、私の所属する視覚障碍者サークルのバーベキュー大会に参加してきました。
このバーベキューは、コロナ禍前は毎年恒例のサークルの夏のイベントでしたが、ご多分に漏れずコロナ禍が始まって以来中止を余儀なくされ、今年4年ぶりの開催となりました。
当日は11時頃に西武池袋線東吾野駅に集合。ここからバーベキュー会場となるキャンプ場へ向かいました。
以前は東吾野駅から車で6~7分の所にあるキャンプ場までマイクロバスによる送迎がありましたが、4年間の間にそれはなくなったようで、代わりにキャンプ場の車で希望者をピストン輸送で送迎してくださることになりました。
ただ私と同行のヘルパーさんも含め送迎希望者が多かったため酷暑の中で順番を待たされる懸念がありましたが、幸いほとんど待たされることなくキャンプ場へ向かうことができました。
さて、キャンプ場に全参加者が揃い、晴眼者の人を中心にバーベキューの準備が始まりました。
そしてひととおり準備ができたところで、参加者全員で自己紹介をしてバーベキューがスタート。
あとは肉や野菜、フランクフルト、やきそばなどを焼きながら、昼間からビールや焼酎などを飲みながら賑やかな宴が繰り広げられました。
当日の天気は前日までの曇り一時雨という予報に反して晴れ、やはりというかかなりの熱さでした。ただ、キャンプ場のすぐそばを流れる名栗川の川風が吹くと暑さも和らぎ、ほっと一息つくことができました。
私自身にとっても4年ぶりのバーベキューとなり、やはり屋外でみんなとわいわいやりながら食事をすることの楽しさを改めて実感する場になりました。来年も開催されたらまた参加したいと思っています。
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1999年夏 ブルトレ乗車の思い出 あかつき編 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
前々回の記事では、1999年の夏に九州への鉄道旅に出かけた際、九州への往路に東京ー下関間で利用した寝台特急「あさかぜ」乗車の思い出を記しましたが、今回はその鉄道旅の復路に、長崎駅から京都駅まで乗車したやはり寝台特急の「あかつき」の思い出を記したいと思います。

「あかつき」は1965年10月のダイヤ改正で初の関西と九州を結ぶブルートレインとして運転を開始しました。その後増発を重ねて一時期は他の愛称の列車との併結も含めれば最大7往復も運転されていましたが、私の乗車した1999年には京都ー長崎・佐世保間を結ぶ1往復が残るだけになっていました。
しかしその前年(1998年)10月からは、同年7月に「サンライズ出雲」に置き換えられる形で運転を終了した「出雲3・2号」に連結されていた1人用A個室寝台「シングルデラックス」、1人用(補助ベッド利用時は2人)B個室寝台「シングルツイン」、2人用B個室寝台「ツイン」が編成に組み込まれ、以前から連結されていた座席車「レガートシート」と1人用B個室寝台「ソロ」とあわせ「あかつき」43年間の運転史の中でも最も華やかな編成になっていました。

