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【鉄道イベントの思い出】西武新101・301系さよならイベント その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2012年の西武新101・301系のサヨナライベントの振り返り、最終回です。

西所沢・所沢両駅での新101系ツアー列車の撮影を終えた後、所沢12:52発の特急「ちちぶ15号」でツアー列車を追いかけつつ、サヨナライベント第2会場最寄りの横瀬駅へ向かいます。
「ちちぶ15号」の途中停車駅の入間市・飯能の両駅では、先行していったツアー列車を沿線で撮影し、私と同じように横瀬を目指すと思われる人たちが結構乗車したようです。
所沢から1時間弱で横瀬駅に到着し、いざ会場の横瀬車両基地へ…となるところですが、駅前に出てみるとそこには会場への入場待ちの行列が尋常でない長さで続いていました。
それでも、車両基地の敷地入口近くまではゆっくりとではあるもののまあまあ列の流れは悪くなかったのですが、そこから先がなかなか進みません。
そんな状況の中、この横瀬の会場でも西武球場前駅で配られたのとは別デザインの記念絵はがきの配布が行われていました。

入場待ちの列に並んで40分近くたって、やっと車両基地の敷地内に入ることができました。
この横瀬の会場では、西武球場前駅からツアー列車で到着した新101系編成のうち、リバイバル塗装の271Fと通常塗装の281Fが並び、さらにその隣に横瀬車両基地で保存されている旧101系クハ1224(前面に「さよなら101系」のヘッドマークが付き、全面窓内側には「惜別」と書かれた吊り下げ式マークも掲出)が並ぶという形で展示されていました。
会場入りしてもまだまだ撮影の順番待ちの列に並び続けなければならず、結局駅前で入場待ちの列に並んでから1時間弱でやっと3両の並びを正面から撮影できる位置に到達することができました。
しかし何しろ、おそらくイベント主催の西武鉄道でも想定していなかったであろう撮影者の多さのため、最前列での撮影は20人ぐらいずつを1分交替で強制入替えしながらという条件付きで行われていました。
前から2~3列目からの撮影では強制的な入替えはないものの、そこから人が極力写らないように撮影するには最前列の入替えの間のわずかな隙間を狙うしかなく、なかなか満足のいく画像は得られませんでした。

とにかく想定外の混雑の中ではありましたが、どうにかこうにか数カット撮影して会場を後にしました。
それにしても…午前中の西武球場前駅でも感じたことですが、この日のサヨナライベントでの西武101系(新101・301系を含む)の「集客力」には何とも驚くばかりでした。
この日のイベントは、新101・301系全体の引退を記念するものではなく、新101系のうち多摩湖線と多摩川線で運用されるワンマン対応車はイベントの後も引き続き活躍することになっていたのですが、やはり本線核の池袋・新宿線での活躍がみられなくなるということで注目が集まったのでしょうか。
いずれにしても、西武沿線に住んで(この日の時点で)35年、旧・新101系と301系にはかなりお世話になった身からすると、一つの大きな歴史の節目を感じるイベントでした。

あれから8年あまり、その当時は予想もしなかった各種のリバイバル塗装車や地方私鉄コラボ塗装の登場で話題を振りまきつつ活躍してきた新101系ワンマン対応車も、多摩湖選への9000系ワンマン改造車の投入もあり少しずつ本数が減少してきているようで、あと数年もすればこちらも全社引退ということになりそうです。
先ほども書いた通り西武101系は私が西武沿線に住むようになって以来一番身近に接してきた車両の一つであり、その引退が近づいているという事実には大きな時代の流れを感じずにはいられません。
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【鉄道イベントの思い出】西武新101・301系さよならイベント その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
今回も、2012年の西武新101・301系のサヨナライベントの思い出の振り返りの続きです。

さよならイベント第1会場の西武球場前駅を11時過ぎに後にし、狭山線電車で池袋線との接続駅西所沢へ向かいました。
ここでは、12時過ぎに西武球場前を出て第2会場の横瀬へ向かう新101系のツアー列車を狙います。
12:12、リバイバル塗装車の271Fを先頭にツアー列車が西所沢駅に到着。
列車はここで池袋線に入って第2会場最寄りの横瀬駅を目指しますが、西所沢では線路配置の関係で狭山線から池袋線飯能方面へ直接折り返せないため、一旦一つ池袋寄りの所沢駅で折り返すというルートになっていました。
狭山線から池袋線に乗り入れる列車は、本来なら3面4線あるホームのうち3番線に入り、そこから池袋線のぼり本線に出ていきますが、ツアー列車の入線時はその3番線に狭山線の折り返し電車が入線していたため、通常は池袋線から狭山線への下り直通電車が使用する4番線に入線しました。
ツアー列車の入線と入れ替わりに3番線の西武球場前行が発車し、池袋線への進入待ちのため4番線で運転停車するツアー列車を撮影できるようになったためもあり、ここでも私を含め多くの人がツアー列車を撮影していました。
ツアー列車は西所沢で3~4分ほど運転停車した後所沢へ向けて出発。
私も後続の池袋行準急でツアー列車を追いかけました。

所沢駅に着くと、池袋線下りホームの4番線には、ここで折り返して横瀬へ向かうツアー列車がドアを閉めたまま発車待ち中でした。
そこへ隣の3番線(池袋線のぼりホーム)に特急「ちちぶ22号」が到着し、リバイバルカラーの新101系271Fと「レッドアロークラシック」の10105Fが並ぶサプライズが!
それなのになぜか撮影者は西所沢と比べて明らかに少なく、ツアー列車の乗客もドアが開いていないためホームでこの貴重な並びを撮影することができず、私的にはちょっと得した気分でした。
12:30、ツアー列車は横瀬駅へ向けて所沢を発車。
この後、追いかけるように私も横瀬へ向かい、さよならイベント第2会場での撮影を楽しみます。
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【鉄道イベントの思い出】西武新101・301系さよならイベント その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
前回に続き、2012年の西武新101・301系のサヨナライベントの思い出の振り返りです。

私の地元の某駅で、イベントに伴って運転された新101系の団体ツアー臨時列車の通過シーンを撮影した後、新宿線本川越駅で折り返すツアー列車に先回りする形でサヨナライベントの第1会場となる西武球場前駅へ向かいました。

9:20頃、西武球場前駅に到着。
ここまで乗ってきた狭山線電車には私も含めサヨナライベントに向かおうとする人たちが多数乗車していましたが、到着後イベントに参加しようとする人は一旦改札を出た上で、入場券替わり(?)のイベント記念絵はがきをもらって再び改札を入るという形がとられていました。
12月上旬の西武球場前駅は、野球シーズンも終わり、コンサートやイベントもない時期のため、通常はおそらくかなり閑散としていると思われますが、さすがにこの日は大賑わい。
ツアー列車はまだ到着していなかったものの、6線ある同駅のホームのうちの1線には、これもイベントに関連して池袋から運転された臨時快速で到着した301系309Fがすでに入線していて、たくさんの撮影者が群がっていました。
それでもさほど混雑している感じを受けなかったのは、やはり一時に多くの乗客が駅に集まることを想定した駅構造になっていることが大きく影響したのかもしれません。
9:40過ぎ、西武園を出発し東村山・本川越・所沢を経由してきた新101系271F+285F+281Fのツアー列車が到着。
到着後12時過ぎにイベント第2会場の横瀬へ向け出発するまでの間、ツアー列車の乗客も西武球場前駅での撮影会に参加し、新101系も先に到着していた309Fと並んで展示されました。
先ほど某駅で撮影した時には見落としていましたが、新101系編成の西武球場前・横瀬方先頭のクモハ281は、連結器下のカバーが黄色に塗られていました。
これはかつて、新宿線配置の101系が同線の701・801・401系の冷房改造車と混結可能な仕様になっていたため、混結不可の池袋線の編成と識別する目的で塗られていたもので、これも新宿線をよく利用する私にとっては昔を思い出すアイテムでした。
また同車の前面種別・行先幕も凝っていて、種別幕には黄色の地に「さよなら」の文字、行先幕にはレモンイエローとベージュの101系のボディーカラーをイメージしたデザインのベースに「101系」の文字を配したものになっていました。
こんな細かい部分にこだわりを見せるあたり、このイベントに対する西武の意気込みのほどが感じられました。

新101系と301系が並んでの撮影会は12時ごろまで行われ、両編成とも外観だけでなく車内の開放もされていました。

次回も続きます。
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【鉄道イベントの思い出】西武新101・301系さよならイベント その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
「鉄道イベントの思い出」シリーズ、今回からは、2012年12月9日に行われた西武新101系・301系(以下、基本的に両者をまとめて新101系と総称します)のサヨナライベントについてです。