「あさかぜ」で下関駅に着き、415系電車で関門トンネルをくぐって九州に上陸。
その日から九州各地を列車でめぐりました。
九州での最終日は朝に博多駅近くのビジネスホテルを出て博多→佐賀→伊万里と乗り継ぎ、そこから第三セクター鉄道松浦鉄道で佐世保へ。
佐世保駅からは当時長崎ー佐世保間を大村線経由で結んでいた特急「シーボルト」で長崎駅へ。
その後路面電車の乗り歩きを楽しんで18時近くに長崎駅に戻ってきました。
「あかつき」の長崎駅発車が近づいたのでホームへ向かい、乗車前に編成を後方から前方に向かってひととおりホームから見学しました。
この日乗車したのは2号車の「シングルデラックス」(オロネ14 300番台)。この車両は上にも記したように前年までは「出雲3・2号」に連結されていたものです。
さっそく寝台券に指定された個室に入室。個室の内部は「あさかぜ」で乗車したオロネ25 300番台と同じで、収納式の洗面台や小テーブル、ビデオデッキつきのモニターテレビも同様に設けられていました。
19:45頃(だったと思う)に「あかつき」は長崎駅を発車。ほどなくして車内改札があり、「あさかぜ」の時と同様に個室のカードキーとシャワーカード、それにこれも「あさかぜ」でもらったものとほぼ同じ内容のアメニティーグッズのポーチが車掌さんから手渡されました。
車内改札が終わったところで長崎駅で購入した駅弁で夕食。
その後は同じ2号車にあるシャワールームでシャワーを浴びました。この車両のシャワールームもA個室利用客専用のものでしたが、「あかつき」には「レガートシート」やB寝台利用客も利用できるシャワールームがなかったので、この列車ではシャワーもA個室利用客だけの特典になっていました。
シャワーを浴びてさっぱりしたのはいいのですが、実はその間に「あかつき」は肥前山口駅(現 江北駅)に到着し、ここで佐世保駅始発の編成の併結作業が行われることをうっかり忘れていました。
個室に戻ってきた時にはちょうど肥前山口駅を出たところで、「あかつき」行程中の一つのイベントといえる併結作業を見学できなかったのは悔やまれる思い出です。
個室に戻った後はこれまた「あさかぜ」の時同様に持参のビデオを楽しみ、小倉駅到着少し前に就寝。
翌朝は姫路駅到着が近い6時少し前に起床。
西明石から複々線区間に入り、すれ違ったり追い抜いたりする列車も増え、当時完成したばかりの明石海峡大橋や須磨付近の海も見え、ほぼ真っ暗だった九州内とは打って変わった車窓を楽しむことができました。ただ、個室の窓は東海道・山陽線内では山側にあるので、これらの車窓を眺めるには通路に出るか個室の扉を開け放しておくかしかないのは難点でしたが。
そして「あかつき」は8時前に終着の京都駅に(おそらく)定刻到着。「あさかぜ」もそうでしたが比較的よく眠れ、ブルトレの旅自体も十分に楽しめた12時間の「あかつき」乗車は終わりました。

「あかつき」はその後、2000年3月のダイヤ改正で佐世保発着の編成の連結を廃止し、同時に新大阪ー都城間に運転されていたブルートレイン「彗星」との併結運転を開始、2005年10月のダイヤ改正では「彗星」が廃止されたことに伴いもう1本の関西発着の九州行ブルートレイン「なは」(新大阪ー熊本間)と併結運転されるようになりましたが、とうとう2008年3月のダイヤ改正で併結相手の「なは」ともども廃止となってしまいました。
今では関西と長崎の間も新幹線と特急の乗り継ぎで4時間ちょっとで行けるようになりましたが、博多駅と武雄温泉駅での2回の乗り換えが必要な上、それがいつ解消されることになるのかの見通しが立たない現状を考えると、もし「あかつき」が「サンライズエクスプレス」の交直両用バージョンの新型電車に置き換えられて今でも運転を継続していたら、それなりに利用客も期待できたのではないか、などと妄想するのは私だけでしょうか。
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「違う自分」になる楽しみ [いろんな思い出]

おはようございます。gonanaです。

本日のお題:演劇は好き?

演劇、好きです。
舞台やミュージカルを見に言ったりする習慣はほとんどないし、特別演劇ファンというのでもないけれど、まあまあ興味はありますね。
小中学生の頃は、いわゆる「学習発表会」でのクラス発表とか文化祭のクラスの出し物で劇をやるのは好きだったし、小学6年の時には演劇クラブに入っていたこともあります。
そんな、学校での演劇体験(そんな立派なものでもないですが)の中で、特に思い出に残っている2つの劇の思い出を書きたいと思います。