このイベントは、1979年に登場し西武各線で活躍した新101系とその派生系列の301系が、多摩湖戦と多摩川線で運用される新101系ワンマン対応車を除き引退することに伴い開催されたもので、第1会場の西武球場前駅と第2会場の横瀬車両基地での車両展示会をメインに、この2会場を訪れるさよならツアーの団体臨時列車や、301系を使用した臨時快速の運転などが行われました。
私にとって新101系は、その登場時から身近な存在であり続けてきた車両であり、そんな形式にとって節目となるイベントとあって、撮影に出かけました。

この日はまず、地元の駅でもある某駅で、イベントに関連して運転された新101系さよならツアーの団体臨時列車を撮影しました。
この団体列車は、西武園線の西武園駅を出発し、隣の東村山駅でスイッチバックして新宿線に入り本川越駅へ。
同駅で折り返して所沢駅まで戻り、そこから池袋線・佐山線経由で第1会場の西武球場前駅へ。
同駅での撮影会の後一旦所沢まで戻り、折り返して横瀬へ向かうという変わったコースで運転されました。
ツアー列車の編成は、新101系の2両固定編成を3本連結した6両編成で、このうち本川越・池袋・横瀬方に連結された271Fは、新101系登場当初の塗装が再現され、これに黄色一色塗装の285F・281Fが順に連結されていました。
この列車にはヘッドマークは付きませんでしたが、前面の種別幕には「さよなら」、行先幕には「101系」の文字が表示されました。

9時少し前に地元駅を通過していったツアー列車を撮影後、そのツアー列車に先回りする形でさよならイベントの第1会場となる西武球場前駅へ向かいました。
途中、西所沢駅から乗車した狭山線折り返し列車の新2000系は、イベントに向かう人などで結構な混雑でした。

次回、西武球場前駅での撮影会の模様を振り返ります。
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ムーンライトながら&大垣夜行の思い出 [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
パソコン故障に伴うブランクがあったため、ブログのネタとしてはやや鮮度に欠けますが、それでもやはり乗り鉄好きであり、よく利用した者として触れないわけにいかないのが、東海道本線東京ー大垣間を結ぶ夜行快速「ムーンライトながら」(以下、「ながら」と略)の廃止です。
コロナ禍の影響で昨年春から運転のない状況が続き、使用されていた185系の引退も間近となったことで、どうやらこのまま廃止されてしまうのではないかという覚悟はあったものの、185系の後を引き継ぐE257系がJR東海管内でも乗務員訓練を開始したという話題に「もしかして…」というごくごくわずかな希望を抱きましたが、結局は「やっぱりね…」という結果になってしまいました。
これで、一時は地域的な粗密の差はあっても全国的に運転され、貧乏旅行や青春18きっぷ、周遊券などを使った鉄道旅の頼れる見方だった夜行の会則や普通列車も全滅となり、乗り鉄好きとしては大きな痛手というほかありません。
そして、東京ー高松・出雲市間の寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」を別にすれば、公共交通機関で日常的に国内を深夜に移動しようとすれば事実上高速バスしか選択肢がなくなることになるわけで、これも決して望ましい形とは言えないのではないかと思います。
JRが誕生する前後数年間の間に次々に登場した「ムーンライト○○」などの愛称を持つ夜行快速は、いずれも高速バス網の急速な充実に対抗して登場した、この時代の国鉄・JRの「やる気」が感じられる列車だったといえると思いますが、結局は設定しただけでその後の料金面や車両設備などの時代に合わせたグレードアップがほとんどなされなかったことが、その後の夜行列車全体の衰退を招いたのは確かでしょう。
歴史に「もしも」は禁物といいますが、もし「ムーンライト○○」などの夜行快速が現実の全盛期以上に多くの区間で運転され、青春18きっぷ以外にも安い料金で利用できる運賃・料金体系を整備し、車両も積極的に新車を投入するなどの積極策を続けていれば、もしかすると夜行快速は高速バスとも互角に渡り合える夜間移動のインフラとして定着していたかもしれないと思うと、大変残念でなりません。
また、「ながら」が消えることで、青春18きっぷを利用しての鉄道旅のプランを立てようにも制約が多くなり、それが今後18きっぷの存続にも影響してくるのではないかという懸念もあります。
いずれにしても、車両の老朽化はともかくとして、利用客に関しては決して少なくなったとは言えなかった「ながら」が廃止されるのはただただ残念であり、しかも前身の列車から数えると相当に古い歴史を持つ列車の終焉が、コロナ禍という状況のためとはいえ何のイベントもなく訪れてしまったことに、やるせなさを感じずにはいられません。

そんな「ムーンライトながら」、そしてその前身の東京ー大垣間夜行普通列車(通称 大垣夜行)ですが、私も過去20数回は利用し、18きっぷなどを利用した東海以西への鉄道旅ではとてもお世話になった列車です。
初めての乗車は、確か1991年のGWに関西へ行った時だったと記憶しています。
もちろんそのだいぶ以前から大垣夜行の存在は知っており、多客期は相当な混雑となることは知っていたので、発情者の日は東京駅の大垣夜行発射ホームに4時間前にきて並んで席を確保したのを思い出します。
その後、「大垣夜行」時代も「ながら」時代も、そしてそれぞれの臨時列車もたびたび利用しました。
乗車中にこれといったハプニングに巻き込まれたりすることはなかったものの、下り列車での未明の浜松・豊橋の長時間停車中に駅前をぶらぶら歩いたり、これも下り列車の終着大垣駅での京都方面行列車への乗客大移動(通称「大垣ダッシュ」)などは今でも懐かしい思い出です。
また、「ながら」と臨時「大垣夜行」がともに運転されていた当時、豊橋駅でこの両列車を乗り継いで利用したり、GW真っ最中で満員だろうと思っていた臨時「大垣夜行」が予想に反してガラガラだったりと、「ながら」や「大垣夜行」にまつわる思い出はいろいろとあります。

現在のような状況で「ながら」やその他の夜行快速・普通列車の復活を期待するのはかなり厳しいかとは思いますが、決して夜間の長距離移動そのものの需要がなくなってしまったわけではないことは、夜行高速バスが路線にもよるけれど人気を集めていることが証明しているといえます。
そうなると、JRやそれと接続する第三セクター鉄道などにも、それらの夜行高速バスと対等に渡り合えるだけの「夜の足」の選択肢を増やす役割を担ってほしいと思ってしまいますが、無理なことなんでしょうかね…
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【2013-2014冬の18きっぷ旅】静岡県西部のローカル鉄道めぐり その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2013年末から2014年正月にかけての冬の青春18きっぷ旅の振り返りシリーズ、今回で最終回になります。

新浜松駅から、遠州鉄道で西鹿島駅に到着。
この駅は遠州鉄道戦の終着駅であるとともに、国鉄二俣線を引き継いだ第三セクター鉄道、天竜浜名湖鉄道(天浜線)の途中駅でもあります。
そしてこれから、その天浜線に乗車しようというのが、この日最後の目的でした。

遠鉄と天浜線は、西鹿島の駅舎や改札も共通で、天浜線のホームへは遠鉄線のホームを通って向かうことになります。
当初の予定では、西鹿島→新所原→掛川という経路で天浜線全線を乗りつぶすことを考えていたのですが、午前中の金谷駅と浜松駅付近での滞在時間が予定より伸びて西鹿島到着が遅れたため、この日は西鹿島―掛川間のみ乗車し、残りの区間は次回訪問時に乗りつぶすことにしました。
西鹿島からは14:34発の132列車に乗車。形式や番号は忘れてしまいましたが、ディーゼルカーの単行運転でした。

西鹿島から2駅目の天竜二俣駅では列車交換などのため9分停車。
天竜二俣駅は、天竜浜名湖鉄道の本社や車庫も設けられた、天浜線の中核的な駅です。
そんな駅構内には、国鉄時代の二俣線で活躍した気動車キハ20 443と、なぜか20系客車のナハネ20 347がボランティア団体の手で保存されていて、停車時間中を利用して開いている構内踏切から撮影。
この日は再塗装して間もないのか、遠目にも外観は非常にきれいでした。
もう少し時間があれば、可能な限り車両に近づいての違ったアングルでの撮影もできたかとは思いますが、短い停車時間ではそれもできず、遠目であってもきれいな姿を見られただけよかったということで納得します。
混雑するでもなくガラガラでもなく、乗り鉄を楽しむには良好な環境でのんびりとローカル線の旅を楽しみ、15:39に終着の掛川駅に到着しました。