一つ目は、小学6年生の時の学習発表会でやった(確か)「テレパシーリング」という劇。
宇宙船のトラブルで地球に不時着した兄弟がたまたまであったある少年に助けてもらい、そのお礼に兄弟は少年に、物事が何でも思った通りにできる「テレパシーリング」を手渡す。
テレパシーリングをもらった少年はその後、学級委員に選ばれたり野球でホームランを連発したりして楽しい日々を送るようになるのだが…というストーリーでした。
私の役どころは少年のクラスメイトの一人で、セリフも短いものが1つか2つという端役でしたが、とにかくクラスみんなが楽しく練習や本番に取り組んでいて、学習発表会での他のクラスの生徒の反応も良く、演劇の楽しさを始めて実感できた作品だと思っています。

もう一つは、中学3年の時の文化祭のクラス発表だった「二十四の瞳」の劇です。
もちろんこれは坪井栄の小説「二十四の瞳」をもとにした脚本の劇で、事前に全編をビデオカメラで撮影しておき、当日視聴覚教室のテレビで上映するというスタイルでした。
私は島の分教場の12人の子供たちのうち、相沢仁太という男の子の役を演じました。彼はよく言えばクラスのムードメーカー、悪く言えばお調子者キャラの子で、私のふだんの性格とは真逆なキャラでした。
でもそのためか逆にあまり「役作り」をせずに芝居に臨むことができ、「いつもとは違う非日常の自分」を演じることのできる演劇の楽しみを学ぶことができました。
しかし…、無事最初から最後まで撮影も終わり、映像の編集や試写も終わっていざ文化祭当日、あろうことかビデオデッキだったかテープだったかのトラブルで上映ができないという事態が発生。結局文化祭が終わるまでにトラブルは解決できず、せっかくのみんなの晴れ舞台を他の生徒に見てもらうことはできませんでした。
そんな残念なラストにはなりましたが、私自身にとっては中学時代では数少ない楽しい思い出になりました。

中学卒業以来、出演する側としても見る側としても演劇とはあまりつながりのない生活になっていますが、今でも何かしら「いつもとは違う自分」を演じてみたいという思いはあります。
この齢になって役者として演劇に関わろうとしてもそう簡単ではないかもしれませんが、せめてその体験だけでもいつかしてみたいとは思っています。
そして生まれ変わったら本格的に演劇の世界を目指してみようかなとも思います。
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1999年夏 ブルトレ乗車の思い出 あさかぜ編 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
先日、1998年の夏に「サンライズエクスプレス」に初乗車した時の思い出を書きましたが、そこからのつながりで今回はその翌年1999年の夏に、当時発売されていた周遊きっぷ「九州ゾーン」を使って九州への鉄道旅に出かけた際に乗車したブルートレインの思い出を記したいと思います。
この旅では、まず九州へ向かう際に東京駅から下関駅まで寝台特急「あさかぜ」に乗車し、その後4日間にわたり九州内をあちこち列車でめぐり、帰りは長崎駅から京都駅までやはり寝台特急の「あかつき」に乗車しました。
この記事では、そのうち往路の「あさかぜ」乗車時の思い出を振り返ります。