こうして、静岡県西部のローカル鉄道巡りはひとまず終了となりました。
大井川鐵道と天浜線については、一部または全区間の乗車ができず、やや消化不良ともいえる結果に終わってしまい、その後も長らくその落穂拾いができていない状態です。
これらの路線も、いろいろな状況が落ち着いたら、ぜひ再訪したいものです(宿題がどんどん溜っていく…)

掛川からは再び18きっぷの旅を再開。
掛川15:54発の興津行958Mで静岡へ、さらに静岡からは17:00発の熱海行1464Mに乗り継いで沼津駅へ。
さらに沼津からは18:09発の東京行334Mに乗り継ぎ、車内で静岡駅の「特製鯛めし」を食べながら、帰路につきました。
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【2013-2014冬の18きっぷ旅】静岡県西部のローカル鉄道めぐり その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2週間ほど間が開いてしまいましたが、2013年末から2014年正月にかけての冬の青春18きっぷ旅の振り返りシリーズ、Part5の続きです。

金谷駅での大井川鐵道の元京阪旧3000系との遭遇を果たせないまま、金谷11:13発の浜松行753Mで浜松駅へ。
浜松についたところで一旦18きっぷの出番は一休みとなり、駅近くで昼食の後は、これも浜松駅に隣接した新浜松駅をターミナルとするローカル私鉄、遠州鉄道(以下、「遠鉄」または「遠鉄線」と略します)に乗車します。
新浜松駅は、デパートも併設されていて、ホームも高架上に設けられていて、ローカル私鉄というより比較的中堅クラスの私鉄の始発駅といった感じの、近代的なイメージの駅です。
ここから、この日の時点で約20年近くぶりに遠鉄線で終点の西鹿島駅を目指します。

高架のホームに上がると、相対式2面2線のホームの片側には、次の西鹿島行電車となる遠鉄のオリジナル車両1000系が停車中。
遠鉄の電車は赤いボディーがシンボルで、地元ではその塗装から「赤電」の愛称で親しまれているとか。
その赤い車体には白いストライプも入り、京急の車両の塗装を思わせます。
ちなみに、この時の乗車の前年(2013年)は遠鉄設立70周年だったそうで、当時運用されていた車両各車の側面ドア脇には記念ロゴ入りのステッカーが貼られていました。
また、同様のデザインのヘッドマークを前面に掲出した編成も見ることができました。

新浜松12:48発の列車で西鹿島へ向けて出発。
遠鉄線はオール各駅停車ながら日中でも全線きっちり12分間隔での運転で、その利便性からか真昼間でも2両編成の車内はそこそこ乗客が多く、車窓も住宅地が多いなど、この点でもローカル私鉄というよりどこかの大手私鉄の郊外路線に乗っているようでした。
新浜松駅から32分で終点西鹿島駅に到着。
都会的な新浜松駅とはうって変わって、いかにもローカル私鉄の終着駅らしい、広い構内が印象的な駅です。
西鹿島駅構内には車庫もあり、留置線には数本の電車が並んでいました。
比較的新しい1000系や2000系がほとんどでしたが、中にはこれらの形式が登場するまでの遠鉄の主力形式だった、湘南形前面を持つ30系(モハ27+クハ89)の姿も見ることができ、乗ることはできなかったものの「湘南顔」好きな私としては出会えただけでも大満足でした。

この後は、天竜浜名湖鉄道に乗り継ぎます。
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お久しぶりです [日々のあれこれ&つぶやき]

お久しぶりです。gonanaです。
1月18日に記事を更新したのを最後に突然更新が止まってしまい、いつも当ブログにご訪問いただいている皆様には大変ご心配をおかけしました。
実はその1月18日に、突然私のパソコンが立ち上がらなくなり、パソコンサポートの会社に修理を依頼していたため、更新ができなくなっていたという次第です。
そして(日付的には)昨日、修理を終えて自宅にパソコンが戻ってきました。
幸い、データの完全消失という最悪の事態は免れ(それでもネットの「お気に入り」データなど、復旧が必要な箇所はいくつかありますが)、ひとまず最低限のパソコン利用はできるようになりました。
本格的に新しい記事をアップするのは、あと2~3日後になりそうですが、取り急ぎ更新再開のご挨拶とさせていただきます。
今後とも、当ブログをよろしくお願いいたします。
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