「あさかぜ」は1956年11月に戦後初の夜行特急として東京ー博多間で運転開始し、2年後には車両が初めてのブルートレイン客車20系に置き換えられて後に続々登場するブルートレインの先駆けになった列車でした。
最盛期は3往復が運転されていた「あさかぜ」も、私が乗車した時にはすでに一番最後に増発された東京ー下関間の列車1往復が残るだけになっていました。
1999年8月のある日、18時半ごろに私は東京駅の「あさかぜ」発車ホームへ上がりました。
18:50近くになって品川方面からEF65に引かれた24系客車が入線し、しばらくしてドアが開きました。
私がこの時乗車したのは、3号車の1人用個室A寝台「シングルデラックス」(オロネ25 300番台)でした。さっそく寝台券に指定された部屋に入り、荷物を置いてホッと一息つきます。
個室内にはベッドの他に小さなテーブルや収納式の洗面台、VHSのビデオデッキの付いた小さなモニターテレビがあり、なかなか快適な個室でした。
「あさかぜ」は定刻の19:00に東京駅を発車し、下関駅までの15時間のブルトレ旅が始まりました。
最初の停車駅横浜が近づいたあたりで車内改札があり、この時に車掌さんから個室の施錠に使うカードキーとシャワールームの利用券(これも磁気カード)、それに小さな石鹸やタオル、歯磨き粉とカミソリの入ったポーチを受け取りました。ポーチには「あさかぜ」のヘッドマークも入り、2種類のカードともども持ち帰りOKなのでよい乗車記念品になりました。
車内改札も終わったところで東京駅そばの大丸東京店の地下食品売り場で購入した弁当で夕食。
食後少しゆっくりした後、同じ3号車にあるシャワールームへ。
この3号車のシャワールームはA個室の利用客専用で、先ほど車内改札の時受け取ったシャワーカードを利用することでA個室の利用客は無料でシャワーを利用できるというわけです。
(別に4号車のラウンジカーにもしゃわーるむがあり、こちらはシャワーカードを購入すればB寝台の乗客も利用可能)
シャワーを浴びてさっぱりして個室に戻ったところで、個室内のモニターテレビでビデオ鑑賞タイムとしました。
テレビはビデオ専用で、持ち込んだVHSのビデオテープを再生できるデッキも付いたものでした。
テレビではタイトルは忘れましたが映画も見ることができましたが、私はこの日のために自宅から持参したブルートレイン関連のビデオを見て過ごしました。
弁当と一緒に購入しておいた缶ビールを飲みながらリアルとビデオの両方でブルートレインを味わうひとときはなかなか乙なものでした。
0時少し前に名古屋駅を発車したあたりで就寝し、2~3回ほど目を覚ましつつ翌朝広島駅到着が近づいた頃に起床。
着替えて隣の4号車のラウンジへ。
ここにはソファーとテーブルが置かれ、2~3人ほどがソファーに座っていました。
私もここで、食堂車があった頃の「あさかぜ」を想像しながら持参したパンで朝食をとり、横長の大きな窓から見える車窓を眺めながらのんびりした朝の時間を過ごしました。
個室に戻ってしばらくすると、この列車に乗務していたJR西日本広島車掌区オリジナルの「あさかぜ」グッズの車内販売の案内の車内放送があり、やがてやってきた車掌さんから私はキーホルダーを購入しました。
そうこうしているうちに「あさかぜ」の旅も終わりに近づき、ブルトレに乗るときにはいつも感じていた「まだまだ乗っていたい」という思いを抱えながら9:55の定刻より数分遅れて終着の下関駅に到着。
東京駅では見ることができなかった「あさかぜ」マーク付きのEF66の雄姿を眺めつつ、ここまで来たのなら博多まで乗れたらよかったのになどと思いながら、当時の下関運転所へ引き上げていく「あさかぜ」編成を見送ったのでした。

結局、私が「あさかぜ」に乗車したのはこの一回だけで、そのまま2005年3月のダイヤ改正で「あさかぜ」は50年弱の歴史にピリオドを打ってしまいました。
「サンライズエクスプレス」の登場後の数年間、「あさかぜ」と運転区間が重複する東京ー広島または下関間では夏休みや年末年始などの多客期に「サンライズエクスプレス」を使用した臨時寝台特急「さんらいずゆめ」が運転されていました。
運転日数は多くないものの、数年間の運転でそれなりに実績も積んだことで、「あさかぜ」の「サンライズ」化も車両さえそろえばすぐに実現しそうに思えましたが、それは叶いませんでした。
ただ、東京ー広島間に関しては、今でも寝台特急があればそれなりに利用客は期待できそうな気もするので、将来285系の後継車が製造されるときには、ぜひこの区間の寝台特急の復活にも期待したいところですし、その時にはぜひ「あさかぜ」の列車名の復活も期待したいものです。
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